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女神大戦 ‐The Splendid Venus‐  作者: 灰原康弘
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『安全地帯』④

「律子のやつめ……余計なことを……」

 店を出ると、開口一番忌々しそうに尊は言った。

「もう、まだ言ってるの? 話を聞く限り自業自得だと思うけどな」

「だまれ。そもそも金を使う羽目になったのは、だれのせいだと思っている?」

「う。それを言われると……」

 朱莉としては黙るしかなくなってしまう。


「いつもすみません、兄さん」

「いいんだよ、唯。気にしないでおくれ。さ、これは唯にあげよう」

 そう言って、凛香から貰ったサービス券を渡す。

 どうしてこうも態度が違うのか。ここまであからさまだと、逆に清々しくなってくる。


 苦笑いをしていると、ふと店の窓に自分の姿が写っているのに気づいた。

 オシャレとおめかしをした少女は、まるで自分ではないようだった。

 そういえば、こんな格好をするのは、はじめてな気がする。生まれてからを『危険区域』の孤児院で過ごした朱莉に、そんな余裕はなかったのだ。

 立ち並ぶ店舗、町の雑踏、すれ違う人々の服装、どれをとっても、『危険区域』とはまったく違う。

どうして、こんなにも違うのか……。


「朱莉さん? どうかされたんですか?」

「え?」

「なんだか、難しそうな顔をしていたもので」

 どうやら、また考えこんでしまったらしい。ここに来てから、考えることだらけだ。

「ううん。なんでもないよ。ごめんね」

「そうだよ、唯。気にする必要はない。どうせ、大したことじゃないさ」

「兄さん」

「いいよ、べつに。本当にたいしたことじゃないから」

 いつものように笑いかける朱莉。彼女がこういう態度をとるたび、尊はたちまち白けた顔になる。


「そうですか。では、どこか行きたいところはありますか? さっきはわたしの意見を聞いていただいたので……もしよろしかったら」

「うーん、気持ちはありがたいんだけど、私はこっちに詳しくないから……唯ちゃんが決めていいよ?」

「わたしですか? うーん、どうしましょう……」

 うなりながら頭を悩ませる唯。


「兄さんは、どうです?」

「食事も買い物もしたからな。運動をかねて散歩でもしようか」

 まさか金がないというわけにもいかず、尊は無難な選択をせざるを得ない。

「そうですね。わたしも運動不足ですから、すこしは体を動かさないと」

 尊の財布事情を察したのか、あるいはそれが本音なのか、唯はとくに難色を示すことなく同意した。


「朱莉さんもそれでよろしいですか? いい機会ですから『安全地帯』をご案内しますよ」

「うん。助かるよ。よろしくね?」

「はい」

 と、予定が決まったそのときだった。

 聞こえてきたのは、なにかが崩れる音と人々の悲鳴。

『安全地帯』では、本来聞こえるはずのないもの。にもかかわらず、ここ数日、頻発している事態。

 また、事件が起きたのだ。

 その考えにいたるのに時間はかからなかった。

 近づいてくる轟音と悲鳴。

 そして、事件の元凶が、尊たちのまえに姿を現した。


「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッッ‼」


 耳障りな、鼓膜をつんざく雄叫び。

 人々の恐怖の対象、

「『フレイアX』……」

 呆然と、だれかがその名を呟く。

 だが、

「な、なんだ? また訓練か?」


 先日尊が考案し、官房室が発表した『一時的な打開策』。

 それは、侵入事件を『限りなく実戦に近い訓練』として、騒ぎを鎮静化すること。

 住民たちは、それを思いだしたのだろう。表情からは、徐々に恐怖の色が薄らいでいく。

 仮にそうだとするならば、矛盾が発生することに、彼らはまだ気づいていない。

 それにいち早く気づいたのは尊だった。


「唯、逃げるぞ」

 そう言ったときだった。まるで宣戦布告をするかのように、『フレイアX』は近くにいた住民を攻撃した。

 空高く吹っ飛ばされ、鮮血をまき散らす。

 ドチャ、

