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54話 祈りは風に、影は闇に



夜の森に、松明の列が静かに流れていく。

闇を祓い、祈りを捧げるように、灯火がひと筋の道を描いていた。


暗い枝葉が幾重にも覆いかぶさり、月明かりすら遮られる深い夜。その奥を、ひとすじの灯りの川が山から谷へと下っていく。

松明は等間隔に掲げられ、橙の光が地面の落ち葉や苔を揺らしながら、道筋を浮かび上がらせていた。


松明の列の先頭には、三頭の騎鳥と三人の影。

騎鳥たちの足音が不浄の土を叩き、落ち葉を巻き上げる。騎手の影が、淡く揺れながら進んでいく。


後方には、弓や剣を手にした多くのエルフたち。そのなかを、銀髪に冠飾りを付けた長──グリムが、深い表情で歩いていた。道の両脇には低く密やかなささやき声が絶えず、どこか切迫した祈りの気配が夜気に滲んでいる。


ふいに、ニャエルが騎鳥クロの上で身体をひねり、後ろを振り返った。


夜の静けさを押し流すように、松明の灯りが長い列を作り、山道の暗がりを照らし出している。夜露に濡れた草むらや、遠くで鳴くフクロウの声、時折足元を走る小動物の気配も、その光に包まれていた。


「随分と大事になったにゃ」


クロの首に片腕を預けたまま、ニャエルはぽつりと呟く。

すぐ背後で、グリムが頷くように答えた。


「みな、志願してきたのです。リッチが出た時には必ず力になりましょうぞ」


グリムの声には微かな緊張と誇りが混じる。その眼差しの奥に、過去の災厄や大樹への祈りが浮かんでは消える。


「皆さんの故郷を想う気持ち、とても心強いです」


アマネがシロの背で柔らかく微笑む。


「故郷、ね……」


ニャエルは前方へ目を向け、松明の灯りが届かない漆黒の森をじっと見つめた。遠いものを思うように、目元に影が差す。闇の向こうはまるで何も見えない。ただ背後の灯りの川だけが、さざ波のように揺れている。


ふと、微かな気配。


ニャエルが横目をやると、ラグナの鞍上からティアが静かにこちらを見ていた。彼女の頬には松明の明かりが淡く映り、夜の闇と光の境に佇むような笑みを浮かべている。


「一緒に行きたいな」


「……どこへ?」


ティアは小首を傾げ、覗き込むようにニャエルを見上げる。


「ニャエルの故郷」


しばし、沈黙。


ニャエルは大きく息をつき、視線を夜空へ投げた。木々の隙間からは星の瞬きも見えず、ただ冷たい夜気が首筋を撫でていく。


「あまりいい所じゃないにゃ。しきたり、付き合い、社交界……堅苦しい事ばかり」


ティアの方は、わずかに口元を緩めて、どこか寂しげに微笑む。


「ふふ、息苦しそうだね」


ニャエルは鞍の上で器用に身をひるがえし、クロの首に背を預けて足を伸ばした。クロが「またか」と言いたげに首をひねる。夜目にも分かる金色の瞳が、ちらりとニャエルを睨んだ。


「ボクは三女だから、姉二人より自由だったけどにゃ」


「今は誰よりも自由に見えるよ」


ニャエルは口角を上げ、ティアの方へ長い尻尾を伸ばす。

尻尾がふわりと揺れて、ティアの手元をくすぐる。


ティアはそっと手を伸ばすが、尻尾はすっとすり抜けて宙を舞う。わずかに指先が空を掴み、ティアが悔しそうに眉を寄せると、ニャエルはいたずらっぽく尻尾で手の甲を撫でた。


