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女神大戦 ‐The Splendid Venus‐  作者: 灰原康弘
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『安全地帯』②

「で、話とはなんだ? 俺は忙しいんだ。迅速に済ませろ」

 病院の応接間に入ったとたん、開口一番尊が言った。

「そうせっつくなよ。そんなんじゃ女に嫌われるぜ」

 瀬戸の口調は先日やさきほどと比べて、ざっくばらんなものになっている。

 その様子を見て、尊はおもしろそうに鼻をならした。


「ひさしぶりだな征十郎。貴様いままでどこに行っていたんだ」

「どこもなにも、さっきからいんだろうが」

「なんの話だ? あんな気色悪いやつは俺の知り合いにいない」

「気色悪いって……初対面の女の子がいるんだ。格好ぐらいつけたくもなるってもんだろ?」

 そう言って、大げさに肩をすくめてみせる。

 さきほどまでのあの気取った喋り方。あれは、朱莉がいたためにしていたものらしい。

 その態度が、尊にとっては白々しかったのだ。


「フン、あんな小娘相手に格好をつけてどうする」

「人間、第一印象が大切なんだよ。おまえ見てるとそれがよく分かる。それより尊。聞いたぜ。あんまり鬼柳ちゃん困らせんなよ。老けるだけじゃなくて、禿げちまうだろ」

「禿げませんよっ!」

 高めのトーンで抗議する律子。顔が紅潮しているのは、言うまでもなく怒りのせいだ。

「でもよ、鬼柳ちゃん。尊がこうなったのは、俺たちのせいかもしれないぜ。特に鬼柳ちゃんが甘やかすから」

「べつに甘やかしたつもりは……」

「そ、そうですよ……先輩は……いつも、すごくて……」

「なら、貴様。俺が悪いとでも言うのか?」

「ひぅ……い、いえ、あの……だれが悪いとかではなくて、その……」

「ま、一番悪いのは、どう考えても尊なんだけどな」

「貴様ここになにしにきたんだ? さっさと本題に入れと言ったはずだ」

 そう言ったかと思うと、ソファーに深く腰かけて足を組む。


「おい、丹生。なにを突っ立っている? とっとと話をはじめろ。どうせ進行役は貴様だろう」

「は、はいぃ……すみません……」

「尊……」

「だまれ。怖がらせてなどいない」

「いや、おまえいまのは完全に確信犯だろ。丹生ちゃんに八つ当たりすんな」

 瀬戸がツッコミをいれるも、尊はこれ見よがしに貧乏ゆすりを始める。

「あーあー、分かったよ。まあ、いつまでも雑談してられねぇもんな。じゃ、そろそろ始めるとするか」

 瀬戸はソファーに座ると、律子に手招きをする。

「ほら、鬼柳ちゃんも座りなって」

 律子が座ったのを確認すると、瀬戸は「じゃあ」と言った。

「丹生ちゃん、お願いね」

「は、はい……」

 丹生はおっかなびっくり話を始める。


「ま、まず、先日の『騎士団』団員殺人事件ですが……」

 一度チラリと律子を見て、

「国防部の人間を中心に、身辺調査を行いました……。その結果、『アドラスティア』と関わりのある人物はいませんでした……アリバイのない人物はいましたが……」

「当然だな。非番の者もいるだろう……第一、動機はなんだ? 恨みを持っている奴でもいたのか?」

「それが……」

 とどんどん声が小さくなっていく。


「見つからなかったんだよ。お手上げだ。ただ、新たに分かったこともあってな」

 尊が文句を言うまえに、瀬戸が言った。

「分かったことだと?」

「なんですか?」

 律子も身をのりだして訊いてくる。

「それが朱莉ちゃんをこの場に呼ばなかった理由でもあるんだけどな」

 と前置きしてから、急にまじめな調子になって言う。


「死体の数が合わなかったのさ。朱莉ちゃんに聞いた数と、孤児院にあったリストの人数は一致した。だが、死体の数とは一致しなかった」

「どういうことだ? なぜいまになってそんなことが分かる?」

「消息をおったが行方知れず。しかも、孤児院の人間だけじゃない。『危険区域』で暮らす何人もの人間が、行方不明となっているんだ。そこで、一つの仮説を立ててみた」

 そう言って人さし指を立てる瀬戸。尊はいら立ち気に舌打ちする。

「前置きはいいと言ったはずだ。さっさと話せ」

「消えた孤児院の人間こそが、『安全地帯』に侵入した『フレイアX』の正体なのではないか」

「な……っ!?」

その突拍子ともいえない考えに、律子は思わず声を上げる。言わんとするところを看破したからだ。

「二人も知ってるだろ? ここ数年、いままでとはすこし違う……知性を持った『フレイアX』が出てきたこと」


 侵入した『フレイアX』は、死者もけが人も出すことなく、適度な騒ぎを起こしていた。裏で『フレイアX』を操っている人物がいるにしても、命令を聞き、遂行する知性のない獣では、今回の事件を起こすことなどまず無理だ。

