第2話 空いた土曜の、代わりじゃない
砥上は広場の時計の下にいた。
五組の砥上伊都。同じ階に教室があるのに、知り合ったのは学校の外だった。
八月、遊戯喫茶ひとますの短い対戦卓で向かいに座った。最後の一局で俺が勝ち、彼女は片づける前の札を、もう一度裏返して見ていた。
またやろう、と最初に言ったのは砥上だった。
「自転車、そっちに置けるよ」
脇の駐輪場所を指される。
俺は言われた所へ止め、鍵をかけた。
「急に呼び止めて、ごめん」
「うん。何があったの」
砥上はベンチへ座らず、通路から少し外れた場所に立った。俺も、その前へ行く。
「彼女ができたって、言っただろ」
「月曜に」
「あれ、嘘だった」
彼女の眉が寄った。
「断るために言ったの?」
「違う。俺は本当だと思ってた」
慌てて答えたら、そこからが続かなくなった。
彼女がいたつもりだった。今日、いなくなった。最初からいなかった。
順番に説明しようとすると、どこでも自分が引っかかった。
「同じクラスの真壁に告白されて。一週間、付き合ってると思ってたんだけど、罰ゲームだったって、さっき聞いた」
「……一週間も?」
「うん。今日で終わりだって」
砥上は口を開きかけて、俺を見た。
「それで、明日が空いた?」
責める声ではなかった。
だから余計に、そのまま頷くわけにはいかなかった。
「空いた。でも、それを言いに来たんじゃなくて」
俺は自転車の方へ目をやり、戻した。
「砥上との約束は、先に決まってた。二人で遊ぶのはやめてって言われて、俺が断った。嘘だったから仕方なかった、とは言えないから。ごめん」
頭を下げた。
広場を通り抜ける自転車のベルが鳴った。別の人の話し声が近づいて、また離れていった。
「わたし、土曜、空けてたんだけど」
「うん」
「他の人と約束しなかったし、店で何するかも考えてた」
顔を上げた。
砥上は鞄の持ち手を、両手で持っていた。
「彼女が嫌がるなら、二人で来てとは言えないから、分かったって返した。でも、残念ではあった」
「……うん」
「だから、大丈夫って、断られて平気だった方の意味じゃないよ」
さっき画面を閉じかけた自分を思い出した。
あの一行だけ受け取って、謝れたことにするつもりだったのかもしれない。
「ごめん」
「それは聞いた」
返事が早かった。
砥上は一度、息を吐いた。
「八月の最後、榎並が一を残してたの、覚えてる?」
「札のやつ?」
「そう。わたしが五を出したところ」
覚えていた。
一から五の札で、大きい方が勝つ。ただし、一は五にだけ勝つ。彼女が一番大きい点を取ろうとした時に、一を出した。
「あれ、もう一回やりたかった」
「同じ手は通らないと思うけど」
「通らないようにするから、やりたいんでしょ」
砥上の指が持ち手から離れ、俺の方を小さく指した。
「明日、励まされる側に回るつもりなら困る」
「俺が?」
「うん。わたしが勝っても、今日はそういう日だからって顔をされると、勝ちにくい」
俺は初めて、ほんの少し笑った。
「勝つ前から、そこまで考えてるのか」
「勝ってから言っても遅いから」
砥上は笑わずに言い切った。
けれど、持ち手を握り直した手からは、さっきより力が抜けていた。
謝ったら帰ろうと思っていた。
ここでまた明日を頼むのは、調子がよすぎるとも思っていた。
でも俺は、今の話を明日もしたかった。負けると決めつけた相手に、今度こそ勝ってから言え、と返したかった。
「砥上。明日、俺も遊びたい。もう一回、二人で行ってくれないか」
彼女はすぐには返さなかった。
広場の時計を見て、スマホを出す。
「一人なら、開店して少ししたら行こうと思ってた」
「そこに合わせる」
「榎並は、何時がいいの」
俺もスマホを出した。
真壁との画面は開かなかった。
「一時。二時間なら、札も配置もできる」
「じゃあ一時から三時。店で待ち合わせ」
「分かった」
砥上が画面を打った。
俺の端末にも、同じ時刻が届く。
「最初、札の方ね」
「今、配置もって言ったの聞いた?」
「聞いた。だから、その前に札」
「順番決めるの、もう始めてたのか」
砥上は、ようやく口元を少し緩めた。
「先に誘った分」
「明日の約束は、今俺から頼んだだろ」
「最初は、わたし」
そこまで遡られると、俺に勝ち目はなかった。
頷くと、砥上は満足したらしく鞄を肩へかける。
「二時間で終わる?」
「俺は終わるつもりだけど」
「全部負けても?」
反射で、全部は負けない、と答えた。
今度は砥上も笑った。
「じゃあ、明日」
彼女がバス停の方へ歩きだした。
俺は少し待ってから、自転車を取りに戻った。
鍵は一回で開いた。ハンドルに掛けていた鞄を背負い直す。
明日の一時まで、何を残しておけば、あの五をもう一度取れるだろう。
そんなことを考えているのに気づいて、乗る前に一度、送られてきた時刻を確かめた。




