第29話 花婿が失踪しました
自らが決めた婚姻とはいえ、ルドベキアが当初想定していた事象とあまりにもかけ離れ過ぎていた。文句や愚痴では何も変わらないと頭では理解していても、これは私の責任か? との思いが湧き上がるのだ。
「これまでルドベキア様のお考えを優先してお仕えしてきましたが、私はルドベキア様は頑固過ぎると思っております」
グレタの有無を言わせない突然の指摘に、ルドベキアの頬が引き攣った。使用人のくせに、と切り捨てられないぐらいの低賃金で働かせているので反論はできなかった。
「ルドベキア様が頑なになられると、ランドルフ様はもっと頑なになられます。あなた様に大変な負い目があるからです。折れて、手を差し伸べられてはいかがですか? 先に頭を下げることが、必ずしも負けとは限りませんよ」
この国の運命を左右するような解毒剤を発見してしまい、ルドベキアは狼狽えているのだ。捻り潰さないであげようというのが、人情というものではないのか。
「無理に添わすなと仰りたいでしょうが、あなた様は伯爵家のご令嬢なのです。婚家が気に入らないからと離縁すれば、世間では無価値以下です。ですからウエスト家で幸せになる道を、何としても探すべきなのです」
冷や水を浴びせられた気分だった。
薄々ルドベキアが考えていたことを、グレタはズバズバ突いてくる。
ルドベキアは頭の回転が早く、口も達者だ。変な自信もあり、実は前に前に出る性格でもある。
三姉妹の一番上でもあり、3年前に母親を亡くしてからはことさら自分が何とかしなければ、という責任感からすっかり頑固者になっていた。
そのルドベキアの意固地なところを褒めたり叱ったりしながら、グレタはいつだってなんだかんだ言いながら受け止めてくれた。ただの使用人などではなく、本当の自分を出せる母親のような存在でもあった。
「過ぎる我のまま子の母親になれば、必ず子を不幸にしますよ」
ぼそっと洩らされたグレタの一言は、乾いた砂に水が染み込むようにルドベキアの中に入っていった。
「子を授かる前に夫を亡くした私が口にするのは憚られますが、母親になればご自分のお心を最優先にするわけにはいかなくなります」
「グレタ……」
「身の程をわきまえないご忠告をいたしました、申し訳ございません」
世話役の夫婦から定期的に連絡が来るということは、ウエスト家には現在もルドベキアとの離縁の意思はないということだ。婚姻関係が続けばルドベキアは母親になる日が来るかもしれないのだから、グレタの助言は正しい。
ランドルフの体調がよくないのだとすれば、あの悔しかった初夜以来、熱烈な口づけを拒んでいたからだろう。このままランドルフを苦しめたままでいいはずがない、やはり直接会う機会を作るべきなのかもしれなかった。
何をどう考えているのかはさっぱりのランドルフだが、ルドベキアはもうすでにウエスト家にがんじがらめになってしまっている。
──先に頭を下げることが、必ずしも負けとは限らない
──母親になれば、自分の心を最優先にできなくなる
「こちらの領地でずっと、ランドルフ様のために解毒剤を探していました。試してみたいお薬を探し当てたので、お会いしたいです。って、熱烈な手紙を書くわ!」
送った手紙の返事は、なかなか返ってこなかった。
せっかくこちらから頭を下げてやったのにとルドベキアが憤っていると、ウエスト家から驚愕の知らせが届けられた。
ランドルフは起き上がるのもやっとの体調で、馬車を使って家出をしたということだった。
*
偽装離縁以来ランドルフの体調は急降下し、以前のような寝たきり状態に戻ってしまっていた。お嬢様問題解決の目途が立たたなかったため、病状悪化の詳細は、ルドベキアには伏せられていたようだった。
ところがその……起き上がるのもやっとのランドルフが家出し、しかもウエスト家の領地に向かった、とここにきて聞かされる理不尽さ。
新妻に会いたい、とスウィフト家の領地にというなら分からないでもない。ウエスト家の領地に一人で出向いて、どうするつもりなのか。ランドルフという男は一体何を考えているのか。
自分の短慮な行動がどれほど周囲に迷惑をかけるかが分からないのか、とルドベキアの怒りは沸々と煮えたぎっていた。
別居生活に入って1か月になるが、お嬢様との関わりは途切れたままだ。お目当てのランドルフの具合がはかばかしくなかったので、アチラの打てる手も限られていたのだろう。
