第16話 笑われた方の俺が、先に言う
「榎並って、知ってたんじゃなかったの?」
金曜の昼前、近くの席の男子に聞かれた。
俺は次の授業のノートを出しかけた手を止めた。
「何を?」
「真壁と付き合ってたやつ。あれ、最初から冗談でやってたんだろ」
隣で話を聞いていた女子も、そう聞いた、と言った。
俺の手の下で、ノートの表紙が少し折れた。
「誰から?」
「小椋」
小椋は自分の机で端末を見ていた。
顔を上げ、俺たちの方を見る。
「いや、そんな変な意味で言ったんじゃなくてさ」
「俺も知ってたって、言った?」
「重い話になるのも、あれだし。付き合ったっていっても、一週間だし」
声を落とせば、近くの二人には聞こえなくなる。
今ここで、冗談みたいなものだったよ、と俺も返せば、この話は終わるかもしれなかった。
わざわざ、本気で信じていた方を言う必要があるのか。
折れた表紙を指で伸ばした。
聞かれた二人は、俺が答えるのを待っている。
「俺は、知らなかった」
男子の顔が少し変わった。
小椋が口を開くより先に、俺は続けた。
「本当に告白されたと思ってた。付き合ってるつもりで、一週間」
そこで、声が止まった。
男子はまだ俺を見ている。知ってたわけじゃない、とだけ返して、ノートを開くこともできた。
表紙の折れた角を、もう一度指で押さえた。
「嬉しかったんだよ、俺は」
女子の手にあったペンが止まった。
言わなくてもよかった方まで、聞こえる声で出ていた。
「終わる日も聞いてなかった。九月十日に、今日で罰は終わりって言われて知った」
真壁は、自分の席で鞄の中を見ていた。
手が止まったのは見えた。俺の方を向いたかどうかまでは、見なかった。
「じゃあ、二人で了解してたってのは違うのか」
男子に聞かれ、俺は頷いた。
「違う。俺が知ってたとは、言わないでほしい」
小椋が端末を机へ伏せた。
「そこまで大ごとにするつもりはなかったって」
「俺も、大ごとにしてほしくて言ってるんじゃないよ」
ノートを閉じた。
目の前の二人へもう一度顔を向ける。
「今聞かれたから、違うって答えた。知っててやってた話として、広めないで」
男子が頷いた。
女子の方は、小椋を一度見てから、分かった、と言った。
少し後ろの席から、仁科が来た。
俺の机の端へ、借りていた消しゴムを置く。
「俺は月曜に、榎並から聞いた」
それだけ言って、話しかけてきた男子を見る。
「その時から、罰だって知らなかったって言ってたよ」
「仁科、告白の時もいたの?」
「いない。本人から聞いた話」
俺は顔を上げて、仁科を見た。
彼は小椋へ詰め寄らず、まだ返した消しゴムのそばに立っていた。
「うん。そう話した」
自分でも返すと、仁科は消しゴムを指して、これ返したから、と言った。
俺は受け取り、自分の筆箱へ入れた。
小椋は何も言わなかった。
真壁も、その場で否定はしなかった。ただ、机の上に出したプリントを、指で何度か揃えていた。
俺は二人へ、次の返事を求めなかった。
授業が始まる前に、男子が小さい声で言った。
「変な聞き方して、ごめん。違ってたんだな」
「うん」
答えると、彼は自分の席へ戻った。
教室全部が静かになったわけでも、誰かが代わりに怒り始めたわけでもなかった。
遠くでは、昼に買う物を相談している声がする。
スマホへ手が伸びかけた。
やり取りも通話の履歴も、そこに残っている。
けれど、あの夜の俺の返事まで、今ここで読んでもらいたくはなかった。
俺は端末を出さず、鞄の外ポケットを閉め直した。
俺は筆箱からシャープペンを出した。
指がいつもより冷たく、芯を二回出しすぎる。先を机に押し戻したところで、仁科がこっちを見た。
「昼、購買行くけど、お前は?」
「今日は弁当」
「じゃあ、席取っといて」
それで普通の話へ戻れたのが、ありがたかった。
俺は、分かった、と答えた。
ノートの隅に、授業の日付を書く。
さっきの一言を思い出すと、また顔が熱くなった。
折れた表紙を伏せる。隠したのはそこだけにして、日付の続きを書いた。
放課後、小椋の横を通って鞄を持った。
真壁とは目が合った。何か言いかけた口元を見たけれど、廊下へ出ていく俺を、彼女は呼び止めなかった。
自転車置場で、明日の店の利用時刻を確かめた。
砥上へ、予定は変わらない、と送る。昼のことは、まだ書かなかった。
彼女へ伝えるなら、誰かの説明を直すためではなく、俺が自分で話したい時に話そうと思った。




