最終日 極悪人の女
人の歌消すのは中学の時よくやられたからマジでやめてほしい。しかも今回に関しては初対面の相手なので本当にダメージが大きい。
「……ど、どうして?」
怒りや恥辱なんかよりも早く、ただ純粋な疑問だけが打ち勝った。俺はなーちゃんの顔をただポカンと凝視するしか出来なかった。
「んふふッ……」
唇を大きく左右に延ばし、目を線の様に細め、“精一杯”の笑顔を向けてくるなーちゃん。その表情は、実に複雑な構造をしていた。呆れたような、申し訳なさそうな、面白おかしそうな、いろんなものが入り混じったようや笑顔だった。彼女はただそんな笑顔を向けてくるのみで、なにも言ってこなかった。だから俺も、その表情の奥に隠されたその“真意”を読み取る事が出来なかった。
「まあ……」
代わりに応えてくれたのは居候だった。彼は頭をボリボリ乱暴に掻きながら、俺に何かを言わんとしているようだ。アキホの姿は俺の視界の外にあったために、彼女の様子については分からない。ただ彼女も一緒に可笑しそうに笑っている様な気がしたし、きっとそうに違いなかった。
「もうちょっと……盛り上がる歌を、な?」
そう言いながら、居候は二、三度、目の前で手をヒョイヒョイと持ち上げた。なんとか言葉を絞り出そうとする彼のその姿は、どこか俺となーちゃんの間に生まれたこの険悪な亀裂を埋めるための、“最大公約数的な最適解”を探し求めているように見えた。その証拠に、彼はその間ずっと、頑なに俺の方から視線を外そうとしているように感じた。何度か、隣でニヤニヤしているだけのなーちゃんの姿を認めては、ため息も吐いていた。
彼の言葉をそのままに受け取ると、しんみりとした歌を歌うのはどうやら場違いであったらしい。退屈だからもっと盛り上がるような歌を歌えという意味だろうか。
たしかに、彼の言うとおりかもしれない。俺は半ば無理矢理にそう飲み下し、震える手でマイクをそっとテーブルに置いた。
しかし――
「……」
――俺はこうも思った……
消すかフツー?
冷静に考えれば考えるほど、彼女のその行動はあり得ないものだった。仲のいい友人同士ならともかく、初対面である。非常識どころの話なんかではないと思った。
しかし俺はなおも考えたーー
もしかしたら、俺の歌が相当不味かったのかもしれない。自分では自分の歌の下手さ加減は分かりにくいものだ。実際、そういった経験も何度もしてきた。
だから、ひょっとすると、彼女は、なーちゃんは、俺の歌が聞くに堪えないものだったから、消したのかもしれない。もしかしたらそうかもしれない。悔しいけど、そう考えると合点がいく。これは自分の実力不足が招いた結果だ。俺はせめて、“音楽”の上においては真っ向から向き合っていたかった。なぜなら、俺にとって歌だけが唯一の“誇り”だから。――俺の歌は聞くに堪えなかった。だから消された――その事実と真っ向から、真摯に向き合う事は、今後俺自身の歌唱力を向上させていくうえで、どうしても必須の事だと思った。
しかし――
――俺はこうも思った。
「……」
いや、それでも消すかフツー?
