51話 魔界を繋ぐもの、希望を繋ぐもの
「お休みのところ、申し訳ありません」
深い森に朝の光が滲みはじめる頃、リリアナの家の一階に、白髭をたくわえたエルフの長・グリムがケルサスを伴って現れた。木の壁や床には朝露の匂いが染み込み、天窓からはやわらかな光が差し込んでいる。
ティア、ニャエル、アマネ、リリアナは円を描くように腰を下ろし、静かな対話の場が整う。グリムはゆっくりと深く頭を下げ、床に長い白髪がこぼれた。その仕草は重々しく、部屋の空気に緊張が満ちる。
リリアナは昨日の出来事を、言葉を選びながら淡々と説明していく。声の端々に、夜を越えても消えない疲労と、里への責任感が滲んでいた。
「──なるほど……レイスですか……」
グリムが低く呟くと、アマネが真剣な表情で付け加えた。
「レイスを討伐する事はできましたが、不浄の根源である──遺跡の大樹はまだ浄化出来ていません。それに……」
グリムは眉を寄せてアマネの次の言葉を待つ。朝の森を渡る風が、ほんの一瞬、木の壁を震わせた。
「わたくしは、あの様な大規模な不浄の根源を見るのは初めてです。にも関わらず出現したのはゾンビ、グール、レイスのみです。まだ何かが潜んでいる可能性があります。」
「それは困りましたな……」
グリムは腕を組み、重く唸る。その瞳の奥には、静かな焦燥と決断の色が揺れていた。
「一度、大聖堂に戻り浄化隊を組んで……」
「待ってくだされアマネ様、それでは遅いかもしれぬのです。ケルサス」
ケルサスは一度頭を下げてから報告する。
「はい。アマネ様が里に来られてからも、侵蝕の速度が衰えていません。このままでは”大精霊の大樹”に影響が出てしまいます」
「──やはり、風の大精霊はここにいらっしゃるのですね。」
グリムは深く頭を下げ、静かな声で告げた。
「既に感じられておりましたか……アマネ様の実力には感服致しております。そこで提案なのですが──」
◇
リリアナの家を後にするグリムとケルサス。二人が戸口で一度振り返り、深く頭を下げて去っていく。木漏れ日の揺れる階段に、わずかな足音とともに静けさが戻った。
アマネは見送りに手を上げ、扉を静かに閉じる。
「ここに長居してしまいそうだにゃ」
戸口にもたれかかったニャエルが、ほんの少し口を尖らせてつぶやく。窓の外では森の葉が風に揺れ、朝の鳥の声が響いていた。
「問題は”繋ぐもの”リッチが出た場合ですね。……それともお肉ですか?」
「両方だにゃ」
ニャエルはふっと笑い、すぐに表情を戻した。
「リッチは強いの?」
アマネは部屋の中に入り、扉を閉める。その背中越しに微かな緊張が流れた。
「強さでいえば、レイスより弱いはずです。……しかし、それが問題なのです……」
ニャエルは首を傾げ、静かに部屋の中を歩いていく。重い空気が一瞬流れる。
「ここの長、グリムさんのお願いは浄化魔石の生成です。それは不浄の侵蝕を抑える為のもの……言ってみれば、酷く脆弱なものです」
ニャエルはティアの隣に座り、リリアナは向かいで足を投げ出していた。アマネもそっと空いた場所に腰を下ろす。
「しかし……リッチが魔界とこの世界を”繋ぎ”、”悪魔”を召喚されれば、魔石の効力は無に等しいのです。」
「悪魔は浄化魔石を恐れない?」
ティアの問いかけに、アマネはわずかに微笑み、頷く。
「はい。それどころか積極的に壊しにきます。グールも悪魔の一種だと言われているのは、そのせいです」
「あー!だから、グールがウチの魔石を壊しに来てたんだ。アイツら、悪魔なのか」
リリアナが手を打ち、納得したように声を上げた。
「はい。悪魔は魔界に住んでおり、リッチはそれらを召喚します。グールは最も下級の悪魔と言われ、それよりもっと上位の存在を喚ばれると魔石を守れないでしょう」
「一番強い悪魔が魔王にゃ?」
その言葉に、ニャエルの目がきらりと光る。
英雄譚に登場する存在──それが、自分の手の届く場所にあると知ったように。
「そうなります。もっとも魔王というのは、わたくしたちが勝手にそう呼んでいるだけですが……」
「浄化魔石を作って侵蝕を止められても、悪魔を呼ばれると、破壊されちゃうって事にゃ」
ニャエルはティアの後ろに回り込み、そっと背に寄り添う。ティアは自然に背を預ける。その様子をリリアナはじとっとした目で見やり、アマネは目を細めて微笑む。
「じゃあ、遺跡の大樹を浄化しちゃえばいいんじゃない?」
ティアが唐突に言うと、一瞬、空気が張り詰めた。
誰も言葉を返せず、ただティアを見つめる。
あまりにも真っ直ぐなその提案が、胸の奥に何かを突き刺した。
「いい案なのですが、わたくしだけではそれは難しいです……もし、ニャエルさまと力を合わせられたとしても、あの規模の”浄化”は……」
アマネはそっと目を伏せ、白銀の髪が頬にかかる。瞼の奥に浮かぶのは、未だ見ぬ瘴気の渦――思案の影が、その顔に薄く射した。
しばしの沈黙が部屋を流れる。
そのとき、風がそっと部屋の空気を撫で、葉擦れの囁きを運んできた。次の瞬間、微かな光とともに──風の妖精シルが、舞い降りるように現れた。
「みんなで集まって、どうしたの?」
シルは当たり前のようにティアの膝の上に降りて座る。
「ふふ、もうすっかり元気そうだね」
「うん!ティアのおかげ!」
ニャエルはティアの肩に顔を乗せて、シルを見る。
「ボクが治癒したんだけどなぁ……あ。」
思い出したように、ニャエルが話し始める。
「浄化魔石をティアに剣で砕いてもらって、シルに撒いてもらえば浄化出来るんじゃにゃい?」
「それはダメだよ、ニャエル。シルが不浄の地に近づいたら、また黒くなっちゃう」
ニャエルの猫耳がぺたんと垂れ、悔しそうに伏せる。
「あぁ……そっか……」
アマネの白く大きな尾がふわりと立ち上がり、光をまとったように輝きを帯びる。
「……いえ、名案ですよ!ニャエルさま!」
ティアは不思議そうに首を傾げてアマネを見つめる。
「不浄の地だと風さんに手伝って貰うこともできないよ」
「はい。なら風の力を魔石に込めて貰えば良いのです」
リリアナが目を見開いて応じる。
「妖精は魔石に魔力を込めれないよ」
「はい、そうです。妖精は魔力を持ちません、精霊に働きかけて事象を引き起こします。ティアさまの風さんへのお願いに似ていますね。」
ニャエルが「そっか、その”胴元”にお願いすればいいんだにゃ」と声を上げる。
「その通りです。風の大精霊に風の魔石を作ってもらいましょう!」
アマネはいつになく高揚した声を響かせた。部屋の中を、森の奥から新しい風がそっと吹き抜けていく。
木立の間を抜けてきた朝の風が、誰ともなく頬をなでた。静けさの奥に、何かが応じた気がした──
それは、森がもたらした応答のようでもあり、彼らの胸奥に小さな灯をともす“合図”のようでもあった。




