48話 朝を呼ぶ光、猫のうたた寝
「アマネ、ありがとう」
空がゆっくり僅かに白み始め、星のいくつかはまだ森の高みでまたたいている。
静かな夜明けだった。
しんと静まった大気の中、三人と三頭の騎鳥が朝の気配を孕んだ道を歩を進めていた。
案内役のリリアナは時折振り返りながら、夜露に濡れた小道を選び、柔らかい足音で一行を導いていく。
ティアは隣にいるアマネにそっと礼を言った。
その両手には、焼け焦げた緑色の布の破片――先ほどのレイスが纏っていたもの――を大切に抱えている。
闇の中でも、切れ端はほのかに光を宿し、どこか懐かしい温もりが指先に残っていた。
浄化された布地は、わずかにだが生前の色を取り戻していた。
「その服の切れ端が、妖精のものというのは本当なのですか?」
アマネが問いかける。ティアは一度、空を仰ぐように息を吸い、静かに答える。
「うん、間違いないと思う。村を出た時に助けてくれた妖精が、これと同じ服を着ていたの」
少し目を伏せ、胸の奥にしまっていた記憶をそっと撫でるように言葉を続ける。
「……でも、これはあの子が着ていた服とは少し違うかも」
夜風がわずかに服の切れ端を揺らす。
アマネはゆっくりと歩を合わせ、言葉を紡いだ。
「妖精が穢れるとレイスになる、そんな事は聞いたことがありませんが……本当はそうなのかも知れませんね。」
ティアは布地を指先でなぞりながら、しばらく見つめていた。どこか確かめるように目を細め、ふっと微笑んで、それを大事そうに腰の小物入れにしまう。
やがて、リリアナが前方で立ち止まり、振り返る。
夜明け前の空気はしんと澄み、遠くで鳥の囀りがひときわ高く響く。
「そろそろ着くよ!」
彼女は後ろ向きのまま、得意げに小道を歩く。行く先には、黒い土と緑の森の明確な境界線が、夜明けの淡い光に照らされてくっきりと現れていた。
その先、緑豊かな森がまだ息づいている。
「なんだか、森を見るとほっ、とするにゃ」
前を歩くニャエルは、騎鳥クロの鞍の上で器用に寝転がる。 首元に頭を乗せられたクロが「プァッ」と低く鳴いて抗議した。 そのたびにニャエルの黒い猫耳がぴくぴくと揺れる。
夜風の中、森の香りが柔らかく鼻腔をくすぐる。
ニャエルは何かに気が付いたように慌てて体勢を整え、起き上がる。
そのとき──
「そこで止まれ!」
森の暗がりから、何人ものエルフたちが姿を現した。
木の間から白銀の弓が並び、張られた弦が鈍く光る。
鏃はまっすぐこちらを向いていた。
「ちょっと!ケルサス、弓を下ろしなさい!」
リリアナが騎鳥の前へ立ちはだかり、声を張る。鞍の上のニャエルも背筋を伸ばす。
「リリアナ。外で遊ぶのは大目に見ていたが、余所者を連れてくるのは看破できん」
リーダー格らしい男――ケルサス――が渋い声で制した。
「もう一度だけ言うわ、弓を下ろしなさい。彼女たちは──聖なる光の使い手たちよ」
その一言に、エルフたちの間にざわめきが走る。
「皆、弓を下ろせ。……それが本当なら証明できるのだろうな?」
緊張が辺りを包む。
「よろしい、では刮目せよ」
アマネがゆるやかにメイスを頭上に掲げる。
静寂。
次の瞬間、黄の光が闇夜を切り裂く朝日のように広がった。
光は木々の梢に反射し、葉の隙間から溢れ、森を金色に染め上げた。
冷たい森の空気が震えるほど、眩い。
エルフたちが一斉にどよめき、一人、また一人と驚きと敬意の声を上げる。
「わ、分かった、もう十分だ……」
光がゆっくりと収まり、森に鳥のさえずりが戻る。
それを合図にしたかのように、ケルサスが深々と頭を下げた。
「大変失礼しました、旅の方々……いえ、光の使者たちよ。どうかお許しを。」
「気にするにゃ〜」
ニャエルは再び鞍の上で寝転がり、尻尾を左右に揺らす。クロはため息混じりに「プァッ」と鳴く。
「いつもより派手だったね」
ティアは肩をすくめ、こそっと囁く。
「さすがティアさま、気が付かれましたね。信者を増やす術です」
アマネは少し得意げに、冗談めかして言う。
ふたりはくすくすと笑い合う。
エルフたちがまだ畏れと敬意の混じる視線を向ける中、リリアナが先頭に立ち、三頭の騎鳥を導いて森の奥へ進んでいく。
◇
やがて森は広がり、鬱蒼とした木立が切れ、柔らかな朝の光が地面に滲み始めた。
苔むした大きな木々のあいだから、川のせせらぎが静かに響く。
木の枝に作られた階段や窓、扉が、葉の隙間から顔をのぞかせている。
小鳥のさえずりや蝶の舞い、柔らかな木漏れ日が揺れる。
騎鳥たちは緑の絨毯の上を踏みしめ、息を吐くたびに湿った苔の香りが漂う。
ティアたちはちょうど里全体を見下ろす丘に出た。
「ここがエルフの里……」
その美しさに、ティアはしばし言葉を失う。
後ろから、先程のケルサスが息を切らして追いついてくる。
「リリアナ!」
一度、アマネに深く頭を下げる。
その動作は、先ほどまでの警戒とは打って変わって、明確な敬意を宿していた。
「まずは長に挨拶を……」
「ダメよ。まずは、あたしの家で休んでもらうわ。話はそれから」
ケルサスは諦めたように顔をしかめ、そのまま里の奥へ走り去った。
リリアナは再びみんなを振り返る。
「ごめんね、騒がしくて……もうすぐ着くから」
クロの上でニャエルは両手足をだらりと伸ばし、目を閉じて寝息を立てている。歩くたびに耳と尻尾が揺れ、時おりヨダレが鞍に滴りそうになっている。
クロは文句を言うように「プァッ」と鳴きながらも、丁寧に歩を進める。
ティアもアマネも思わず吹き出し、その笑い声は朝の森に溶けていく。
鳥がそれに呼応するようにさえずり、光は枝葉の間で優しく揺れた。
朝の光が、緑の里にゆっくりと降りていった。




