第27話 負けたいんじゃなくて、甘やかされたい
「五を出すと思った?」
家を出て少し歩くと、伊都が聞いた。
今日は自転車を置いてきたので、俺は彼女の横を普通に歩いている。
伊都の手は、まだ鞄を持っていた。
「最初の三点の所?」
「うん。岳が五なら、わたしの一が取れた」
「でも、今日は三にした」
「分かってる。だから、悔しいの」
彼女は前を向いた。
口元はまだ、点数用紙を見せた時と少し似ている。
俺は、さっき彼女が札を伏せる前に見た所を思い出した。
「俺が先に札を伏せた時、手元を見たから。一で取れない方にしてみた。残りを見れば──」
「今、全部言わないで」
言葉が止まった。
伊都は歩く方をやめず、俺だけを見た。
「まだ負けた所、覚えてるから」
「次、分かりやすいかと思って」
「分かってても、今は悔しい」
道の先に、自動販売機があった。
俺は立ち止まり、温かい飲物の段を見る。家では冷たい物を飲んだので、少し甘い方が欲しかった。
「飲物、買う?」
「うん」
「温かい、こっちとか」
甘いミルク入りの物を指す。
伊都は、その隣を選んだ。
「わたし、無糖のお茶」
「うん。いつもの方か」
自分の分を買ってから、彼女が代金を入れるのを待った。
受取口から出てきたボトルを取り、伊都が少し両手で包む。
俺も自分の缶を持った。
「ベンチ、座る?」
「少し歩きたい」
「もう一回、店に寄る方は?」
「今日は、行かない」
提案するたび、彼女の首が横へ動く。
俺は自販機の横を見て、ほかに何かあるか探しかけた。
「岳。次、何か選ばなくていいから」
伊都の声が先に来た。
「負けたの、そんなに嫌だった?」
聞くと、彼女は少し眉を寄せる。
「悔しかった。でも、わざと負けてほしかったわけじゃないよ」
「うん」
「途中で札を弱いのに替えられたら、今より嫌だった」
俺は頷いた。
それなら、何をしたらいいのか。
伊都が俺の手元を見た。缶を持っていない方の手は、何もせず下りている。
「今は、その手がいい」
差し出すと、彼女はお茶を片手へ移した。
空いた方で俺の手を取る。
指が合うと、伊都がやっと、うん、と息をついた。
「これで、少し歩きたい」
俺は、いいよ、と返して、バス停へ近い道を見た。
伊都は俺の手を持ったまま、もう一本向こうの通りを指す。
「そっち、少し遠いけど」
「うん。次のバスまで、まだあるから」
先に時刻を確かめていたらしい。
俺も時計を見る。乗る便へは余裕があったので、二人で向こうの通りへ曲がった。
彼女の歩く速さは、負けた話をしていた時より、少しゆっくりだった。
何かもっと気の利いた方を選ぶつもりだったのに、本人はもう俺の隣へ収まっている。
「……次の勝ち方じゃなかったか」
「そこは、今じゃない。後で、一つ聞くかもしれないけど」
「じゃあ、今は言わない」
「うん」
彼女の手が、さっきより少ししっかり握った。
勝った方の手をつないでもらっているのだと思うと、俺まで顔が緩みそうになる。
「岳、今、嬉しそう」
「嬉しいよ」
「勝ったから?」
「今は、こっち」
つないだ方を、ほんの少しだけ上げた。
伊都が見てから俺へ戻る。急いで何か言い返すのではなく、そのまま歩いてくれた。
道の脇で飲物を開ける時だけ、一度手を離した。
彼女は自分で蓋を回し、俺も缶を開ける。
「まだ、悔しい?」
「うん」
返事が早かった。
俺は一口飲み、笑ってしまった。
「手をつないでも、そこは残るんだ」
「残るよ。勝った方も、なくならないでしょ」
「なくならない」
伊都も笑った。
俺は缶を持ち直し、また彼女の方へ空いた手を出す。
つなぎ直した後は、もう対戦の話をしなかった。
バス停までの途中、彼女が小さい店の看板を見つけた。
俺にも見えるよう顔を上げるので、その横で一度止まった。
いつか寄ろうと時刻を決める前に、今日は何が並んでいるのか、二人で覗いた。
別れ際、伊都が、自分の家へ来てもらう日も考えるね、と言った。
「家の人にも聞く」
「俺も、空いてる日送る」
「うん。片づける方も、少し時間ちょうだい」
俺が笑うと、彼女は、岳の分まで広げないから、と付け足した。
家の中で見られた分を、しばらくは言われそうだった。
夜、帰り着いたという連絡の少し後で、もう一行が届いた。
『三を出した時、わたしが一を出すって、決めてた?』
聞かれた所だけ、短く返した。
『五を取ろうとすると思った。でも、決めてはなかった』
しばらくして、返事が来る。
『分かった。次は、そっちも考える』
その後に、小さいスタンプが一つ届いた。
俺は今日の点数を思い出し、明日も遊ぶ予定を確かめた。
好きな相手に次も勝ちたいのは、たぶん二人とも、変わっていなかった。




