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第26話 花婿が7年間、仮死状態だった原因

 ランドルフを気に入っていたお嬢様は、やはり婚姻を諦めきれなかったのだろう。重病だから不釣り合いな女を迎え入れたのだと一度は納得したものの、元気になったのなら私を貰ってほしいと不満を募らせた。


 不都合な女はさっさと追い出しましょう、相手もちゃんと用意してあります。丸く収まるように手は打ち、逆らったらどうなるか身に沁みるように脅しておきました。さあ、私をランドルフ様の新しい妻にして下さい。

 そう主張するためにお嬢様がウエスト家を訪れたのだとすれば、もう正気の沙汰ではなかった。


「あの子、ランドルちゃんに会いたいってせがんだけれど、熱が下がっていないからって断ったの。でも、お母様、お母様って呼ぶのよ、私のことを。ルドベキアちゃんじゃなく、私が娘になりますからって。どうすればいいのかしら……」


 ルドベキアの訴えと夫人の青ざめた様子に、ウエスト伯爵の顔も強張った。


 お嬢様は「私は母に欲しいと思ったものは、何としても手に入れなさいと言われて育ちましたの。決して諦めません」と、胸を張ったらしいのだ。

 夫人は怖ろしいとぶるぶる震え、それを聞いたランドルフの瞳にも悲痛な色が浮かんでいた。


「一つ伺いたいことがあります。ランドルフ様のお身体のことですが、ウエスト伯爵はその原因をどうお考えですか?」

「国中のありとあらゆる医者に診せたが、原因は分からなかった。医学書にも該当する症例が載っていないとされたが、それがどうした?」

「毒、を盛られた可能性をお考えになったことは?」


 ルドベキアの問いに、部屋の中の空気が一気に張り詰めた。すでにそのことを耳にしていたグレタでさえ、表情を曇らせる。

 ランドルフと夫人と世話役の使用人夫婦など、ルドベキアの言葉をどう受け止めていいか分からず、唖然としている。お嬢様の悪巧みを聞いた時以上の衝撃なのだろう。


「7年前その可能性は考えたが、言ったようにこの国にはそんな状態に陥った患者は存在しなかった。過去に遡ってもだ」


 ウエスト伯爵はゆるゆると首を振り、ルドベキアに鋭い視線を向けてきた。


「大海を挟んだ向こう側に位置するとある国では、教義や経典のない宗教において『人の意思を奪い奴隷とする毒』を使用する、と書物にあります。その粉を濃い濃度で用いれば死に至り、適量を用いれば死んだように眠らせることができ、意志を奪い意のままに動かすことも可能だとか。その不可思議な症状から、呪術の類ではと考えられていたこともあったようです。まだ調べ切れていないので断言はできませんが、ランドルフ様の身に起こったことと似ていると思われませんか?」


 ここで初めてウエスト伯爵が、混乱している様子を見せた。


「他国のおとぎ話だと笑われるかもしれませんが、スウィフト家は過去に、劇的な体調改善が見込める薬草が南国にあると調べ上げ、手にしたことがあるのです。栽培には失敗したので、手元には残っておりませんが。ですから当初は我が家と同じように薬草を扱う公爵家なら、と考えましたが……やはり軍が手にしているもので心当たりがおありでしたか」


 ルドベキアの指摘に明らかに冷静さを失ったのか、伯爵の額には脂汗のようなものが浮いていた。そのまま考え込み、手の甲で額の汗まで拭いだした。


 軍の管理下にあるものが、息子に使われたとは考えたくないのだろう。ルドベキアはそのまま伯爵から目を逸らさず、質問への返答を待つことになる。


「まさか、軍で厳重に管理されている薬物が持ち出されたのか……いやそれよりも」


 ──一度受け入れた毒は決して消えず、延々と苦しむことになるのです


 ウエスト伯爵はやはり、ガーフィールド公爵家を疑っていた。


 大切な嫡男が何らかの病に罹り、いつまでたっても意識は戻らず、国中のあらゆる医者に診せてもその原因が分からない。

 おかしい、どうして、治るのか治らないのか、と問い続けてもランドルフは全く目を覚まさない。


 ガーフィールド公爵家に対して妙な胸騒ぎを覚えようと証拠はなく、訝りながらもランドルフの命を繋ぐことに傾倒し、肝心の「どうしてそのようなことが起こったのか」を見過ごしていたのだ。

