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女神大戦 ‐The Splendid Venus‐  作者: 灰原康弘
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『安全地帯』③

 店から出たとたん、朱莉は疲れたようにため息をついた。

「大丈夫ですか?」

 唯が心配そうに訊いてくる。

 心遣いは非常にありがたいのだが、朱莉としては複雑な視線をむけるしかない。

「心配なんてしなくていいんだよ、唯。放っておきなさい」

 この少年の辞書には、(唯以外に対する)気づかいという言葉が本当にないらしい。

 どうしてこんなことを堂々と言えるのか、これもある意味尊敬に値する。


 あまり食べた気がしない朱莉を察してか、ただの偶然か、唯が諭すような口調で言う。

「もう、兄さん。そんなこと言ったらダメですってば」

「いいよ、唯ちゃん。もうなれたから」

 このやり取りももう何度目になるだろう。

 律子は尊を子供っぽいと言ったが、唯はその真逆と言える。とはいえ、唯もどこかずれている気がしないでもないが。


 それにしても、この二人はいささか仲が良すぎるのではないだろうか。

 以前、事情聴取をされたとき、瀬戸が「唯ちゃんとイチャイチャして来い」と言ったことがあった。あれはてっきり、からかっただけかと思っていたが……。


(でも、なんだろう……)

 妙な違和感を感じる。

 尊と唯は仲がいい。

 それに間違いはない。

 だが、それだけではない気がする……。

「朱莉さん……?」

 うつむいていたのを心配したのか、唯が顔をのぞきこんでくる。


「どうかされましたか?」

「う、うぅん。なんでもない」

 すこし踏みこんだことを考えてしまった。朱莉は考えをふり払うかのように言う。

「ねえ、つぎはどこ行くの?」

「そうですね……わたしはお洋服を買いに行きたいです。兄さんも買ってきてくれますけど、やっぱり、自分でも選びたいので」

「あ、服も買ってくるんだ」

「フン、当然だ。俺をだれだと思っている?」

 呆れ気味の朱莉に、なぜか尊は胸を張って答える。


 なんだか、この少年が喋るだけで疲れる気がする。律子なら「だれよあんた」くらいの返しをするのだろうが、自分にはそんな気概はない。

「唯、服を買うのであれば兄さんがいつも行っている店に行こう」

「あ、それなら、わたし行きたいお店があるんです。律子さんが持ってきてくれた雑誌に載っていたお店なんですけど……いいですか?」

 尊はほんの一瞬眉をひそめるも、すぐに唯にのみ見せる優しげな表情で言う。

「分かった。唯がそう言うなら仕方ない。そこに行こうか」

「はい。ありがとうございます」

 ニコリと笑いかける唯。

「ふふっ。じゃあ、行きましょう。こっちですよ」


 どうやら、雑誌に書いてあった道を覚えてきたらしく、ふたたび尊の手をとって歩きだす。

(それも恥ずかしいからやめてほしいんだけどなぁ……)

