第25話 花婿に同情すれば命に関わります
天井まで届く巨大な本棚にきちんと納められていたものが、頭上から大量に落下したのだ。とっさに頭を守って座り込んでなければ、嵐の中へ放り出されたかのような激痛の連打に、ルドベキアは道半ばにして力尽きていただろう。
「大丈夫か!?」
「お怪我はないですか、ルドベキア様!」
容赦のない大音響が収まると、図書館内には時間が止まってしまったかのような静けさが広がった。
「二人共…生きてた?」
無数の本に埋もれる三人は、互いの無事を確認し合って小さく頷いた。
打ち所が悪ければ、確実に死んでいる。誰も失わずに済んだことを、ルドベキアは震えながら神に感謝した。
大学の図書館で、よもやこんな目に遭うとは。
目当ての書物を探していたり、閲覧場で自習をしていた皆が、右往左往しながらそのひどい惨状に騒ぎ出した。図書館の関係者も何事が起ったのかと、狼狽えながらルドベキア達に駆け寄ってきた。
医務室に案内されて手当を受け、そこでようやく一息つく。
全身をしたたか打った三人は、身体のあちこちが鈍痛で傷んでいた。
ルドベキアの左足首はねん挫で包帯が巻かれ、右の口の端から頬にかけては、殴られたような痣まである。グレタも腰を痛めたと、両手で屈んだような姿勢で腰を押さえている。
身を挺して二人を庇ったと言い張ったジェフが、目立った場所に外傷がないというのが妙だった。女二人から無言で睨まれ、本人もばつが悪いのかしきりに空咳をする。
「今回は脅しのつもりだろう。さっさと決断しないと、次はもっとひどい目に遭わせるぞってところだな」
「これで脅迫? 殺されるかと思ったわよ」
「お二人とも何を仰っているのです。事故ではなく、我々を狙った故意の犯行なのですか?」
グレタが真っ青になって、ルドベキアにしがみつく。
もう少し呪いと呪術の本を調べるつもりでいたが、すぐに帰宅するべきだろう。持ち出し可能な本を、できるだけウエスト家の屋敷に持ち帰るしか手はなかった。
「標的はお前だ、お嬢様はいよいよ何をするか分からないぞ。公爵家には使える人材も金も、有り余ってるからな」
「そうね、今夜必ずウエスト伯爵と話をするわ」
十分に気をつけろと念を押され、重苦しいものを抱えたままジェフと別れる。グレタを伴い、ルドベキアはウエスト家の屋敷への帰り道を急いだ。
*
ウエスト家に戻ると、出迎えた使用人からお嬢様の訪問があったと告げられた。ウエスト夫人が対応し、つい先ほど屋敷を後にしたそうだ。
直接乗り込んで来たのかと、お嬢様の面の皮の厚さに怒りがこみ上げる。同時に早急に対処しなければ脅しでは済まされない、そうルドベキアの本能が訴えかけていた。
家令を呼び、すぐにウエスト伯爵に帰宅してもらう手筈を整えさせる。さらに屋敷内に不審人物が入り込んでいないかを至急調べてほしい、くれぐれも屋敷内の安全確保を、とルドベキアは若奥様の威厳でもって指示を出した。
病み上がりのランドルフは、世話役の使用人夫婦と夫婦の寝室だ。ウエスト夫人にもそちらへ移動してもらいたいので、その対応はグレタに任せる。
軽食や飲料などの口に入るものは全て確かめてから出しすように、釘を刺すことも忘れなかった。ウエスト伯爵の顔を見るまでは、一切の油断は禁物だ。
ルドベキアは常日頃から身の危険に配慮しなければならない生まれ育ちではないので、戦時下のような状況に陥った場合、どうすれば安全を確保できるかという概念が欠けていた。
ウエスト家の優秀な家令なら、ルドベキアの頬の青たんを見た時点で、その辺は心得て行動するはずなのだ。しかしその家令ですら信用できるのかと、心配し出すときりがなかった。
ただ夫人から家政を学んでおいたことは、特典でもあった。ウエスト家の全てを掌握できているわけではないが、若奥様として受け入れられているからこそ使用人達も従う。お客様状態で滞在していたなら、とても毅然とは対処とはいかないだろう。
屋敷に厳戒態勢を敷いたルドベキアは続いて、ランドルフとウエスト夫人、世話役の使用人夫婦、がいる夫婦の寝室へと向かう。
頬に殴られたような痣と足を引きずりながら現れたルドベキアに、皆は一斉に息を呑んだ。グレタも腰ににダメージはあったものの、大きな外傷がなかったことで、ルドベキアだけがなぜ!? という空気が室内を支配することになった。
「あんなにランドルちゃんの看病をしてねってお願いしたのに、どこに行ってたの?」
変わり果てたルドベキアの姿に驚きながらも、夫人の先制パンチだった。
「大学の図書館でルドベキアちゃんが男の人と今後の相談をしてる、ってあの子が言ってたわ。だからこの家から追い出すべきだって……」
ボロボロになっている息子の妻と、息子の次の妻に立候補している女の夫候補の男。その間にどんな謀が持ち上がっているかを、ルドベキアとしてもすぐに明らかにしたかったが。
「ウエスト伯爵がお戻りになるのを、待っていただけますか? 私は誰かから命を狙われるような状況に陥ったことがないので、どうすればいいのかが分からないのです」
「アノ女が何かしたのか!?」
「伯爵にまずお話しをして、判断を仰ぎます。それまでは何も話せません」
少しも油断できないのだ。アノ女と嫌っているランドルフとすれば、詳細を聞きたいだろう。ランドルフだけでなく、この部屋に押し込められている全員が問い質したかっただろうが、ルドベキアの険しい表情に押し黙るしかなかった。
*
そして待ちかねたウエスト伯爵が、荒い足音でもって夫婦の寝室に現れた。伯爵は家令からお嬢様の来訪を聞き、ルドベキアの外出と顔の大きな痣を見て、粗方理解したようだ。
「ルドベキア、何があったか説明してほしい」
部屋の中央にはランドルフが横になっている大きなベッドがあり、傍に置かれた椅子にウエスト夫人が座り、その背後に世話役の使用人夫婦が控える。ルドベキアもベッドを挟んで夫人の反対側の椅子に着席し、その横にはグレタが寄り添う。
そこへ大柄なウエスト伯爵がさらに椅子を持ち込んで腰を下ろすとなると、広いはずの夫婦の寝室が、すっかり手狭になっていた。
お嬢様は、本気でランドルフの妻に収まるつもりなのだ。
妻の座を挿げ替えるために、ジェフと再婚すれば公爵家が独占してきた薬草販売の権利をスウィフト家に分け与えてもいい、との心惹かれる提案をしてきた。ジェフにも将来の出世と多額の金が提示されている。
さあ大人しく頷けと、わざわざ外出先で二人を会わせておいて脅してきた。その証拠が私のこの姿なのだと、部屋にいる全員にルドベキアは訴えた。
信じて貰えるかは分からないし、自らがどう扱われるかも不透明だ。それでもウエスト伯爵を信じなければ、ルドベキア自身の潔白も信じてもらえないだろう、そう考えての告白だった。
全ての話が終わると、誰もがお嬢様の所業に声を失うことになる。




