30話 はじまりの剣
「よし、嬢ちゃん。こいつは、わしからのお祝いだ」
雨上がりのロスティア、鍛冶屋の裏手には、やわらかな光が満ちていた。
空には薄く虹が架かり、濡れた石畳がほのかにきらめいている。
親方が工房から持ってきたのは、しっかりとした革紐付きの鞘だった。
「そういや聞きそびれてたが、革も“白化”できるのか?」
「うん……革も、たぶん。金属みたいに白くはならないけど……」
ティアは少し照れたように笑いながら答える。
親方は髭を撫でてにやりと笑った。
「そりゃすげえや。……なら、まずはこの鞘を背負ってみな」
ティアが受け取った鞘を肩に通そうとすると、隣からニャエルが自然と手を貸す。
「なるほど。両肩に通して、背負うタイプなんだね」
革紐を整える指先が、そっとティアの肩越しにふれる。そのぬくもりに、ティアはほんの少しだけ息を止める。
そのとき、鞘が一瞬だけ淡い光に包まれた。
「……もう魔力、込めたの?」
驚いたように、ニャエルが目を丸くする。
「うん。……でも、革や石は白くならないの。不思議だけど……他にも、何か……」
ティアは何か思い出せそうで思い出せないような顔をして、曖昧に笑う。
それにつられて、ニャエルもふっと笑った。
「ほんとだ。金属のとこだけ白くなってる」
「じゃあ、剣を納めてみますね」
ティアが背から抜いた剣を鞘に滑り込ませると、カシャン、と澄んだ音が響き、空気に溶けていった。
ラミアが目を細めて言う。
「手慣れてるな、おい。……前にも背負ってたクチか?」
ティアは思わずギクリとして、苦笑いで誤魔化す。
(小さい頃から背負ってたなんて、言いにくい……)
ロベリアが少し心配そうに首をかしげる。
「ティアちゃん、重くない?」
ぴょこんと跳ねるように向き直るティア。
「ぜんぜん!すごく軽いです。背負ってみます?」
「ふふ、遠慮しておくわ。私が背負ったら棺に入ってしまいそうだもの」
ロベリアは口元を手で覆い、小さく笑う。
親方が腰に手を当て、冗談まじりに言う。
「ちょいと不格好に見えるが、気になるなら外套でも羽織ってくれや」
それを聞いたニャエルが、そっとティアの両肩に手を置く。
「じゃあ後で、薄手の外套買いに行こうか」
「うん、いいね!行く行くっ」
ふたりは、虹を背景に、手を取り合ってくるくると小さく舞い始めた。
その様子に気づいた親方が、はっとしたように目を見開き、少し慌てた調子で声をかける。
「嬢ちゃん! それほどの剣だ、教会に行って、ちゃんと“お清め”してもらえよ」
足を止めて、ティアが小さく首を傾げた。
「お清め……?」
「あとで教えてあげるよ」
ニャエルがそっと鼻先で、ティアの額を優しくつつく。
「親方! 準備できましたー!」
弟子のひとりが声を上げる。
庭の一角には、木の杭にボロボロの兜と鎧がかぶせられていた。
「……あれって、試し斬り用だったんだ」
「磔用じゃなかったんだね!」
ティアとニャエルが口々に言う。
親方が目を見開いて呟く。
「……そうか、その手があったか……」
弟子たちはそろって、親方からそっと目を逸らした。
ティアは静かに杭へと歩み寄っていく。
「嬢ちゃん!思いっきりぶった斬っちまえ!」
ラミアが豪快に声を上げ、斬るような手振りを見せる。
ティアは少し立ち止まり、深く息を整えてから──
目を伏せ、精霊の気配を確かめるように背から剣を抜いた。
金属の擦れる音とともに、白い刃が光の粒を散らしながら現れる。
(……きっと、大丈夫)
陽の光を浴びて輝く剣を静かに持ち直す。
「いきます」
宣言と共に、一歩を踏み出す。
その瞬間、空気が止まり、沈黙が降りた。
白き刃が弧を描き、杭めがけて振り下ろされる。
──その瞬間。
光がきらめき、杭ごと鎧も兜も、一瞬で切り裂かれた。
木の裂ける乾いた音、金属の砕ける音──すべてが、少し遅れて耳に届く。
まるで現実が追いついてきたように。
吹き飛ばされた杭と残骸は、草の上を滑って、静かに止まった。
……誰も、言葉を持たなかった。
ただ、風だけが草をなでていた。
ティアは剣をゆっくりと納める。
静まり返った空気の中で、ふと──遠い村の記憶が胸をよぎる。
ティアの視線が、ふと遠くをさまよう。
その揺らぎに気づいたのか、ニャエルがそっと駆け寄って、ティアの肩を抱いた。
「ティア……すごかったよ!」
驚きと誇りと、すべてを抱きしめるような声。
ティアはかすかに震えながら、ニャエルに応えた。
「あぁ……ニャエル……」
ぱん、と大きな手の音が響く。
親方が拍手をはじめ、それに弟子たちやロベリア、ラミアも続いた。
ふたりは、互いを確かめるように抱きしめあい、あたたかな拍手に包まれていった。
◇
「本当に、ありがとうございました」
深々と頭を下げるティアに、皆がやさしい眼差しを向けて見送る。
帰ろうとするふたりに、ラミアが声をかけた。
「おい、言い忘れてたがよ。お前らが最初に持ってきた曲がった剣──ウチで飾らせてもらっていいか?」
「あ、忘れてた……」
「ふふ、もちろん。構いませんよ」
『はじまりの剣』──そう記されたその小さな刃は、
やがて鍛冶屋の壁に飾られ、静かに、けれど確かに、人々の記憶に残り続けた。