 と思いつつも、口に出したところでムダなのは分かりきっているので、朱莉は一歩下がってついていくことにした。


 そうしてたどりついたのは、落ちついた雰囲気の店だった。

 棚やケースはすべて木製で造られ、装飾も、派手すぎず、かといって地味すぎずのラインを貫いており、それが店全体に独特の雰囲気を与えている。


「いいお店だね。結構好きかも」

「そうでしょう? わたしも来るのは初めてなんですけれど、雑誌で見てから気にいってしまって……」

 話している二人を目ざとく見つけたのか、すぐに店員が駆けよってくる。

「いらっしゃいませー! なにかお探しでしょう……か……?」

 満面の営業スマイルで近づいてきた店員の顔が、一瞬で凍りつく。

 いったいどうしたのだろう? 不思議そうにしている二人。

 店員はその横でつまらなそうにしている尊をプルプルと指さした。


「な、なぜおまえがここにいるっ!?」

 驚いた様子の店員とは対照的に、尊は心の底からどうでもよさそうに言う。

「だれだ貴様」

「華京院凛香だっ‼ いったい、何度名乗らせるつもりだっ!?」

 地団太でもふみそうな勢いのクラスメイトを、朱莉は子供をあやすかのようにとりなす。

「お、落ちついて華京院さん……あんまり大きな声出さないほうが……」

 そう言われて、凛香は入ってきたのが朱莉だったということにはじめて気づいたらしい。

 気を落ちつかせながら言う。

「おまえはたしか……美神朱莉、だったか?」

「うん。覚えててくれたんだね、ありがとう」

「人として当然の敬意だ。私は、どこかのだれかとは違う」

 尊に対する皮肉なのは言うまでもないが、彼には効果がないことも言うまでもない。

 というか、そもそも聞いている様子がない。


「お知りあいですか?」

 唯が朱莉に訊いてきたのは、尊に訊いたところで満足いく回答が望めないことを分かっているからだろう。

「そうだよ。クラスメイトなんだ」

「そうだったんですか」

 納得したようにうなづくと、凛香にむきなおって言う。

「はじめまして。兄がいつもお世話になっております。妹の柊唯です」

 ペコリ、と一礼する。

 優雅なその姿は、見る者を魅了させる。

 あるいは、兄のマイナスのイメージを自分が払拭しようとしているのかもしれない。


「唯。兄さんはコイツの世話になどなっていないよ。安心しなさい」

 なにをどう安心しろというのか、妹の健気な努力を横からあっさり突きくずした兄は、偉そうに胸を張っている。

 というか、デジャヴだ。まえにもこんな会話を聞いた気がする。違うのはツッコミ役の律子がいないことくらいか。


「兄さん。クラスメイトの方にそんなことを言ってはダメですよ」

 唯を見ていると、この男と本当に血が繋がっているのか疑わしくなってくる。

「柊に、こんなに素晴らしい妹君がいるとは知らなかった」

 どうやら、凛香もおなじことを考えていたらしい。

 まるで幽霊でも見たかのような、信じられないといった顔をしている。


 しかし、すぐにいつもの凛とした表情に戻り、

「華京院凛香だ。よろしく頼む」

 手を差しのべると、二人は握手を交わす。

「それで、今日はどうしたのだ?」

「バカめ。服を買いにきたに決まっているだろう」

「柊くん、ちょっと静かにしてようね」

 聞き分けのない子供をあやすように朱莉が言った。

 この少年が口をはさむと、まったく話が進まなくなる。


「なにかおすすめの服はありませんか?」

「ふむ、そうだな。よし、せっかくだ、私がコーディネートしてやろう」

「ありがとうございます。朱莉さんもいかがですか?」

「私?」

 急に話をふられた朱莉は、キョトンとした顔で唯を見る。

「はい。まだこちらに来たばかりで、お洋服もほとんど持っていないでしょう? せっかくですから、一緒にお買い物しませんか?」

「でも、私あんまりお金持ってないんだけど……」


 いちおう、『尊のお()り』という任務で、前金として瀬戸からいくらか貰っていたが、余計な買い物ができるほど財布が潤っているわけではない。

 それに……。


「死んだ孤児院の連中を気にしているのだとしたら、愚かというほかないな。死人に口なし。まったくもってムダな行為だ」

「兄さん」

「柊! なぜ貴様はそう無礼なのだ!」

「いいよ、二人とも。気にしてないから」

「しかし!」

 なおも食い下がる凛香に、

「本当に大丈夫だから。それに、みんな見てるから、もうすこし静かにしないと……」