そのやりとりを見ていたリリアナが、少し離れて歩きながらじとっと視線を向ける。


「社交界って、ニャエルはいいとこのお嬢様なんだ」


尻尾をそっと元に戻し、ニャエルは目を閉じる。


「社交界って踊ったりするの?ニャエルは上手なんだろうな」


ティアは指を重ねて、夜の灯りのなかで無邪気に問いかけた。瞳に松明の光が映り、小さな憧れの色が宿っている。


ニャエルは目を開け、しばしティアを静かに見つめた。

星明かりがわずかに射し、ふたりの表情を包む。



松明の光が、黒く朽ちた大樹の幹を明々と照らし出していた。


幹の周囲にはエルフたちが弓を胸に、円陣を組むように整列している。誰もが息を潜め、儀式の始まりを待つ。

騎鳥ラグナをそっと座らせ、ティアがゆっくりと地に降り立つ。


「アマネ、依代はどうにゃ?」


ニャエルがクロの背から身を翻して跳び降りると、クロがやや不満げに低く鳴いた。

アマネは胸を撫で、「……危険は無さそうですね」と小さく答える。


大樹の根元では、ティアがひとり石を拾い、手のひらで転がしていた。


「ティア、何してるにゃ?」


「れ、練習……」


ティアは石を宙に投げ、一度に砕く動きを何度も繰り返していた。腕の動きはぎこちなくも、どこか真剣な集中が漂う。


ニャエルは微かに笑い、傍に寄って腰を落とす。


「魔石かして、ボクが投げるにゃ」


「うん!お願い」


ティアが腰の袋から、拳ほどの魔石を二つ──ひとつはほのかな緑、もうひとつは淡い黄の光を宿して──そっと差し出す。


ニャエルは二つの魔石を掌で転がしながら、ティアの方へと向き直った。


「別々に投げるからにゃ。」


「……え?」


ニャエルはまず黄の魔石を高く掲げ、夜空へと掲げる。冷たい夜気に光が溶け、魔石がゆっくりと降りてくる。 そのまま緑の魔石を近付け、二つをぴたりと合わせた。


「空中でぶつけるから、そこを砕くにゃ」


「が、頑張る……」


ティアは静かに剣に手を添え、刃にそっと呼吸を通した。

その動きは、まるで何かを祈るように。


ニャエルは少し離れ、呼吸を整えた。


「いくよ」


「うん」


魔石のひとつを夜空へ力いっぱい投げる。 続けてもうひとつを、耳を澄ませて軌道を重ねるように投げた。


二つの魔石が空中でぶつかる刹那、


(触れて、馴染ませる……)


ティアが剣を閃かせる。


刃が夜気を裂き、魔石は粉々に砕けた。


高く弾けた魔石の破片が、微細な光となって夜空に舞う。


「風さん、お願い!」


静寂のなか、ティアの声だけが響いた。


直後、地面を撫でるような風が吹き上がり、松明の灯りが揺れる。

粉となった魔石の光が、風に舞い上げられ、夜空でひとつの流星のように輝き始める。


光は風に導かれ、ゆっくりと天へと昇っていく。


大樹のてっぺんを越えたその瞬間、夜は一度だけ、昼へと生まれ変わった。

黄と緑の光が溶け合い、まるで天に咲いた大輪の花のように、森を染めた。


エルフたちは息を呑み、誰もがその光景に見入っていた。


光の粒がきらきらと宙を舞い、朽ちた大樹や荒れた土の上に降り注いでいく。

光が触れた場所から、徐々にかつての緑と生気が蘇っていく。


最初は土の色が変わり、苔が再び息を吹き返す。

次いで大樹の幹の黒ずみが薄れ、古い傷痕が柔らかな緑の膜で覆われていく。

枝先から新芽が芽吹き、葉がひとつ、またひとつと広がっていった。


その光景を前に、誰もが言葉を失う。


剣を背にしまいながら、ティアがぽつりとこぼした。


「上手くいったかな……?」


その呟きに、夜の風がふわりと揺れた。

ニャエルはしばし見つめ、そして迷いなく──駆け寄り、ティアを抱き上げた。

「大成功だよ、ティア!」


ティアは驚きと嬉しさに笑い、ふたりはその場でくるりと回る。星々が森に降りるの中、まるで夜に舞う妖精のように──静かに、そして確かに喜び合った。


周囲のエルフたちはしばし呆然と眺めていたが、やがてぽつりぽつりと歓声が広がり、夜空に舞った。





その頃──


月明かりだけが頼りの、森の外れ。


数多の鎧が軋む鈍い音、剣や槍がぶつかる金属の響きが、静かな夜を歪めていた。


鎧や兜に身を包んだ髑髏たちが、鈍い赤い眼を光らせて、山道を無言で行進していく。


その列の中に、ひときわ背の高い人影。 長く黒い髪が服に絡み、青白い肌が月光を反射する。 その赤い瞳だけが、夜の奥で生きていた。


傍らには、緑がかった髪の幼い少女──小柄なその影が、静かに男の足元を追っている。


ふと、背後の空が眩い黄の光で満たされ、大樹の輪郭がくっきりと浮かび上がった。


背の高い男は歩みを止め、ゆっくりと振り返った。


「遺跡の大樹……浄化されているのか?エルフ共め、なかなかやるではないか」


声は低く、冷たさと興味をないまぜにしていた。


幼い少女が、小さな手で男の服の裾をぎゅっと握る。

その瞳は、どこか年老いたように、大樹の光を見つめていた。


「……きれいになっちゃった?けがしたままが、よかったのに」


無垢な声音の奥に、冷たい響きが潜んでいた。


男は空を見上げたまま、口角を歪めた。


「あれは余興に過ぎぬ。すべては吾輩の計画通りだ。ゆくぞ」


少女は静かに頷き、黙ってその背を追う。

その足取りは、子どものものには見えないほど静かで、まるで音を拒むようだった。



髑髏の一団は、黄の光を避けるように森の奥へと消えていく。

夜の風が通り過ぎ、遠くで梟が一声だけ鳴いた。



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