45話 夜に浮かぶ死者たち
森の奥はなおも雲が垂れ込め、陽が昇ったはずの空はいつまでも薄暗かった。
駐屯所を後にした三人と三頭の騎鳥は、黒く枯れ果てた木々が幾重にも並ぶ、朽ちた大地をひたすら進む。
土は重く湿り、森の冷気が足元からじわじわと滲んでくる。
歩くたびに衣擦れと、騎鳥たちの爪の音だけが響き、森の奥は不気味なまでに静まり返っていた。
「ラグナ」
ティアが小さな赤い果実を片手に呼びかけると、緋茶色の騎鳥がゆっくりと首を伸ばし、器用にくちばしで受け取る。
シャクシャクと果実を噛み砕く音が、静寂の中に鮮やかに響く。食べ終えたラグナが満足げに「クルル」と喉を鳴らした。
先頭を歩く騎鳥クロは、ニャエルを背に乗せ、迷いなく朽木の間を進む。その姿は森の異変をものともしないようで、他の騎鳥たちもそれに続く。
「どうして、クロは道がわかるの?」
ティアの問いに、アマネがゆっくりと微笑む。
「……騎鳥、特にクロやシロのようなリュビナス種は、地面から出ている魔力を感じることができます。ニャエルさまより鼻が効く、という感じですね」
アマネは穏やかに、騎鳥シロの首を優しく撫でる。
「大昔は、今より遥かに多く不浄の地があって、その根源に導いてくれる事から“聖なる大鳥”と呼ばれていたようです」
「クロたちにとっては、これが本能だにゃ」
それに応えるように「プァッ」とクロが鳴く。
アマネは騎鳥たちの歩みを見つめながら、そっと胸元に手を当てて目を閉じる。
「……この子達の先祖は、浄化された地が緑豊かになっていく様を、どんな風に見ていたのでしょう……。きっと大きな喜びがそこにあって、それが今も、受け継がれているのだと思います」
「素敵な話だね……先祖かぁ……」
ティアがぽつりと呟いた。
ニャエルはどこか遠い目で森の彼方を見つめ、ティアは少し顔を伏せる。
アマネは胸に手を当てて目を閉じた。
しばしの空白。
ただ、三頭の騎鳥が地を踏みしめる音だけが、絶え間なく響いていた。
◇
「大きな枯れ木が見えてきたにゃ」
しばらく進むと、厚い雲の切れ間から、不気味なほど赤みがかった光が落ちてきた。
ニャエルが前方を指差す。小高い丘の上に、枯れて半分朽ちかけた大樹が、その骸を天に突き立てていた。
「はい。私の依代が温かくなってきたのを感じます。恐らくあれが根源でしょう」
アマネは表情を引き締める。
「アマネさんの依代も鼻が効くにゃ」
ニャエルは冗談めかしてガントレットを締め直す。その声に、緊張が溶けた一瞬の柔らかさが混じる。
アマネはくすりと笑い、辺りを見回す。
「この辺りに、騎鳥たちの待機場所を作りましょう。グールなら問題ありませんが……レイスが出ると、この子達には危険です」
「うん、そうしよう。ラグナたちを危険に晒す訳にはいかないね」
三人は騎鳥から降り、岩陰に三頭を集めて休ませた。ラグナは土を掘るように足踏みし、シロは不安げに首を振る。クロは静かにだだ大樹を見据えていた。
「ニャエルさま、あの木の枝を取ってきてもらえませんか?」
アマネが指をさして頼むと、ニャエルは即座に枯れ木を駆け登り、一際太い枝の付け根を叩き、へし折る。その手際の良さに、どこか獣じみた美しさがあった。
「ありがとうございます。この手の術は得意じゃないですが……」
アマネは太い枝を受け取り、メイスの柄で器用にはつる。水を枝に振りかけると、黄の光が枝に広がり、黒ずんだ表面がじわじわと本来の木の色へ戻っていく。
「そして、これを地面に刺して……」
