38話 君と風と、鳥の背に、茜色の空
「わぁぁ……大きな鳥がいっぱいいる!」
ギルドでの手続きを終えた三人は、セラの先導に従いながら、静かに陽射しを浴びる騎鳥厩舎へと足を運んでいた。
高く組まれた木柵に囲まれた広場の中では、大小さまざまな体格と羽色を持つリュナビス種の騎鳥たちが、活き活きと走り回っている。墨のように黒い羽を持つもの、赤茶色の体毛が日の光に透けて見えるもの、淡いまだら模様が散ったもの──その羽根はどれも陽を受けて微かに煌めき、風にそよいで羽ばたくたびにきらきらと反射していた。
時折、「プァーッ」「クルル」といった高く澄んだ鳴き声が空に響き渡る。
それらが空間に優しく反響するたび、広場には温かな音の膜が張られるようで、周囲は羽音、土の匂い、そして彼らの体温とで、やさしい熱気に満ちていた。
「では、私は厩舎長に話を通してきます」
セラがひとつ礼儀正しく身をかがめると、足音も控えめにその場を離れていった。ティアはその背に向かって元気よく手を振り、アマネも静かに丁寧なお辞儀を返す。
一方、ニャエルはその会話に目もくれず、すでに柵越しに広場を凝視していた。
猫のような鋭さと冷静さを宿したその双眸は、動く騎鳥たちの一挙一動をじっと観察している。まるで、熟練した狩人が獲物の癖を見極めているかのように。
「ニャエル、騎鳥好きなの?」
ティアが問いかける。にこやかな声がその場の空気を少し和らげる。
「うん。ちょっと美味しそうだよね。」
その一言が放たれた瞬間、ティアの顔が凍りつく。あまりに予想外の発言に、返す言葉も出ないようだった。
すると、それに呼応するように、広場の柵近くにいた数頭の騎鳥たちが、ふいに一斉に動きを止めた。小さく首をかしげて、まるでその言葉を理解したかのように、全員がじっとニャエルの姿を見つめていた。
「だ、ダメだよ。食べちゃ」
ティアが慌てて否定を投げかける。
「そうですよ、昔は“聖なる大鳥”といって信仰対象だったのですよ」
アマネが続けざまにやわらかくたしなめるように言う。
「じょ、冗談だよ〜」
ニャエルは猫耳を伏せて、肩をすくめるように小さく身を引いた。そのしぐさは反省というより、いたずらが見つかった子供のような気まずさを含んでいる。
そのときだった。広場の端にいた一際大きな騎鳥が、高らかに「プァーッ!」と声をあげた。音は力強く、どこか警告めいて響く。墨色の羽が強い陽光を受けて光を吸い込むように鈍く煌き、その堂々とした姿は圧倒的な存在感を放ちながら、真っ直ぐ三人のもとへと近づいてくる。
「……わたくし達の会話を聞いてるかも知れませんね。」
アマネが静かに、しかし確かな声でそう呟いた。
「え?言葉がわかるの?」
ティアが驚きの声をあげる。
「はい、騎鳥は人語を理解する知能があります。中でもリュナビス種は賢く、こちらの意図を理解してくれますよ」
その答えにティアは素直に感嘆の声をもらす。
「すごい……」
その間にも、騎鳥はドッドッドッと、地面を重々しく打ちながら足を進めてくる。
やがて、柵のすぐ前まで来ると、大きな頭部を柵の隙間からぐっと突き出してきた。墨色の羽に縁取られたその瞳は、磨かれた黒曜石のように澄みきっていて、人間よりも深く静かな何かを感じさせる知性の光を宿しているようだった。
「わわ……食べられちゃいそう……」
ティアが怯えたように肩をすぼめる。
「なんか生意気そうだなぁ」
ニャエルが挑発するように声をかけた。その瞬間、騎鳥は素早くニャエルの頭にくちばしをのばし、そのままくわえた。
「ニャ゛!?」
小さな悲鳴が漏れる。続けて、騎鳥はニャエルの頬を大きな舌で一撫ですると、何事もなかったかのように離した。
「──ッ!?」
ニャエルは呆然として声も出せず、その場に座り込む。しっぽの毛は逆立ち、空気を含んでふわふわに膨らんでいた。
「にゃ、ニャエル大丈夫?」
