58話 千年の恋
「街が見えてきたよ!」
三人と三頭は、東の森を抜けた。
夕映えの地面を、旅の埃と共に踏みしめる。その足裏に感じる土の温もりも、もうすぐ石畳へと変わる。
遠く、ロスティアの外壁が朱に染まって浮かび上がる。騎鳥ラグナの背に跨ったティアが、眩しげに目を細めて声を上げた。
騎鳥クロが、まるで「先に行くな」とでも言うように首をもたげ、突然、駆け出す。
「こら、勝手に走るにゃ」
ニャエルの声が追いかける。その気配に、ラグナも負けじと地を蹴った。
競い合うように二頭は、疾風のごとく街の東門へ向けて走り抜ける。
「元気ですねぇ……」
アマネがぽつりと漏らす。騎鳥シロは、穏やかに「クルル」と喉を鳴らした。ひとりと一羽は急がず、夕暮れの静かな空気をまといながらゆっくりとその後を追った。
◇
ロスティア東門。 鉄の扉の傍らに、ひときわ鋭い眼光を放つ門番ガイルが立っていた。陽に焼けた腕に槍を預け、彼の視線はいつもと変わらず、だがどこか不安げだった。
「……無事に戻ったか。どうだった?」
ティアがラグナを静かに座らせ、軽やかに地へ降りる。
「森の奥に、不浄の地があったから浄化してきたよ」
ガイルの顔が驚きに揺れる。
「なんだって!? もうグールはでないのか?」
ニャエルがクロの背から応じた。
「グールも十体ほど討伐したにゃ。まだいるかも知れないけど」
「……そうか。あんたら……やっぱりすげえんだな」
ティアは鞄から兜を取り出し、それをガイルに差し出した。
「これ……たぶん弟さん──ライルさんの兜だと思う」
ガイルは槍を肩にかけ直し、僅かに震える指で両手に兜を受け取る。
兜の内側に刻まれた『ライル』という字を、そっとなぞった。
「……あぁ。間違いねえ……アイツの兜だ」
アマネがシロを伴い、ようやく追いついた。
「ガイルさん、森の奥で討伐隊の遺品を多く見つけました。いくつか持ち帰ったのですが、どこに持っていけばいいでしょう?」
「……いや、ここに置いてってくれて構わない。助かる」
ニャエルはクロから飛び降り、シロに載せていた遺品の袋を丁寧に外し、壁際に置く。剣が何本も括り付けられていた。
ガイルはティアへと向き直り、兜を胸に、ゆっくりと頭を下げる。
「ティアちゃん、この兜は若い頃に、弟と一緒に買った思い出が詰まってるんだ……本当にありがとう」
ティアも、静かに深く頭を下げた。
「……ちょっと言いにくいんだが……」
ガイルは顔を上げ、声を落とす。
「ティアちゃんはエリチェ村の出身だろ?今朝、ギルドの受付嬢がやってきて言伝を頼まれたんだ……」
ティアは、ふと首を傾げる。
「セラさんかな?」
「ああ、たぶんそんな名前だ……昨日の夜……エリチェ村が骸骨の一団に襲われたらしい。それですぐに街の駐留部隊が……」
ドクン、と心臓が跳ねた。思考が一瞬、霧に包まれる。
ガイルの声が遠く、鈍く響く中──
「ティア? 大丈夫?」
ニャエルの声が、世界を引き戻す。
「あの! 村は……村はどうなりましたか!?」
「い、いや、まだ分からない……連絡員も戻らないし、まだ戦ってる最中……」
視界が滲み、次の瞬間、ティアは駆け出していた。
「ラグナ!」
「プァッ!」
ラグナがすぐに身体を傾ける。飛び乗るティア。
「私、村にいきます! ラグナ、お願い!」
応じるようにラグナは風を切り、地を蹴った。
クロが大きく鳴き、ニャエルの前に立ちはだかる。「乗れ」と言わんばかりに。
◆
山道を、風よりも速く駆け抜けるラグナの背で、ティアはただ祈った。
「リゼ婆……村のみんな、どうか無事で……」
夕焼けが山々を染め、長い影が地を覆う。
後ろからクロの声。
ラグナが少し速度を落とすと、クロとシロがすぐ追いつき、並走する。
「ティア! ひとりじゃ危ない、一緒にいくよ」
ニャエルの声が、風に乗って届く。
「ご、ごめん、ありがとう!」
アマネも、大きく息を吸って叫んだ。
「言い忘れてましたが! この子達、買いますから!」
ラグナ、シロ、クロ──三頭の騎鳥を、厩舎から正式に買い取る事を告げた。
しばしの沈黙。風の音と、三頭の蹄が大地を刻む響きだけが残る。
「あ、アマネ! 今言うことかにゃ!?」
「ご、ごめんなさい!」
そのやりとりに、ティアは苦笑した。
自分がどれほど冷静さを欠いていたか、その瞬間に気付く。
「風さん、お願い! 手伝って!」
漠然とした祈り。それでも、空高く風が応えるように渦巻き、強い追い風が三人と三頭の背を押した。
赤く沈む空の下、彼らは飛ぶように、エリチェ村を目指して駆けた。
◆
夜のエリチェ村。
黒衣の悪魔メゼルは、民家の屋根に腰を下ろし、戦況を眺めていた。
村の中では今も、駐屯軍と骸骨たちが各所でぶつかり合っている。
