28話 光を抱いて
厚い雲に覆われて、昼間とは思えないほど薄暗いロスティアの街。
昨日から降り続く雨が、空気に湿り気を滲ませていた。石畳も壁も濡れそぼち、街全体が静かに沈黙しているように思えた。
昼を告げる教会の鐘も、雨音に吸い込まれ、遠く、小さく響いている。
そんな街の片隅、黒い外套をすっぽりとかぶったふたつの影が、人通りのない通りを進んでいく。
鍛冶屋の扉の前で足を止め、ティアが少し躊躇いながらも、意志をこめて拳を握る。
ドンドン、と扉を叩く音が、雨のざわめきに溶けた。
横には「閉店」の木札。
しばしの沈黙の後、扉がきしみ、ラミアが顔をのぞかせる。
「来たな。高級宿じゃないんだ、そのまま入れ」
ぶっきらぼうな声が、意外にも近く響く。
ティアは小さく頭を下げ、「お邪魔します」と静かに応じた。
ふたりが中に入ると、背後で扉が重く閉じ、錠の音が続く。
店内はほとんど灯りもなく、武具の上には厚い黒布が丁寧にかけられていた。
(……濡れないように、かな)
昼だというのに、店内は夜のように暗く、外の雨音とふたりの足音だけがくっきりと響く。
やがて奥の工房へ通されると、ゴウッ、と炉が短く火を噴き、かすかに明るくなる。
その灯りのもと、親方とロベリアが待っていた。
「今回の仕事はなかなかやりがいがあったぜ。ありがとな、嬢ちゃん」
「こんな仕事、もう二度と経験できないでしょうね」
ティアはゆっくりとフードを下ろし、手を重ねるようにして丁寧に一礼した。
「こちらこそ……ありがとうございました」
続いて、ニャエルが親方に問いかける。
「それで、剣は……?」
「そこにある。荷車に乗ってるやつだ」
顎で示された先、小ぶりな荷車の上に、白く艶やかな箱が載っていた。革紐で固く縛られている。
「陶器の……箱?」
ニャエルが思わずつぶやく。
ロベリアが微笑を浮かべて口を開く。
「重鉄はね、冷えると極端に小さくなる性質があるの。それで、ゆっくり冷やすために陶器で包むのよ」
「熱すれば、大きくなるの……?」
ティアの素朴な疑問に、親方が応える。
「その通り。熱すればまた、形を変える事ができる」
この言葉にティアは少し考え込むような仕草を見せた。
「早く開封しようぜ!」
ラミアの声に、炉が再びゴウッと応えるように火柱を立てた。
ティアははっとしながらも緊張した様子で、おずおずと口を開く。
「……あの、できればこのまま外に。土に刺した状態で、魔力を込めたいんです」
「よし、任せな」
ラミアがニカッと笑い、快く引き受ける。
◇
裏庭に出ると、軒下には弟子と思しき若い職人たちがずらりと並んでいた。
彼らは薄暗い空の下、期待と好奇心を隠そうともせず、ふたりを見つめている。
自然と、ニャエルがティアの前に立った。
その後ろから、ロベリアがやわらかい声で囁く。
「みんな、親方のお弟子さんたち。“白化”が見たいって、集まってきたのよ」
何人かが手を振ったり、恥ずかしそうに頭を下げたりする。
ティアも小さく会釈で返した。
その間に、親方とラミアが荷車を押して現れ、裏庭の中央に静かに据えた。
雨は小降りになっていた。
湿った土の匂いが、わずかに立ち上る。
ロベリアは、革紐をほどくふたりの様子を見ながら、肩をすくめる。
「合金にすればもっと楽だったのに。ほんと、親方って酔狂な人ね」
「普通は、そのまま使わないんですか?」
ニャエルの問いに、ロベリアは苦笑を交えて応える。
「他の金属と混ぜないと重すぎるのよ。あの大きさでも、鉄の延べ棒十本分はあるわよ」
「……異常ですね」
ロベリアはティアに視線を戻し、やさしく言った。
「ティアちゃんが使えなければ、あの剣を振れる者はいないわ。頑張って」
「はい。”みんな”がいるから、きっと上手くいきます」
すべての準備が整い、親方とラミアが荷車の両端を持つ。
「いくぞ、せーのっ!」
白い陶器の箱が地面に滑り落ち、パリン、と乾いた音が響く。
中から現れたのは、漆黒の剣。
そのまま、地面にしっかりと柄まで刺さっていた。
弟子たちのあいだに、静かなどよめきが広がる。
親方とラミアは軒先へと戻っていく。
「仕上げは任せたぜ、嬢ちゃん」
「はい!」
ティアは外套を脱ぎ、真っ直ぐに剣のもとへ向かって歩き出した。
湿った土が、足音を吸い込む。どこか清らかな、新しい匂いが空気に漂っていた。
「……あ、雨が止んだな」
誰かの呟きが、風に乗って届く。
ティアが剣の前に立った、その瞬間。
彼女の足元で、土がもこもこと盛り上がりはじめる。
「なんだ……?土が動いてる……」
ティアはそっと両手を胸の前で合わせ、静かに呟いた。
「ありがとう、土さん」
小さく笑って、彼女は続けた。
「……久しぶりに声が聞けて、嬉しい」
柄頭が目の高さに達し、そこに刻まれた黒猫の意匠が、雨上がりの空に浮かび上がる。
ティアはそっと剣に手を添え、瞳を閉じる。
(触れて、馴染ませる……)
白く、やわらかな光が、彼女の手のひらから静かにこぼれ出した。
それは湿った空気と混ざり合い、剣全体をやさしく包み込んでいく。
「すごい……魔力がどんどん入っていく……」
嬉しそうにティアがつぶやく。
地面から巻き上がる風が、ティアを中心に渦を描く。
その風は工房の屋根を駆け上がり、雲の天井に小さな穴を穿った。
そして、雲間から一筋の光が射す。
風で舞った水滴がキラキラと輝く。
ニャエルは、幼い頃に読んだ絵本を思い出し、思わず息を呑む。
「……やっぱり、ティアは……」
剣全体が白く輝き、ティアは迷いなく切っ先を天へと掲げた。
一瞬、辺りがまばゆく光り、そして雲が裂ける。
青空が広がり、鳥のさえずりが、雨上がりの街に澄んで響く。
ティアは白く輝く剣を両手で抱きしめるようにして、そっと目を細めた。
誰もがその横顔に、言葉を失う。
沈黙の中、親方がぽつりと呟いた。
「……上手く、いったのか?」
しばしの静寂。
やがてティアが、こちらを振り向いて言う。
「はい! できました!」
その瞬間、裏庭を埋め尽くしていた弟子たちから、歓声が湧き上がった。
暑い夏が近づいた、さわやかな季節のことでした。