 以前尊が言ったとおり、裏で糸を引いている者がいるのは明らかだ。

 必然的に、それはさらなる事態を指し示す。

「五年前もそうだった」

 瀬戸が神妙な面持ちで言った。


「あのときも、今回のようなわずかな知性を持った『フレイアX』が出現していた。五年前、おまえと唯ちゃんを襲ったのが、それだ」

 尊は目をきつく細める。

「『危険区域』とはいえ、五年前といえば、おまえたちが生活していた区域はちょうど『騎士団』が遠征して『フレイアX』を駆除していた時期だ。そこに一度に数体が出現したとなると……」

「どこからか迷いこんだが、あるいは……何者かによって改良、造りだされたものである可能性が極めて高い。行方不明の人間はそれの犠牲者とみるのが妥当か。だが、『フレイアX』として現れなかったところを見ると、失敗作として処理されたようだな」

 瀬戸の言葉を尊がひきつぐ。


「なるほど。つまり、俺は今回の事件の関係者と言うことか」

「五年前と今回の犯人が同一人物である可能性がある以上、それは否定できねぇな。問題は……」

「だれが犯人か、ですね」

 律子の声もいつになく重い。その理由は、彼女が言ったとおり、『だれが犯人か』という点にある。

「それだけのことをやってのけるのは、一般人ではありえない。中央省の、それもかなりの地位にいる人間にかぎられる」

 なんでもないことのように言って、尊は足を組み替える。


「そういうことだ」

 瀬戸は困ったように肩をすくめる。

「というわけで、おまえらの容疑は薄くなった。俺は濃くなったが」

「なら、貴様が犯人なんじゃないか?」

「おいおい、冗談はよせよ。俺にはそんなことをする理由がない」

 おどけた口調で言う瀬戸。

 尊はフンと鼻をならすと、吐きすてるように言う。

「余計状況が悪くなったな。上層部が相手となると、メンツ云々は壊滅的だ」

「弱気だな。なんなら、おりても構わないぜ」

「おりるだと?」

 尊は喉の奥でせせら笑う。


「おりるわけないだろう。五年前のことに関わっているのならなおさらな。この犯人は逃しはしない」

 尊の言葉には確固たる強さがある。

 それが、彼が本気であることを、その場の全員に知らしめていた。

「容疑者が絞られたのは好都合だ。それなら、大体の見当はつく」

 そう言って、律子に意味ありげな視線をむける。


「鬼柳先輩……」

 丹生が心配そうに言うなか、律子はニコリと笑って見せる。

「いいのよ、丹生。仕方のないことだわ。防衛省側が疑われるのはね」

 律子は瀬戸にむきなおり、

「でも、上層部が相手となると、かなり難しいわね。局長は、なにか考えがあるんですか?」

「いんや、なにも」

 当然のことのように肩をすくめるので、律子はフリーズしてしまう。

「あるわけないだろ?」

 一方、瀬戸は胸を張って重ねてくる。


「ちょ……」

 と異議を唱えようとしたそのとき、

「そうだな」

 と尊が短く同意した。

「ちょっと、あんたまでなに言ってんの?」

「なにがだ?」

「なにも考えがなくてどうするのよ! 一刻もはやく事件を解決しなくちゃいけないのに……」

「そう怒るな。また小じわが……」

「あんたつぎにその話したら刻むわよ!」

 律子の鬼のような形相を見て、しかし尊は臆することなく鼻をならしてみせる。


「こちらから動く必要はない。そんなことをせずとも、いずれむこうから尻尾を出す」

「どうしてそんなことが言えるのよ?」

 食い下がる律子だが、尊が質問に応えることはなかった。

「まあ、とにかくそういうことだ。じゃあ、解散。鬼柳ちゃん、丹生ちゃん、あとはよろしく。俺はキレイな姉ちゃんのいる店に遊びに行く」

「では俺も、唯のもとに行くとしよう。この日をどれほど待ち望んだことか……」

 二人は、すたこらさっさと歩きだす。

 そうか、これが狙いか。

 なんのことはない。この二人は仕事をさぼりたいだけなのだ。瀬戸はキャバクラに行くために。尊は唯と外出するために。


「ちょっと待ってください!」

「ぐえっ」

 いきなり体中が痺れ、瀬戸はマヌケな声を出す。律子が『雷剱』を使ったのだ。

「逃げようったって、そうはいきませんよ! 今日こそはちゃんと働いてもらいますから!」

「いやいや、そりゃ困るよ鬼柳ちゃん。ゆきなちゃんに絶対行くって約束しちゃったんだから」

「ダメなものはダメです!」

「哀れだな征十郎。安心しろ、貴様の分まで俺が楽しんできてやる。さらばだ」

 そう言って病院内だと言うこともかまわず駆けだす尊。それと同時に、腰に差していた『銀狼』から『ダークマター』をだし、それは黒い霧のように広がって律子たちの視界を制限する。


