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麻布十番の居候  作者: そーた
43/52

最終日 ボーナスステージ



 朝はやはり居候に起こされた。今日の今日こそは、俺は帰らなければならない。いや、本当であれば昨日の今頃にはもう俺は大阪の実家のベッドでゆっくりしているはずだった。


 いわばこれはボーナスステージのようなものだ。しかも、俺は少なからずウキウキとしていた。素人の女の子と遊びに行くなんていつ以来だろうか?



 部屋を出たのは、10時半ごろだった。俺達はいつものように麻布十番駅から電車に乗った。馬鹿でかいリュックを引きずりながら、俺も電車に乗り込んだ。

 どこで待ち合わせだとかは全く知らなかったが、どうせ聞いたところで分かるわけがない。俺はあえて何も聞かなかった(もっとも、たとえここが大阪だったとしても、俺は行先など聞かなかっただろう)。



 途中、猛烈なまでの便意に襲われたが、途中で電車を降りる訳にもいかなかった。何度か乗り換えがあったからだ。


「次は池袋駅で降りるから」


 しかし、彼のこの宣言が、突如として俺を恐怖のどん底へと突き落とした。


「ブクロだって⁉ あそこはダメだ!カラーギャングがウジャウジャいるぞ!」


 俺を田舎者だと侮ってはならない。俺は知っている。むかし、あるドラマで見たことがある。東京には黄色い服を基調とした恐ろしいカラーギャングがいるそうな。ボスは『キング』と呼ばれている窪塚洋介似の人物らしい。


「カラーギャングとかいつの時代やねん……池袋で電車乗りかえるだけやから心配すんな」


 しかし、俺の心配はどうやら杞憂だったらしい。乗り換えるだけであればカラーギャングの襲撃を受ける事はあるまい。もっとも、駅で待ち伏せされていたのであれば話は別なのだが。――しかしその心配も必要はなかった。池袋のホームでは、窪塚洋介の姿はどこにもなかった。



 そして池袋で無事に乗り換えを済ますと、今度は長い時間電車に乗る事になった。その間、居候とはほとんど大した事は話していない。ずっと俺がくだらない事ばかりを言っていた記憶がある。気が付けば便意は収まっていた。



 そうして、俺達は部屋を出てから約1時間半をかけて目的地に着いた。


 たどり着いた先は、『所沢駅』だった。



――――



 居候から不在着信が入っていた。着信時刻を見るに、今しがた電話が来たらしい。俺は間髪入れずにメッセージを送った。



 俺:もうつかはった?(おそらく『もう着いた?』の京都弁だと思われる) 既読11:52


 居候:なにしてんの? 11:55


 居候:置いてくよ? 11:55


 俺:もう終わる 既読11:55


 居候:遅い 11:56



 やっと、便意が収まった。ケツが痛い。昨日パスタにタバスコをぶっかけまくったせいだろう。辛い物を食べると、決まって翌朝は下痢になる。そして二分後に、俺はトイレを出た。


 俺達が駅に着いたときはまだ女の子達の姿は無かった。そのため、俺はかねてから我慢していたウンコを一挙に放出することにしたのだった。


 『どこ?』とメッセージを送ると、『改札でて』という返事が来た。


 彼の連絡から察するに、おそらく女の子達がもう着いているのだろう。改札を出て走っていくと、だだっ広いエントランスの真ん中――ベンチが並んだ大柱のもとに、居候の姿……そしてその隣には、一人の女性の姿があった。きっとあれが、そうだ。



「すまないね。おまたせ」



 そう言って俺はまずは居候に軽く謝罪した。それからチラと、女の子の顔を見た。昨日居候が写真で見せてくれた、あの金髪ショートの女の子だった。全身赤紫のゆるりとした服を着ている。写真の方が可愛かったが、実物も十分可愛かった。


 俺達は軽く自己紹介を済ませた。俺は『すーた』と名乗り、彼女は『なーちゃん』と名乗った。


「もう一人の子があともうちょっと遅れるみたいやから、俺らもう先に駅から出とこ」


 なーちゃんとなにやら相談事をしていた居候が、にわかに振り返って俺にそう言ってきた。二人の会話から察するに、その女の子はもとより所沢にいるらしい。したがって俺達は駅の外で彼女を待ち構えることにした。



 そして俺達が駅の階段を下りて行こうとしたその時――



「忘れた!」


 俺はにわかにそう叫んだ。ギョッとする二人を置いてけぼりに、俺はいま来た道を走って戻っていった。二人は何事かと立ち尽くしていたようだったが、説明は後にしておいた。すぐに済む用事だからだ。


 そして俺はさっきまでいた改札へと戻ると、素早く携帯を取り出した。俺はカメラ機能をオンにして、“ある物”へ向けてシャッターを落とした。


「どうしたん?」


 すぐに戻ってきた俺に、ふたりが不思議そうな表情で尋ねかけた。


「ああ。所沢駅の看板をカメラで撮ってきたんだよ」


 『所沢』というのがどんなところなのかは知らないが、俺は過去にこの地名をどこかで聞いたことがあった。小説だったかもしれない。テレビだったかもしれない。何だったかは思い出せない。ただまあ、写真に撮っておいて損は無いだろうと思い、念のために撮っておいただけのことだった。



