表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/65

40話 重なる耳、ぎこちない夜




「ふぅ……いい湯ですね……まさか、これほど広いとは」


アマネは湯殿の隅に静かに身を沈めていた。


白銀の狐耳は湯けむりに濡れ、仄かに揺れながら蒸気の向こうに浮かんでいる。夜の静寂の中、水音だけが微かに反響し、肩まで湯に浸かったアマネの肌に、柔らかな温もりがじんわりと染み込んでいた。


天井の梁には微かに木の香が残り、石畳に流れる湯は、指先から背筋へ、穏やかにほどけるような感覚をもたらす。


「今日は、本当に濃い一日でした……」


小さく零れた独り言が、湯面に波紋を描き、静かに消えていく。


未知の土地。再会したシンディ。そして、ふたりの少女。

それぞれに宿る気配が、今も胸の奥で静かに脈を打っていた。


──ティアのまっすぐな視線。ニャエルの、あの黄金の瞳と笑顔。


ふと唇に指を当て、「この広さなら、三人でも……」と呟きかけ、すぐにかぶりを振る。

湯の縁に腰かけて夜空を仰げば、澄んだ星の瞬きが窓の向こうに広がっていた。


「精霊に愛された、白き刃の持ち主。そして──聖属性の光を宿す者。……しっかりしなければ」


言葉を置いた唇の裏で、浮かぶのはニャエルの指先の長さ、湯に濡れた腹筋の輪郭。

想いを払おうと湯から立ち上がり、息をついて縁に腰かける。


「……のぼせてしまいそうです……」


そう言いながらも、立ち上がることはなかった。

湯けむりの向こう、遠くからくすりと笑う声が聞こえた気がした。

名残惜しさを胸に、アマネはやがて湯殿を後にする。


浴衣の裾を整え、静かな足音を響かせながら。



廊下に出ると、ひんやりとした空気が肌を撫でた。


扉をそっと開け、「戻りましたー」と声をかける。

だが、返事はない。扉を閉じる音に続いて、木の軋むような微かな音。


──ベッドが断続的に揺れている。押し殺すような、くぐもった声。

「んんっ」


ティアの……甘い吐息。


(……出直そうか)


理性が身を翻しかけるも、好奇心がわずかに勝った。

狩人のように、音も立てず足を運ぶ。あと一歩で、視線が届く位置──


「いたいいたいっ!そこはダメッ」


その声の調子に、アマネはぎょっとして──思わず足を踏み出した。


──ベッドには、うつ伏せのティア。その背に馬乗りになっているニャエル。


「ごめんごめん、マッサージなんて初めてだから……」

「んん〜、もうちょっと上」


アマネは思わず肩を落とした。張り詰めていたものが、ほどけるように抜けていく。



「そうそう、そこそこ♪」


ニャエルが体重をかけ、ティアの背中に指を滑らせる。

ベッドがギシギシと軋みながら、柔らかな間を作っていた。


「戻りましたー」


涼やかな声を投げかけながら、アマネはふたりのそばへ歩み寄る。


「あ、おかえり〜」

「おかえり」


ティアはマッサージされながら片手を上げて迎えた。


「……何をされているのですか?」


「ああ……ニャエルに背中をほぐしてもらってるの。んんっ」


息混じりの声に、アマネはわずかに視線を逸らす。それでもその光景は、なぜか心を緩める温もりを帯びていた。


「……いいですね。」


そっけなく口にしたものの、胸の奥には微かな安らぎが満ちていく。

アマネは魔石棚から水瓶を取り出し、静かにカップへ水を注いだ。


透明な水面が光を弾き、冷たさが火照りを鎮めていく。


「ボクも一杯もらっていい?」


間近に響いた声。


「ひゃっ」


振り返れば、すぐ傍らに立つニャエル。

金の瞳が、まっすぐこちらを覗いていた。


「なんか、びっくりさせちゃったね。ごめん」

「い、いえ……大丈夫です。」


差し出されたカップに、静かに水を注ぐ。


「アマネさん。足音、静かだね」

「……ニャエルさま、ほどでは無いです」


ニャエルが水を飲み干す。

その様子を見つめながら、アマネの中で微かなざわめきが灯っていた。


(ただの負けず嫌い……?それとも……)



「さ、そろそろ寝ましょうか」

「はい!」


アマネの声に、ティアが明るく返事をする。


ニャエルは灯りを落とし、カーテンを静かに閉じる。

月の光が部屋をやわらかく照らしていた。


「今日はニャエルが真ん中ね!」

「うん、いいよ」


ベッドの中央に腰掛けるニャエル。

その姿を見つめて、ティアの目が細められ、頬がふんわりと緩む。


「アマネ、ニャエルの耳、触ってみて」


そっと伸ばした指先が、黒い耳に触れる。


「あ、あったかい……」


確かに、熱を帯びていた。


「でしょ、ニャエルはもう眠くて仕方ないんだよ。というか殆ど寝てる」


囁かれる言葉の通り、ニャエルは座ったまま目を閉じ、微かな寝息を立てていた。


ティアは慣れた手つきで肩を抱き、そのままそっと横になる。


「アマネも寝よ?」

「……はい」


アマネも布団に身を滑らせる。

すぐにティアの腕が伸びてきて、そっと引き寄せられた。


「もっと寄って」


ニャエルを真ん中に、ふたりの温もりがやさしく包む。


ティアは黒い髪を撫で、柔らかくさざめく音を立てる。


丸くなったニャエルが、ゴロゴロと喉を鳴らしていた。

その仕草があまりに愛おしくて、アマネもそっと手を伸ばし、撫でる。


「ニャエルはね、寝ぼけてると──ちょっとおかしなこと言ったりするんだ。……だから、気にしないであげてね」


「……はい、分かりました。」


──部屋に戻ってから、ずっとそうだったのかもしれない。


アマネはそう思いながら、満ちていく静寂に身を委ねていた。


星明かりが、ゆるやかに部屋の中へと満ちていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