最終日 似非・東京人
俺はそのとき、なぜかこんな事を思い出した――
大学時代、当時流行していたモバゲーの携帯小説にハマりこんでいた時期が俺にはあった。そのとき俺がもっとも読んでいた作品の中で、とあるアパレルショップの店長の日常を描いたノンフィクション小説があった。記憶はあいまいだが、その小説の中でこんな話が今でも印象に残っている――
ある日、アパレルショップに勤めている主人公(女性)のもとに、一組のカップル客が訪れる。
そのカップルのうち、女性の方は至って普通だった。大人しく、口数も少ない女性だったらしい。しかし、その女性の彼氏というのがかなり異彩を放った男だった。
その男は、ともすれば関西人が聞けばブチ切れそうな“似非”関西弁を操り、やたらと大阪人アピールをしかけてきた。やれ『この服は時代遅れ』だの、『大阪に比べたらやっぱり田舎は大したことあらへんな』だの、散々その店、さらには店員である主人公までもをこき下ろす始末である。――それも“似非”関西弁で、である。まるでドラマとかアニメとかで、関西人じゃない役者が関西人を演じている時のようなそんな“似非”関西弁。主人公から見ても、彼が大阪人でないことは明らかだった。
最終的には、その彼氏は主人公が穿いているタイツの色についても罵倒し、そしてとうとう我慢の限界に達したガールフレンドが、怒って自分の彼氏を店から追い出してしまうのである。
そうして、彼氏が店から出て行ったのを見送ったあと、ガールフレンドは店員である主人公に対してこう言うのである。
「……あの人、大阪の天王寺に4年間だけ住んでました……4年だけですよ」
彼女はそれだけを言うと、何も買わずにその店を後にしてしまった――
――と、そんな話だ。
いわば、大阪人でもない彼氏が無理して大阪人アピールをして、その結果ガールフレンドが恥ずかしい目に遭うという話である。
俺がこの話を読んだ時、『そんな滑稽なやつなどいるものか』と、鼻で笑ったのを覚えている。しかしどうだろうか――?
いま俺の目の前に居るこの女は、その滑稽噺を見事に体現させたものではないのか――?
その作品の中では、その愚者は“大阪人アピール”をしているわけだが、それに対しこの女は“東京人アピール”をしているということになる。本質的に言えば、同じなのだ。
俺はひょっとすると、たったいま、その“餌食”になっているところなのかもしれない。
「すーちゃん⁉ 聞いてる⁉」
なーちゃんの声が、再び俺の体をビクリと震わせた。
「あ、ああ……聞いてるよ」
いけない。俺はまた、上の空になっていたようだ。もちろん、何を話していたのか全く聞いていなかった。
「だからさ、東京タワーのほかにどこに観光に行ったの?」
どうやらさっきの話の続きをしているらしい。俺は意識をはっきりさせるように顔をブンブンと横に振り、そして彼女の質問に答えようとした……
「東京タワーの他には……」
と、そう言いかけたところで俺は言葉を詰まらせてしまう。東京タワーのほかに、観光したところが何ひとつ思い出せないのだ。
正確にはいくつか行ったところはあるのだろうが、それらはすべてちゃんとした観光地とは程遠い。
「そういえば観光はそんなにしてないな……」
ふと呟いた俺の言葉に、なーちゃんが意外にも同意を示した。
「まあね~、あたしも実際東京に住んでるからさ~……自分の住んでるところの観光地ってあんまり興味湧かないじゃん?」
これも東京民アピール……と言いたいところだったが、その考えには俺も心当たりがあった。俺も大学時代、京都に住んでいた時は京都の観光地など微塵も興味を示さなかった。いや、俺はたぶんそもそもの話、『観光地』というもの自体があまり好きでは無い。“立派に取り繕われた表の仮面”なんかを見ても、なにも面白いとは思えないのだ。俺が住んできた京都、滋賀、台湾、すべてそうだが、俺はやはりその土地の“すっぴん”が見たいと思う。
「そうだね――」
俺は何とか彼女と話を合わせる事にした。隙あらば俺をコケにしようと企んでいるこの女どもに対して、俺は情けなくもつい尻尾を振る様な真似をするしかなかった。
「俺も京都に住んでいた時は特に寺なんぞは見に行かなかったしね」
「へえ!京都住んでたんだ⁉」
アキホが目を丸くして驚いていた。
「そうやで。すーたと俺二人とも京都住んでた」
居候も俺に便乗した。
そしてーー
次の瞬間だった。
次の瞬間、俺という存在すべてを、根底から揺るがすほどの、シンプルかつ強烈な一言が放たれることになる。アキホが俺の顔面めがけて、急にこんなことを言い出した。
「はんなり~」
俺の頭が真っ白になった――
彼女はいま、俺を試している。彼女はいま、京都に4年間住んでいた俺に、『はんなり』という“京ことば”を解説してみせろと言っているわけである。
俺はこの時、今ここでこそ、先ほどまでの失態を挽回せねばならぬと悟った。
「ねえ、はんなりってどういう意味なの?」