 そう言われては、店員としては引き下がるしかない。


「買い物ができないのは、お金がないからだよ。貧乏なんだ」

「そういうことなら大丈夫です。兄さんが買ってくださいますから」

「え?」

「待て唯。おまえの分は買うが、なぜこの女の分まで……」

「兄さん」

 と、その瞬間、唯を中心として、周囲が凍りついたように固まった。


「律子さんがいない間、朱莉さんのお世話になるのですから。それに、ずいぶん、失礼なことも言ってしまいましたし。ですから……ね?」

 ニッコリと笑う唯。底冷えするような寒さすら覚え、朱莉も、凛香も思わず身震いする。

「……分かった。今回限りだ」

「はい。ありがとうございます」

 ニコリ、といつもとおなじ天使の微笑みをうかべる唯。さきほどまでの悪魔のような威圧感を持った雰囲気は拭ったように消え失せている。


 凛香は秘かに息をはき、

「よし。では、美神の服も私が見繕ってやろう」

「ありがとう、華京院さん」

「気にすることはない。じつは私も金がなくてな。それでここで働いている。君にはすこし親近感を覚えるよ」

 そう言うと、皮肉っぽい視線を尊にむける。


「いつもは、限られた予算内で客が納得する服を見繕うのは大変なのだが、今回はそんなことを心配する必要はないようだな」

「フン、御託はいい。さっさと選んだらどうだ。生意気にも、見繕ってやると大口をたたいたんだ。それなりの覚悟はあるんだろうな?」

「もちろんだ。そこで黙って見ていろ。私の力をな。美神、どんな服が欲しい? なにか注文をくれ」

「え……うーん、そうだなぁ……」

 難問をだされたかのように、朱莉は頭を悩ませる。


 いままで『危険区域』で暮らしてきた彼女には、考える機会のなかったことだ。

 しまいには腕を組んで考えこみ、やがて顔を上げて言った。

「えっと、かわいくて着回しがきくやつかな」

「なるほど。了解した」

 不敵に笑うと凛香はあごに手をあて、フムと考えこむ。

 その間、二つの瞳はじっと朱莉をとらえてはなさない。


「あ、あの……そんなに見つめられると、恥ずかしいんだけど……」

 羞恥に顔を赤らめ、体をもじもじと動かす。

「すこし静かにしてくれ。おまえの体をきちんと見ることで、いったい、どんな服が似合うかを考えているんだ」

「は、はぁ……」

 そう言われても、あまりジロジロ見られては居心地が悪い。

 そうして数分経ったころ、

「よし、決めたぞ! 来い美神!」

 ニッと笑うと、朱莉の手を引いて駆けだす。


 試着室のまえまで連れていくと、自分は服を持ってきて、押しつけるように渡す。

「さあ、これを着てくれ! ついでだから化粧もしてみるぞ!」

「う、うん……」

 勢いにおされるまま、朱莉は試着室の中に入り、続いて凛香も入っていく。


 しばらくすると、

「あの、着終わったよ……?」

 カーテンをすこし開け、顔だけをのぞかせて朱莉が言った。

「どうしたのだ、美神? きちんとカーテンを開けないと見えないだろう」

 朱莉の後ろで不思議そうに首をかしげる凛香。

「ごめん。なんか、恥ずかしくって……」

「心配するな。とてもよく似合っているぞ。さあ、二人にも見せてやれ!」

 いつまでたっても出ていく気配のない朱莉に業を煮やしたのか、凛香は無理やりカーテンを開け放った。

「あ、ちょっと……!」

 焦ったような声をだすも、時すでに遅し。朱莉の姿は尊たちの目に入ってしまった。

「ふふふ、どうだ? すごいだろう」

 凛香は満足したようにうなづく。


 試着室から出てきた朱莉を見て、店内の客、店員、唯の視線が吸い寄せられた。

 薄化粧をし、ペアピンを使って髪形を変え、かわいらしいミニスカートをはいた朱莉は、

「かわいい、ですね……」

 と、唯が思わずこぼした。

「そうだろう」

 我が意を得たりという様子の凛香。


「私個人としては、美神には『女の子らしい格好』が一番似合うと思うのだ」

 トップスやインナーを重ね着したその姿は、たしかに『女の子』といった感じで、さきほどまでのブカブカの服と比べると、朱莉の雰囲気は一変している。


「どうだ?」

 自信満々で訊いてくる凛香。

鏡で自分の姿を見て、せわしなく髪をいじっていたが、

「うん。ちょっと、恥ずかしいけど……結構かわいいかも。ありがとう、華京院さん」

 あ、私じゃなくて服がね!? と朱莉は慌てて付け加える。

「そんなことは言われなくても分かっている」