「ああっ! 丹生、追って! 捕まえてちょうだい!」

 煙のように舞う『ダークマター』を払いながら言う律子。

 異常事態が起きたと勘違いしたのか、警報機までなりだす始末に、丹生は涙目になる。

「うぇえっ!? そ、そんなこと言われても……」

 豊満な胸をゆらしながら応接間を出るも、すでに尊の姿は見えなくなっていた。

 見事に逃げられた。

 律子は深い深いため息をつくと、がっくりと肩を落とすのだった。




 尊もまた、肩を落としていた。せっかくの唯との外出だというのに、露骨にイヤそうな顔をしながら街を歩く。

 休日の昼時、快晴ということもあってか、いつも以上に人通りの多い繁華街。

 一か月ぶり、正確に言えば二十九日ぶりの唯との外出だ。嬉しくないはずがない。にもかかわらず、尊のテンションは低い。

 理由はただ一つ。


「やっぱり外はいいですね。風が気持ちいい」

「そうだね。天気もいいし、絶好のお出かけ日和だよ」

「ふふっ。ごめんなさい朱莉さん、つき合わせてしまって」

「気にしないでいいよ。唯ちゃんこそよかったの? せっかくのお兄さんとの時間なのに……」

「はい。みんなでお出かけしたほうが楽しいですから。でも、さっきはびっくりしちゃいましたね」

「うん。急に警報がなるんだもんね。結局誤作動だったみたいだけど、本当にびっくりだよ」


 最愛の妹と嫌いな女が仲睦まじく話している光景を見せつけられ、やさぐれた様子の兄の姿はとても見苦しい。

 二人が名前で呼び合うほど距離が縮まっているという点も、尊の機嫌が悪い理由の一つである。

 一歩離れてついてきていた尊に、唯が笑顔でふり返る。

「兄さん、さっきからどうされたんですか? もっとこっちにいらしてください」

 白いワンピースに、ピンク色のカーディガン。すべらかな黒髪は一まとめにし、優雅に日傘をさすその姿は、まるでファンタジーの世界から飛びだしてきた姫のようであった。

 細く白い手を差しのべる姿も、やはり唯がやるととても絵になる。


「そうだよ柊くん。せっかくの唯ちゃんとのお出かけなんだからさ」

 だれのせいだと思っている、とでも言いたげな視線をむける尊だが、結局、朱莉に舌打ちをかえし、唯の手をとった。

 普段なら、文句の十個でも言ってやりたいところだが、朱莉も一緒に来ないかと誘ったのが唯である以上、そう強いことを言うわけにもいかない。


「唯、どこか行きたいところはあるかい?」

「そうですね。ちょっとお食事がしたいです。病院のごはんもおいしいですけど、すこしあきてしまって……」

「外に出たときくらい好きなもの食べたいもんね」

「貴様は黙っていろ」

 ピシャリと言い放つ尊。それをたしなめるのは唯だ。

「ダメですよ、兄さん。せっかくのお友達なんですから、もっと仲よくしないと」

「唯、こいつと友達になどなっていないよ。安心していい」

 なにひとつ安心できないことを言う兄に、それでも唯は笑顔でかえす。

「もう、すぐにそういうことを言うんですから……ごめんなさい、朱莉さん」

「ううん。ぜんぜんだよ」

 そう言って笑う朱莉。ただし、それは許しているというよりは、生意気な子供に対する親の反応に近い。

 朱莉の対応に尊が鼻をならすのは、もはやお決まりになってきた。


「唯、なにか食べたいものはあるかい?」

「うーん、そうですねぇ……」

 唯は人さし指をあごにあてて考えるも、やがて困ったように笑う。

「ごめんなさい、とくには……わたしはなんでもいいですよ」

「そうか……じゃあ、ファミレスにでも入ろうか」

「え?」

 と意外そうな声を出したのは朱莉だ。

「なんだ?」

 嫌そうな声をだす尊。


「あ、ごめんね? べつに大したことじゃないんだけど、柊くんなら唯ちゃんのために高いお店とか予約してるものかと……」

「フン、そんなことをしてなんになる? 俺は唯と出かけているんだ。なら、二人でどこに行くかを相談するのは当然のこと。むしろ、それが醍醐味というものだ」

 それもそうだ、と朱莉は思う。たまの外出なのだから、好きなところに行きたいに決まっている。この少年は、本当に唯のことを考えているのだ。それほど、尊にとって唯は大切な存在なのだ。律子にも同じように接すればいいのに、というのは考えたら負けな気がした。

