第2話 神が与えたもうた花婿
日を改め、今度はルドベキアと父親が、ウエスト家を訪問することになった。気乗りはしないが、この世界には立場が下位の者が上位の者に逆らってはいけない、という不文律がある。
しかしながら、スウィフト父娘には下にも置かぬ扱いの予想外の迎え入れが用意された。
迎えに来た馬車がまず立派で、卓越した御者の技術と豪華な座席のクッションが相まって、移動時の揺れがほとんど感じられない優雅さだ。しかも車内には、金が有り余っている芳しいニオイまで漂っている。
やはりランドルフは事故物件だ、とルドベキアは確信を持った。
ウエスト伯爵家の屋敷はというと、王宮にほど近い、金持ち貴族の住宅街が連なる地区に位置する。王都で一等地とされる区画に屋敷があることこそ、この国の貴族社会での序列の高さの証明になる。
「到着いたしました」
御者の声を受けて馬車を降りると、目の前には豪邸がそびえ立っていた。
ルドベキアは到着したら到着したで、まず屋敷の大きさに驚き、敷地の広さがこれまた桁違いでびっくり仰天しなければならなかった。
屋敷のある場所と規模で、スウィフト家との格の違いを見せつけられてしまった。
そういえば過去に一度だけ、断れないからと父親に泣きつかれ、ルドベキアはここを訪れたことを思い出す。
当時は子供だったので屋敷や敷地などどうでもよかったが、こうして大人になって刮目するとウエスト家の金満振りがよく分かる。恐るべし、という言い回しがピタっとはまる。
たわいない茶会に呼ばれただけだったような気がするのだが、たっぷりハチミツを染み込ませて焼かれた白パンは絶品だった。できれば今回の訪問でも口にできないだろうかと思える至高の一品は、今でもルドベキアの閉じた瞼の裏にはっきりと思い起こされていた。
その時に会ったであろう、ランドルフ・ウエストの姿形はほとんど忘れているというのに。
案内されて吹き抜けの玄関ホールに入ると、これまた出迎える使用人の数が多かった。女主人であるランドルフの母親らしき女性も「ようこそおいで下さいました」と、実に優雅に微笑する。
「本日は、お誘い下さいましてありがとうございます」
招かれても煩わしいばかりだったが、ルドベキアも父親と共にお辞儀をしておく。これ以上立場が遥か上位の家から謂れのない恨みを買い、困窮するのは御免被りたかった。
応接室でまずお茶をいただいたくことになるが、よほど高級な茶葉を使っているのか、熱い紅茶がやたらと美味い。添えられた菓子もこれまた絶品で、唸るほどの味わい深さだった。
こんな生活が堪能できるのだからルドベキアよ嫁ぎなさい、と悪魔の囁きすら聞こえてくる始末だ。
「ルドベキアちゃんがうちの茶会に来てくれてから、もう7年が過ぎたのね。ランドルちゃんったら、前日から嬉しそうにしていたのよ。ルドベキアちゃんが帰ったら帰ったで、よほど楽しかったのかすっかり舞い上がってしまって。すぐに公爵家の茶会にも行くと言い出したりして、大変な騒ぎだったの」
ルドベキアちゃん? ランドルちゃん? ウエスト夫人が身を乗り出すようにして昔話を熱く語るのだが、18歳の令嬢と20歳の息子にその呼称はおかしい。いや、当時は子供だったからそういった表現なのだろうか。
「それなら話を進め、婚約とするか。そう切り出してやった時の、ランドルフの顔は見ものだったな」
ウエスト伯爵の口にした婚約とは、誰と誰を意味するのか。目の前に座る夫妻の会話の全てが、ルドベキアには謎だった。
それにしても妙だ、ルドベキアはランドルフと親しくしたことなどただの一度もなかった。それなのに突然の婚姻の申し込みと、この手厚い歓迎ぶり。
その裏に、ウエスト家は何を巧妙に隠そうとしているのか。
「あの、それでランドルフ様はどちらにおられるのですか? 今日はお会いできると伺っていたのですが……」
ついにルドベキアは夫妻の思い出話を、遮るように尋ねてしまった。
先日ウエスト伯爵は「息子はルドベキア嬢のことを想っている」と発言し、今回はウエスト夫人が「ランドルちゃんがルドベキアちゃんに夢中」だと言う。ルドベキアと父親はウエスト夫妻の戯言を聞くのみで、肝心の本人は一向に姿を現さない。
やがて夫妻は顔を見合わせて溜息をつき、諦めたように立ち上がる。おいでおいでと手招きするような夫妻に、ルドベキアと父親も従うことになる。
二人に導かれるように応接室を出て、人気のない廊下をゆっくりと進む。ランドルフと会うために呼ばれたのだからといって、きょろきょろしながら屋敷内を探るようなマネもできず、ルドベキアは緊張しながらただただ下を向いて歩くしかなかった。
廊下の奥まった部屋の前でウエスト夫妻が立ち止まったので、そこがランドルフの部屋ということだろう。
「ルドベキア嬢には婚姻を了承してもらいたいが。どうしても無理だと断るなら、これから目にすることは他言無用に願いたい」
ウエスト伯爵が改まった口調で釘を刺してきた。現在中将、間もなく大将に昇進が噂される人物、がいかにも剣呑な目をルドベキアに向けてくる。
何を始めるつもりだろうか、とルドベキアは怯えから父親の腕に縋りついた。
扉が開かれ、スウィフト父娘は中へ通される。
ルドベキアが身を固くしながら部屋に足を踏み入れると、奥のベッドに横たわるランドルフらしき人物が目に入った。毛布で身体が覆われているのではっきりとは分からないが、かなり痩せて見える。驚くほどに。
20歳の青年にはとても見えず、16・17歳の少年といった感じだろうか。顔色も悪く無表情、身動き一つしないが。
これが現在のランドルフ・ウエスト。
「7年前から、もうずっと眠ったように過ごしている」
「ええ……でもランドルちゃんは生きています!」
ウエスト伯爵が囁き、ウエスト夫人は苛立ったように宣言する。
極端に病弱どころか、全く意識がない。
そして黙ってベッドの横に控える40前後の男女が、7年間仮死状態のランドルフの世話を続けてきた使用人だろう。
このような状態のランドルフが、どうやってルドベキアに思慕の念を抱けるのか。やはり美味い話には裏があったのだ。




