第8話 砥上さんは、俺にだけ厳しいらしい
水曜の放課後、砥上から連絡が来た。
『今日、一時間だけ店に寄る。沙弥にあの配置のやつを教えるんだけど、榎並は?』
まだ開けていない自転車の鍵を見た。
家へ直行するつもりだったのに、頭の中では店の混み具合を考えていた。水曜なら、二人の横の席も空いているだろうか。
自転車置場で返事を打つ。
『行く。少し後になる』
店へ着くと、砥上の向かいには同じ制服の女子が座っていた。
問題カードを見て、細い駒を回している。
「こっち。沙弥、二組の榎並」
「大庭です。伊都から、土曜に勝負したって聞いた」
大庭沙弥。同じ五組の友達だと、砥上が付け足した。
俺も名字を言って、空いている横の椅子へ鞄を置く。
「何対何って聞いた?」
「そこまでは」
「言わなかったんだ」
砥上を見ると、彼女は盤を少し横へずらした。
「今、教えてるから」
「お邪魔しました」
羽鳥さんへ一時間分の五百円を払い、席へ戻った。
目の前には土曜にも触った駒がある。大庭は一枚だけ置き、次をどちらに向けるか迷っていた。
「伊都、これ、裏にしてもいい?」
「使えるよ。やってみる?」
「間違えても、戻していいの?」
「うん。まだ競争してないから、ゆっくりでいいよ」
大庭が置いた。
砥上の手が動いたけれど、盤には触れなかった。持ち上げかけた一本を、机へ戻す。
「ここからは?」
「うん。考えてる」
「じゃあ、待つ」
大庭の目が盤へ戻ると、砥上は自分のお茶を飲んだ。
問題カードの端を揃え、急がせるようなことは言わない。
「……それ、俺の時と違わない?」
二人とも顔を上げた。
「何が?」
「俺が詰まってる間に、そっちはできたって言ってた」
「榎並とは勝負してたでしょ」
「説明も、あんまりなかった」
砥上は少し考えた。
「分かると思ったから」
言うのがあまりに普通で、俺の方がすぐには返せなかった。
「……実際は分からなかったけど」
「次は分かるでしょ」
次の方まで決められている。
大庭が手の中の駒と俺を見比べた。
「榎並くん、これ、最初から分かった?」
「最後の一本が、別々の穴に入らなかった」
「それは入らないね」
「同じこと言われた」
大庭が笑った。
砥上も、そういえばあんな持ち方してた、と両手を曲げるふりをした。
「砥上の駒は、下まで行ったけどな」
「手が滑っただけ」
「二枚」
「拾ったからいいでしょ」
大庭が自分の駒を机の真ん中へ寄せた。
俺も、横に広げていた説明の紙を少し片づけた。
「沙弥、できそう?」
「うん。今なら、ここを先に空けておける」
大庭が二つの駒を外した。
俺も、こう置けば、と指を出しかけた。
砥上の手は自分のコップを持っている。俺はそのまま説明の紙の端を押さえた。
少しして、大庭の最後の一本が入った。
「あ、できた」
「うん。全部入った」
砥上は大庭の手が離れてから盤を見た。
俺なら、途中で別の駒を指していたかもしれない。よい向きを知っていると、教えたくなる。
「じゃあ、次はわたしも同じので勝負してみたい」
大庭が問題を戻した。
砥上の顔が、待っている時と少し変わる。
「次の問題、同じ条件でやる?」
「うん。今度は途中で聞いても、教えないで」
「言わない。榎並も」
俺が口を開く前に、こちらを指された。
「まだ何も」
「教える方に座るつもりだったでしょ。榎並もやろうよ」
解説する方でなく、参加する方へ入れられた。
俺は棚へ行き、同じ駒の入った箱をもう一つ借りた。
三人分の盤を置くと、机が少し狭くなった。
砥上が飲物を端へ寄せる。大庭は袖を一度まくった。
砥上が次の段階の問題を抜いた。
大庭は一度だけ盤を見てから、頷く。
「榎並は?」
「やる」
砥上は俺の分の問題カードを、こちらへ滑らせた。
俺とやる時には、簡単な方もあるよ、とは言わない。
それが少し嬉しくて、駒を並べる手が遅れた。
「始めるよ」
「ちょっと待って」
「まだ配置してないから、待つ」
本当に待ってくれた。
俺の準備が済むと、砥上は一度だけ頷き、すぐ自分の盤へ目を落とした。
手元を急がず、けれど途中で止まらない。
大庭の隣で見ていた顔より、今の顔を見覚えていた。
俺も一枚置いた。
土曜に困った最後の一本を、今度は先に確かめる。途中で砥上の手が止まったのが見えたけれど、追い越されたくなくて自分の盤へ戻った。
「できた」
言ってから、向かいを見た。
砥上の指が止まり、俺の盤へ目が動く。
「……全部?」
「全部」
盤を少し持ち上げて見せると、彼女は置いたばかりの自分の駒を見た。
大庭は俺の盤を一度見て、自分の残りの駒を数えた。
「伊都、わたしが聞いた時と声が違う」
「だって、できてるから」
「さっきは、できたね、って言ってたよ」
砥上が俺を見た。
「……できたね」
「今言われると、すごく気を遣われた感じがする」
大庭が笑った。砥上も少し笑って、手元へ戻る。
俺は盤を下ろした。彼女が最後の駒を入れるまで、まだ崩さずに置いておく。
「榎並、次も同じのでやる?」
砥上は自分の最後の一枚を置くなり聞いた。
「今度は勝つ方の声で言っていいよ」
「勝つから、そうなると思う」
砥上は次の問題を取りに立った。
大庭が自分の盤を少し持ち上げる。
「その前に、わたしのも見て」
全部入っていた。
二人で一度座り直し、大庭の盤を真ん中へ寄せた。