 と、鈍い、いやな音がやけに響いた。

 その瞬間、人々ははじかれたように逃げ惑う。

「な、なんだよこれ!?」「訓練じゃなかったのかよ!?」「逃げろ! 死んじまうよ!」


 そう。

 仮に訓練とするならば、それが発表されたいま、悲鳴が聞こえるなどありえない。

 実際に、攻撃でもしてこない限りは。

 倒れて動かなくなった人にかけよろうとする朱莉だが、

「ムダだ。あれではもう、生きてはいまい」

 尊の無慈悲な声が制した。


「兄さん……」

 不安そうに尊の服の裾をつかみ、凄惨な光景に、唯は思わず目をそむける。尊は唯の視線をさえぎるように立つ。

「そんな……」

「呆けているひまはないぞ。この場から離れる」

「みんなをおいて逃げるの!?」

 まさか、そんなことを言うとは思っていなかったのだろう。よほど驚いたのか、朱莉は目を見開いている。

「敵はあれ一体とは限らない。唯を危険にさらすわけにはいかん」

「で、でも……」


 なぜ、そんなことが言えるのか、朱莉には本当に分からなかった。

『騎士団』は、人々を『フレイアX』から守るためにあるのではないのか? 尊はその一員のはずなのに、どうしてそんな非情なことが言えるのか。

 なおも食い下がろうとする朱莉を意に介さず、尊は唯を連れてその場を離脱しようとする。


「きゃあっ!?」

 背後から聞こえてきた悲鳴に、朱莉は反射的にふり返った。

 そこには、逃げ遅れた少女が地面に倒れていた。どうやら、つまずいて転んでしまったらしい。

 自分よりも五歳ほど年下と見える少女。その少女の姿が、孤児院にいた子供たちの姿と重なる。

 腰が抜けてしまったのか、もはや立ちあがることすらできないでいる少女は、腕を使ってすこしでも距離をとろうとする。

 また一歩、獣臭をまき散らしながら『フレイアX』が歩を進める。

 気づいたときには体が動いていた。


 全速力で少女に駆けよる。

「大丈夫!?」

 少女からの返答は、ない。恐怖で声を出すことさえかなわないのか、金魚のように口をパクつかせているだけだ。

「安心して! 絶対に助けるからね!」


 少女を抱えて逃げようとする朱莉だが、

 ドシンッ。

 と、聞こえてきた破滅の足音。

 人々を恐怖のどん底につき落とす怪物がすぐ後ろまで迫っていた。

 ギョロリ、と動いた目が、朱莉をとらえる。

 雄たけびを上げる『フレイアX』。大きく開かれた口が、朱莉と少女にせまる。

 少女を守るように上に覆いかぶさり、ぎゅっと目をつむる。


 しかし、いつまでたっても、自分にも、少女にも異変がおとずれることはない。

 おそるおそる目を開くと、異変はすでに起きていた。

 自分たちにではなく、『フレイアX』にだ。

 いったい、なにをされたのか、大きく開いた傷口から『ダークマター』を噴出し、絶叫する。

 とてもこの世のものとは思えない、まるで調律の狂ったピアノのような不愉快な音だった。


「フン、やはりこの程度か。余興にもなりはしないな」

 耳をおさえる朱莉のまえで、尊が涼しげな顔で立っていた。

「柊くん……」

「勘違いするな。俺が貴様を助けてやったのは、他人を助けるのを優先するあまり、自分まで死にかけるという、あまりのバカさ加減に、感心させられたからだ」

「う……」

 言いかたはともかく、事実ではあるので言いかえせない。ちなみに、尊が朱莉を助けた一番大きな理由は、唯にそうするよう言われたからである。


「だ、大丈夫? ケガはない?」

 気まずそうに少女に問いかける。

「う、うん……」

 いまだ怯えた様子の少女。そこに、母親と見える女性が駆けよってきた。

 少女が無事であること。尊が『フレイアX』を撃破したことを伝えると、涙を流しながら礼を言ってくる。

 母親と会えたことで安心したのか、少女はようやく笑顔を見せる。

「ありがとね! お兄ちゃん、お姉ちゃん!」

 手をふりながら母親とともにその場を後にした。


 少女を見送ると、緊張の糸が解けたように、朱莉は深々と息をはいた。

「ありがとう、柊くん。助けてくれたんだね……」

「貴様、なぜあの子供にかけよった?」

「え……?」

 いままでに何度も聞いた、白けた口調で尊は言った。

 そこに宿っている感情は、哀れみ……いや、怒り?


