最終日 俺にとってのデリケートゾーン
誰にも打ち明けたことの無かった私の心情を、この場を借りてぶちまけます。
所沢は取るに足らない場所――なーちゃんはそう言ったが、俺にはどうもそうには思えなかった。少なくともいま歩いている通りをざっと見渡す限りは、十分賑わっているように思える。
俺達はカラオケ屋を探していた。そんな都合よくカラオケ屋など見つかるのだろうか……と思っていたら、すぐ頭上に『ジャンカラ』のデカい看板が横からニュッと顔を出していた。さっき居酒屋を出てから、さほど距離も歩かなかった。
カラオケに着くと、入り口のエントランスに喫煙所があった。俺とアキホはそこで一服した。居候となーちゃんはどこかに行った。たぶんウンコだろう。
「小説見せてよ」
彼女は唐突にそう言ってきた。
「ええ……恥ずかしいな……」
俺は一応恥らっては見せるものの、本音を言えば見せたかった。そして俺は今まで書いた作品たちを思い浮かべてみた。良いものがあれば、ぜひ紹介したかったのだ。
まず、俺の処女作である短編小説が思い浮かんだ。昔話をもとにした小説で、広く知られているおとぎ話を逆手に取り、どんでん返しを狙った作品だ。俺は最初、この物語を思いついたとき、もうすでにノーベル文学賞は自らの手の内にあると確信した。もしノーベル文学賞が無理だったとしても、最低でもノーベル賞くらいは軽く受賞すると思えた。
そして書き上げた後、満を持して自らのフェイスブックに投稿した。そして俺は、友人たちからの賛美のコメントをひたすら待った。しかしいくら待てど暮らせど、誰も俺の小説を読んでくれた形跡は見つからなかった。しばらくしてやっと来たコメントが、『時間返せ』という高校時代の先輩からのコメントだった。『読んでくれたのですか?』って返信すると、『読んでない。二、三行読んで閉じた』と返事が来た。つぎに、高校時代の友人からも連絡が来た――『おもんないねん』と電話で言われた。もちろん彼も読んでいなかった。だから彼の言った『おもんない』というのは、作品が面白くないという意味では無く、『お前のやってること(つまりは小説執筆という行為そのもの)』が『おもんない』という意味だ。
ちなみにその小説は、ちゃんとコンテストにも応募した。そのコンテストでは、応募者には全員分、審査員からの選評が送られる。だからもちろん俺にも選評は送られた。その選評の『良かった点』のコメントでは、まるで小学生の作文のような口調で、まったく“的外れ”な部分が褒められていた。もちろん落選した。
――よって、この小説はボツである。アキホに見せる訳にはいかない。
次に思い浮かべたのは、二作目に書いた長編小説だ。台湾で書いた小説だ。残り少ない留学生活で、もう語学学習も諦め、2か月ほどかけて書いた血作だ。
当時はもうバイトもクビになり、家に引きこもり、丸々一日を使って毎日毎日、退廃的にその長編作品だけを書いた。血作――『血のにじむ思いをして書き上げた』という意味でこんな言い方をしてみたが、これは別にポジティブな意味というわけでは無い。よくある異世界転生モノを、何のプロットも無いまま書きはじめたような行き当たりばったりの作品だ。
その結果、当然のごとく行き詰った。7万字ほど書いた辺りから、何も書けなくなった。丸一日パソコンの前に座り、ついには一字も書けない日だってあった。途中、発狂しそうになった。データを全て消去してやろうかという狂気にも駆られた。俺は安易にこの作品を書きはじめたことを、心底後悔した。
それでも俺は書き続けた。そしてついに俺は、台湾留学という人生に一度しかないであろう貴重な期間を丸二か月使って、誰にも見せられないようなくだらない駄作を一作、書き上げたのだ。まさに血みどろになってまで書き上げた駄作ーー血作だった。
これもむろん、アキホに見せるわけにはいかなかった。こんなのただの黒歴史だ。作品の内容についても、かなり独りよがりなテーマを主張していた覚えがある。
俺はまた考えた。そして、そもそも何で俺はこんなにも、“彼女に何を読ませるべきか”について考えているのかを、考えた。少し考えて、たどり着いた結論があった――俺は結局、見栄を張りたいだけなのだ。『俺はこんなにもすごいんだぞ』って事をアピールしたいだけなのだ。
