──挿話 世話役の使用人の妻の話
長年お世話をさせていただいたランドルフ様が、7年ぶりに目を覚まされた時には嬉しさのあまり、夫に取り縋って泣きました。
そしてご婚姻されたルドベキア様と、本当のご夫婦になられたとランドルフ様から伺った時には、息が止まるほどの喜びでございました。
そのルドベキア様のお姿が見えないと仰るので、お探しすると隣室でお休みになっておられます。ご報告するとランドルフ様はほっとなされ、そのままでとお認めになるということもございました。
奥様にもすぐに慶事をご報告いたします。
「せっかく夫婦になったというのに、妻が急いで大学の寮に入ってしまって、帰宅するのは週に一度ではあなたも寂しいでしょう」
「少しでも先に延ばせないのか」
お見えになった奥様の口調が明らかに変わっておられたのですが、私にはそれが何かの予兆のように感じられたのでございます。
胸騒ぎとでも言いましょうか。
*
大切なご嫡男のご病気のご心痛からでしょう。上のお嬢様達が嫁がれると、奥様は不安定な言動をなされるようになりました。
目を覚まさないランドルフ様の枕元で、毎日毎日その日の出来事や、その年頃の皆様が学ばれるべき教養をお話になるお姿に、心を痛めない使用人など一人もおりませんでした。
旦那様も、全ての使用人達に心して接するようにとお命じになります。
奥様はウエスト家に嫁がれて3年お子様に恵まれず、ようやくお嬢様を、その2年後にまたお嬢様をもうけられ、嫡男のランドルフ様誕生までには10年もの歳月が必要だったのです。
ですから待望のご嫡男誕生で旦那様も奥様も、ランドルフ様を目の中に入れても痛くないといわんばかりのご様子で。すっかり甘やかされたランドルフ様は、少し我儘でやんちゃな坊ちゃんでございました。
二人のお嬢様達が「ランドルは我儘で気分屋よね。お父様とお母様は甘やかし過ぎ」と仰りながら、弟君のことを可愛がるお姿は微笑ましい限りです。
ご両家の身分と利害の一致が必要不可欠の貴族のご婚姻はとは思えないほど、ウエスト家の皆様は幸せに過ごしておいででした。
ウエスト家の血筋を色濃く受け継がれた坊ちゃまは、剣術も馬術も早くから習得され、ご両親を大層喜ばせておられました。ご容姿にも恵まれておられた坊ちゃまに係る仕事を、年若い侍女達が取り合うようなこともあり、奥様が厳しくお叱りになるほどでした。
旦那様も奥様もお仕えし甲斐のある方々で、お子様達は皆様明るく可愛らしく、ウエスト伯爵家は本当にすばらしいお家でございます。私はお勤めすることができたことを、誇らしく思っておりました。
坊ちゃまが13歳をお迎えになり、ウエスト家に同じ年頃のご子息・ご令嬢をご招待するというお話が持ち上がります。
先日王妃様が催されたお茶会で、どうやら坊ちゃまにはお気に召したご令嬢がおられたのか、その方をお呼びになるとのことです。奥様が特に乗り気でいらして、ウエスト家で『ランドルフ様の初恋を叶える会』が急遽開かれたのでございます。
私もお相手はどんなご令嬢かと、拝見するのが楽しみでございました。
ところが当日の坊ちゃまは常に八人のご令嬢に周囲を取り囲まれ、残り一人のご令嬢とお二人のご子息との二組に、見事に分かれてしまったのです。
坊ちゃまはというと、ご自分に全く関心を示さず他のお二人のご子息と楽しそうにされているご令嬢を、憮然としたご様子でずっと目で追っておいででした。
お美しいご令嬢はたくさんおられましたが、坊ちゃまのお目当てのご令嬢は誰よりも表情が生き生きとされ、好奇心旺盛なご様子でいらっしゃいました。
当時庭師をしていた夫がお庭をご案内した時にも、お目当てのご令嬢とお二人のご子息が、大人顔負けの質問をされたと大層驚いておりました。
「ランドルフ様は女性を見る目がお高いが、お目当てのご令嬢はさらに男性を見る目が高くていらした。二人のご子息がお話になるレベルが、あまりにも並外れていてびっくりしたよ。そう遠くない将来、この国の偉い方々になるんじゃないか。お血筋がランドルフ様と同等で、教養の高さに惹かれるご令嬢となると……」
坊ちゃまは庭の木や草花を眺めるよりは、お身体を動かすのがお好きですので、お目当てのご令嬢とはお話が合わなかったようでございます。
唯一の救いはお目当てのご令嬢がウエスト家のパンを大層気に入ったご様子で、それに気づいた坊ちゃまが「10個でも20個でも好きなだけ土産に持たせてやれ」と仰り、「嬉しい、ありがとうございます」と帰り際に満面の笑みをお見せになったことぐらいです。
なかなか坊ちゃまの恋路は厳しいようだと、失礼ながら夫と二人で苦笑しておりました。
それから少し後に、今度はガーフィールド公爵家からお誘いがあったのでございます。お目当てのご令嬢がおいでになると知った坊ちゃまは、それはそれは嬉しそうにお出かけになりました。
背伸びしがちな年齢もあって少し生意気なことを仰りながら、やはり気になるご令嬢のこととなると微笑ましいご様子でございました。
その坊ちゃまが、突然体調を崩され、そのまま眠るように目を覚まさなくなったのでございます。ウエスト家では国中の名医と呼ばれるお医者様をお呼びになり、手を尽くされたのですが、何の病気かすら分からず仕舞いです。
「どうして、ランドルフが!」
「生きているのだから、諦めてはいけない。何としても命を繋ごう」
それからでございます、お身体の自由を奪われている坊ちゃまのお世話を任されたのは。坊ちゃまご誕生からずっとお仕えしていた私を信頼して、旦那様と奥様は私と夫にと仰ってくださったのでございます。
お医者様の指示に従い、血行が滞らないように、全身のマッサージを繰り返しました。口元に水や栄養価の高いスープを、時間をかけてお運びいたしました。ずっと同じ姿勢ですとお身体が傷んでしまうので、体位を数時間おきに入れ替えるお仕事もございました。
入浴もさせたほうがいい、口の中を清潔にしなければ。
音楽を聞かせよう、香油のニオイがいいのでは。
旦那様と奥様が仰るあらゆることを試みながら、7年間、丁寧に心を込めてお世話させていただきました。
ですが、私達夫婦も疲れ果てていたのでございます。