軍の兵は盾を用いて防備を固め、一体、また一体と骸骨を押し返していた。
だが、戦場には血の匂いと死の気配が満ちている。
「こーちゃくじょうたい?」
隣には、幼い少女の姿をしたリッチ。屈託ない声で、戦場を評価した。
「いや、我が方が不利だ。人間どもは鉄の扱いが上手くなったようだ」
メゼルは、乾いた目で戦局を読み取る。
「マイロードがいけば、すぐおわる?」
リッチの純粋な問い。
メゼルはリッチの頭を乱暴に撫でる。
「無論だ。しかし、それでは白き光が居たかすら分からん。ここは間違いなく白き光の村だ。いずれ姿を現す……何日かかろうともな」
「たかみのけんぶつ?」
リッチの問いに、答えず、小さく息を吐いた。
その時、地面が震える。
轟音とともに、遠くで大きな土の槍が突き出し、黒い鎧の骸骨が宙に舞って吹き飛ぶ。
「あの老婆……まだ魔力が尽きんのか。流石に捨ておけんな……リッチよ、骸骨に弓矢を拾わせ、ここに呼べ」
「はい、マイロード」
リッチは闇の中に消えていった。
◆
「まだ戦ってる……」
三人と三頭は、ついにエリチェ村へと辿り着いた。
松明の炎が赤々と村を照らし、闇に浮かぶ村の輪郭を際立たせている。
村全体を見下ろせる高みから、彼らは戦場を一望した。
兵士たちは徐々に骸骨たちを押し返している。
しかし、あちこちで火花が散る。
地鳴りが響く。
再び、巨大な土の槍が大地を突き破り、黒い鎧の骸骨を弾き飛ばした。
「あの魔法は……」
ティアが呟き、ラグナに合図する。二人もそれに続く。
「待て! 何者か!」
途中、兵士に呼び止められる。
「この村のものです、みんなは!?」
「……そうか。気を落とすなよ。我らが来た頃には村人のほとんどは……」
兵士の言葉を遮るように、ティアの視線がひとりの老婆に吸い寄せられる。
──リゼ婆。
「リゼ婆!」
ティアが声を上げた。
リゼ婆は気付き、振り返り、ゆっくり手を上げて応えた。
ティアの顔が綻び、涙が溢れ出そうになっていた。
──その一瞬、悪魔は見逃さなかった。
闇の屋根上で、メゼルが目を細める。
「今だ、やれ」
その命に、脇に控えていた骸骨が弓を構え、弦を引く。
矢が高い音を立てて放たれた。
真っ直ぐ、夜気を裂き。
リゼ婆の背に、深く突き刺さる。
勢い余った矢は身体を貫き、土に突き立った。
──騎鳥の鼓動が、急に遠のいた気がした。
世界の音が、途切れる。
私の視界にはあの人だけがいた──
「ティア、待って!」
ニャエルの声も届かぬまま、ティアはラグナから飛び降り、転げ落ちるように崖を駆け下りる。
「母さん!」
叫びながらリゼ婆へと走った。
「射手がいるぞ!」
「衛生兵!」
兵たちが叫び、リゼ婆が仰向けに寝かされる。
「母さん……しっかりして!」
ティアは、リゼ婆を抱きしめて叫んだ。
リゼ婆はゆっくりと目を開き、息を継ぐ。
「おぉ……ティア……私をそう呼んでくれるのかい……」
腹部の傷から血が流れ続ける。
「そんな……いやだ、母さん……」
「嬉しいね……ティア、よくお聞き……」
声を振り絞り、咳き込む。
「なに……? 聞くよ、ちゃんと聞くから……」
リゼ婆は手を伸ばし、ティアの頬に触れた。
「憎しみに囚われてはいかん……その力は……」
手が、力なく落ちていく。
指先が顔を撫でて、赤い跡を残した。
「治癒士です! 道を開けてください!」
兵をかき分け、アマネとニャエルが駆けつける。 アマネはすぐに両手でリゼ婆の傷口を押さえ、黄の光を放つ。
「ニャエルさまもお願いします! あなたが頼りです!」
「わ、わかった。ティア……」
ニャエルが手を重ねる。
だがティアは、俯いたまま、その場を静かに離れた。
アマネがニャエルの手を導き、リゼ婆の体へ押し付ける。
「集中してください、目を閉じて、傷が元に戻るように祈って!」
ふらふらと歩き出すティアの耳に、遠く戦場の叫びが響く。
一際大きな黒い鎧の骸骨が盾を蹴散らす。
衝撃で兵士が二名、吹き飛ばされた。
「隊長! 村の術者がやられました!」
「射手を隠していたか……! 前衛、足止め! 全体、遅滞戦闘に移行、後方へ!」
指揮官の声が闇に響き渡る。
ティアは、静かに剣を抜いた。
白い光が、手元から溢れる。
身体全体に、流れ込むように纏わせていく。
「私の村を……」
言葉とともに、白い光が激流のように身体を包む。
怒りと悲しみが、炎のように燃え上がる。
やがて、その白き光は、夜の村全体を照らすほどに広がった。
「マイロード、見てください。白き光です」
闇の中、リッチの瞳が光った。
その光を受けて、メゼルはゆっくりと顔を上げる。
「ようやく現れたな。千年……長かったぞ」
メゼルは、夜の空に白き閃光を見つめ、静かに微笑んだ。
ティアが前を向いた瞬間、白き光が、村を駆け抜けていった。




