46話 静寂に光を引く者たち
灰色の雲が垂れ込め、森の境には夜の帳が早くも忍び寄っていた。
エルフの里へと続く細い道――両脇にはまだ緑が残るが、道の先はじわじわと黒い土に侵蝕されている。境界の草は色を失い、風もなく冷えた空気だけが肌を撫でていく。
道の先、見晴らしの良い小高い丘の上で、ひとりのエルフの男が肩を落とし、ゆっくりと溜息をついていた。彼の顎には立派な白髭が生え、手には松明。その火は、黄昏の空気に滲むように揺れている。
男の足元には、ひとつの魔石――光を失い、砕け、灰のように崩れていく石があった。
「またひとつ、壊れたか……」
老いた声が、森の静けさに溶けていく。
その背後から、足音と枝を跳ねる音。
「じいさま、どう?」
少女の声。男が振り向くと、金髪を後ろでひとまとめに結い、背には矢筒と弓。切れ長の翠の瞳、しなやかな肢体、尖った耳――この里で最も若いエルフのひとり、リリアナだった。
彼女は腰に手を当て、息を吐きながら近づいてくる。
「リリアナか。またその様に弓を担いで……次はグールに引っかかれるだけではすまんぞ」
男は諭すように眉をひそめる。松明の火に、髭と頬の皺が浮かび上がる。
リリアナは大きくため息をつき、肩をすくめて見せる。
「誰かが外に慣れないといけないじゃない。……はい、代わりの魔石」
そう言い、腰の小袋から黄の光を淡く灯す魔石を取り出し、男の手のひらに乗せた。
男はその光をしばし見つめ、黙って受け取る。
「……浄化の魔石はあと何個あった?」
問いと同時に、男は魔石を黒い土との境に埋める。掘った穴に石を入れ、そっと土を戻し、松明の火で照らすと、魔石の黄の光がじわじわと黒い土を押し戻すように広がった。
一瞬、境界の草が緑を取り戻しかけるが、すぐにまた黒い靄が上から覆い、色を奪っていく。
リリアナは男の問いに答えず、空を見上げる。
「明日、長に話す。……このまま見てるだけじゃ、里ごと飲まれるだけよ」
男は、手に残った土の感触を確かめながら、低く呟いた。
「……それが運命なら従うのが我らの使命……」
リリアナはそこで、男の言葉を遮るように前へ一歩出る。
「待って、森の奥に灯りがある。……何かしら?」
リリアナは目を細め、夜気に染まる遠くの闇を見据えた。
男も松明を高く掲げて、リリアナの視線を追う。
「また帝国の奴らじゃないか?駐屯所の有り様を見てきただろう」
リリアナはさらに目を凝らし、矢筒に指をかける。
「……違う。あれは、ただの火じゃない……色が……」
そのとき、森の奥――大樹のほうから、獣とも人ともつかぬ化け物の咆哮が木霊した。
「なんだ!?」
「大樹の方から? 誰かが襲われてる……助けないと!」
リリアナは弦に指をかけ、弾かれたように駆け出す。
「待て!夜の森は危険すぎる!戻れリリアナ!」
男の声は夜風に流されていった。
リリアナは風のように、夜の森を駆け抜けていく。
矢筒が小さく揺れ、草を踏みしめる音が、黒き土の上にかすかな生命の鼓動となって響いた。
◇
「じゃ、ゾンビは任せるにゃ」
夜の遺跡に、無数のゾンビがうごめいている。腐肉と湿った土の臭気が重く漂い、黒い大樹の影が揺れる中、ニャエルは身をかがめて一際高い崩れた壁をひらりと駆け上がった。
「ちょ、ちょっとニャエル……」
ティアの声が震える。ゾンビたちが迫り、枯れた手が闇の中から伸びる。
「大丈夫、大丈夫。ゾンビなんてノロマなカボチャだにゃ」
壁の上で尻尾を揺らすニャエルの声に、アマネがすぐそばのゾンビを横から殴りつける。メイスの一撃に黄色い光が瞬き、骨と腐肉が砕ける音が夜に響いた。
倒れてもなお、這い寄ろうとするゾンビ。その頭に追い打ちをかけてメイスが突き刺さる。
「頭を潰せば動かなくなります、さぁ畑仕事の時間ですよ」
淡々と語るアマネの声が、どこか冗談めいて遺跡に反響する。
「は、畑仕事……」
ティアはゆっくりと迫るゾンビを見つめる。冷たい柄を握り、呼吸を整えて一歩踏み出す。
(触れて、馴染ませる……)
剣を振る。ゾンビの頭に届く前に空間が歪み、肉と骨が無音で消し飛ぶ。倒れた体は土の上で痙攣し、やがて静かに動かなくなる。
「ひゃぁー……ティアえげつない、頭が吹き飛んだよ」
壁の上からニャエルが怖がるように声を漏らす。だが、ティアは剣を構え直し、二体目、三体目と次々に頭を飛ばしていく。
「これくらいなら……なんとか!」
ゾンビたちは遅く、重く、だが数だけは多い。アマネのメイスが閃光を放ち、ティアの剣が音もなく死の輪を描く。
ニャエルは壁の上から一連の動きを見下ろし、鋭い耳を夜の気配に向けた。
「さて、ボクはグールを警戒しないとにゃ」
