第3話 花婿に口づける方法
ルドベキアは、硬いライ麦パンとボイルした芋、庭に生息するハーブを摘み取って入れたハーブティー、という伯爵家にあるまじき質素な朝食を食べていた。手に取ったライ麦パンの一部に青カビに気づくと、千切って捨てて残りを口にする。
「お姉さま、それは駄目でしょう」
「パンを丸々廃棄するなんて勿体ない、天罰が下るわ」
「そんな大げさな……と言えないほど、我が家は苦しいものね」
しょんぼりしてしまったのは、ルドベキアより4つ年下の双子の妹達だ。
スウィフト伯爵家の美しき三姉妹と評判だけは高いが、家には用意できる持参金がなく、これまで三姉妹にはどこの貴族家からも引き合いが来ない。使用人の数を極端に減らし、専任のシェフすら置かず、食費を切り詰める日々を過ごしているというのに。
スウィフト家は農作物も作るが、薬草栽培が主な収入源だった。ところが7年ほど前から、ガーフィールド公爵家が薬草栽培を独占し始めたのだ。
この国の王弟が公爵を名乗り、この国の宰相を父親に持つ夫人。権力の権化のような公爵家に、細々と利益を得ていた薬草まで、大々的に栽培されてはひとたまりもなかった。ガーフィールド公爵家に睨まれるような心当たりはなく、とりなしてくれる人脈も持ち合わせず、スウィフト家は敗北感に打ちのめされた。
ルドベキアの父親も、ただ黙って手を拱いていたわけではない。形勢逆転を狙い、『一日に100回交尾する羊が食べている草』イカリソウなるものが南国にあると調べ上げ、多額の資金を投入して何とか入手した。
その奇跡の草が根付いていれば、今日のスウィフト家の朝食が、青カビパンと芋と庭に生息するハーブティーにまで質落ちすることもなかっただろう。
心臓の弱かった母親が、3年前に心労から亡くなることもなかったはずだ。
貴族社会は所詮力関係で全てが決まるものだが、ガーフィールド公爵家の仕打ちだけは許せなかった。だからこそルドベキアはこれまで、この国の大学の薬草学科で、最新の専門知識を習得しようと努力を重ねてきた。
それなのに、肝心の学費が用意できない。
「お姉さまがウエスト伯爵家にお嫁に行ってしまったら、寂しくなるわね」
「ランドルフ様は病気がちで、ずっとベッドで過ごされているのでしょう? お話し相手を務めるだけの婚姻だから、大学に行っていいのよね? せめてハンサム?」
しっかり者を通り過ぎて超現実主義者のルドベキアと違い、14歳の双子の妹達は、姉の突然決まった婚姻話に興味津々だ。
「ハンサムだとは思うけど、病気だからか頬がこけてらしたわね。顔色が悪いのが見苦しいから、家族以外には会いたくないって仰るのよ」
お話相手どころかそもそも意識がない、とは言わない約束だ。
妹達には、代々武官の家の嫡男が病弱だというのを恥じていて、決して人前には出ない気難しい方なのよで押し通していた。ルドベキアは真実味を加味すべく、この話はこれまでと頭を振り、神妙な表情を浮かべてハーブティーを啜った。
「でもお姉さまは、他の方をこの家にお迎えになるのかと思っていたわ」
「ヘインズ家の方ね。あちらも余裕のない家だから、無理だったのよね」
双子の妹達が思い浮かべた余裕のないヘインズ家の家の男は、この国で最上位の貴族家の女と婚約内定が噂されている。お相手は、忌々しいガーフィールド公爵家のお嬢様だ。
そもそも余裕のない男とルドベキアは、友人関係だった。いや、便利屋さん的な縁戚の叔父さんのようなものだろうか。頼れる存在ではあったが、ルドベキアの婚約者は仮死状態のランドルフ・ウエストに決まった。
