第10話 先に決めた約束がある
土曜の午前、出かける前にスマホが鳴った。
小椋からだった。
『今日、ひとます来られる? 四人用の新しいやつ、あるって』
下に箱の写真が添えられている。
中の盤が広い。手元の札を出すだけでなく、相手の置いた駒の間を移動するらしい。
前に小椋と、新しいのが入ったらやろう、と話したものだった。
『真壁も来るし。二時からならいけるだろ』
俺は画面の写真を、つい拡大した。
四人、各自の持ち時間、終了までのおおよその目安。
見たいと思っていたルールが、箱の側面に少しだけ写っている。
上へ戻り、今日の予定を開いた。
一時半。砥上と待ち合わせ。
入力した時に彼女が食べていた、きのこのサンドを思い出す。
『今日は、先に約束がある』
そう返した。
小椋からは、すぐに次が来る。
『終わってからでもいいから。一回顔出せば普通に戻れるって』
終わる時刻を決めてから遊べば、夕方に店へ寄ることはできるかもしれない。
俺が来る前提で席を考えたのだろう。四人用を三人でやれないのは、分かる。
だから先に砥上へ、今日は早めに切り上げてもらえるか聞いて──。
そこまで考えて、自分の画面を伏せた。
今、何を変えようとした。
砥上の約束を守った形にして、彼女といる時間をまた他の人のために削ろうとしていた。
午後になれば、きっと俺は店の時刻を気にする。彼女が食べ終わる前から、次の場所へ行く算段をする。
小椋の画面へ戻った。
『終わってからも行かない。俺を入れて四人にしないで』
少し待つと、通話がかかってきた。
俺は出た。
「お前さ、やりたがってたじゃん」
「やりたいとは思ってる」
「じゃあ来いよ。今日なら空いてるっていうから」
「その遊びがやりたいのと、今日そこへ行くのは別だろ」
向こうで何かを打つ音がした。
「もう四人って店に言ったんだけど」
「三人に変えて。別の人を呼ぶなら、それはそっちで」
「今から?」
「俺、行くって返してない」
小椋が黙った。
画面に触れた指が少し汗ばんでいた。俺は持つ手を替える。
「真壁もさ、一回話せばって」
「人を集めて、その代わりに話す場にしないで」
昼の教室で話したことを、また最初から説明する気にはならなかった。
「今日も、今度の金曜も、俺の分は取らないで」
小椋が息を吐く。
「来週の商店街のやつも、三人じゃつまんないしさ」
「そっちは、もう一緒に行く人と相談してる」
「……全部あっちかよ」
俺は床に置いてあった鞄を持った。
「今日の店、人数変える連絡は、そっちでして」
返事を待って、通話を終えた。
鞄の中を確認する。財布、鍵、スマホ。前に使った点数用紙は砥上が持っているから、そもそも入っていない。
玄関で靴を履き、家を出た。
待ち合わせの店へ着くと、一時半の六分前だった。
砥上は、まだ来ていなかった。
店の窓には、色の違う小さい収納箱が並んでいる。彼女が買いたいのは、机で使う仕切り付きのものらしい。
「早い」
声がして振り返った。
砥上が少し急いだ足を、俺の前で緩める。
「何分前?」
「六分前。来た時は」
「三分、縮めた」
「競ってたのか、それも」
砥上はスマホを見てから鞄へ戻した。
俺の顔へ視線が戻る。
「どうしたの?」
「何が?」
「立ってる時、ずっと鍵回してた」
手の中を見る。
自転車の鍵を指先へ引っかけ、回していたらしい。
「出る前に、少し電話してて」
「そっか」
砥上は、それ以上聞かなかった。
俺が遅れてきたわけでも、帰る時刻を変えたわけでもない。話していないことを、彼女が知る必要もなかった。
「ここの、青か白で迷ってる」
窓を指されて、俺も中を見た。
「何入れるんだっけ」
「小さい飾りとか。今の、もう入らなくなったから」
「見せるなら、仕切りない方がよくない?」
「取り出す時に、隣のまで倒れるのが嫌なの」
なるほど、と頷く。
砥上が戸を開けたので、俺も入った。
並んだ二つを見比べると、白の方が中まで明るく見える。
「何色のを入れるの?」
「青い鳥とか」
「じゃあ、白の方が見えるんじゃない?」
砥上は青の箱を持ち上げた。
しばらく空の中を見て、隣の白も開ける。
「外は、青が好きなんだけど」
「閉じたら、ずっと見えるよ」
「閉じても見たいし、中も見たい」
どちらかにしてくれ、と言いかけて、俺ももう一度二つを見た。
砥上は結局、白を買った。
店の外で袋を見て、あ、と声を出す。
「部屋の棚が青いから、これで両方見られる」
「それ、買う前に分かっててもよかったな」
「今、置いたところが浮かんだ」
嬉しそうだったので、俺も袋の中の白をもう一度見た。
買物を終えると、あのサンドの店へ向かった。コロッケはまだ残っていた。
俺は昼に食べてきた分を考えて、今日は温かい飲物だけにした。
ベンチへ座ると、砥上がサンドの包みを開く。コロッケが見えるまで紙を折り返し、顔を近づけた。
「ちゃんと、コロッケだ」
「そこは、そうだろ」
「写真より大きい」
俺も覗いた。一口目はどこから食べるのか、少し迷う厚さだった。
砥上は包みを持ち直し、端からかじる。すぐに次の言葉が出なくなった。
俺は飲物の蓋を開け、話せるようになるまで待った。
「待っててよかった?」
頷いた。口元を隠して食べながら、今度は買物の袋を膝の横へ寄せる。
俺も鞄を足元へ下ろした。
「榎並、明日って空いてる?」
「午前から、昼過ぎまでなら。どうした?」
ベンチの脇から、砥上が催しの紙を一枚取った。
明日、十九日。体験広場に立体パズルの写真が載っている。来週の回遊イベントとは別の催しだった。
「これ、沙弥も気にしてた。榎並も一緒にやらない?」
「立体か」
「形は見れば分かると思う」
砥上はまだサンドを持っている方の手で、写真を指しかけた。
気づいてそちらを口元へ戻し、空いている手を使う。
「手順の前に、まず持つ方からだな」
「今のは、食べてるから」
彼女が笑ったので、俺も笑った。
仁科にも声をかけ、明日の午前ならどうかと、それぞれ連絡する。
「これ食べたら、場所見に行ってもいい?」
「うん。俺も見たい」
答えてから、紙をもう少し自分の方へ向けてもらった。
どの形なら組めそうか見ていると、隣から小さい声がする。
「榎並、わたしができたら見てね」
「俺も作るんだろ」
「できたって言うから。そしたら一回、こっち見て」
砥上は紙ではなく俺を見ていた。
俺は飲物を膝から持ち上げ、頷いた。
「分かった。俺が先だったら、砥上もな」
「じゃあ、先にできないと」
彼女が残りのサンドへ戻る。
俺はもう一度、明日の写真を見た。できたと呼ぶ方になりたかったし、呼ばれる方も少し楽しみだった。
砥上が食べ終えたら、今度は二人で体験広場を覗いてみる。