やはり冷静に考えれば考えるほど、彼女のその行動はあり得ないものだと再認識した。気の置けない親友同士ならともかく、初対面である。お前こそよっぽどの『KY』だと思った。
「…………」
極悪人だと、思った。彼女は正真正銘の、極悪人だ。
冷静に考えれば考えるほど、極悪人だと思った。盛り下がる歌を歌ったから……歌が下手だったから……さまざまな角度から考えた。そして、まるで行き止まりの袋小路に突き当たってはまたスタート地点に戻るという――インチキでなんとか迷路を攻略しようとするときのように、俺はなんとか彼女自身の行なった行為を、正当化しようと試みた。
しかし、どの視点から、どの思想から考えてみても、いずれも突き当たったその先は、『極悪人』と大書されたデッドエンドの壁だった。
なんとか我慢せねばならない。俺は今まさに、この恥辱、この怒りを抑えて、この場をなんとかやり過ごさねばならない。俺は自らの心を、いったん抹殺する事にした。これ以上いろいろ考えていたら、頭がおかしくなってしまう。
「いやあ、手厳しいね、これはまた、ヘヘ」
「んふふ~」
俺は自らの顔面に何とか笑顔の仮面を張り付ける事で、無理矢理にでも楽しんでいる風を装った。しかし、今日の俺はきっと、悔しくて眠れない夜を送ることになるだろう。辛くて震える夜を過ごすごとになるだろう。
「すーた!あのネタやってや!」
居候が俺にそうねだってきた。
「あのネタ?」
とぼけてはみたものの、もちろん俺にはそれが何の事なのかが分かっていた。
「あれやん!『世界各国のニュースキャスターのモノマネ』!」
「なにそれ⁉ 見たい見たい!」
女性陣もすかさず便乗してねだってきた。
もちろん、笑かせるのであればやりたい。俺もこのまま舐められっぱなしだなんて絶対に嫌だ。しかもその例のネタというのは、俺の大学時代の鉄板ネタであり、そのネタをやってウケなかった事は無い。何度やっても、誰にやっても、何回見ても、笑かせることが出来る伝説のネタだった。
「いや、それはやめとこう」
しかし俺は断った。なぜなら、いまそのネタをやったとしても、100パーセント確実に笑かせる確証が無かったからだ。――その理由は、決して『空気感』とか、『タイミング』とか、そういった要素から起因するものなんかでは無い。理由はもっと別なところにあった――
『ネタ』というものは、不思議なものである。どんな鉄板ネタにも、必ず『風化』というものが存在するのだ。過去存分にウケていたような鉄板ネタも、時が経つにつれてスベる確率というものが大いに上がる。それは決して、同じ人間相手に何度も同じネタをして飽きられたから――という理由だけじゃない。摩訶不思議な事に、やり尽くされたネタというものは、たとえ相手が“初見”の人間であったとしても、ウケる確率はずいぶんと下がるものである。むろん、ウケる事も少なからずあることにはあるが、それでもそのネタが開発された当初に比べれば、その確率はうんと下がっているという事がほとんどである。
「せっかくカラオケに来たんだから、こんな余興なんてのはどうだ?」
だから俺はその代わりとして、新たに作った新ネタを披露する事にした。
「どんな題名?」
居候のその問いに答える前に、俺はまずズボンのベルトを外した。そして財布、携帯、タバコなどなど、その場にある出来る限りのものを、ポケットへとありったけ“詰め込んだ”。それにより、ズボンの質量が、ぐんと増した。
「これは俺がおよそ1年半前に考え付いたネタでね。でもその後すぐに台湾に行ったきりだったから、どうにも披露する機会を得なかったんだよ。タイトルは、『どこで買ったんか知らんけど、服のチョイスを間違えて歌どころでは無い京都のストリートミュージシャンのモノマネ』」
「お前それどっかで聞いたことあんぞ!」
そして俺は電モクから『UVERworld』の『SHAMROCK』を入れた。
「お!シャムロックじゃん!この歌好き!」
女性陣が口々にもてはやした。
そして準備が出来ると、俺は立ち上がり、備え付けの小さなステージへと上がった。
やがて曲が流れ始める。
「それでは、聞いてください。カバー曲、『SHAMROCK』です――」
そして歌い始めた。
「あの日ぼ~くが~握りしーめ~てた~夢~……」
歌い始めると、俺は曲のリズムに合わせて体を上下にゆすった。すると、腰回りがゆるゆるになったズボンが、ずるりと脱げ落ちた。
「今はここにあって 一人になって どこにいたって……」