 お嬢様がランドルフをどうしたいと望んでいたか、を。


 ルドベキアはウエスト家の事情に翻弄され言いなりになっているようで、「自分が何のために婚姻という道を選んだのか」を、忘れていなかった。物事の本質に疑問を感じてしまうと、徹底的に調べ上げ、答えが出るまで知識を得ようとする学者気質でもあったからだ。

 だからこそウエスト伯爵が見落としていた軍の薬物という存在を、その鋭い洞察力をもって露わにできたのだろう。


 7年前にランドルフを手に入れるためにお嬢様が、『人の意思を奪い奴隷とする毒』を使ったとすれば、伯爵はどうするのか。ガーフィールド公爵家には抗えないからと、ルドベキアをもう用済みとばかりに放り出すのか。


「軍で使用するような毒が、簡単に手に入るわけがないでしょう。ランドルちゃんは病気だったのよ!」


 何てことを口にするのかと、ここまで口を挟まなかったウエスト夫人が、ルドベキアに向けて声を張った。


「申し訳ありません、憶測で皆様を不安に陥れるようなことを申し上げました。病気だったのか、毒だったかは分かりませんが、お嬢様がランドルフ様を得ようとしておられるのは事実です。ウエスト家の皆様が私に、事情が変わったから出て行けと仰るならそういたします。お嬢様は焦れておられるのか、考える時間を与えて下さらないようなので」


 現在ランドルフに健康の不安はない。今回3日ほど高熱に苦しむことになったが、過労だ。体内に不治の病のような毒があれば、寝たきり状態からたった数か月で、ダンスや子作りに励むなど不可能だ。

 そう考え『人の意思を奪い奴隷とする毒』などいう荒唐無稽なまやかし話は無視する。お嬢様をウエスト家の新しい花嫁として迎えたい、というならルドベキアは潔く身を引くつもりだった。


「俺は絶対に、アノ女と再婚なんかしないぞ!」


 ランドルフが有無を言わさぬ勢いで断言した。


 婚姻を拒んだ腹いせだったのか、促すための脅しだったのか、いずれにしろお嬢様に7年間も身体の自由を奪われていたかも(・・)しれないのだ。

 2つ年下だったはずのルドベキアが、覚醒した時には大学進学だと騒いでいたのだから、単に身体の自由を奪われる以上に屈辱的だったはずだ。ルドベキアが初恋の令嬢なら、なおのこと慟哭の原因など願い下げということか。


「ランドルフ、そんな真似はさせない。ところで7年前のガーフィールド家の茶会の後、お前は転んで手を擦りむいた、と言ってなかっただろうか?」

「スウィフト伯爵家の令嬢は来てないのか、って口にした瞬間アノ女に突き飛ばされた。何だこの女って頭にきたから覚えてる。それが?」

「ルドベキアちゃんを好きなの!? って腹を立てて、あの子ランドルちゃんを殺そうとしたの?」

「アノ女の家の使用人に手当はしてもらったから、それはない」


 傷口に塗る粉、なのだ。


 ウエスト伯爵がランドルフに確認したことは、ルドベキアにとって決定的事実となった。


 軍の薬がどのようなものかは不明だが『人の意思を奪い奴隷とする毒』は、飲ませるのではなく、傷口から浸透させて使うと本には記されていた。


 宗教内で調和を乱した者に、社会的制裁を加えるために作られたというのが起源の毒だ。やがてその効能の高さに関心を抱いた大海を挟んだ向こう側に位置する国は、敵兵や戦犯を従わせようと、軍事目的で使用するようになっていった。

 不都合な政治犯などの脳にダメージを与えて自らの意思を失わせたり、凶悪犯を重労働に従事させて死ぬまで酷使するということも行われた。他国の犯罪者など仮死状態にしてから、人体実験に用いるとの記述もあった。

 

 その粉をこの国の軍は手にしている。その粉をどのような目的で使えばどのような症状が出るかを、伯爵も理解している。その粉を用いれば死んだように眠らせたり、意志を奪い取って意のままに動かすことができることを。


 お嬢様の望み通りの代物だ。


 これでもう『人の意思を奪い奴隷とする毒』は、軍から抜き取られて悪用されたとみて間違いないのではないか。


 ──捨てたはずの負の感情は、忘れたころに表れる


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