一日目 ゴミ屋敷
その後、やっと我々は居候の家へと戻る事にした。無愛想な朝の道を、常に俺は居候の数歩後ろを歩いていた。
……目が乾いている。ズッシリした眠気が垂れこめる中、俺はまだ肝心な事を彼から聞いていないことに気が付いた。すっかり忘れていたのだ。彼との再会を喜ぶあまり、“俺がここに来た理由”にも関わる“あの事”を聞くのをすっかり忘れていたのだ。
しかし――
どうしても聞く気になれない。もう少し意識がはっきりしてから……なるべく落ち着いて話せる場で、俺は“その話”をしたかった。
でも――
どうだろうか? やっぱり少しは聞いといたほうがいいだろうか?
俺は気が乗らないままに、とりあえず“さわり”の部分だけでも触れる事にした。
「居候」
「なん?」
「きみの生活状況のことだけど……」
「生活?」
「ああ。いま、きみ、大変らしいね……いま、コロナの影響で収入が激減しているそうじゃないか?」
俺がそう言いかけた時、居候はバッと勢いよくこちらに向き直る。
「いや!待って……その話はまたゆっくり話せるときに話そう」
やっぱり、彼も俺と同じ考えだったようだ。俺はもうなにも聞かない事にした。こいつのタイミングで、話したい時に話せばいいだろう。俺は唇を引っ込めて言葉をつぐむと、小さく小刻みに頷いた。そして彼は視線を俺の足元に伏せると、改まった様子で一言一言、注意深く言葉を紡いだ。
「生活苦に陥ってる俺を助ける為に、はるばる東京まで来てくれたんは感謝する。でも、すーちゃん……」
居候の声は、柔らかかった。彼は時々、俺の事を『すーちゃん』と呼ぶ。優しい響きだ。
「俺はな、まず、すーちゃんに楽しんでほしいねん。だからその話は、後にしたい」
いかつい顔に、その優しい笑みは似合わなかった。俺はそれがなんだか可笑しくて、つい噴き出してしまった。
――――
居候がオートロック式の扉を開けると、すぐ目の前にエレベーターがあった。彼のマンションの玄関口は狭く、各部屋の郵便受けがやっと存在できるくらいの申し訳程度のものだった。
エレベーターの中は独特な匂いに満ちていたが、別に臭いわけでは無かった。何かの匂いにひどく似ていた。しかしその匂いが何なのかはどうしても思い出すことができなかった。
エレベーターのドアが開くと、居候はすぐ目の前に見えたドアに鍵を差し込む。こいつ、何でも“目の前”が好きなんだな……
「ちなみに俺の部屋、禁煙やから。タバコ厳禁な」
俺はその言葉に絶望しながらも、彼に続いて部屋に上り込んだ。そして俺の目の前に広がった光景は、とてもこの世のものとは思えないものだった。
「……汚いね」
思わず、そんな失礼な事を口走ってしまった。いや、事実、汚い。かなり、汚かった。
「俺も出来ればお前が来る前に片付けたかったんやけど時間なかった」
いや、そういう問題じゃない。そんな一朝一夕で綺麗に出来る様な簡易的な汚さでは無かった。足の踏み場も無かった。彼の部屋は、すっかり荒れ果てていた。まるで、心に何の余裕も無かったサラリーマン時代の俺の部屋にそっくりだった。
いや、それよりもさらに驚いたことがあった。
「……狭いね」
俺はまた、そんな事を口走っていた。
「京都住んでた時のすーたの部屋より狭いやろ?」
たしかに。大学時代に住んでいたあのボロアパートの部屋よりも一回り小さい。たしかあの部屋は家賃が4万円くらいだったはず。
すると彼は俺の聞きたかった事を見透かしたように、先に言ってきた。
「これで家賃12万やで」
俺は絶叫した。
「こんな部屋が12万円もするのか⁉ それはいささか高すぎるではないか!」
居候はせかせかと客人用であろうマットレスを持ち出して、空いているスペースに敷き詰めていた。
「だから“駅近”やから高いねん。あと東京はどこも高いよ。ホンマ、アホみたいに家賃が高い」
居候のマットレスのすぐ隣に、俺用のマットレスがびっしりと詰め込まれた。いや、よく見ると詰め切れていなかった。壁に収まりきらず、マットレスの端っこが湾曲していた。たぶんこのマットレスの下には、まだいくつかのゴミが散乱しているだろう。
「じゃあ寝るわ。おやすみ」
ひと仕事終えた居候は、それだけ言い残すと、落下する様に自分の布団へ倒れ込んだ。そして仰向けに長くなりながら、片腕だけを振り回して口早にあちこちを指さしていった。
「トイレあっち。その向こうが風呂場と洗面所。コンセントそこ。部屋の中でタバコ吸ったら殺す。以上、おやすみ」
彼も相当疲れていたのだろう。居候はすぐに寝入ってしまった。眠い中、ここまでしてくれただけで十分だ。彼を起こさない為にも、俺はもうそっとしておいてやることにした。
「なあ、居候」
「なんやねん!俺寝る言うてるやろう!」
居候はそう唸りながら、ゴソゴソと俺に背中を向ける。
「枕は?」
「無いわ!そのマットレス頭の部分折りたためるやろ!それを枕代わりにせえや!」
俺は言われた通りに枕を作り出し、そして携帯で13時半にアラームをセットした。“枕”に頭を乗せてみたが、快適さなどは微塵も感じられなかった。
「もう頼むから寝かして……俺もう24時間寝てないねん……」
彼はまだブツブツ言っている。そんな居候を横目に、俺もスマホを放り出すと、布団の中へ沈み込んだ。そしてぐっすりと目を瞑ってみる……
「……」
しかし全く眠れない。眠たいのは眠たいのだろうが、変に目が冴えてしまって一向に眠れないのだ。これではいけない。俺はしぶとく、いつまでも目を瞑っていた。そして、どれくらい時間が経ったのかも分からぬが、ずいぶん後になってやっと俺は眠りに着く事が出来たのだった。