その瞬間、猫耳がぴくりと動く。離れた場所で、乾いた何かが軋む音。
「弓……?ふたりとも矢が来るにゃ!」
空気を切り裂き、一本の矢がゾンビの頭に突き刺さる。音もなく倒れる屍。
続けざまに、もう一本。別のゾンビも仕留められる。
アマネが矢を抜き、鏃の冷たさを確かめる。
「ニャエルさま、エルフの矢です!」
「エルフ……?なんでこんな所にいるにゃ」
ティアは二体のゾンビを消し飛ばしながら、叫ぶ。
「駐屯所にも、その矢があったよ!近くに里があるのかも」
ニャエルが頬をかき、壁の上に立ち上がる。夜風が髪を揺らし、月の光が影を細長く伸ばす。
「下手に矢を放たれても、危ないにゃ……」
ニャエルは壁の上から大声を張り上げた。
「そこのエルフ!ゾンビは任せて!グールを狙って!」
声は夜の森を伝い、遠くの枯れ木の上に身を潜めていたリリアナの耳に届いた。
「ッ……難しい事を言ってくれるわね……」
リリアナは矢をつがえたまま、大きく深呼吸をする。
「でも、たしかに矢の無駄になっちゃうか……」
手のひらに汗がにじむ。逸る気持ちを静めて、リリアナは弓を少し下げる。森の夜に気配が溶けていく。
◇
「伝わったかにゃ?」
ニャエルが大声を上げてから、矢は一本も飛んでこなかった。
壁の上に立つそのシルエットが、月明かりに黒く浮かび上がる。
視線をふたりに戻せば、ティアとアマネの息づかい、汗に濡れた額が闇に光る。
ゾンビの数は確実に減っていく。
「アマネさんはともかく、ティアも慣れてきたにゃ。グールは必ずその油断を狙ってくる……それか……」
突然、壁の向こうから赤い目が閃く。グールが音もなく跳びかかる。
ニャエルは素早く振り返り、ガントレットで殴り上げる。肉の軋みと骨が砕ける音。
そのまま跳躍し、宙に浮いたグールを地面へ叩きつける。衝撃で土が舞い、グールは跳ね返った後、動かなくなった。
壁の上に着地して、息を整えながらひとりごちる。
「大声を出した、ボクを狙ってくる。」
幾体かのグールが、壁をよじ登ろうと赤い目でニャエルを睨む。
「……なんでボクを狙うかにゃ?」
一瞬、夜風が吹き抜ける。
ニャエルはふたりの様子を見る。アマネはゾンビを叩くたび、黄の光を振りまく。ティアは剣の一閃で空間を歪ませ、次々と死体を無音で消し飛ばす。
「にゃるほど……」
また一体、グールがニャエルめがけて跳躍する。
牙を剥いた顔に、ガントレットの拳がめり込み、壁に激突して動かなくなる。
「ボクが一番、襲いやすそうに見えるのかニャ」
月が雲に隠れていく。
大きな猫の目が、金色に夜闇を切り裂く。
「……じゃあ、ネコらしく演じてみようかにゃ」
次の瞬間、ニャエルはあっけなく壁から落ちた――ように見えた。
グールたちが一斉に襲いかかる。
だが、地面にぶつかる直前、ニャエルは身をひねり、しなやかに着地。
続けざまに襲い来るグールを、ガントレットで、次々に地面へ叩きつけていく。
九体目を地に沈めた時、夜風と共に静寂が訪れた。
ニャエルは息を整え、再び遺跡の壁を駆け登る。
ふと見下ろせば、ティアが額の汗を拭っている。アマネはメイスを地面に立て、遠くの闇を警戒している。
「終わったかにゃ?」
ティアがニャエルに気付く。
「ニャエル、さっきのグーラって倒した?」
「いやぁ……まだ見てないにゃー」
アマネは再びメイスを構え、大きく息を吐いた。
「グーラがここから逃げる事は無いはずです……まだどこかに潜んでいるでしょうね。」
ニャエルは壁から軽やかに飛び降り、ふたりのもとへ歩み寄る。
「エルフさんは見てない?」
壁の裏から、リリアナがそっと顔を出す。
「……なんでバレてるのよ」
リリアナは警戒しつつも、三人の傍へ歩み寄る。ティアが特徴的な長い耳に目をとめ、目を輝かせた。
「わぁぁ……エルフさんだ、初めてみた!」
「君の足音はしずか……」
ニャエルの言葉がティアに遮られる。
「ねえ、お名前教えて!私はティア!」
「……リリアナ。それで、そのグーラならさっき大樹の裏に居たからやっといたよ、髪の長いヤツでしょ?」
アマネが一歩前に出て、リリアナに向き直る。
「リリアナさま、グーラの頭は潰しましたか?」
リリアナは一歩後ずさり、眉をひそめる。
「つ、潰す……ってあなた……。頭に浄化矢が刺さったなら、もう動かないでしょ?」
「はい。それなら問題ないでしょう………。申し遅れました、わたくしはユツキ・アマネです。以後お見知り置きを……」
アマネは深く頭を下げる。
「ニャエルだよ」
気軽に手を挙げて名乗るニャエル。
再び雲が晴れ、月明かりが静かに遺跡と四人の肩に降り注いだ。
夜の戦いは、ひとまず終わりを告げた。だが、森の底に潜むものの気配は、まだ消えてはいなかった──