「ふふっ、ありがとうございます。そういうことですから、朱莉さんも一緒に行きましょう?」

 尊が帰れと言うまえに唯が誘ってしまった。

 妹の言葉に反発するわけにもいかない。彼にしては本当に珍しく、不本意な結果に対し、心中で舌打ちするにとどめるのだった。




 ファミレスに入ると、意外にも混雑していなかった。

 尊たちの姿をみとめた店員が、小走りにやってくる。

「お待たせしました。三名様でよろしいですか?」

「三名でなければなんだ? 貴様には、俺たちが分身して見えるのか?」

「ごめんなさい。三名です。できれば、禁煙席でお願いできますか?」

 唯が尊の言葉をさえぎるように言った。

「かしこまりました。こちらの席へどうぞ」

 一瞬石像のように固まった店員だが、聞き間違いだと思ったのか、あるいは唯の言葉に我にかえったのか、迅速に仕事をはたして去っていった。


「もう、兄さん。ダメじゃないですか、あんなこと言ったら」

「ノロマなほうが悪いんだよ」

 何名が訊いただけでここまでこけおろされるとは、朱莉は店員が不憫でならない。

「でも、唯ちゃんはきちんとしてて偉いね。私はこういうところ初めてだから、全然わからないや」

 そう言うと、朱莉は物珍しそうに店内を見回している。

「まえに律子さんから教えてもらったんです。必要になるだろうからって」

 ああ、と朱莉は思う。たしかにそうだ。日常的に相手を煽ることしかしないこの少年は、どこに行っても、だれに対しても態度を変えることはしないのだろう。

 となれば、困るのは一緒にいる唯だ。律子はそれを見越して、助言したに違いない。

 まるで取扱説明書だ。苦労しているのだな、と思わず苦笑してしまう。


「なにが可笑しい」

 尊が不機嫌そうに訊いてくる。どうやら、声にだしてしまったらしい。

「ご、ごめんね。なんでもないの。ね、これからどうしたらいいの?」

「ここから選ぶんですよ」

 そう言うと、唯はメニューを朱莉に渡す。


「いろいろあるんだね……」

 と今度はメニューを物珍しげに見る。そのまましばらく見続けていたが、

「なかなか決まらないや。唯ちゃんはどうするの?」

「そうですね……じゃあ、わたしはパスタをいただきます。朱莉さん、あせらなくても大丈夫ですから、ゆっくり選んでくださいね」

「あ、ありがとう」

 その、兄の口からは未来永劫発せられることのない言葉に、朱莉は感動してしまう。

「う~ん、どうしよう……」

 とふたたび悩んだ結果、

「私はドリアにするよ。この人気ナンバーワンってやつ。柊くんはなににするの?」

「俺はいい。こういうところで食事をとるのは性に合わん」

 腕を組み、ふんぞり返って言う尊。

「もう、兄さんったらいつもそうなんですから」

「いつもそうなんだ……」

 唯はくすくすと笑い、朱莉は呆れたような声をだす。


「じゃあ、パスタにドリア、人数分のドリンクバーで大丈夫ですか?」

「どりんくばー?」

「飲み物のことです。いろいろと種類があるんですよ」

「そうなんだ……うん、私は大丈夫だけど、本当にいいの……? お腹すかない?」

 尊に視線をやるも、

「問題ない。さっさと注文しろ」

