表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
麻布十番の居候  作者: そーた
44/52

最終日 東京もんアピールすな

正直、この時ばりムカついた。



 今は昼時である。その為、この時間帯に空いている居酒屋なんてものもそう多くは無かった。


「すーた。この店空いてるかどうか聞いてきて。俺、こっち何かないか探しとくわ」


 居候がそう提案してきた。俺は彼の言うとおり、目の前にある和食屋のような雰囲気を漂わせる居酒屋へと入り込んでいった。


 店の女将を捕まえて、『四人』だと伝えると、彼女は『満席』だと言った。俺は諦めて店を出た。表へ出ると、道のはるか向こうの方に、こちらを見て突っ立っている居候たちの姿があった。俺は顔の前で大きくバツ印を描いた。

 するとほぼ同じタイミングで、居候から電話が来た。


『こっちに一軒、入れるところあったからこっち来て』


 どうやら居酒屋は彼らが先に見つけたようだ。パタパタと走って彼らの元へと向かうと、そこにあったのは『磯○水産』だった。



―――― 



「俺ら昨日も磯○やったな」


 居候がやたらと可笑しそうにそう言ってきた。


「――まあこの時間帯はどこもまだ開いてないしな。しゃあない」


 そして諦めたようにそう付け加える。俺はべつに、飲めればどこでもよかった。しかし女子のほうが満足するかどうかは少々不安ではあった。



 俺はいつも通り生ビールから口を付け、そして女の子達も酒を飲んだ。彼女たちはやはり、俺が“大阪出身”である事に興味を示したようだった。



「大阪人だったらさ!なにか面白い事言えるんじゃない⁉」



 なーちゃんの出し抜けなこの“雑”な期待は、全国の大阪人が持つ共通の苦悩と言える。『大阪人=面白い』――この無責任なイメージが、俺達に絶大なプレッシャーを与えるのだ。


 しかも何よりも迷惑なのは、彼女が今しがた俺に放り投げてきたこの“無茶振り”だ。『何か面白い事言ってよ』・『何か面白い事してよ』・『何かしてよ』……これらは例えるならば、演劇の役者に対して『今この場で何か演じてよ』とか言っているようなものである。何の前振りも無く、何のサポートもなく、TPO問わず、そのくせハードルだけは精一杯に引き上げられて……はっきり言って、地獄である。


 俺は中学時代を思い出した。めちゃくちゃ怖い先輩に『なんかおもろい事やって』と一言命じられ、苦し紛れの一発芸をやり、スベり、殴られた過去を思い出した。もっとも、この怖い先輩は、もとより俺を殴る為にこんなことを言い出したわけだが、関東人というものは違う。もとより根っ子から“分かって”いないのだ。


 俺はひどく困惑した。こういう時、どう答えていいのかが分からない。何か言えば、確実にスベる。かといって、断れば、『面白くない』と言われてしまう。彼女のこの言葉は、すなわち回避不能な残虐非道の殺し文句なのである。



「こいつ小説書いてるしな」


 しかし俺の窮地を悟ってか否か、居候が絶妙なタイミングで助け舟を出してきた。


「へえ~!そうなんだ!」


「すーちゃん小説書いてんの⁉」


 彼のその一言のおかげで、彼女たちの興味はすっかりと『小説』のほうへと流れて行った。俺はホッと胸を撫で下ろした。助かった。会話は三人だけでどんどん前に進んでいっているようだが、俺は安堵のあまり放心状態になっており、彼らの話をほとんど聞いてはいなかった。


 と、ちょうどその時だった。


「でもさぁ!あたし居候くんから連絡来たとゥフッ……きね……!」


 俺の目の前に座るなーちゃんが喋り出した時、前触れも無く彼女の口から“食べかす”が噴き出しそうになった。


 彼女はとっさに口に手を当てた。しかし俺は見逃さなかったーー彼女の口から白い食べかすがピョンと飛び出て彼女の下唇あたりに着地していたことを。

 しかし彼女が口から手を退けたときには、すでにそれは姿を消していた。


 俺はいまの光景に、なんとなく既視感があった。ほんの数か月前、ひさしぶりに地元の友人たちと飲みに行った時、男友達の一人が、喋っている最中に食べかすを口から飛ばしたのだ。それも、女の子が数人いる中で――である。幸い誰も気が付いていなかったみたいだが、その時にも俺はちゃんと見ていたのだ。