ティアが声を押し殺して笑いを堪えつつ、そっと手を伸ばしてニャエルの手を取る。
「ふふ、気に入られましたね。ニャエルさま」
アマネがどこか楽しげに目を細める。
騎鳥は満足げに「プァッ」と鳴き、そのまま踵を返して仲間の輪へと戻っていく。その後ろ姿は、どこか誇らしげで、堂々とした風格すら漂っていた。
ニャエルは勢いよく立ち上がり、拳を握って声をあげる。
「ボクはアイツを選ぶニャ!どっちが上か分からせるニャ!」
墨色の騎鳥は群れの中で仲間と並び、「クルルッ」と喉を鳴らし合っていた。
「ニャエル、顔が唾液でベトベトになってるよ……」
ティアが苦笑しながら、そっとハンカチを取り出して頬を拭ってやる。
「ありがとう……」
そのとき、セラが早足で戻ってくる。
「何かありましたか?」
「ニャエルさまが騎鳥に舐められたんですよ」
「あぁ……いい気味です」
セラが思わず本音をこぼすように、ぽつりと漏らす。
アマネが少し驚いたように目を見開いた。
「ニャエルさまと仲悪いのですか?」
「どうでしょうね、前に水をぶっかけられましたから」
ニャエルの耳がぴくりと動いた。
「セラが最初に、桶を投げてきたからだよ」
「ドロドロの魔石を提出する人に、言われたくありませんね」
ティアが慌ててニャエルの肩を引いて、間に入る。
「ほら、動かないの」
セラは深くため息をつき、腰に手を当てて言う。
「厩舎主とお話はつけました。中で訓練しますよ、いきましょう」
「やったぁ♪ほらみんないくよ〜」
ティアが二人の手を取って、明るい声をあげる。三人は並んで、訓練場へと駆け出していった。
◇
「調教師のクレアです、よろしくお願いします」
明るく、澄んだ声が響いた。
黒曜のような青みを帯びた黒髪が、軽やかな風に揺れている。
クレアは若く、快活そうな女性調教師で、その口元には自然な笑みが浮かんでいた。
「お願いします!」
ティアが元気よくお辞儀をする。その声にははっきりとした期待と喜びが滲んでいた。
ニャエルは小さく頭を下げ、アマネも静かに丁寧な礼を返す。
「皆さん、希望する毛色や性格の子はいますか?もちろん、みんないい子ですよ」
クレアが明るく問いかける。
目を細めるその様子には、自分の大切に育てた騎鳥たちへの深い信頼と愛情が見て取れた。
その問いに誰より早く反応したのは、やはりニャエルだった。
ぴっと手を挙げ、はっきりと声を上げる。
「はい、黒い子がいいです。」
その言葉に合わせるように、ニャエルは視線を少しだけずらし、広場の一角にいる騎鳥──先ほどニャエルをくわえた、墨色の騎鳥に目配せを送った。
すると、まるで言葉を理解したかのように、軽やかに駆け寄ってきた。
その反応の速さに、クレアが目を大きく見開く。
「え、なんかもう懐いてません!?“クロ”はここのリーダー的な子ですよ。ニャエルさんすごいです……!」
その言葉に、ティアがふと顔を上げ、明るい声で続ける。
「ニャエルが黒い子にするなら私も、髪色に合わせて赤っぽい子がいいなぁ」
クレアは少し考えたあと、振り返って声をかける。
「いますよ。ラグナ!おいで!」
呼ばれて現れたのは、緋茶色の羽が夕陽に透けるように輝く美しい騎鳥だった。
その姿は、燃える紅葉を想起させるような温かみを帯びており、走り寄る足取りには弾むような親しみがある。
クレアがラグナを指し示しながらティアに向かって言う。
「あの子の傍に行ってあげて」
「よろしくね、ラグナ!」
ティアが優しく声をかけると、ラグナは「キュゥ」と柔らかく鳴き、ゆっくりとその歩幅でティアに近づいた。
そっと手を伸ばして羽に触れると、その温もりと柔らかさに思わず頬が緩む。
「かわいい……♪」
ティアは愛しげに視線を合わせ、両手を広げた。
すると、ラグナは頭を下げて、するりと体をすり寄せてくる。
そのやさしい動作に、ティアの心は完全にほぐれていった。
そんな温かな光景を見つめていたアマネが、ふと周囲に目を配りながらクレアに尋ねる。
