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麻布十番の居候  作者: そーた
6/52

一日目 夢の為の運転資金


「やあ、そういえばどこへ行くんだい? さっきから全く見当違いな所を歩いているようだが……」



 俺はてっきり、朝飯を食べ終わったらすぐに帰るものだと思っていた。しかし居候の方はというと、そんな俺の疑問など意にも介さないように、構わず悠然と歩き続けていた。


「だから慌てんなって。散歩や言うたやろ? 俺がこの辺を案内したるから」


 基本的に前を先行する形になる居候は、顔だけを後ろに振り向けて俺にそう言った。俺は素直に頷いた。

 そういえば俺も東京について聞きたいことはいくつかあった。東京の事は全く知らないが、やはりテレビとかを見ていると嫌でも東京についての情報は舞い込んでくる。


「なあ、だったら俺、前から『みなとくじょし』? ……というものをこの目で見たかったんだよ。……見せてくれないかね、『港区女子』」


「そこら中に歩いてるやん。港区女子」


 居候がザッと指し示した先には、オシャレな格好で歩く女の子達がいた。


「おいおい、あれは『港区に住んでいる女子』だろう? 俺が言っているのは『港区女子』だぜ?」


「どういうことやねん!港区に住んでるから『港区女子』やん!」


 彼はからかうように笑ってばかりでまともに取り合おうとはしない。なかなか真面目に応えないその態度に、内心じれったく思いながらも俺は尚も食い下がった。


「違う!『港区に住んでいる女子』と『港区女子』は違う……違うはずだ!『港区女子』っていうのは……なんかこう……もっと、“悪い”んだ!……こあくま……そう!『小悪魔』だよ!」


「小悪魔って単語……久しぶりに聞いたわ」


「聞くところによると彼女たちは……『ぱぱかつ』? ……なるものをするのだろう? あれは悪い、悪い。悪いぞ。まったくもって悪い事だ」


 あれはとてもいけないことだと思う。第一、ご飯を食べてもその代金を支払おうとせず、あまつさえお金をもらおうというのがとてもいけない。


「別に悪い事じゃないやろ。相手も同意の上でやってることやしさ」


 しかし居候はそっけなかった。期待していた反応と違う事に、俺はますますイライラした。


「だって、やってることは物乞いと同じことじゃないか!」


「めっちゃ言うやん……」


「ええ!言うよ!俺は言うよ!なんならもっと言ってやろう!彼女たちに果たしてそんな価値があるのかい⁉ 聞けば月ウン百万と稼いでいるそうじゃないか⁉ 一人の人間として、果たして彼女たちにそれだけの価値があるのかね⁉」


「価値があるから稼いでるんじゃないん? まあ、例外もおるやろうけど」


「お前は“とんま”だ!」


 俺は叫んだ。しかし居候はビクともしていない様子だった。


「あの子らは自分の“見た目”にそれだけの価値を持たせる為にめちゃくちゃ努力しとんねやで? スタイルを維持するんもめっちゃ大変やねんで? ……まあお前はその体型やからその大変さも知らんと思うけど……。金持ちのオッサンに貰った“お小遣い”でブランドもんを買うんも、言ってみれば投資や。たぶん大金はたいてカラダとか顔とかも弄ったりしてるやろ。商売でも一緒やん? 金稼いだらその金を使ってさらに金稼ぐやろ?」


 彼の言い分――いや、港区女子たちの言い分は、それはそれで一理あった。しかし、俺の心を納得させるまでには到底至らなかった。

 居候は尚も言った。


「まあただ“可愛い”ってだけでラクして金貰ってるやつもおるかも知らんけど、だいたいの人はやっぱそれだけ自分自身に手間暇とお金を掛けて、それだけ“パパさん”を満足させてるから、それだけのお金を貰ってるわけやん?」


 たしかに、それもそうだと思う。居候の言っている事は至極真っ当に思えた。


 しかし……


 しかしだ……


「しかし……“奴ら”はそんなにたくさんの“お小遣い”を貰って……果たして真に“有効”な使い方が出来ているのかね……!」


 俺は振り絞るように言葉を吐き出した。言葉、というよりは、底知れない悔しさを吐き出していた。


「どういう事? すーたやったら有効な使い方できんの?」


「出来るさ!出来るんだよ!ええい!もうこの際はっきり言っておこう!正直言ってね、俺は彼女たちより価値のある人間さね!」


 俺は精一杯真面目に言ったつもりだ。しかし、居候にとってはどうもその言葉が滑稽に思えたらしく、彼の口元には冷ややかな笑みが浮かぶのみだった。俺はますます腹が立った。