脱げ落ちそうなズボンを手で押さえ、そしてまた歌に集中するとズボンが脱げ落ちる……
俺は片目を薄く開けて、場のウケ具合を確かめてみた――
居候が豪快に手を叩いて笑っていた。しっかりとは確認できなかったが、他の二人も、たぶん笑っている。俺の気分はますます興に乗った。
「失った事~も糧~になって 生~きていけ~ると いいっきっかっせ~る~」
ここからが本番だ――サビに入る瞬間、俺はプロモーションビデオさながらに、高らかにジャンプして見せた。
そして激しく着地した。激しくズボンが脱げ落ちた。
「すべて投げ~出~し~!い~ま~す~ぐに~君をこ~の手~に……」
曲と自らの歌声の騒音に、彼ら自身の反応を“聴く”ことは出来ない。しかし、再び薄目を開けて場の状況を確認してみると、皆これ以上ないほどに爆笑していた。
その後も、ズボンが脱げてはまた戻し、また脱げ落ちてはまた戻し――を繰り返しながら俺は歌い続けた。
「なまじ歌上手いのが腹立つよな」
騒音と騒音の隙間をすり抜けるようにして、ふと居候のそんな声が小耳に挟まった。文面上では微妙な褒め方ではあるが、裏を返せばお世辞では無いということにもなる。
俺は今までの人生の中で、散々歌が“上手かったり”、“下手だったり”してきた。その為、こと歌の上においては、相手の褒め言葉が本心からの賞賛なのか、はたまた心にも無いお世辞なのかは、相手の口調や、言ってきたタイミング、そして表情や声の抑揚からしてほとんど分かってしまうのだ。
今のは褒め言葉に受け取ってもいい。俺はますます気分を良くした。
歌が終わると、彼らの間から少々笑い疲れたようなため息が聞こえた。大成功だ。やはり俺のこの新ネタは傑作だったみたいだ。実際このネタの“ミソ”は、歌自体を出来る限り上手く歌えばこそ、笑いとして引き立つように仕組まれたネタだったのだ。綿密に組み立てられたこのネタは、俺にとってこれ以上ないほどに、“上品”な下ネタなのである。
『下品』を限りなく『上品』に昇華する――それが俺の考える、芸術の極意だ。
「すーた!ついでに“あれ”もやってや!」
再度、しつこく居候が催促してきた。俺は『しょうがないな』と言いつつも、もうすっかり機嫌もよくなってしまったため、半ばいい加減な気持ちでそのおねだりに乗ってやることにした。
そして俺はまた小さなステージ上へと昇る。
「ちょ!二人とも、見て見て!今からすーたがバリおもろい事やるから!」
容赦なしにハードルを上げてくる居候だったが、俺はもう不思議と怖いものは無くなっていた。さっきの新ネタで存分に温まったこの場においては、おそらくもう何をやっても上手くいくだろう。実際、俺のその予想は的中していた。
「え~……今から、『世界各国のニュースキャスターのモノマネ』をやります」
タイトルを言った時点で、軽く笑いが起きた。
「最初に、日本のニュースキャスターのモノマネをやってから、次に中国のニュースキャスターのモノマネ、それから最後に――北朝鮮のニュースキャスターのモノマネをやります」
このネタは、タイトルコールの時点からして、すでにちょっと面白いのだ。三人が、期待に目を輝かせながら、俺をじっと見守っていた。
「それでは、本日のニュースをお伝えいたします」
まずは日本語で、改まったように頭を下げた。そして次は中国人のニュースキャスター。
「据政府公布,昨晚政府大家一起聚餐了。国家主席发了咖喱饭最好吃」
客席から、『おお……』と感嘆の声が上がる。何年も前から、俺自身の耳にタコが出来るほど何度も言い尽くしたセリフだ。いまとなっては口が勝手に動く。それどころか、もはやいまの俺はその中国語の意味などとうの昔に忘れてしまっていた。
そして俺はキリの良いところで中国語を止めると、すこし間を空ける様にして、ゆったりとした動作で次のポーズへと移った。
「ぱーぱぱーぱーぱーぱーぱー!」
そのポーズとは、いななく馬に勇ましく跨る、“銅像”のポーズである。――もう何年もこのネタをやっているが、“ここの部分”に関してだけは果たして相手に上手く伝わっているのかどうかは今でも分からなかった。
そして、再びゆっくりとニュースキャスターの姿勢へと戻り、ほんの刹那の間、無言の空気をあえて演出してみた。
そして――
「アンチョパチュチョムニカッ!チャンデレハッ!チョンデレハッスミダッ!」
大爆発させるように発したそのデタラメな朝鮮語に、三人の笑い声はまさにビッグバンの如く、カラオケルーム内で内部爆発を起こした。