ああ、そういう事であれば、一つあるじゃないか。いま現時点で、俺が他人に誇る事が出来る、唯一の作品が。俺はその作品で、金を稼ぎ、いろいろな人から支持されている。それを見せてやればいいんだ……
…………。
……だめだ。俺はすぐに思い直した。さすがにリョナ小説を彼女に見せる訳には行かないだろう。あんなにも女性蔑視の作品――とはいえ、俺にとっては決して女性蔑視のつもりではないのだが――を女性に見せるのはギャンブル以外の何物でもない。
「……」
「小説読ませてよ」
「ごめん。やっぱり恥ずかしいからダメだよ」
よく考えると、俺には自信を持って他人に読ませられるような作品が無い。そんなことに今更ながら俺は気が付いた。やはり俺は、“自称”小説家に過ぎない。
――――
俺は、歌が上手い。すごく、上手い。特に、大勢のギャラリーの前で歌うのが好きだ。ラウンジとか、カラオケバーとか、他のお客さんが居る所で歌うのが大好きだ。なぜなら、みんな俺の歌に度肝を抜くから。『歌上手いね』という言葉はもう言われ慣れている。俺にとって、『歌が上手い』と言われることは、女性でいえば『可愛い』と言われることに似ているかもしれない。どんなに言われ慣れていても、決して悪い気はしない。安心していられる。自分はまだ大丈夫だと、安心していられる。
本気で歌手を目指した事もあった。正直、こんなことを考えている自分はかなり痛々しいのかもしれないが――スピーカーの向こうで歌うプロのアーティストの歌を聞くたびに、果たして自分の方が上手いんじゃないか――と、ついそんな不遜な事を考えてしまうくらいだった。
歌に関しては、俺が唯一人に誇る事が出来る、絶対的自信を持つ数少ないの才能のひとつだった。
俺は、歌が下手だ。すごく、下手だ。初めて自分が音痴だと知ったのは小学生のころだった。もともと『イジられキャラ』だったことも理由にあるかもしれない。先述のとおり、俺という人間はどうも“言いやすい”らしい。普通相手には直接言えないような傷つくような事も、怒り出すようなことも、みんな俺に対しては遠慮の欠片も無くぶつけてくる。だから小学生のころからずっと言われ続けてきた。『音痴が歌うな』――と。歌の合唱では皆から責められた。『お前の歌は耳障りなんじゃ』――と。
中学校に上がっても、俺の評価は変わらなかった。しかも俺は中学に上がる時点で別の地域へと転校したため、だれも俺の小学生時代を知っているものは他にいない。だから彼らの評価は正しいと言えるだろう。カラオケに行くと、周りのみんなは当たり前のように“上手”に歌を歌った。みんなジャニーズみたいだ。みんなかっこよかった。俺は不思議だった。――どうして自分だけが出来ないのだろう、って。
だから俺にとって歌は『誇り』であり、『コンプレックス』でもあった。絶対的自信を持っているが、同時に常に不安が付きまとっていた。
俺は、音痴なのだ。そんな醜いすっぴん顔を、莫大な『好き』と、膨大な『努力』で塗り固めているだけに過ぎないのであって、俺は実のところ、音痴なのだ。だからいつまでたっても言われ続けたいのだ。『歌が上手いね』――と。それが俺にとっての精神安定剤なのだから。
「すーた。お前あとであれ歌えよ」
居候が意味ありげな笑みを浮かべてそう言ってきた。カラオケ部屋にはすでになーちゃんも戻ってきており、さっそく居候が電モクで何か曲を入れようとしていた。
「あれ?」
そうとぼけては見たものの、本当は何の事かは分かっていた。
「あれやん。レゲエ」
「ダメだよ。俺はもうレゲエなんて歌わない――」
しかし俺は断った。
「TPOをわきまえなきゃならないのだ。俺はもう普通の歌しか歌わないよ」
俺は14、5歳のころからジャパニーズ・レゲエが好きだった。もともとはそんな歌ばかりを歌っていた。
そういえば俺が劇的に歌が上手くなったのは、ちょうど大学生になったばかりの頃だったかと思う。居候とはちょうどそのあたりに出会っているため、彼にとって俺は、『歌が上手い人間』というイメージで固まっている。
それにしても、やはり俺はもうレゲエは歌う気にはなれなかった。昔はどんな人とカラオケに来ても、空気を読まずにDeeJayスタイルの激しいレゲエ曲を歌いまくっていた。それでも、たとえ周りの人間がそのジャンルに対してまったく興味が無かったとしても、周囲の人間を唸らせることが出来た。