アキホが小首を傾げながらそう尋ねてきた。今度こそ、俺はビシッと決めてやらなければならない。ここで『はんなり』という京ことばの意味をしかと説明し、見事体裁を保たなければならないのだ。舐められてはならない。決して、舐められてはならないのだ。
「……う……あ……えっと」
しかし、どう頑張っても、どう気張っても、俺には『はんなり』という言葉の意味が分からなかった。いや、聞いたことはある。しかしその意味まではついに知り得なかった。
「あの……だから……」
その場に流れる、無言の空気。三人とも、皆が俺の言葉を待ちうけている。
俺は作戦を変更し、せめて面白い事でも言ってみようと思った。
「はんなり~……はんなり~……」
しかし、どう頑張っても、どう気張っても、俺には『はんなり』という言葉から何か面白い言葉を取り出すことが出来なかった。いや、言葉の響き自体は面白い。しかし、それをギャグとして昇華するまでにはついになり得なかった。俺は蚊の鳴く様な声で、もしくは萎びた場末の遊女のように、変な声でただそう呟くことしか出来なかった。
「ちょっとやめよ!巻き込み事故起こってるから!」
突然居候が大声で俺を制した。すると一同がワッと笑い出す。
「え、でも京都弁で『はんなり』って言葉あるでしょ?」
「いや、聞いたことないわ!なんやねん!『はんなり』って!」
居候が激しくツッコミを入れた。
「ええ~!ぜったいあるのに~!」
そう。たしかに彼女の言う通りだ。『はんなり』という言葉自体は確かに存在したはずだ。
しかし今はそんな事よりも――
またもや俺は居候に助けられてしまった。俺はあまりのショックに、半ば自失状態に陥ってしまった。そこからしばらくの間は、やはり何を話していたのかはあまり覚えていない。
やっとのことで正気を取り戻すと、話はまた観光地の話題に戻っていた。
「すーちゃん東京タワーしか行かなかったんだ~。もったいないじゃーん」
「主に、東京に住んでいる友人と会っていたんだよ」
「なるほどねー。まあでも東京で観光地って言ってもそんな見る所なんてないしね~」
なーちゃんがまたそんな事を言っていた。彼女のこの言葉に対しての返答について、俺は別にどうでも良かった。ただ無難に会話を続けたかった。俺の心はもうズタボロだ。
だから俺は何気なくこんな適当な事を尋ねた。
「東京って、何があるのかね?」
何気なくそう聞いた。もちろん、『どんな観光地があるのか?』――といった意味で。別に答えなんていらなかったし、知りたいとも思わなかった。
しかし、ちょうどその時、アキホが俺の質問に答えた。魚を箸でつつきながら、一瞬の隙を突いて素早く横入りするような形で、手短に言った――
「夢と希望」
彼女のジョークに、一同が笑った。
「……」
しかし俺は笑わなかった。周りが笑っている中、俺だけが取り残されたように沈黙していた。
別につまらなかったわけではない。いや、つまらなかったのは事実だし、逆にこれで笑えと言われる方が土台無理な話ではあるが、でも決してそれだけが理由だったわけでは無かった。
俺は、彼女の言ったそのジョークを真に受けてしまっていたのだ。もちろんジョークなのは分かっている。つまらないジョークだ。しかし、この時の俺はなぜか、彼女のその言葉を“そのままの意味”で受け止めてしまっていた。
『東京には、本当にそんなものがあるんだろうか?』
思わずそんな言葉が、つい喉元まで出かかった。しかしもちろん俺は、言わなかった。
さっきチラと聞いた話では、なーちゃんは介護関係、そしてアキホに関してはなにやら創作料理のなんたらについて研鑽をしているらしい。
俺は疑問だった。彼女たちはなぜ、上京したのだろうか?
東京じゃなきゃいけない理由が、あるのだろうか。バカ高い家賃を支払い、『夢の為の運転資金』を削ってまで、東京に住む理由が。
……少なくとも俺には無かった。創作活動なんてどこでもできる。むしろ、東京へ行くくらいなら外国へ行ったほうがいいんじゃないかとまで、俺なら思う。
「だから聞いてる⁉ すーちゃん!」
ハッとまた目が覚めた。今日はどうもいけない。あまりのショック続きゆえか、すぐに自失状態に陥って気を失ってしまう。
「あ、ああ……なんの話だったっけ?」
気を紛らわせるようにジョッキのチューハイを飲み干していると、居候がやや声を高らかにして言った。
「だから、今からここ出るけど、次どこ行くかって話」
バカな――俺は彼の言葉が信じられなかった。時計を見た。するともう、かれこれ二時間近くは経っていたらしい。俺が実際に意識を保てていた時間なんてほんの数十分だろう。俺はこの飲み会のほとんどを、茫然自失の中で過ごしていたということになる。
「カラオケでいいんじゃない?」
「カラオケにしよか」
いまだ微睡から脱し切れていない俺を無視して、三人はどんどん話を前に進めていた。
そうして訳も分からず、俺は三人を追って店を出た。席を立った途端、すこしだけ身体がふらついた。俺はどうやら、上の空になりながらも酒だけはちゃんと飲んでいたらしい。
要するに、大概の人らはミーハー的精神で上京してない?って事が言いたい。