「笑った!きみ!今笑ったね!ええ!笑うがいい!好きなだけ笑うと良いよ!でもこれだけは真実だよ⁉ 俺は価値のある人間なんだ!」


 居候はニヤニヤと冷笑しながらただ黙って聞いていた。


「言っておくけど俺はね!働いている時、いつも心底イライラしているんだ!『なんで俺がこんなことをしなきゃならないんだ』、『俺はこんなことをしている場合じゃない』ってね!俺はね!小説を書かなければならないのだよ!もうとっくに頭の中では思いついているんだ!すっごい小説をね!もう本当に、すっごいぞ!きっとこの作品は歴史を変える……きっとこの作品は多くの人々を救い、正しい方向へと導くんだ!」


 そうだ。俺はいま、強い強迫観念に苛まれている。早くこの作品を書かないと、いつか手遅れになってしまう。

 物語の舞台になるはずの台湾が中国に併呑されてしまわないとも言い切れない。誰かが俺と同じような作品を書いてしまわないとも言い切れない。俺自身、ぽっくり死んでしまわないとも言い切れない。


 俺はいま、ひどく焦っているのだ。


「でも仕事が邪魔をして俺に小説を書かせてくれないんだ!毎週の土日祝日だけで書くなんて到底無理だ!仕事終わりなんて以ての外だ!疲れてすぐに寝てしまうからね!だから“お小遣い”を貰わなければならないのは俺の方なんだ!みんな俺に協力しなければならないのだよ!世間は、俺がその歴史的作品をかき上げるまで優しく見守って……俺の事を養ってあげないといけないんだ!なんでみんなして俺に仕事を“強要”するのさ!」


 遊びなんていらない。オシャレな服なんていらない。娯楽なんてものもいらない。


 最低限の飯と、住むところと、パソコンさえあればいい。俺はとにかく、その一大傑作を書き上げなければならないんだ。


 しかし――


 居候の反応は冷淡だった。彼はバカにしたように、冷笑した。


「お前……やばい思想してんな」


 俺はあからさまに舌打ちをしてやった。一番悔しいのは……俺の体内に燻るこの確かな感情が、いざこうして口に出して言葉にしてみたとき、自分でも呆れて返ってしまうくらいにひどく“自分勝手”な妄言に聞こえてしまう事だ。


 でも、この感情は“確か”なんだ。分からないけど、このイライラは“確か”なんだ。


 俺が人知れず悔しさに身を焦がしていると、居候がまるで今までの会話をぶつりと切り取るかのように声音のトーンを変えて尋ねてきた。


「てかお前、『港区女子』の話どこで聞いたん?」


 話を切り替えようとしている感じがありありと見えた。


「ユーチューブで見た。誰の動画だっけな……あの人、なんて言うんだったか……たしか……『ミカエル』? ――みたいな名前の人」


「たぶんそれ『ラファエル』」


「ああ、そうそう。その人だ」


 すると居候は自慢げな表情をこちらに投げかける。


「俺、いまの仕事場の近くに『ラファエル』の住んでるマンションあるで」


「行ってみよう。どこにあるんだい?」


 俺は辺りを見渡してみた。どうやら近くにあるらしい。


「だから仕事場の近くやって!話を聞けホンマに!まあ、今日の夜連れてったるわ」


 なるほど、これは面白そうだ。


「楽しみにしてるよ。あの人の住んでる部屋、一度見てみたかったんだ」


「おう、任せとけ!」


 そして俺達はしばらく間、ぶらぶらと歩き続けた。




「……」




「……」



 しばしの無言の後――


 居候は何かに気が付いた様におもむろに俺の方を向いた。


「……?」


 何事かと、俺は怪訝な目を向けていると……


「ちなみに言うけど……マンション見せるだけやで?」


「……?」


「ラファエル」


「……え? 部屋、入れないの?」


「お前アホか」


 俺は心底ガッカリした。




――――




「ほら、ここ」


 居候はふと、十字路の角っこに突き出した店を指さした。


「あべちゃん……?」


 今は閉まっているみたいだ。彼が言った。


「志村けんが行きつけやった焼き鳥屋」


 それを聞いて、『おお』と俺は声を漏らした。そう言えば、コロナウィルスに感染して亡くなったらしい。俺がまだ台湾に居た時だったか。ネットニュースでその号外記事を見た時、普段芸能人に興味の無い俺もさすがに衝撃を受けた事をいまだに覚えている。