アマネはまるで誰かに教えるように、丁寧な手つきで枝を地面に押し込む。両手を枝に添え、深く祈るように目を閉じた。
「火よ、我が祈りと共に在れ。この大地を、我が友を、穢れから遠ざけたまえ……」
その声に呼応するように、枝の先端が淡い黄色の炎を帯び、じわりと広がった光が、黒い土を次々と清めていく。
土の色が柔らかく変わり、ほのかに草の匂いが混じる。
「わぁぁ……アマネ、すごい!」
ティアの感嘆が小さく森に響いた。
「……ふう。上手く行きましたね」
「火と聖属性の合成魔法?こんな魔法知らないにゃ……アマネさん何者なの?」
ニャエルは目を丸くしてアマネを見る。
アマネはぎくりと肩をすくめた。
「こ、幸運と無知のなせる技です……」
どこかで聞いたような言い回しに、思わずニャエルがくすっと笑う。
◇
雲の向こうで陽が沈み、辺りはさらに暗くなっていく。
「遺跡……みたいだね」
三人は歩みを揃えて、大樹の方へ向かった。
麓には、崩れかけた石造りの建物が点在している。壁の大半は失われ、苔と泥が石の隙間を埋めていた。
「昔は街があったのでしょうか……」
アマネはメイスを手に取り、ティアに目配せする。
「ティアさま、剣を……グールが飛び出してきても、おかしくありません」
ティアは剣を抜き、冷たい柄を握りしめて大きく息を吐いた。
「さて、どの家にしようかにゃ」
妙に明るい声を出すニャエルに、ティアが小さく微笑む。
「ここに住むの?」
「……住まないにゃ……」
三人は月明かりが差し始めた大樹の下にたどり着く。
雲の切れ間から銀色の月が覗き、大樹の影が地面に黒く伸びていく。
「大きい……なんの木だろ?」
ティアが見上げ、圧倒されたように口を開く。三人が手を繋いでも到底抱えきれないほどの巨木。
「少し大きすぎますね……わたくしだけでは……」
アマネがそう言いかけたその時、ティアが息を呑んだ。
「あ、人がいる」
大樹の根元に、月明かりに照らされた人影があった。
ティアは迷わず駆け寄る。
「こんな所に人が……?」
アマネは思わずつぶやいた。
人影は髪が長く、ボロをまとい、手足が異様に細い。月の光のせいか、肌は青白く、生命の気配が感じられない。
「ねえ、君。ここは危険だよ、何をしてるの?」
ティアが声をかけた、その瞬間だった。
闇の中で、猫の耳がぴくりと震え──
「ティア!離れて!」
ティアが驚いて振り返る。
「そいつは人じゃない!グーラだ!」
グーラは首だけで振り返り、こちらを見据える。闇の中で、淡く赤く光る目が浮かび上がった。
次の瞬間、グーラは顔を歪め、口を大きく裂き、絶叫した。
「ッ……なんて声……」
至近距離の轟音に、ティアは反射的に耳を塞ぐ。
グーラの咆哮は夜の森に響き渡り、静寂を切り裂いていった。そのままグーラは獣のように駆け去る。
つかの間の静寂。
それを破ったのはアマネだった。
メイスを掲げ、淡い光を纏わせて静かに言う。
「……来ます」
遺跡の奥から呻き声が響き、土の下がごそごそと音を立てていた。
やがて、泥の中からひとつ、またひとつと、白く濁った手が現れる。
その後ろから、肉の裂けた顔が、目のない眼窩が、次々と這い出してきた。
ボロボロの服、爛れた肉、骨が剥き出しの者、錆びた鎧を着た者――生気のない目が夜に浮かび上がる。
森の空気がいっそう冷たくなった。
三人は無数のゾンビに、じわじわと包囲されていく。
「これが、ゾンビ……」
ティアは手のひらの汗を感じながら、剣を握り直した。
闇の底から沸き上がる死者の気配の中で、三人は、静かに息を呑んだ。