 心底興味なさそうに言う尊を見ると、慌てていたのがとてもバカらしくなってくる。テンションも下がるというものだ。


「あ、うん。そうだよね」

「兄さん」

 唯にたしなめられても、悪びれた様子など微塵も見せずにニコリと笑いかける。

 ……この少年の脳は、いったい、どんな構造をしているのだろう。電気信号がクルっているとしか思えない。

「どうだ、柊。私のコーディネートは?」

「フン、そんなことはどうでもいい」

 本当にどうでもよさそうに言う尊に、凛香は一瞬呆気に取られてしまった。

「な、なに?」

「俺はその女に興味はないんだ。煮るなり焼くなり好きにするがいい」

「なんだとっ!?」

 声を荒げたのは凛香だ。当の本人である朱莉は、苦笑いである。


「俺は唯にしか興味がない。そいつは唯の前座にすぎん」

 あまりの言い草に、凛香は息をすることさえかなわない。

「さあ、唯。おまえの服は兄さんが選んでやろう」

「いえ、わたしは自分で選びますから大丈夫です」

 その言葉を理解するのには、数秒の時をようした。いや、あるいは理解したくなかったのかもしれない。


「ゆ、唯?」

「ごめんなさい。一度、お洋服を自分で選んでみたかったんです。兄さんはここで待っていてください」

 そう言うと、スタスタと歩いて行ってしまう。

「柊妹! よければ私も手伝うぞ! はじめてならば、分からないことも多かろう」

「ふふっ。ありがとうございます。よろしくお願いしますね」

「ああ、任せろ!」


 楽しそうな唯と、張り切る凛香の背中を、尊は見送ることしかできなかった。

 もっとも、彼の目にはもはやなにもうつってはいなかったのだが。

 石像のように固まりピクリとも動かない尊を心配し、朱莉が顔をのぞきこむ。


「柊くん? 大丈夫……?」

 その虚ろな目がゆっくりと動き、朱莉をとらえる。

「だれだ貴様」

「朱莉だよ。美神朱莉」

「ああ、貴様か」

 ショックのあまり記憶喪失にでもなったのかと思ったが、どうやら違ったらしい。

 尊はその場に座りこむと頭を抱えてしまう。


「唯に……唯に拒絶された……」

「え……あれはべつに、拒絶っていうほどのものでも……」

 だが、朱莉の言葉など、もう尊には届いていないらしい。しゃがみこんだままブツブツとなにか言っている。

 これは……意外な一面を見たかもしれない。妹のことになると、単純に人が変わるわけではない。とにかく、うたれ弱いのだ。まるで、娘を溺愛する父親のように。

 星野孤児院の経営者がそうだった。子供たちにすこしでも邪魔者扱いされると、しばらく落ちこんでいた。そのことを思いだし、思わずクスリと笑ってしまう。


「人の不幸を笑うとは。貴様それでも人間か?」

「ご、ごめんね。すこし思いだしちゃって……」

 尊に睨まれても、どうにもおかしくて笑いをこらえることができなかった。

 この少年も相当の変わり者だが、それは究極的には、妹のため、という一点に集約されている。

 以前、瀬戸から聞いた尊たちの過去。昔の自分の生活を思いだしたからだろうか、尊たちが、『危険区域』でどのように生活してきたのかが気になった。


「柊くんはさ……『危険区域』で、どんなふうに暮らしていたの……?」

 訊いてから、踏みこみすぎただろうかと後悔した。

 返答はなかなか来ない。

 もしかして、聞こえていなかったのか?

 朱莉がそう思いはじめたときだった。

「俺たちの過去が気になるのか?」

 しゃがんだまま尊が言った。

 ゆえに、その表情を見ることは叶わない。


「うん。すごく、苦労したって……」

「その様子では、もうすでに聞いているらしいな。どこまで聞いた?」

「えっと、十五年前、柊くんのお父さんたちがしてた研究とか……」

「フン、それも聞いたのか。だれから……いや、どうせ征十郎か」

「うん」

「相変わらず口の軽い男だ。あれで国家機密に携わっているというのだから、笑わせる」

 あざけるように言う。それから、またしばらく沈黙があった。

 そして、唐突にぞっとするような冷たい声で言った。


「言っておくが、俺は貴様のように面白おかしい過去など持っていない。征十郎が説明したのならば、俺の口から付け足すことはなにひとつない。ただ……」

 尊はそこで立ちあがると、まっすぐに朱莉を見て言う。

「住む場所こそ変わったが、俺の一番大切なものは、いまも昔も変わっていない。唯を守るためならば、俺は手段を択ばない。行く手に立ちふさがる敵は、だれであろうと、完膚なきまでに叩き潰す。それだけだ」

