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麻布十番の居候  作者: そーた
5/52

一日目 再開

「それにしてもよく分かったな……あんなメールで」


 居候が出し抜けにそう言った。それはたぶん、例の『SOSメッセージ』についてのことを言っているのだろう。


「普通は分からないだろうな」


 俺は視線を脇見に逸らしながら、小さく首を振った。しかしすぐにまた居候と目を合わせると、短くこう付け加えた。


「でも解った」


 俺がつい顔をニヤリとさせると、彼も嬉しそうに微笑んだ。居候は半そで半パンにサンダル、まさに家からパッと出てきたような出で立ちをしていた。


「でもなんであんな回りくどい事を?」


「え? あ、ああ〜」


 それについては俺もいまだに分からなかった。助けに来てほしいのであれば素直にそう言えばいい。しかし、なぜか彼はああいった“暗号めいた”形でしか助けを求めなかったのである。

 俺が尋ねると、居候はしばし固まったようにどこかを見詰めた。深く何かを考え込んでいるようである。

 そして彼はまるで呼吸を止めたようにしばらくの間を空けると、やがて誰にも聞かれないくらいに小さく息を吸い込んでからようやく口を開いた。まるで無造作に山積みにされたガラクタの中から、彼にとっては大切な宝物を一つ、慎重に取り出す様にして、俺に告げた。


「正直、どっちでもよかった……」


「どっちでもよかった? 来なくてもよかった?」


 俺は少し不安になった。まさか、来て欲しくなかったと言うのだろうか?


「いや、誤解せんといてくれ。当然、すーたには来て欲しかった。来て欲しかったけど……」


「来て欲しかったけど?」


「……もし、すーたがあのメールの意味に気付かんくて、来やんかったとしても、それはそれでいいかなって……」


「……」


 俺は首を捻った。


「とにかく、俺なりの……プライドっつーか、助けに来て欲しいけど……はっきりお前に助けを求めるわけには……イカンかったっていうか……」


 居候の言葉は、そこで尻すぼみに途切れていった。俺は彼の言っていることがさっぱり分からなかった。

 しかし彼の様子を見ると、たぶん、彼自身も自分が何を言っているのかを分かっていないのだと思う。

 だからもうこの件に関しては、それ以上なにかを問いただしたところで何の意味も無いのだと俺は判断した。


「何年振りだろう?」


 俺は話を切り替えるようにして彼にそんな事を尋ねた。そういえば俺は、最後に彼と別れてからの日数も数えていなかった。会ったこと自体は覚えている。楽しかったことも覚えている。しかし、明るく光るその思い出の灯火は、まるで沼のような真っ暗な大海の中でぼんやりと微かに浮かんでいるだけだ。もちろん、その灯火が地図上のどこに存在するのか、具体的な座標などについても、見当すらつかなかった。


「最後にあったのがいつや? 25歳の時じゃなかったっけ?」


 そういえば、コイツのこの富山弁と関西弁を混ぜ混ぜしたような喋り方も懐かしい。


「じゃあ三年ぶりか? 言ってもそんなに経ってないんだね」


 俺はふと、三年という期間が短く思えた。彼とはもっと長い間会っていないような気がする。とくに、俺にとってのここ一年半は、とてつもなく長く感じたのだ。

 しかし、それでも三年間は三年間だった。俺はその当たり前の事実に、改めてちょっとした奇妙さを実感した。例えるならば、飛行機に乗って短時間で海を跨ぐような感覚だ。日本から台湾までは、飛行機でわずか3時間。漫画を読んでいると思いがけず経過してしまうような時間だ。しかし、そのわずか3時間でたどり着くその場所までは、"確かな距離"がある。決してヒョイと気軽にたどり着けないような、距離があり、結界があるのだ。しかしそれでも3時間後には、自分は間違いなく、国も言葉も文化も異なる別世界へと身を移しているのだ。例えるならば、そんな感覚だった。


 俺はふと辺りを見回してみた。


「ところで、きみの家はどこだい? お互い眠いんだし早い所ぐっすりしようじゃないか」


 言いながら、俺は指をあちこちの方向へと代わる代わるチラつかせた。すると、どうしたものか、居候は人差し指をピッピッと上へと突き上げた。


「……なんだいそれは? まさか東京には“天空の城”でもあるというのかね? ハッハッ、面白い冗談だ」


 ……まさかね。

 すると居候は面白そうに顔をニヤつかせながら、言った。


「このマンションの3階や」


 灯台下暗しというものか、どうやら彼の住居は今まさに俺達の目の前にある建物だったらしい。どこへも行く必要は無かった。駅を出てすぐ目の前だったのだ。

 これには少々驚いた。俺はてっきりせめて少しくらいは歩かなければならないと思っていたのだ。


「なるほど、それならそうと先に言ってくれないと……」


 俺は言いながらそのマンションに足を踏み入れる。しかしふと後ろを振り返ると、彼はその場を立ち尽くしたままだった。彼は一向に中に入ろうとしなかった。


「さあ」


 俺はやや焦ったくなりながら、そう促した。しかし、居候は尚もそれに従おうとはしない。すると彼はどこか違う方向へとアゴをしゃくってみせた。


「まあ、そんな慌てんと。まずは散歩しようや」


 そして彼は全く別な道を歩きだした。

 俺はとにかく横になりたかったのだが……



 二人並んで大通り沿いの歩道を歩く。高架の方へと向かって歩いていくと、ふと左に人通りに賑わった様子の横丁が覗いた。俺達は左に折れてその横町へと入っていく。そして賑やかに栄えた通りを練り歩いていった。