 人間は喋っている途中に口から食べかすを飛ばした時、決まって同じ動作をするらしい。“ひょっとこ”の様にとっさに唇を前に突きだし、口に手を当てるのだ。これは人間の脊髄反射によるものであろう。


 俺は彼女のこの姿を見て、ある仮説を打ち立てた。例えば、口から食べかすを飛ばすこの行為。――もしも俺達が高校生や大学生であったならば、このような醜態など意地でも晒すことはないだろう。少しでも美意識のある若者であれば、異性の前でこのようなことは絶対にしないはずだ。――もっとも、俺はよくやっていたが。


 しかし、俺達はもう28歳である。数か月前にそれをやった男友達も28歳。いま目の前にいるなーちゃんも、28歳。もしかしたら俺達は、着実に歳をとっていっているのかもしれない。オッサンになればなるほど、オバハンになればなるほど、立ち居振る舞いというものがどんどんと“ぞんざい”になっていくものだ。もしかしたらその男友達も、そしてなーちゃんのその行動も、ひょっとするとその表れなのかもしれない。そう考えると、なんだか嫌な気持ちになった。なーちゃんに対しても、少しばかり嫌な気持ちを抱いた。



 その後、俺も再び彼女たちの会話に加わった。俺はキャバクラの時のように、見栄を張ってインテリっぽさを出そうとした。隙あらば知識をひけらかそうとした。読書の習慣をつけ始めた俺は、何かと知識的な面で威張ってみたかったのだ。そして話していくうちに、それは知識の披露から、傲慢な口ぶりへと変化していった。



 ちょうどそんな時だったと思う。



「わたし最近ゴルフしてるよ」



 ある会話の中で、ゴルフの話になった。アキホが両腕をブンブン左右にスイングさせながら、そんな事を言っていた。



「――週2でゴルフに行ってる」



 そして彼女はそう付け加えた。



 そして、事件はその時に起こった――



 俺はその時、本当に、本当に何気なく、何の取り留めもないような事を、何の取り留めも無いような口調で、何の取り留めも無く、一言で尋ねた。――それはまさしく、相槌を打つ代わりに、無意識に口から出た質問だったと思う。



「ゴルフって、回るほうの?」



 “打ちっぱなし”に行っているのか、それとも“ゴルフ場を回っている”のか――もちろん俺はこういった意味でアキホにそう聞いたわけだが、ともすればそれすらも、俺の頭には無かったのかもしれない。

 本当に、何気なく聞いたのだ。何度も言うように、相槌のつもりで、気がつけば口から勝手にそう出てきただけなのだ。



 すると、信じられない出来事が勃発した――



「いや、ゴルフに行くって言ったら回るほうに決まってんじゃん!」



 彼女は爆発した様に笑い出した。そして、なーちゃんも等しく、爆笑した。


「え⁉ どういう事⁉ ゴルフ行くって言ったらゴルフ場しか無くない⁉」


「え⁉ 何聞いてんの⁉ ヤバい!マジウケる!アハハハ!」


「え⁉ え⁉ だって、だってさあ……!打ちっぱなしって言ったら野球でいうバッティングセンターみたいなもんだよね⁉ バッティングセンター行って『野球した』なんて言わないでしょ⁉︎ そんなわけないじゃん!アッハハハ!マジウケるんだけど!」



「…………」



 俺は冷静になって考えてみた。――まあ、たしかに彼女たちの言う事は、もっともだと思う。言われてみれば、たしかにそうだ。『打ちっぱなしとは野球でいうところのバッティングセンターみたいなもの』――なーちゃんのこの言葉は、きわめて言い得て妙だと思った。実際、それを言われた瞬間、ツルンと喉元をなにかが滑り落ちるように、妙に納得がいった。だから、俺のこの質問は浅はかだったのだと思う。


「アハハハハハッ!」


「ギャハハハハッ!」


 彼女たちは、ずっと笑っていた。一方俺は、無抵抗のまま水をぶっかけられたように、浴びせかけられた嘲笑を拭おうとすらせず、ただずっとそれを受け止め続けていた。

 おそらく、一分間くらい、彼女たちはずっと笑いっぱなしだったと思う。ちなみに一分間というと、六十秒間だ。実際数えてみると良い。いざ六十の数字を一から順に数えてみると、一分間という時間は、けっこう長いはずだ。



