第3話 同情するなら、その一手を変えないで
ひとますは、商店街の二階にある。
階段を上がる途中で、窓の内側に砥上が見えた。もう卓について、札の箱を並べている。
俺が戸を開けると、店主の羽鳥さんより先に顔を上げた。
「一時まで、あと三分」
「遅れてないだろ」
「遅れてない。始められるなと思って」
緑色の半袖の服だった。制服でないのを見るのは初めてではないのに、向かいへ座る前に、どこへ目を置くか少し迷った。
砥上は俺の分まで用意していた箱を、早く開けたそうに押さえている。
「二時間でいい?」
羽鳥さんに聞かれ、それぞれ九百円を払った。
俺は甘いアイスミルクティー、砥上は無糖の冷たいお茶を頼む。飲物が来る前に、札が配られた。
使うのは一から五までの五枚。同時に一枚ずつ出し、大きい方が中央の点を取る。ただし、一は五に勝つ。
出した札は、五回が終わるまで手元に戻らない。
最初の三点の札を挟んで、砥上が自分の手札を見た。
昨日、全部は負けないと言った時の顔を思い出す。
八月は、相手の悔しい顔を見るのが面白かった。なのに今日は、せっかく来てくれたのに、と余計なことを考える。
五を出しかけて、砥上の顔を見た。彼女はもう選んで、俺を待っている。
俺は五の隣から二を抜いた。
「決めた?」
「うん」
伏せた札から指を離す。
砥上は四だった。
彼女が三点の札を引き寄せる。その時、俺の手元へ目をやった。
「……今、五、触ってなかった?」
「迷っただけ」
砥上は俺の二を見たまま、少し黙った。
そのまま五回目まで終えた。最後の二点を俺が取り、結果は二対七。砥上の勝ちだった。
「おめでとう」
「榎並」
机の上で、彼女が最初の二を裏返す。
「これ、出し直していいって言うと思った?」
「いや」
「わたしは言わないよ。もう取ったから」
三点の札を自分の側へ寄せ直す。俺へ返す隙間も作らなかった。
「でも、次は五を持ってるなら、ちゃんと考えて」
羽鳥さんが、飲物を卓の端へ置いた。
ストローの袋を破こうとして、俺は手を止めた。
「……悪かった」
「勝ちを取り消す謝り方は、しないでね」
「七対二は、そのまま」
「うん」
砥上がようやく、自分のお茶に手を伸ばした。
一口飲んでから、札を混ぜる。相手に勝たせたつもりになっていた俺より、ずっと勝敗を気にしていた。
二局目も、最初に出たのは三点だった。
砥上の指が、五枚の端を一度揃える。
八月もこうだった。
彼女は小さい点を拾われるより、自分が一番大きい点を取り逃がす方を嫌がる。
俺は一を抜いた。
「いい?」
「いいよ」
札が開く。
俺が一。砥上が五。
大きい数字にだけ勝つ一が、真ん中の三点を取る。
「……また」
砥上が言った。
「最初から五を出すの、分かってた?」
「出してくれたらいいな、とは」
「出さない方がよかった」
「それは、見てからだとそうなるな」
彼女が目を細めたので、俺も手札へ戻った。
次の一点は取られた。その次の二点も取られた。
残った札を見て、俺は終わりの二回で一点と二点を取りにいく。砥上は札を開くたびに、さっき出した五へ視線を戻した。
六対三。
「よし」
思ったより声が出た。
隣の卓が気になって口を閉じた時、砥上が中央の札をまとめ始めた。
「はい。もう一回」
「待った。書いてない」
「何を?」
「六対三」
点数用の小さい紙を指す。
最初の七対二だけが、彼女の字で残っていた。
「覚えてるから」
「なら、書く手間も少ないだろ」
「……細かいな」
砥上がペンを取った。
七対二の下へ六対三を書き、ペン先で俺の六を一度突く。
「一つだけ聞いていい?」
「うん」
「五を出すって、どこで決めたの」
「決めてはない。三点が出た時、先に札を──」
彼女の手元を指し、そこから残りの四枚の使い方まで説明しかけた。
「そこまで」
砥上が手を上げた。
「聞いた所、そこまで。次に出すものまで言わないで」
「対策になるかと思って」
「自分でも考える。今度は勝ちたいし」
札の陰から、彼女の目だけが見えた。
俺はストローをくわえ、頷いた。
三局目。
また三点が置かれたので、俺はさっきより長く迷った。
五を出すはずがない。でも、そう思わせてもう一度五を出すかもしれない。
一を残す方が今度は危ないか。
「榎並、決まった?」
「……決まった」
俺は一を出した。
砥上は四を出した。
彼女の顔がぱっと上がった。
札でなく俺を見たので、余計に悔しかった。
「今のは、迷っただけ?」
「迷っただけ」
「そう」
砥上は頷いて、三点を自分の側へ置いた。
残りを取り返そうとして、最後の二点まで持っていかれる。四対五。俺の負けだった。
「もう一回」
今度は俺が札を集めた。
砥上が点数用紙を持ち上げる。
「書いてからね」
俺はペンを受け取った。
五の数字を、さっきより少し小さく書いた。