 どう? ――と言いたげな顔で俺を見る居候。俺は無表情で、改めて周囲を見回してみた。

 確かに、まあ栄えているといえば栄えている。しかも今はまだ朝っぱらだ。いくら土曜日とはいえ、こんな時間から人が溢れるなんてよく考えれば奇異な事だ。

 俺は大阪の負けん気根性からか、素直にそれを認めたくなく、ついフンと鼻を鳴らしてやった。


「すーた、腹減った?」


 そう言えば、バスの中で何も食べてなかったな。俺は居候に向けて頷いた。すると彼はどうやら右側にあるマクドへと入っていった。特に異論も無いので、俺も黙ってその後を着いていった。

 レジの前にはまあまあな人数の客が並んでいた。俺はビッグマックの単品、居候はビッグマックのセットとフィレオフィッシュを注文した。そういえばコイツは大変な大飯食らいだった事を思い出した。しかも食べるのも早い。俺は遅い。

 トレーいっぱいに物を乗せていた居候に軽く引きながら、俺達は二階の食事フロアへと上がっていく。中央のカウンター席に二人並んで座った。


 食べ始める用意を済ませると、俺はいったん、自分のトレー上にある“食べ物たち”を全体的に眺める。

 このハンバーガーには、牛肉が使われている。つまり、牛が一頭、殺されている訳だ。俺は手を合わせた。そして、神経を集中させる。かつて牛だった生物が殺される様子を、なるべく鮮明に、リアルに思い描いた。

 なるべく感情を押し殺そうと努めた。可哀想だとは思わない事。残酷だとは思わない事。申し訳ないとは思わない事。なぜなら、なんだかんだ言いながら、俺は結局“食べる”のだから。

 いくらそんな“善人ぶった”事を考えたところで、俺は結局ベジタリアンになる事は出来ない。やっぱり、肉は食べたい。人間というのは良心と欲望の狭間で生きるものだ。そこから生み出されるのはただ果てしない罪悪感。それを一身に背負う事が、人間として生まれた罰なのだと思う。


「お前、まだ“お祈り”とかしてんの?」


 横から居候が口を挟んできた。俺は無視してその“想像”を続ける。


「そんなんええから早く食べて。大学の時からいっつもそれでお前食い終わるん遅くなるやん」


「どうもうるさいね、きみは」


 俺はたまらず“それ”を中断してしまった。


「すーた。今日一日の予定とか決まってんの?」


 居候はビックマックにかぶりつきながら俺にそう尋ねた。彼のフィレオフィッシュはもう既に姿を消していた。


「今日は14時半から別の友人と会う予定があってね」


 俺もビッグマックの一口目に取り掛かるところだった。俺の口が小さいのか、対象が大きすぎるのか、綺麗に噛み千切る事は出来なかった。


「どこで?」


「それが困ってるんだよ。相手は都内23区ならどこでもいいって言っているみたいだが……この港区じゃあダメなのかな?」


 少し目を離した隙に居候のビッグマックは消滅していた。


「だからそれを23区って言うんや」


 居候は呆れ気味に言った。


「そんな言い方しないでくれよ。こちとら東京は初めてなんだ」


「それも知らんってやばいやろ」


「じゃあ港区でいいじゃないか。港区にしよう。港区に決まった」


 俺は早速その“友人”にメッセージを送った。


「港区のどこで会うん?」


 居候の言っている事が分からず、俺はしばし固まってしまう。


「だから……港区で待ち合わせするんだよ」


「だ~か~ら~!港区って言ってもいろいろあるやろ!」


 彼はポテトをつまみながらドンドンと机を叩きならした。まるでゴリラみたいだった。机をドラミングするのは他のお客さんの迷惑になるからやめてほしい。


「だったらどこで会えばいいんだよ」


 際限なくポテトを口に運んでいくゴリラ。俺も一本つまんでやった。そう言えば日本のマクドではポテトにケチャップは付いてこないんだな。どうやら長い台湾暮らしのせいで感覚がマヒしているみたいだ。