 と意見を変える気はないらしい。貧乏ゆすりでも始めそうな雰囲気なので、唯は店員を呼び注文する。


「ありがとう、唯ちゃん」

「大丈夫ですよ。私も最初は全然わからなくて……『危険区域』にはファミレスなんてないですもんね……」

 うつむきがちに言う唯を見て、朱莉は律子の言葉を思いだした。

 五年前まで尊と唯は『危険区域』にいたこと。

 十五年前のウイルス蔓延が、二人の両親が行っていた実験が原因だったこと。

 そして、そのせいで過酷な生活を送っていたこと。

 きっと、思いだしたくないことを、思いだしてしまったのだろう。

 朱莉は多少強引に話を変える。


「ねえ、このドリンクバー……ってどうすればいいの?」

「あ、それはむこうに機械があるので、それで入れるんですよ。一緒に行きましょう?」

「うん、お願いできるかな?」

「はい。兄さんはコーヒーでいいですか?」

「ああ。頼むよ」

 と座ったまま言う尊。どうやら、自分で行く気はないらしい。

 唯も素直にうなづいているところを見ると、いつもそうなのかもしれない。

 迷った結果、朱莉はオレンジジュースを選んだ。唯は尊にコーヒーを、自分にはアイスコーヒーを淹れ、ミルクとシロップを一つずつ入れて席に戻る。


「ボタン押しただけで出てくるなんて、便利だね~」

 感心したように朱莉が言う。

「ふふっ。そうですね」

 仲がよさそうに話す二人は、まるで本当の姉妹のようだった。

 二人を出迎えたのは、あからさまに不愉快な表情をしているじつの兄・尊だ。唯は笑顔でコーヒーをさしだす。


「どうぞ、兄さん。砂糖は三つでよかったんですよね?」

「ああ。すまないな、唯」

「柊くんって、コーヒーに砂糖入れるの? なんか意外」

「兄さんは砂糖を入れないと飲めないんですよ」

 すこし意地の悪い声で、小さくささやく唯。

 しばらくキョトンとしていた朱莉だが、やがてぷっとふきだした。


「え~、なにそれ。なんかかわいい」

「そうでしょう? ふふっ、へんなところで子供なんですから」

 チッ、とやはり律儀に、朱莉にのみ舌打ちし、

「べつにいだろう。俺は甘いのが好きなんだ。それに、唯だってミルクとシロップを入れているじゃないか」

「わたしは子供だからいいんです」

「俺たちはおない年だぞ」

「そういえばそうでしたね」

 そう言ってふたたび笑いかける。

「二人とも仲いいんだね。なんだか羨ましいな」

 嫌味などではなく、本当に羨ましそうに朱莉は言う。


「孤児院のみんなは、姉妹みたいな存在だったけど……やっぱり、血のつながった家族がいるっていいよね……」

 どこかさみしそうに言う朱莉。その顔からは、普段みせる笑顔は消えている。

 場のしんみりとした空気を悟ったのか、朱莉は慌てた様子で手をふった。

「ご、ごめんね……せっかくのお出かけなのに……」

「フン、白々しいな」

 尊の物言いは相変わらず容赦がない。


「兄さん」

 軽くたしなめてから、優し気な口調で話しかける。

「朱莉さん。わたしは昔から病弱でここにきてからもずっと入院したままなんです。兄さんは色々と気をきかせてくれますけど……もし、朱莉さんさえよかったら、これからも話し相手になってくれませんか?」