「ハア~ァ……超笑った……!」



 やがて彼女たちは笑い疲れたように、大きなため息を吐いた。その場は落ち着いた雰囲気に包まれた。ひとしきり爆竹が鳴り響いた後は、静寂が入れ替わりのようにやってくるものだ。


「いや~……すーちゃん本当に面白いわぁ……さすが大阪人だね」


 目からこみ上げた涙を拭きながら、アキホは言った。彼女のこの言葉は、とても褒めているようには聞こえなかった。


「すーちゃんって……“天然”でしょ?」


 なーちゃんが俺の事を勝手にそう判断した。隠していたつもりなのに、言い当てられてしまったのが悔しかった。彼女はまるで珍獣でも鑑賞するかのように俺の顔、俺の着ているTシャツのアディダスのロゴ、そして俺の手の指先までをたっぷりと存分に見つめ回し、そして最後にこう付け加えた。



「本当……なんだか、少年みたいだよね」



 彼女のその言葉の意図を、俺はまったくもって図りかねた。内容に含みがありすぎて、濃ゆすぎて、却って見えなかったのだ。

 そんなことよりも俺は困惑していた。俺はいつのまにこんなとこに居たのだろうか? アキホのゴルフの話をしていたはずなのに、どうして俺にスポットライトが当てられたのだろうか?


 最初に二人が笑い出してから、今まで、その間――実に一分。



 ――ゴルフって、回るほうの?



 俺のたったこの一言だけで、彼女たちは実に、60秒間もの間、笑い続けた。恐らく、その間絶えず腹筋を働かせていたに違いない。さぞ、けっこうな体力を消耗したに違いない。俺のこのたった一言っきりの言霊が、彼女たちに対してこれほどまでの影響を与えたわけである。



 たしかに、たしかに、俺の質問は、愚問だったように思う……



 ……しかし俺は思う。



 ……俺は、思う。



「……」



 これは、そんなに面白いことだったのだろうか?



 これは、そんなに、笑う事だったのだろうか?



 『ゴルフって、回るほうの?』――『うん』……たったこれだけで済んだ会話だったような気がする。


 よしんば俺の質問を咎める者がいたにせよ、『ゴルフって、回るほうの?』――『うん。てかゴルフって言ったら回る方に決まってるやんけ』――『ふふッ』……で済むような話だったと思う。


 俺はずっと、ポカンとしていた。訳が分からなかった。まるで天と地がひっくり返ったように、まるで唐突に自らの目の前に宇宙人が現れたときみたいに、俺はただひたすらに……呆けていた。



 しかし、それはやがて入れ替わるようにして、今度は激しい怒りに見舞われた。


 俺はテーブルの下で、拳をギュッと握りしめた……



「……」



 極悪人だと、思った。



 不愉快だった。



 信じられないくらい、不愉快だった。



 この世のものとは思えないほどに、不愉快だった。



 まるで心を蹂躙されたかのような気分だった。



 いや、された。蹂躙、たしかに、された。俺の心を土足で踏みつけ、さらにそれだけでは飽き足らず、まるで一生地面にへばりついてろとでも言わんばかりにゲジゲジと足をねじ込み。俺の心はすっかり汚されてしまった。


 俺は、俺の尊厳、俺の人間性、そして俺の人格全てを完膚なきまでに踏みにじられたような感覚に見舞われた。


 どこかで聞いた言葉だったか、俺はふと、どこぞの人権団体の人間が言っていた決め台詞を思い出した。



 『これは、魂の殺人である』



 そう。そうだ。これは魂の殺人なのだ。俺の魂はいま、死に絶えた。耐え難き屈辱を受け、忍び難き嘲笑を浴び、怒りに震えるあまり、憤死してしまったのだ。この女どもはきっと、人殺しに違いない。


 ああ、それにしても疑問に思うことがある。俺は果たして、それほどまでに可笑しい事を言ったであろうか? それほどまでに侮辱されるべきことを言ったであろうか?