スウィフト家の領地の屋敷は、ウエスト家から寄越された複数人の身辺警護が、常に目を光らせている。よって、ルドベキアの方はまずまずの暮らしぶりだった。
その平穏だった日々が、台無しではないか。
あまり遠くに行かなければ、警護に当たってくれている者達を困らせることもないだろう、とルドベキアはグレタを誘って庭で木々を眺める。
二人の目前に広がる木々は、スウィフト家にまだ余裕があったころに、今は亡きルドベキアの祖父が異国のフルーツの種から育てたものだ。
「王都のウエスト家のお庭と違って、贅沢な美しさなんてないわ。でも慣れ親しんだこの景色が、私は一番好きよ」
オレンジとレモンは、スウィフト家が薬草栽培で培った高い育成技術で、陽だまりの下でしっかりと庭に根付いていた。
リンゴと梨は、領地で過ごす寒い冬の夜に、暖炉の灰の中で蒸し焼きにすると息を呑むほどの味になる。三姉妹で奪い合うようにはふはふ食べていると、屋敷中が温かな幸せに包まれた。
母親が生きていたころのスウィフト家の領地は、ルドベキアの安寧の地だった。
それが今や全てにおいて手入れが行き届かず、等級落ち状態に成り下がっている。
「あの疫病神は今ごろ、どこで何をしているのかしら。悪化した体調でウエスト家の領地へ移動するなんて、よほど死にたいのよ」
「お言葉が過ぎませんか? ルドベキア様」
文句の一つも言いたいどころか、本人に会えば殴りかかってしまいそうだ。
せっかく7年ぶりに意識が戻り、これからは平々凡々とはいえ領地運営と社交に勤しみ、跡継ぎ作りに励むのではなかったのか。努力によってはそれなりにやりがいが感じられる人生を、ランドルフは棒に振るつもりだろうか贅沢者めが。
お嬢様のようなおかしな人間に係わられたことで、皆が人生を捻じ曲げられた。もう元に戻せないほどに折れ曲がってしまっている。
ウエスト伯爵は悪事の証拠を見つけて平穏を取り戻すと断言したが、可能だろうかと不安が募る。
ガーフィールド公爵家には、地位・権力・金・人脈、ありとあらゆる盾がある。それを覆すにはどうすればいいのか。
公爵家に罪を認めさせることができなかった場合、それでもこちらに一切の手出しをさせないような方策はあるだろうか。
ルドベキアは庭のフルーツの木々を眺めながら、思案に耽った。妙案が浮かばず、スウィフト家が傾かなければ……との詮無い思考が顔を出してしまう。
「スウィフト家を立て直すための婚姻だったのよ。こんなことになるなら、頼りになりそうな大人の方を入り婿に迎えるべきだったかしらね」
「無能なくせに、偉そうなだけの大人の男性もおられますよ。ルドベキア様は肝の据わったご気性ですから、ランドルフ様をご自分の理想の旦那様に、お育てすればよろしいではないですか」
薬草は丹精込めて育てると品質が向上するが、ランドルフはどう世話をしようと『大人の余裕と包容力』が備わる気がしなかった。
「アイツお坊ちゃま育ちで我儘だから、私の言うことなんて聞かないわよ」
「ですから、負けて勝つことを覚えられてはと申し上げました。特にお相手にぞっこんの男性は、こちらが上手に扱えば理想の旦那様になられます」
グレタは男女関係の奥深さについて教えたのだが、そちら方面に関心の薄いルドベキアには刺さらなかった。それでもグレタと話したことで、ルドベキアは人心地がついていた。
そのまま庭を散歩していると、屋敷の方向が何やら騒がしい。早馬で誰か来たのだろうかと、ルドベキアはグレタとそちらへ急いだ。
屋敷の玄関前には、ウエスト家から遣わされた馬車と、護衛の者達が待機していた。
「ランドルフ様がウエスト家の領地でお待ちですので、お迎えに上がりました」
「かなり悪いのですか?」
「ご病状が悪化されて高熱が続き、意識も混濁しておられるようです。旦那様からルドベキア様をお連れするようにと、仰せ付かっております」
どうやら状況は最悪といったところだろうか。
そもそも具合が悪かったところに、王都から領地へ1日もしくは2日もの長距離を馬車で移動したのだから、かなりの体力を消耗したはずだ。
ランドルフの状態は気がかりだが、スウィフト家からウエスト家の領地へはどう急いでも、馬車なら3日はかかってしまう。
「とにかく急ぎましょう」
ルドベキアは慌てて私物をまとめ、グレタと共に疫病神の元へと出発した。