「……そっか」


 それ以上はもうなにも訊かなかった。

 だれにでも、触れられたくない過去の一つや二つあるだろう。

尊たちの『危険区域』での生活は、その最たるものかもしれない。朱莉はなるべく明るい声で言う。


「唯ちゃん、どんな服着てくるんだろうね」

「なにを着ていようが、似合うに決まっている」

 力強く即答する尊を見て、まかり間違ったら一線を越えてしまうのではないだろうか、といらぬ勘繰りをしてしまう。

 朱莉が呆れかえったときだった。

 その場の空気が、清浄になったかのような錯覚を覚えた。

 店内がざわつきはじめ、その視線はただの一点にむいている。

 そのさきにいたのは、美しい……いや、美しすぎる少女だった。


 化粧などしていないのに、その顔はまるで人形のように整っている。梳いた髪はきれいにセットされ、白を基調とするワンピースには、ドレスのように幾重にもフリルがついていた。

 選ばれた者のみが着ることを許される服を、一分の隙もなく着こなす姿は、否応なく見る者を魅了する。

 まさに、目もあやなといった風貌であった。

 そして、それは朱莉や兄である尊も例外ではない。


「キレイ……」

 と、朱莉はつぶやくように言い、

「ふつくしい……」

 尊にいたっては、感極まって泣き出しそうな勢いである。

「兄さん、朱莉さん。お待たせして申しわけありません。いかがでしょうか?」

 ワンピースの裾をつまみ上げて訊く唯。

 ふんわりと微笑む姿は聖女を連想させる。


「すっごく、似合ってるよ。びっくりしちゃった……」

「そうだろう。私も驚いたよ。まさかこれほどとは……」

 凛香も未だ驚きを隠せない様子だった。

「どうだ、柊。私のセンスも捨てたものではないだろう?」

「フン、勘違いするな。貴様のセンスは関係ない。唯はキレイすぎて、あらゆる服を着こなしてしまうのだ」

 なぜかなにもしていない男が一番偉そうにしている。


「どうですか兄さん。へんじゃありませんか?」

 そう言って、くるりとターンしてみせる。

「ああ。とてもきれいだよ、唯。まるで、天使だ。いや、天使以上だ」

 いったい、どれだけ上位存在だというのか。

「ふふっ。ありがとうございます」

 唯は世界中の男を虜にできるであろう笑顔で笑いかける。


「凛香さんも、ありがとうございました。とっても、楽しかったです」

「礼には及ばない。私も楽しませてもらったよ、唯くん」

 すっかり打ち解けた様子の二人に、しかしそれを良しとしない男がいた。

「待て。貴様、なぜ唯を名前で呼んでいる?」

「名前でいいと言われたからだ」

 唯を見ると「はい」とうなづく。

「言いました。兄さんとの呼び分けもありますし」

「だから私も凛香と呼んでくれと言ったのだ」

「チッ」


 忌々しげに舌打ちされたが、なぜされたのか、凛香には皆目見当もつかない。

 もっとも、その理由が『最愛の妹が自分以外の人間と仲よくしているのが気に入らない』というストーカーじみたものだと知ったら、呆れを通り越してドン引きすることになるだろうが。


