47話 月下、祈りは炎に変わる
月明かりが朧に滲む遺跡の丘。
大樹の根元には、黒い霧がじわじわと集まりはじめ、夜の空気はひときわ鋭く冷たくなっていく。
「なんか寒くない?」
ティアが肩を抱き、身を縮める。冷たい夜気が肌を這い、闇があたりをじわじわと満たしていく。
「一回、クロたちのとこに戻る?」
ニャエルがティアの傍に寄り添い、背中をやさしくさする。彼女のぬくもりが、心の奥にかすかに火を灯すようだった。
そのとき、リリアナが慌てたように言葉を紡いだ。
「ま、待って……あたしたちの里に来てもらえない?」
リリアナの声には切迫と希望が交じる。月の光がその瞳を青白く映す。
「アマネさんは聖なる光を使えるのよね、あたしの家に侵蝕されて困っている子がいるの……」
「扱えますが……わたくしは治癒は不得意で……」
アマネは一度だけニャエルに視線を流し、すぐに落ち着いた声で続ける。
「なんとかなるかも、知れません。おふたりはどうですか?」
「いこう!」
ティアが弾む声で答える。皆の視線がニャエルに集まる。
ニャエルは指先で頬をかきながら、わずかに照れたように言った。
「ボクに意見はないよ……ティアについて行く」
その言葉に、ティアは顔をぱぁっと輝かせて腕に絡みつく。夜気に触れたティアの手が、ニャエルの腕にひやりと絡みつき、
「にゃ!?ティア、手冷たい……!」
「ご、ごめん……」
それでもティアは、つないだ温もりに頬をほころばせ、腕を離さなかった。夜の静けさに二人の温もりが溶けていく。
リリアナはじとっとした視線で二人を見る。アマネはその光景に微笑みながら、ふと我に返り胸に手を当てる。
「……依代が熱い……」
リリアナは首を傾げる。
「リリアナさま、浄化矢はまだ残っていますか?」
「ううん、さっきので最後。普通の矢ならあるけど……」
アマネの顔が緊張で引き締まる。
「みなさん、私の傍に、声を落としてください」
三人が静かに集まる。闇が寄り添い、月明かりが彼女たちの髪を青く照らす。
「どうかしたの?」
「わたくしの後ろ──大樹の傍に”何か”がいるようです」
アマネの言葉に、誰も返事をしない。
ただ、風だけが梢を鳴らし、月光が草の上に細い影を編んでいた。
ティアの瞳が、抗えぬように大樹の方へと引き寄せられる。その根元、黒い霧が渦巻き、まるで人の形を象っていく。
ぼんやりと緑色の衣服――汚れ、擦り切れた布――が月明かりに浮かび、恐怖と哀しみを滲ませる。
息を呑むティア。血の気が引いていくのが分かった。
「なるべく、大樹の方を見ないでください。恐らくレイスです。」
ニャエルがすぐにティアの肩を抱き寄せる。
「ティア……大丈夫。」
その体温に、ティアは僅かながら心を保つ。
(違う……あれは“シル”じゃない……)
あの風の妖精――シルの笑みが、遠く霞んで浮かぶ。
アマネが静かに、しかし深い覚悟を湛えて息を吐く。
「みなさんはここに居てください、わたくしだけでいきます」
「大丈夫?」
ニャエルが不安げに尋ねる。
アマネは微笑み、でもその手はわずかに震えていた。
夜の冷たい空気が、アマネの背を押す。
彼女はひとつ大きく息を吐き、きびすを返した。
アマネは胸元に依代を抱き、仲間たちを背に立つ。
守るべきものの重さが、両の腕に力を宿すようだった。
歩きながら、メイスを高く掲げ、黄の光を纏わせる。
光の余燼が、夜の草に淡く残る。闇と光がせめぎあうように、アマネはゆっくり大樹へ近づいていく。
「火よ、我が祈りと共に降り立て。いま、悪しきものを浄めよ」
地面に突き立てられたメイスに、黄の炎が迸る。
その光に、黒い霧の中からレイスが実体を現す。
骸骨じみた異様な四肢が、霧の中に浮かぶ。ボロボロの布の隙間から覗く頭蓋が、月明かりに鈍く光っていた。体から生えた巨大な口が、幾重にも並ぶ歯をむき出しにし、深い闇を吸い込むように開かれる。
レイスの絶叫が夜を震わせた。
その声は怒りと悲しみとが幾重にも絡み合い、闇と風を揺らす。
レイスが両腕を振り上げる。
影が地を這い、アマネに襲いかかる。アマネはメイスを横に構え、両腕を受け止める。霧の腕は黄の光に触れ、弾け飛ぶように霧散した。
アマネの横なぎが、近づいたレイスの頭蓋を撃ち砕く。黄の炎が夜を裂き、レイスは後ずさる。
体の大きな口が、無音で開き、アマネに向けて突進する。
「炎よ!」
叫びとともに、メイスが夜空を裂き、レイスに向けて振り下ろされる。
火柱が天に昇り、黒き霧を貫いてはらんだ夜を灼き払う。
月明かりの中、レイスの緑の布が燃え上がり、焼け焦げた破片が静かに地に落ちる。
戦いの余韻のなか、アマネは両膝をつく。
「アマネ!」
駆け寄るティア。アマネは顔を上げ、かすかに笑顔を見せる。
「上手くいきました……」
ニャエルも近寄り、ぽつりと呟く。
「“導師見習い”には見えないにゃ」
アマネは息を吐き、静かに笑う。
「学び続ける意味では、見習いは嘘ではありませんよ」
「物は言いようだにゃ」
ニャエルも小さく笑い、ただ黙って、リリアナはアマネを見ていた。
雲が裂け、透きとおる宵の深みに、小さな星々がそっと降りてきた。