「う、うん……! もちろんだよ!」

 朱莉は笑顔でうなづく。


「ふふっ。ありがとうございます。朱莉さんと話していると、なんだかお姉さんができたみたいでうれしいんです。わたしには同年代のお友達もいませんし……」

「そうなんだ……私もまだ友達がいなくて……私のほうこそよろしくね」

 そんなことをしているうちに、ドリアとパスタが運ばれてくる。

 終始白けた様子でコーヒーをすすっていた尊が、テーブルを指でトントン叩いて言った。


「ほら、料理が来たぞ。とっとと食え」

 もちろん、このセリフは唯に言ったものではない。

 視線はつねに朱莉をとらえている。

「う、うん」

 唯がスプーンを渡すと、息を吹きかけてドリアを冷まし、おそるおそる口に運ぶ。

「どうですか?」

 首をかしげながら咀嚼していた朱莉だが、やがてゆっくりと口を開く。

「おいしい、けど……なんか、びみょー」

 朱莉は言葉のとおり微妙な表情で言う。

「フン、まあ、そうだろうな。どうせ冷凍されたものを温めただけだろう」

 タイミングの悪いことに、尊が喋っている最中に店員が席を横切ったので朱莉は肝を冷やす。

 もっとも、微妙と言いだしたのは自分なので、人のことは言えないのだが。


「でも、ちょっとクセになる……かも」

 最初は罪滅ぼしから口を出た言葉だったが、なかなかどうして、妙においしく思えてきた。

 とそこで、いつの間にかテーブルに一本のビンが置かれているのに気づいた。

「それなあに?」

「これですか? これはオリーブオイルですよ」

「ふーん。そんなのまであるんだね」

「はい。これをパスタにすこしかけて食べるとおいしいんです」


 朱莉はそんなもの取ってきていないし、唯も取ってきていた様子はない。どうやら、自分たちがドリンクバーに行っているあいだに、尊が取ってきたらしい。唯は飲み物を、尊は調味料を取ってくる。役割分担をするほど来なれているのか。

 そんなことを考えていると、尊は瓶のふたを開け、オリーブオイルを少量パスタにかけると混ぜはじめる。


 それは、たしか唯が注文したもののはずだが。まさか、妹のを食べる気か、と思っていると、

「唯」

 そう言ってパスタを巻いたフォークをさしだした。

 まさか……と思ってみていると、予想通り、唯は髪をおさえながらそれを食べはじめた。

 唯が食べ終わるとまたパスタを巻いて食べさせ、食べ終わるとまたおなじことをくり返す。

「ちょ、ちょっと、二人ともなにしてんのっ!?」

「なんだ、見て分からないのか?」

「分かるけど……」

 チラリと唯を見るも、彼女も不思議そうな顔で首をかしげている。

「兄さんがいつもやって下さるので、ご厚意に甘えさせてもらっています」

「そ、そうなんだ……」

 朱莉が引きつった笑いをうかべるまえで、尊は唯の口から垂れてきたオリーブオイルをふきんでふき取る。


「あ、あのー」

「なんだ。いま忙しいんだから話しかけるな」

「二人とも、あんまりそういうことはしないほうがいいんじゃないのかなーって……」

「なぜだ?」

「だ、だって……見てるこっちが恥ずかしくなってくるよ!」

「なら見なければいいだろう」

「そ、そうだけど、そういうことじゃなくって!」

「なら黙っていろ」


 尊は朱莉の言葉に耳をかす様子はない。どうやら、彼の目には妹しか映っていないようだ。

 話は終わりだとばかりに、尊はまるでこの場に朱莉が存在していないかのように、唯にパスタを食べさせ続ける。

「よろしかったら、兄さんもどうぞ」

 半分ほど食べ終わったところで、今度は朱莉がパスタを巻いてさしだす。

 それを、食べたのだ、尊は、迷うことなく。


 朱莉は顔を真っ赤にして、「ちょ、ちょっと!」と叫んだ。

「なにやってるのさ、二人ともっ!?」

「貴様インコかニワトリか? さっきもおなじ質問をしたばかりだぞ」

「わたしだけ食べていては申しわけないので、兄さんにも召しあがっていただこうかと……」

 柊兄妹はそれぞれ淡々と答えるも、やはり朱莉は納得いかない。

「いやいや! おかしいって! 普通兄妹でそんなことしないもん!」

「貴様の物差しで常識を語るな。そんなことだから、貧乳なんだ」

「うるさいっ!」

 思わずテーブルをバンッと叩いてしまい、周囲の視線を集め、慌てて声のトーンを落として言う。


「とにかく、もっと人目を気にしなって。本当に恥ずかしいから……」

 こういうところで食事するのは性に合わないんじゃなかったの? と言うのはやめておいた。

 なんだか、それを言ったらおしまいな気がしたのだ。

「とてもおいしいよ、唯」

「ふふっ。それはよかったです。たくさん食べてくださいね?」

 一万光年ほど譲れば甘酸っぱく見えなくもない光景を見て、朱莉は目まいのする思いだった。

 律子はいつもこれを相手にしているのかと思うと、心の底から尊敬する。

 もうなにを言ってもムダだと悟った朱莉は、そっと嘆息すると、すっかり冷めてしまったドリアを口に運ぶのだった。

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