「例えば麻布十番駅から二駅先に目黒駅ってところがあるわ。そことかが良いんじゃないの?」


「目黒駅……なんか聞いたことあるぞ……ああ!目黒区か!」


「違う」


「違わない!目黒区っていう地名は聞いたことある!ええと……どこで聞いたっけな……」


「だから目黒区っていう地名はあるけど目黒駅は目黒区には無いの!」


「友人は23区内が良いって言ってたんだぞ⁉ 目黒区は23区に入るのか⁉」


「目黒区も23区や!いや、てか、だから目黒駅は目黒区じゃないって!品川区や!」


「だったらダメじゃないか!友人は23区内が良いって言ってたんだぞ⁉」


「だから品川区も23区や!」


 気づけば俺達はヒートアップしていた。コイツは昔からすぐに声を荒げたがる。しかし、居候の言っている事はなんだかよく分からないが、たぶん目黒駅という所で待ち合わせても問題ないらしい。


「でも……港区ではないのだろう?」


「港区が良いんか?」


「いや、どこでもいい」


「どっちやねん……」


 居候はうんざりとため息を吐きながら、両手をパンパンと払いたてる。もう完食したらしい。俺はまだビッグマックの半分を食べ終わった所だった。


「その……目黒区……?」


「品川区」


 俺の言い間違えを素早く訂正する居候。


「ああ、品川区か……その、品川区っていうのは近いのかね? どれくらい歩けば着く?」


「なんで歩きで行くねん……」


「電車で行けるのかい?」


「さっき二駅で着くって言ったやろ……!」


「ああ、なるほど。そういえば目黒駅に行くんだった。てっきり品川区に行くものだとばっかり……」


「だいたい目黒『駅』なんやから電車で行けやんかったら駅ちゃうやんけ!」


「違う。そうじゃない。俺はいつの間にか品川区に行くものだと思っていたんだ。そういえば品川区じゃなかったな、目黒駅だった。目黒駅で俺達は会うんだ。なぜだろう? どこから品川区の話が出てきたんだ……?」


「てか早く食べて。お前相変わらず食うのおっそいよな」


 俺が頭を抱えだしたのを、居候が水を差す様に口を挟んできた。


「あ、ああ……すまん。あと十秒で食べ終わる」


 すっかり食べる事を忘れていた俺はまたハンバーガーに手を付けた。そして俺は十分かけて残りのハンバーガーを食べ終わった。


「じゃあ、俺は14時半に目黒駅に行かなきゃならんから、何時に出発すればいいだろうか? まあ近いからね。30分あれば行けるんじゃないだろうか?」


 俺はやや冗談気味にそう言ってみた。せっかくだからもう一度居候を怒らせてみたかったのだ。

 しかし奴の反応は俺の予想に反して淡白なものだった。


「10分あれば行けるよ」


 俺は思わず『ええ!』と口に出して驚いてしまう。


「でもきみの家から駅まで移動する時間とかもあるだろう? そんなに早く行けるものかね?」


 彼は俺を無視して、無言で店を出て行った。俺もトコトコと彼の後を着いて店を出ていく。そしてまた人通りの多い横町を歩いた。やはり極端な身長差からか、普通に歩いたんじゃ彼の速度にはとても着いていけそうにない。


「ねえ、さっきの話だけど……」


 俺はさっき無視された質問を、もう一度蒸し返してみた。すると居候は面倒くさそうにイライラした口調で聞き返してきた。


「さっき俺の家見たやろ? 俺の家から駅まで徒歩何分?」


 俺は脳裏をかき混ぜ、記憶の底に眠る風景を一枚、また一枚と探り出してみた。上手く思い出せるだろうか? いや、やってみよう。俺は慎重に、ていねいに、注意深く、さきほどの光景を思い起こしてみた……


「そうか!きみの家は駅の目前じゃないか!」


「……」


 これがいわゆる、“えきちか”というやつか。今までの人生、自分で部屋選びをするときもこんな事は考えたことが無かった。考えてみれば“えきちか”というものは素晴らしい。“えきちか”……とてもいいじゃないか。


「すごい!すごいぞ!まるで『どこでもドア』のようにどこでも行けるじゃないか!」


「いや、その例えはよく分からんけど……」


 にわかにワクワクしてきた俺に、なぜか居候は軽く引き気味だ。


「だったらとりあえず帰って寝よう!どれ、きみも眠たいのだろう? 一緒に寝ようじゃないか!ええ!待ち合わせ時間ギリギリまでぐっすり眠る事が出来るぞ!とても愉快だ!」


 俺はパタパタ小走りで居候の隣になんとか追いついていた。すると居候はのんびりと歩きながら、俺の顔も見ずに一言こう尋ねた。


「ところでさ。そのお前の“友人”は目黒駅ってことでオッケーなん?」


「……いや、いいんじゃないか? 目黒駅は23区内なのだろ?」


「連絡した?」


「いや、してない」


「いや、連絡しろよ!お前が目黒駅で良くても、向こうは何も知らんねんやろ!」


 コイツは本当に、すぐに癇癪を起す。俺はむくれながら携帯を取り出すも、少しばかり言い返してやった。


「分かっているよ、そんなことは。あとで連絡しようとしていたんだ。まったく、すぐに怒るね、きみは……」


「すぐにしろや。万が一向こうが無理やったらどないすんねん」


 俺はぶつぶつふて腐れながら“友人”にメッセージを送った。ぶっちゃけて云うと、忘れていた。


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