 それにしても……


 俺はこの時初めて、自分が東京にいるという実感が湧いてきた。

 やはり有名人はみな東京に住んでいる。東京には、そこらじゅうで有名人に出くわしたりするものなのか。


 しばらく歩いていると、やや大きめの公園にたどり着いた。


「ちょっとここで休憩しよや」


 居候が出し抜けにそう切り出した。ちょうどいいと思い、俺もタバコを取り出した。


「悪いが、携帯灰皿は持ってないかね?」


「俺タバコやめた」


 淡々とした彼の一言に、俺はまた、衝撃を受けた。


「本当かい⁉ ウソは言っちゃいけないよ!」


「ホンマや。もう一年くらいやめてる」


 俺はしばらくの間、信じられないでいた。あの居候が……


 そのあと俺は、何度か自分のタバコを吸わせようとしてみたり、カマをかけてみたりして、彼が嘘を吐いていないかを確かめた。何度かそんな事を繰り返したのち、彼の禁煙が事実だという事をやっと信じることができた。


「みんなやめていくね……」


 誰かがタバコをやめた時、なんだか仲間がいなくなったような気分に陥る事がままある。俺もやめなければならない、とは思う。しかし、それには強力な、きっかけが必要だ。


「いけないね、俺は……」


 そう言いながらも、煙を吸って吐き出した。その後、しばらくのあいだ我々は口を閉ざしたままだった。沈黙はごく自然なものとしてそこにあった。


「お前いまなにしてんの?」


 出し抜けに尋ねてきた居候。たぶん、仕事とかの事を聞いているのだろう。


「家の工場を手伝ってるんだ」


「どう? しんどい?」


「いいや」


 正直――


 今の俺は、今までの人生で一番、“いい感じ”だ。……というか、今までの人生があまりにもクソすぎた。あまりにも、しんどすぎた。


「従業員の人達も皆いい人さ。本当に……何のストレスも無い。休憩時間もいっぱいある。その時間を使って創作活動に打ち込める。本も読める。実家暮らしだからお金も面白いくらいに貯まっていく。給料も別に悪くは無い……」


「休みの日は?」


「土日祝日ちゃんとあるよ」


「そうじゃなくって、何してんのかってこと」


「ずっと何かしらをしているさ。人生で一番充実している。小説執筆に……イラストを描く事もある。夜は読書をして……ああ、そうだ。最近は小説でお金も稼ぎ始めているんだ」


「マジで? どうやって?」


「『サブスクリプション』……っていうんだけど、月額で俺の作品が見られるようにしているんだ」



 本当に……もし、ほんの数年前の俺が、今の俺を見ると、とてもじゃないが信じられないだろうな。


 自分の頭の中で描いたどうしようもない妄想、思想を自由に書き殴り、ほんの少しばかりだが、少なくとも数十人の人達がそんな俺の作品にお金を払ってくれている。夢のような出来事が、現実に実現しているのだ。




 しかもさらに信じられないのは――


 俺自身、今のこの夢の様な状況に慣れ始めているって事だ。


「毎月ナンボ稼いでるん?」


「今はまだ……4万円くらいだね」


 そうだ。まだまだほんのちっぽけだ。でも今までもそうだった……。最初は6千円ぽっちだっけ? それが8千円になり、2万円になった。そして、もうこれが限界か――と思っていたら、3万円になった。そして今度は4万円を稼いでいる自分を妄想し始めた。馬鹿な妄想だと自分に呆れていたら、本当に4万円になった。

 ……そして今の俺は、5万円を夢見るようになっている。


「それって、毎月4万円が入ってくるって事?」


「ああ、そうだよ。いつかは10万円を稼ぎたいんだ。そうすれば仕事、辞められるから。生活の全てを創作活動に充てられる……」


 地元のとある友達にこれを言ったら、バカにされたな。『それはさすがに無理だ。夢の見すぎ』――と。


 でも俺はこうやって、小さな夢を一つ一つ叶えてきた。そうしていたらいつの間にか、こんなところまで来ていたんだ。

 あまりにも高いところまで昇ってしまったせいで、もう降りるに降りられなくなってしまった。あのころの“愚かな俺”が、バカ面下げて地面から俺の事を見上げてらぁ……もう遥か下すぎて“ヤツ”の姿は豆粒みたいだ。




「へえ……」




 居候は感心した様に声を漏らす。そして付け加えて、またひとつ尋ねた。




「どんな小説?」




 俺は答えた。




「エロ小説」




 居候は爆笑した。


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