婚約者の母親は「ランドルちゃんが目覚めて困らないように、国立学院で習得する4年間の学習内容は、全て枕元で語って聞かせたわ」と、にこやかに笑っていた。隣国で流行している『睡眠学習法』とやらを施していたから知識・教養は完璧だと胸を張っていたが、ルドベキアはランドルフに対して何の感慨も持ち合わせていない。
純潔のままいずれランドルフの姉から養子をもらい、無事にウエスト家が爵位継承を終えればお払い箱となり、離縁されて実家に戻される。
これはいわば、妻という名を貸し出す名義貸し婚なのだ。
10年ほどの多大な縛りがあり離縁の事実も残ってしまうが、それでも諸経費を心配せずに大学へ進学でき、実家に支援があるなら悪い話ではない。無邪気な妹達のためにも、貴族社会で力を持つウエスト家と縁づく意味はとてつもなく大きい。
むしろ婚姻相手の裏事情を知ったことで、ルドベキアはまともな婚姻話だったとホッとしたぐらいだ。
名ばかりの婚約期間の2か月が過ぎ、ルドベキアは国立学院を優秀な成績で卒業した。ウエスト家からは、大学の入学金も、半年分の学費も納入された。
結婚式もウエスト家の屋敷に牧師を呼んでの略式挙式なので、事前の準備すら省略だ。花嫁支度も全てウエスト家が整えてくれるので、まさに前代未聞の手ぶらでの嫁入りになる。
それでも婚約期間中にはウエスト家に出向き、眠り続けるランドルフに「目を覚ましてね、愛する私のために」と囁き、ルドベキアは口づけをしなければならなかった。
ランドルフの母親であるウエスト夫人が、熱烈にせがんだからだ。
初めての口づけの相手に意識がないのは寂しくもあったが、概ねまあ仕方がないなと割り切っていた。それよりも経験のない口づけをどのようにすれば、何の反応も示さない婚約者に巧みにできるか、という関心の方がルドベキアにとっては大きかった。
そこで憎きガーフィールド公爵家のお嬢様と婚約話が進んでいるらしい、国立学院の学友で、双子の妹達が義兄にと望んでいた、余裕のない家の男に尋ねることにした。
「男が喜ぶ口づけのやり方だって? 急にどうした、好きな男でもできたのか?」
「ある方から特別な事情で頼まれたお話なのよ。お相手がいるあなたなら、適任かと思って」
「将来ガーフィールド家のお嬢様とは義務で子供は作っても、熱烈な口づけなんかしないと思うが。口頭での説明では難しい、実地で試してみるか?」
冗談にしても、なかなか凄い提案をされた。男は嗜みだと称して婚前に不特定多数の女と関係を持つらしいので、便利屋さん的な縁戚の叔父さんにも、かなりの経験があるのだろう。口づけぐらいは余裕のようだ。
学友の男は婚姻相手と子供は作っても熱烈な口づけはしないが、ルドベキアは婚姻相手と子供は作らず熱烈な口づけはしなければならない。貴族の婚姻というものは、全くもって謎めいている。
いずれにせよガーフィールド公爵家からはこれ以上恨みを買いたくないので、実地は丁重に断り、口頭説明のみに留めてもらう。
説明によると口づけとは、お互いの唇を合わせるだけでなく、相手の唇を吸ったり舐めたりを繰り返すとのこと。さらに便利屋さんは、自分の舌を相手の口内に入れたり、舌同士を絡め合ったりすると熱血指導する。
極めつけに自らの唾液を相手に飲ませてやるのも効果的だ、などと言い出した。さすがにそれは相手への嫌がらせではないか、とルドベキアは大いに狼狽えた。
とりあえず学友の男には礼を述べておいたが、巧みに口づける方法については、スッキリ納得とはいかなかった。
注:本文中にヒロインが、パンの一部にあった青カビを千切って捨てて、残りを食べてしまうシーンがあります。お話に必要な行為として意図的に書いていますが、本来は青い部分を捨てるだけでは不十分です。
勿体ないので、パンはカビが生える前に食べ切りましょう!