しかし、いまの俺はもうそんな気にはなれなかった。俺ももうさすがにこの歳になれば、『相手に合わせる』という事を学んだのだ。
そして俺は、久しぶりに居候の歌を聴いた。相変わらず、彼は並ほどに、上手かった。彼もおそらく、中学時代俺が憧れていた、“あっち”の人種の人間なのだろう。いつでもどこでも、パッと軽く歌えるような、そんな人間なのだろう。
俺も、そうなりたかった。俺は本当は、《《ただ当たり前のように》》上手く歌を歌いたかっただけなのだ。こんな必死こいて練習して、それでやっと上手くなれる才能なんて、本当は要らなかったんだ。
しばらくして、居候が歌を一曲、歌い終えた。次は俺の番だった。
「きみ、ずいぶん古い歌を歌ったんだね」
俺はマイクを手に取りながら、彼にそう言った。彼の歌った曲は、たしかに古かった。
そしてしばらくすると、俺の入れた曲が流れ始める。――『栄光の架け橋』だ。
「お前の歌も十分古いやんけ!」
即座に居候がツッコんできたが、そんな事を言われても仕方がない。俺は永らく異国の地で暮らしていた。いま日本でどんな歌が流行しているかなど、知る由も無かったのだ。もっとも、日々俺が働いている実家の工場では有線の歌が四六時中流れているため、いま現時点でどんな歌が流行っているのかくらいは知っている――しかし、まだ歌えるほどには聞き慣れてはいないのだ。
そして、いよいよ曲が始まった。満を持して、俺は歌った……
「――」
しかし、歌い始めた瞬間、俺は言いようも無い違和感を覚えた――
それは嫌な、嫌な違和感だった。まるで水の中をジタバタと走っているような、思うように身体が動かない、あの感じ。よく夢の中で、何者かに追われていた際、いくら逃げようと、逃げようともがいた所で一向に前に進まないあの感じとよく似ていた。
俺は自分自身が、どれだけ歌が上手いのかをよく知っている。それこそ、一種のナルシストのごとく、自らの歌に自分自身、聞き惚れるほどにだ。
しかし、今に限っては、そうではなかった。いま歌っている自分の歌が、なんて事も無いような、平凡な歌に聞こえた。歌っている自分自身が、退屈を感じた。俺はふと、歌いながらも横目を使い周囲の反応を確かめてみた。案の定、みんな退屈そうにしていた。携帯を弄ったりしていた。
俺はもうむしろいっそのこと、不思議だった。どうしてこうも、思うように上手く歌えないのであろう? かといって別に下手という訳でも無い。人並みには上手いんじゃないかとは思う。しかし、俺の本来の実力はそんなものではないはずだった。
そういえば、直近で最後に歌を歌ったのはいつだっただろうか――?
そう思い返した時に、やっと俺は、自分が久しく歌を歌っていなかった事に気が付いた。カラオケなんてものはもちろん行っていない。さらには、普段の日常生活上でも、まったく歌を歌っていなかった。歌を口ずさむことすら久しくやっていなかったのだ。
俺は所詮、“歌が下手”だ。俺はずっと、『歌う事』に関してコンプレックスを抱いていた。歌が上手い人間は、きっと練習などしなくても上手いんだろう。俺は所詮、努力という『ウソ』で厚化粧をした凡人に過ぎないのである。その証拠に、ちょっと歌をサボっただけでこのザマだ。
しかし、大丈夫かもしれない。いま俺が歌っているこの歌は、ラストの部分が見せ場なのだ。通常、常人であれば出せないほどの高いキーを出す場面が、最後に来る予定だ。しかし、俺なら歌える。きっとそこで、みんなをアッと驚かせることが出来るはずだ。
そうこうしているうちに、歌は二番に入った。ラストまではまだまだ長い。だからもう少しだけ、この“上手くも不味くも無い”この歌を我慢してほしい――俺はそう、切実に願った。
そして、俺はマイクを持ち上げた。
そして、大きく息を吸い、歌いだした――
――まさにその時だった。
「悔しくて~眠れなーかあったー夜がーあ~……ああ…………あ、あれ?」
突如、曲が止まった。辺りがシーンと静まりかえった。急に広く感じられたカラオケルーム。その中で俺の声だけがマヌケに取り残された。
「……」
いったい、何があったというのか?
俺はまるでその答えを探し求める様に、前を向いた。そこに居たのは、居候だった。――そしてその隣には、ニッコリと俺に微笑みかける、なーちゃんの姿もあった。
そしてーー
彼女のその両手には、電モクが抱えられていた。