「貴様はいま、戦う術を持っていない。つまり、貴様が取るべき最前の策は、この場から逃げることだったはずだ。なぜ、あの子供を助けた?」

「それは……」

「体が勝手に動いていた、とでも言うつもりか? だとするなら、愚かというほかない。貴様がしたことは偽善でさえない。ただの自殺行為だ」

 尊はぞっとするような、冷たい声で続ける。

「それとも、あの子供を助けることで、孤児院の連中を救えなかった自分から、目をそむけようとしているのか?」


 ドクン、と心臓が高鳴るのを感じる。

 一つの感情が身体中を駆けめぐっていく。

「どうして……」

 最初は、ほんのわずかな、一滴の感情だった。

「どうしてそんなこと言うの……?」

 それは、見る見るうちに膨れ上がっていく。


「じゃあ、柊くんはなんなの? どうして助けようとしないの? どうしてそんなことができるの? 『騎士団』ってみんなを守ってくれる人たちじゃないの!? 私たちのことなんてほったらかしじゃん! あんたたちがもっとしっかりしてくれれば、孤児院のみんなだって、きっと死なずにすんだ! どうして、住む場所が違うだけでこんなに違うの!? どうして私たちだけあんなところで暮らさないといけないの!? 華京院さんが親近感を覚えるとか言ってたけど、そんなわけないじゃん! 『安全地帯』で暮らしてる人に、私たちの気持ちなんてわかるはずない! みんなきれいな服着て、楽しそうに暮らして……私も今日楽しかった! 『フレイアX』のことなんて気にしないで、食事したり買い物したり、かわいい服着て街を歩いたり……すっごい楽しかった! こんな暮らしができたら、外のことなんてどうでもよくなるよ! でも、でも……それじゃ私たちは、どうやって生き残っていけばいいの……?」


 沸騰した鍋にふたをしたかのように、とめどなく感情があふれ出る。

 いままでため込んでいたことを、涙を流しながらぶつける。

 孤児院で年長者だった朱莉は、いつどんなときも、年下の子供たちのことを考えてきた。そのために、自分を押し殺してきたのだ。


 自分と柊尊は真逆だ。


 だから、朱莉には分からなかった。

 どんなときでも、だれに対しても自分をとおす尊が。

 そしてそれは、尊にとっても同じであった。

 自分と真逆の考えを持つ朱莉が理解できない。


 だから尊は、朱莉が嫌いなのだ。

 荒い息をはく朱莉を見ても、尊の涼しげな態度が変わることはない。どころか、面白そうに鼻を鳴らす。

「なるほど。それが本音か。初めて貴様に会った気がするよ、美神朱莉。初対面より好印象だぞ」

 尊は唇を皮肉っぽくゆがめ、

「いいだろう。なぜ『危険区域』をなくさないか、教えてやる。理由は簡単、『安全地帯』という“世界”を安定させ、『騎士団』、ひいては中央省の存在意義を住民に知らしめるためだ。

『危険区域』の住人という不幸な人間たちをつくることで、『安全地帯』の住民たちに優越感を与える。そして、異常な状況下においても、自分たちが安全に生活できるのは『騎士団』のおかげ、という考えを根づかせることで、同時に指揮権を持つ中央省の……ひいては警保局の存在意義も知らしめることができる、というわけだ」


 そこで尊は、つまらなそうに鼻をならす。

「いかにも征十郎が考えそうなことだ。やはり官僚は教科書的でつまらん。そんな利用価値のある『危険区域』を、あの男がつぶすとは到底思えん」

 肩をすくめ、「納得したか?」とでも言いたげな目で朱莉を見る。


「なに、それ……意味分かんないよ……」

「分かろうが分かるまいが、それが事実だ。そして皮肉なことに、そうすることで『安全地帯』だけでなく、『騎士団』も中央省も、すべて安定させることができた」

「じゃあ、私たちって……いったい、なんなの……?」

「生贄だ。すべては、この聖戦に勝つためのな」

「そんな……そんなことって……」


 無慈悲な事実は、朱莉に相当のダメージを与えたようだった。

 自分たちは、なんなのか。

 生贄? そんなことのために、生まれてきたというのか?

 永遠とも思える時間が流れる。

「俺は貴様が嫌いだ、美神朱莉」

 尊の声が、やけに遠くに聞こえる。

「俺と貴様は真逆と言っていい。だから俺には、貴様の言動が理解できない。もっとも、するつもりもないがな」

 あざけるように笑う。


「だが、だからこそ、貴様を見ていると、昔の自分を思いだす。イラついているのだろうな。なぜ、そんな生きにくい生きかたを選んでいるのかと」

 そこまで言われても、言葉をかえすことができない。まるで、自分だけ時の流れに取り残されたかのようであった。


 しかし、あまりにも唐突に、時はふたたび動きだす。

 ドシャ、となにかが倒れる音が聞こえた。

 音のした方を見て、朱莉は目を見開く。

 そこには、さきほどまで元気に笑っていた唯が、力なく倒れていたのだ。


「唯ッ‼」

 なにがあっても、余裕の態度を崩さなかった尊の叫び声が、虚しく響きわたった。

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