「ァィゴォッ!チャルモッゴスミダーッ!マンセー!マンセー!マンセー!」
どうやら、これに関してだけは、俺の腕はまだ落ちてはいなかったようだ。俺の目論見は、まるでジャックポットにボールがすっぽり入ったかのように、これ以上ないほどピタリと決まった。
「な⁉ これめっちゃおもろいやろ⁉」
居候が何度も女性陣を振り返り、興奮した様子で同意を求めた。三人とも大いに笑ってくれていた。俺は今のその場の空気を全身に浴び、そして同時にホッと胸を撫で下ろした。
本日の俺の仕事は、もうほとんど終えたかのように思えた……
しかし――
事件はその時に起こった。
今しがた俺が作り上げた賑わいの中、まるで火事場泥棒のようにどさくさまぎれに、“彼女”の声がうっすらと、しかしはっきりと聞こえた……
「あたしもやる!」
その声の主は、なーちゃんだった。それは唐突な、あまりに唐突な申し出だった。俺は飲みかけた酎ハイを口に含んだまま、しばし固まった。
「ええ⁉ お前もやんの⁉」
「ホントに!やってやって!」
居候が驚いた様に声を上げる。アキホがそれに無責任に便乗して歓声を上げた。一度声を発してしまったなーちゃんは、瞬く間に神輿に担がれるように、ステージ上へと上がっていった。
「世界各国のニュースキャスターのモノマネをやりまーす!」
俺を除く居候とアキホの二人が、期待の眼差しで彼女を見守る。しかしそんな二人とは対照的に、俺はただただ彼女のその突飛な行為を、理解不能な目で見守ることしかできなかった。俺は、なぜ彼女がこんな馬鹿げた便乗をしだしたのかが本当に理解できなかった。
「ええ~……それでは~“今日の”~ニュースをお伝えします……」
俺の思考を置いてけぼりにするように、完全コピーの“俺の”ネタは進行していった。
彼女は当たり前のようにしどろもどろになりながら、台本を音読する様にして言葉を“紡いで”いく。
しかも彼女は初っ端からセリフを間違えていた。本物のニュースキャスターは『今日の』なんて言わない。
そして彼女は次の中国語へと移った。
「アンチョンパンチョンパンチョン……」
たぶんあれは、中国語のつもりなんだろう。それにしても左右の手を交互に上げ下げしているのは、アレはいったい何なのだろうか?
「ぱーぱーぱ……」
――次に行ったのか? いまいち状況がよく分からないが、彼女のあのワケの分からない動作を見る限りは、どうやらそのようだ。だとすると、次は例の『オチ』――北朝鮮のニュースキャスターのモノマネに入るという事だ。
そうして彼女は、ついにこのネタ最大の見せ場、最大の大舞台に臨んだ。たぶん、彼女はこれがやりたくて立候補したに違いない。
そして彼女は、ボソボソと呟くような小さな声で、この世の終わりと見紛うかの如きグダグダさで、このネタを、“最低な形”で締めくくった。
「アンチョンパンチョン……チャーチャーチャーチャー……チンダラー……カヌシャマー……。…………へへっ……え~……はい、以上です……」
彼女は照れくさそうに自分の頭をなでながら、席へと戻って行った……
極悪人だと、思った。
「お、おお!やりきったねー」
アキホと居候が乾いた拍手を散発的に叩きながらなーちゃんを褒め上げる。なーちゃんは照れくさそうに自分の頭を撫でていた。
一方俺の方はというと――
「……」
――絶句していた。
もう、訳が分からなかった。彼女はなぜ急にあんなことをしだしたのか? 俺は今まさに目の前で行われたこの“非現実”に、困惑の色を隠せなかった。これこそ、まさに、“ファンタジー”だと思った。
俺がスベッたからなのか? だから彼女は俺をフォローする為に自らを犠牲にしてまで一緒にスベッてくれたのか? ――いや、その可能性は実に考えにくかった。実際俺のネタはかなりウケていたはずだ。それは俺自らこの目で確認している。
じゃあどういうわけだろうか? 俺がウケているのを見て、自分もウケたくなったのかーー?
もしそうだとするのであれば、ますます彼女は極悪人だった。彼女は極めて悪い人ーー略して『極悪人』だ。
自分の持ちネタを披露するのであればまだしも、他人の持ちネタを丸パクリし、挙げ句“スベッた”のである。せっかく温まったこの部屋が、一気に閑古鳥の鳴く世界へと変わり果てたのだ。まるで南極のごとく極寒の空気に変わり果ててしまったのだ。この場を南“極”に変えてしまうほどの“悪”質な“人”物ーー略して『極悪人』だ。
俺にはもう彼女の事が理解できなかった。