 何度考えても、何度考えこんでも、ついに俺には分からなかった。俺には目の前のこの二人の女がまるで別の生き物に見えていた。思えばさっきの『所沢駅』のくだりからしてそうだ。俺は何らおかしいことはしてないはずなのに、しかもそのことを理路整然と懇切丁寧に彼女たちに説明してあげたはずなのに、なぜか言葉が通じなかった。


 きっと、脳みその構造が違うのだろうか? 脳を司る動力源、伝達回路、形状……彼女たちと俺とでは全てにおいて造り方が違っているように思えてならない。いや、きっとそうに違いない。

 もしそうでないとするならば、それこそ彼女たちは、正真正銘の、極悪人だ。


 彼女たちは、極悪人だ。決して赦されない、極悪人だ。



――。



――――。



「すーちゃん!話、聞いてる⁉」



「……ハッ⁉」


 なーちゃんのその声で、俺は目が覚めた。


「え……あ、どうしたんだい?」


 俺はずっと上の空になってしまっていたようだ。先ほどから俺の頭と心のなかでは絶えず憎悪、羞恥、悲哀、怨恨の感情がグルグルと渦巻いており、俺の自我は始終その渦潮に呑みこまれていたらしい。どれくらいの時間、そうなっていたのかは分からない。



「俺らきのう東京タワー見に行ったよな?」


 居候がそう同意を求めてきたが、今の俺には話の流れが一向につかめなかった。


「あ、ああ……」


 しかし俺は空気を潰さないよう、適当に話を合わせた。昨日の夜の話をしているのだろう。それだけは分かった。


 俺はふと時計を見た。どうやら俺が上の空になっている間に、すでに30分以上過ぎていたらしい。いけない、いけない――と俺は思った。


「東京タワーに男二人で行くのは少し気が引けたがね」


 俺は何でもないようにそう取り繕った。さっきは――とは言っても三十分前の話だが――本当に危なかった。俺は危うく、暴れてしまう所だった。きのう居候が『磯○水産』を一店舗、『天空の居酒屋・磯○水産』にリニューアルしてしまったばかりだ。今度は俺のほうが『磯○水産』をもう一店舗、人工衛星に変えてしまうところだった。


「でも東京タワーなんかさ、もう何回も行ってる人からすれば、今更カップルで行くところじゃないよ。だから男同士でも全然恥ずかしく無いと思う」


 なーちゃんが、そう言ってフォローしてくれた。しかし、その言葉は果たして本当に"俺の為"なのだろうか? ひょっとすると、要するに彼女は自分が都会育ちであることをアピールしたいだけなのかもしれない。よくよく思い返してみれば、彼女のその『“東京モン”アピール症候群』は、俺が所沢駅で写真を“撮った”だの“撮らない”だのとやっていたときから、もうすでに症状となって彼女の身体に表れていたと考えられる。



 ――所沢ごときで感動するとかマジウケる!



 今にして思えば、あの時の彼女の言い方はどうも、『あたしはもっとすごいところいっぱい知ってる』――という自慢を言外に秘めていたように感じられるのだ。



 しかし――



 ――俺は尚も不思議に思った。



 ()()()()()()、俺は不思議に思う事があった。



 それはいったい何なのかと言うと、彼女の“アピール”には、どうも奇妙な違和感があったのだ。



 なんというか、上手くは言い表しにくいが、彼女の『東京詳しいですよアピール』は、どうも“必要以上”に感じる。

 例えば、元同僚の森 正也ーー彼も生粋の東京モンだ。彼は生まれも育ちも東京の、根っからの江戸っ子だったはずだ。

 しかし、いま思い返してみると、俺は彼の“東京モンアピール”を実はそんなに聞いたことが無い。


 俺の中で、その一点のみが拭えない違和感となっていつまでも俺の心の中に引っかかり続けたのだ。



「な―ちゃんって今なんの仕事してんだっけ?」


 アキホが尋ねた。


「あたしはいま介護関係だよ。国家資格取る為に猛勉強してるところ」


「へぇ~、そうなんだ。資格取ったらどうすんの?」



 目の前で繰り広げられる、何の変哲も無い、二人のやり取り。しかし、衝撃的な出来事というのは、いつだって平凡の中に、とつぜん姿を現すものだ。



 だから俺の違和感――もとい、嫌な予感の正体も、次のなーちゃんの一言で見事に的中する事になった。



「あたし“地元”栃木だからさ~。資格取ったあと東京で働くか地元帰るか迷ってんだよね~」



 さらりとした顔で吐き出した彼女のその言葉に、俺は、自らの耳を疑った。



 お前東京出身ちゃうんかいッ⁉ ――と、思った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