「どいつもこいつも、馴れ馴れしいやつばかりだ」

「安心しろ。私はおまえとなれ合うつもりはない」

 尊の言葉に、いちいち生真面目に反応を返す。

 二人ともなにも文句がなさそうなことに、凛香は満足そうにうなづき、ピンク色の電卓をだして計算を始める。

「では、商品の合計金額だが……スカートに、ワンピース、シャツ、インナー、ミュール……ふむ、こんなところか」

 差し出された電卓の数字を見た尊は、

「フン、まあ、そんなものか」

 と余裕の表情だ。


「……あまり驚かないのだな。こう言ってはなんだが、けっこうな額だぞ」

 表示された金額はたしかに高い。桁が一つ多いのでは、と疑うほどだ。

「貴様、俺がいままで、唯にどれだけの土産を買ってきたと思っている? この程度、雀の涙だ」

 そう言うと、懐から白いカードを取りだす。

 このカードは、『騎士団』全員に支給されているキャッシュカードだ。このカード一枚で、大抵のものは買うことができる。

 とくに、隊長職以上の団員が持っているカードは特別製で、上限が一切なく、これ一枚でトイレットペーパーからビルまですべて買うことができる。

「とっとと、済ませろ。服はこのまま着ていく」

 しばらく、どこか悔しそうにしていた凛香だが、根負けしたように会計にむかう。


「ありがとうございます、兄さん。大切にしますね」

「私も、ありがとう。ごめんね? こんなつもりじゃなかったんだけど……」

 唯は天使の笑みで、朱莉はバツが悪そうに、しかしどこか嬉しそうに礼を言う。

「気にする必要はないよ、唯。まあ、貴様の分を含めても大した金額じゃない。貴様の任務への投資と思うがいい」

 後半のセリフが朱莉に対するものだ。

 なんだかんだ言っても、尊は唯が楽しそうにしているのが、うれしいのだろう。不本意ながら、その一因となっている朱莉に対して敬意を払ったのだ。

 そのくせ、『自分以外と仲よくしているのはいやだ』という考えを持つ、なんとも難儀な兄なのだが。

 まったくもって素直ではない少年の対応に、二人は顔を見合わせて笑い合う。

 不機嫌そうな顔でふんぞりかえる尊のもとに、凛香が小走りで戻ってきた。


「ようやく済んだか。けんかっ早いわりに、仕事はノロマだな」

 カードをかえせと手をだすも、凛香はその手をじっと見ているだけだ。

 心なしか、口が意地悪そうにゆがんでいる気がする。

「残念だが、このカードは使用できないようだぞ」

「なにを言っている。そんなはずはない。上限などないからな」

「いや、どうやらこのカードは止められているようだ」

「なに……?」

 よほど予想外だったのだろう。尊は眉をひそめる。

「チッ。仕方ない。『騎士団』本部に確認をとって……」

「それならもうやった」

「ほう。なかなか有能じゃないか。褒めてやる。で?」

 そこで凛香は待ってましたとばかりに、唇を皮肉な形に歪める。


「『病院で無用な騒ぎを起こし、あまつさえ仕事をさぼるようなやつに使わせるカードはない。一か月間、カードの使用を一切禁止する。猛省しろ』。鬼柳教官からの伝言だ。ちょうど出かけようとしていたとらしく、お急ぎのようだったが……たしかに伝えたぞ」

「おのれ律子め……小癪なまねを……」

「自業自得だ」

 凛香はピシャリと言った。じっさいそうなのだから、反論のしようがない。

「こうなれば、やつにツケて……」

「ちなみに、『騎士団』や個人のツケで買い物をしたら、厳重に処罰するとのことだ。そもそも、よほどの常連でない限り、うちでそれはできないがな」

 厳重に処罰、この場合は唯との接触を禁じるといったものだろう。尊にとって、それは死刑宣告とおなじだ。

 哀れにも、逃げ道を探そうとする尊だが、もうすでに包囲されていたらしい。


「あの、兄さん……?」

「なんだったら、私のは無しにしてもらっても……」

「ふむ。私もすこし調子に乗ったが、金額が金額だからな。あまりムリはしないほうがいいだろう」

「バカか貴様」

 この期に及んで、尊はふんぞりかえって言った。

「一度買うと言ったものをなかったことにできるか。買うと言ったら買う」

 この男はなかなかどうして、妙なところで強情なのだ。

 尊はためらうことなく、財布から万札を取りだすと凛香に手渡す。

 その姿は、いままでは敵視しかしていなかった凛香と言えど、敬服せざるをえなかった。


「う、うむ。たしかに。柊、値引きできるように、私が口添えしようか? これだけの買い物をしてくれたのだ。多少は……」

「必要ない。とっとと、釣りをよこせ」

 尊の態度は一切の情けを拒絶していた。

「分かった。では、せめてこれを受けとってくれ」

 そう言うと、数枚の紙を渡してくる。

「なんだこれは?」

「サービス券だ。次回来たとき、会計で出してくれれば値引きされるようになっている」

 尊はなにも言わずに鼻をならすと、素直に受けとった。

 こうして、クラスメイトと多少分かりあえたものの、尊の財布は全球凍結を起こしたのだった。

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