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41話 境に立つ者たち



靴底が石畳を踏むたび、湿り気を含んだ朝の空気が足元を這っていく。


東門に向かうこの道を、ガイルは毎朝、寸分たがわぬ歩調で進んでいる。夜と朝のあわいに、まだ鳥の声も眠る静寂の時間帯──街が息をひそめるなか、彼だけが軍靴の音を刻んでいた。


眠る街の気配を背に受けて、彼の歩調は一定だった。無駄も力みもない、兵士として鍛え上げた身の動き。だがその右膝には、いまだにかすかな違和感が残っている。


──あれから、まだ半年しか経っていない。


南の沿岸。哨戒任務中、霧の中から現れた海賊船。矢は船縁の隙間から飛んできて、声を上げる暇もなかった。骨までは砕かれなかったが、今も深く沈むような疼きが残っている。医者には「運が良かった」と言われた。だが、それは戦場に戻れぬ身体になったという意味でもあった。


ロスティアに戻って、衛兵隊に志願した。兵舎ではなく、門を選んだのは──弟が帰ってこなかったからだ。


あの日も、こうして朝の風が吹いていた。


弟は討伐隊の末席に志願し、東の森へ向かった。魔物討伐、初級任務。経験者に囲まれていたはずだった。だが、帰ってきたのは騎鳥の背に乗った隊長のひとりだけだった。


ガイルは隊長に詰め寄った。


「森にグールが出た」


魔物が見つからず奥地へ進んだ先で、黒い土の領域。

野営している所を襲われた、と。


隊長はそれ以上、何も語ろうとしなかった。

まるで、それが当然のことのように。


遺体も、名前も、武具さえも、何ひとつ戻らなかった。

上層部は森への出入りを禁止したきり、何も音沙汰はない。


東を向く。毎朝、同じ時刻、同じ手順で防備の確認を繰り返す。


石造りの門塔を見上げ、鉄柵の横木に手をかける。

東の森は遠く、朝靄にかすんでいた。


「……今日も、霧が濃いな」


誰にともなく呟いた声が、空気に吸い込まれていく。肩に背負った短槍がかすかに揺れた。


門の内と外──その境に立ち、彼は今日もまた、ただ目を凝らしていた。





明け方、薄明かりの中で静かに目を覚ます。


頬に柔らかな感触。アマネはぼんやりと、胸元に重なる温もりの正体を探る。白く大きな狐耳が、無意識にふるえていた。


小さな寝息が、胸のすぐ下で微かに伝わる。顔を覗き込めば、そこにはニャエルの黒髪。彼女は寝返りの拍子に、いつの間にかアマネの胸元に顔を埋めてしまっている。


そのすぐ隣には、ティア。膝を軽く曲げ、穏やかな寝息をたてている。


こんな風に、誰かと同じ布団の下で朝を迎えることなど、今まで一度もなかった。

心臓が、ことさらにゆっくりと鼓動している。これはきっと幸せというものなのだろう。ふたりの体温が、自分の内側に広がっていくのを感じる。


(……願わくば、こんな朝が、また何度でも──)


そんな想いが胸に浮かび、アマネはそっと目を閉じた。

名残惜しく目を閉じれば、もう一度、ささやかな夢へと戻っていった。





陽が昇りきる前の澄んだ空気のなか、三人は早くも旅の支度を終えていた。昨日の厩舎へ向かう道すがら、露に濡れた石畳がしっとりと足元を包む。


「朝の空気って、少し冷たいけど……なんだか気持ちいいですね」


ティアの呟きに、ニャエルが伸びをしながら応える。


「うん、しゃっきりする感じ。がんばるぞって気になるね」


厩舎の扉の前には、既に受付のセラが待っていた。


「皆さん、おはようございます。準備できてますよ」


セラの柔らかな声が朝の静けさを優しく揺らす。


厩舎の中には、すっかり旅装を整えた騎鳥ラグナ、クロ、シロの三頭。


ティアがラグナに顔を近づけて挨拶する。


「ラグナ、おはよう。今日からよろしくね」


ラグナは低く「クルル」と喉を鳴らして応える。


その横でクロが高らかに「プァーッ!」と声をあげ、シロは静かに首を傾げてアマネを見つめる。


アマネが小さく頷くと、シロも一歩前に出て、鼻先をそっと彼女の手に寄せてきた。


「……よろしく。お互い怪我のないように、ね」


調教師のクレアも現れ、三人の身支度を最終確認しながら小さなアドバイスをくれた。


「持ち手は絶対に離さないように、ですよ。それと、道中は木の上に注意して。狼の魔物が隠れてることもあるので」


その言葉に思わず、ティアとニャエルは顔を見合せて苦笑いを浮かべた。


それぞれが騎鳥の背に乗り、鞍の感触を確かめる。セラとクレアが手を振り、見送ってくれた。


「いってきます」


ティアの声に合わせ、三頭の騎鳥がゆっくりと歩き出す。


朝霧の残る石畳を蹄の音が奏でていく。北から差す光に、街が少しずつ色づいていった。





街を東に進みながら、ティアが先頭で手を振る。道端からは、パン屋や野菜売り、果実屋の主人など、行き交う人々の声が飛んでくる。


「気をつけてなー!」

「ティアちゃん、いってらっしゃーい!」


ティアは明るく手を振り返す。果実屋の主人が赤い果実を空高く投げると、クロが素早い動きでそれをくわえ取り、豪快に噛み砕いた。シャックシャクと二回噛んで、ごくんと喉を鳴らして飲み込む。


「こら、クロ」


ニャエルが苦笑混じりに抗議し、ティアとアマネはそれを見て思わず笑い合う。


「……何だか、旅って感じがしますね」


アマネの呟きに、ティアが笑顔を浮かべて小さく頷いた。


そんなやり取りのなかに、日常と冒険の狭間の時間が柔らかく流れていた。





やがて東門にたどり着く。


城壁の傍らには、門番のガイルが待っていた。筋肉質な体躯と鋭い目つき──その奥に、不安げな影が一瞬揺れる。


「まさか、森の奥へ行くのか?」


アマネが丁寧に答える。


「グールの目撃情報が入りましたので、調査に向かいます」


ガイルは一歩前へ進み、静かな声でお願いをする。


「俺の弟、ライルが半年前に森へ行ったきり戻らない。……何か見つけたら、持って帰ってくれないか?」


ティアはわずかに目を伏せ、次に静かに顔を上げた。

そして、ガイルをまっすぐ見据える。


「はい、分かりました」


その瞳には、言葉以上のものがこもっていた。


しばし沈黙の後、ガイルは小さく「すまない」とだけ言い、視線を逸らす。

門の前に立つニャエルは、ふと後ろを振り返る。その視線の先で、ガイルが静かに頭を下げている。


朝陽が靄を割くように差し込み、森の輪郭がゆるやかに現れはじめる。

三人と三頭は、その光のなかへと、迷いなく歩みを進めていった。


旅のはじまりの光と、誰かの願い。その両方を胸に抱きながら──



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