「クレアさん、白い子っていますか?見当たらない気が……」
「ああ、居ますよ。たぶん厩舎の中にいます。大きな声で“シロ”って呼んであげてください」
クレアの案内に従い、アマネは一瞬だけ躊躇したあと、息をしっかりと吸い込んで呼びかける。
「シロ〜!おいでぇ!」
その声が厩舎に響いて数秒の静寂が流れたあと、奥の方から静かに、しかし堂々とした足音が近づいてきた。
やがて姿を現したのは、銀灰色の羽を持つ騎鳥だった。
光を受けると銀糸のように繊細に反射し、その姿には気高さと落ち着きが漂っている。長い首と力強い足、そしてどこか優しげながらも鋭い眼差し──それはまるで、長い年月を見つめてきた賢者のようだった。
「わぁ……キレイな子……」
アマネの声が自然と漏れる。
「ちょっと寡黙な子だけど、賢い子ですよ」
クレアが微笑んで説明する。
アマネはゆっくりと近づき、まっすぐシロを見つめながら、深く一礼した。
「よろしくお願いします」
その真摯な挨拶に応えるように、シロは静かにアマネの前まで来ると、くるりと背を向けて、その場に座り込んでしまった。
「あら……嫌われちゃった?」
アマネがやや困惑したように言うと、クレアがすぐに補足する。
「いえ、逆です。“さぁ乗れ!”って感じですね」
その言葉にアマネの表情が緩み、頬がふわりとほころぶ。
「では、乗りやすいように、座るよう指示を出してあげてください」
クレアがアドバイスする。その様子を見ていたニャエルが、クロに向かって張りのある声をかける。
「クロ、お座り」
だが、クロはぷいっと顔を背け、どこか不服そうな態度をとった。
ニャエルは一度目を閉じ、大きく息を吐いてから口を開く。
「いつまでも意地を張る訳にもいかないニャ……。クロ、ごめん。座ってください」
わずかな沈黙ののち、クロは渋々といった様子で腰を下ろした。
一方、ティアはラグナの首元を優しく撫でながら、そっと声をかける。
「ラグナは温かいね……乗せてくれる?」
その問いに応えるように、ラグナも静かに座った。
「ありがとう、ラグナ」
クレアは鞍の中央にある持ち手──小さな突起を指さして見せ、声を響かせる。
「乗ってる間は、ここを必ずしっかり握っていてくださいね」
クレアがティアのもとへ歩み寄り、やさしい手つきで動作を教える。
「ティアさんは初体験でしたね、セラさんから聞いてます。」
「あ、はい……お願いします」
クレアのサポートを受けながら、ティアは鞍に手を添え、持ち手をしっかり握ってまたがる体勢に入る。
「怖くても絶対に脚を絞めないように、気をつけてください。締めるとラグナは“走れ”と指示されたと感じて、走り出します。では、静かに鐙に足を乗せて……」
「は、はい……」
クレアに支えられながらも、鞍にまたがるティア。
「では、立つように指示を出してあげてください」
ティアは一度大きく深呼吸をして指示を出す。
「ラグナ、立って」
その瞬間、ふわりと体が持ち上がり、視界が大きく揺れ動く。
思わず持ち手を強く握るティア。
その目に映る世界は、これまで見たことのない高さへと変わっていた。
背丈以上の視界が開け、空がぐんと近づいてくる。
「……すごい、高い……」
その驚きと感動をにじませた声に、クレアが満足そうに応じる。
「上出来ですね。あとは歩かせたりして、少しづつ慣れてください。持ち手は離さないように、ですよ」
地面から響くクレアの声を聞きながら、ティアは胸の高鳴りを抑え、ラグナに声をかける。
「じゃあ、ラグナ。歩いて!」
ゆっくりと動き出すラグナの足取りは、まるで大地を慈しむようなやさしさを帯びていた。ティアの身体を通して、その揺れと振動がじんわりと伝わってくる。
頭上には果てしなく広がる茜色の空。
夕陽がその境界を淡く染め、騎鳥たちの影が長く地面に伸びていた。
やわらかな風がティアの頬を撫で、髪を揺らしていく。