「所沢って別に写真撮るほどのところでも無くない⁉」




 するとなーちゃんが心底可笑しそうにケラケラと笑っていた。……そうだったのか。どうやらわざわざ戻ってまで写真に収める必要はなかったようだ。居候も苦笑していた。


 駅の階段を降りると、パッと視界が開けた。たしかに空は晴れてはいたが、一歩間違えれば曇りそうな動きも見せていた。


「居候くんもタバコ吸うでしょ?」


 なーちゃんが彼ににそう尋ねた。


「いや、俺もうやめた」


「うっそ!いつのまに⁉」


「一年くらい前。俺ここで待ってるし、二人タバコ吸いに行ってきいや」


 もう一人の女の子を待っている間、俺たちは少し離れたところの喫煙所でタバコを吸った。



「……」



「……」



 会話は特になかった。すごく気まずかった。俺は焦った。


 ちら、と俺は彼女の顔を横目で見た。なーちゃんは訳の分からない方向へと視線を放り出したまま、ただ一心不乱に電子タバコをスパスパしていた。()吐吸(ぱす)()するスパンがやけに短かった。


 もしかしたら彼女の方も、何を話そうか必死で考えているのかもしれない。――ふと相手のそんな感情の機微というものを感じ取れた気がしたが、たぶん俺の気のせいだろう。


 彼女は俺たちと同い年だ。――居候がたしかそう言っていたような気がする。俺はなぜか彼女との出会いに奇妙な縁を感じていた。なぜそんな事を考えたのかは分からない。仮にも小説家志望(仮)が持ち合わせる、“感受性”というものなのだろうか。

 俺達はもう十分立派な大人である。社会人だ。俺となーちゃんは、立派な“公”を身に着けたこのタイミングで出会った。もしもこれが20年前のタイミングであればどうであったろうか? 俺たち二人はわがままを言い合い、ケンカしていたのかもしれない。――自分でも何を言っているのかが分からない。まあ、どうでもいいことだ。



「居候とはどういう関係?」



 ここは、男である俺から話しかけてあげるべきだろう。俺はなんとか言葉を絞り出した。


「ん? ああ、彼、前に介護系の会社に勤めててさ。元同僚」


 そう喋ったなーちゃんは、見た目どおり愛想が良かった。彼女は活発そうな雰囲気があり、俺は少なからず好印象を抱いた。


 そういえば居候は前の仕事が介護関係と言っていたか。二人のつながりについては分かった。



「……」



「……」



 また、会話が無くなった。


 俺は焦った。この日に限って俺はなぜか初日の時のように上手く口が回らなかった。俺はいつだってそうだ。人見知りするときとしない時の落差が激しいのだ。いや、もしかしたら初日のキャバクラで大いに華を咲かせることが出来たのは、キャバクラ嬢たちの支援によるものが大きかったのかもしれない。そう考えると、俺の気分はひどく落ち込んだ。俺は結局のところ、いざこうして“素人”の女の子を相手にすると、まったく上手く話せなくなってしまう人間なのだろうか。



「今から来る女の子は私の友達」


 何の前触れもなく、彼女が言った。あまりに唐突だったために、一瞬なんの話なのかが分からなかったくらいだ。


「ん? ああ、じゃあ居候は初対面かい?」


 予期せぬ発声に、俺の声は少々裏返ってしまった。


「そう。……って、あ!あれだ!来た来た!」


 彼女はいそいそと吸い殻を公衆灰皿へと放り込み、電子タバコをカバンへと戻しつつ歩いていく。俺のタバコはまだ半分以上残っていたが、諦めて捨てる事にした。



「ごっめーん。お待たせ〜!」


 新しく来た女の子がなーちゃんと再会を喜び合う。なかなか背の高い女だった。可愛いような気もするが、それよりもその顔立ちの内側に気の強さが混じりこんでいることの方が気になった。


「初めまして~アキホって言いま~す」


 アキホと名乗ったその女の子は、俺に対して軽く頭を下げる。居候に対してはもうすでに自己紹介は済んでいるのだろう。俺も手短に挨拶をした。その結果、俺は彼女たちに『すーちゃん』と呼ばれることになった。無難な呼び方だ。

 そして俺たちは駅前のストリートを歩き出した。



「聞いて聞いて~!」



 駅近くの食べ物街を歩いている中、なーちゃんがアキホに対して興奮した様子で話しかけた。彼女、さっき俺と居る時は全くの無口だったクセに、アキホが来ると、とたんに水を得た魚の様に自由気ままに喋り散らかしていた。


「アキホが来る前さあ!居候くんたちと駅で合流したんだけど、あたしたちが駅から出ようとしたら、急にすーちゃんがバーッて走って改札口に戻りだしたんだよ!それでこの子、何したと思う⁉ ……『所沢』って書いた駅の看板を携帯で撮りだしたんだよ~!あれ超ウケたし!」


「どういう事⁉ なんで写真撮ったの⁉ 記念写真⁉ アッハハハ!まじウケるんだけど⁉」


「所沢とか別にそんな大したところじゃないよ⁉」


「アッハハハ!所沢ごときで喜ぶなんてマジウケるんだけど⁉」



 彼女たちは狂ったように笑っていた。


 俺はどうやら、まったく見当違いな事をしてしまっていたらしい。所沢と言うのは取るに足らない場所だったようだ。まあ……彼女たちが笑うのも分からないでもない。


 だから俺は説明した。


「ああ。どうも東京というのは良く知らなくてね。所沢って名前もどこかで聞いたことがあったから、念のために写真を撮ってみようと思ったんだよ」



 俺は冷静に、そう説明した。



「いや!所沢ってそんな大したところでもないし!所沢で写真撮るとかマジウケるから!」


「ほんとそれ!所沢ごときでね~!すーちゃんマジ面白い!」


 しかし彼女たちは依然として、狂ったように笑い狂うばかりだった。


 俺は、まるで台風の目に取り残されたように、ただひとり“静寂”を感じていた。ふと目の前は大嵐が俺の周囲を取り巻いているというのに、自分の立つこの場だけが静かに切り取られている。


 俺は思った――



 そんなに、面白い事だろうか?



 東京の事をまったく知らない人間が東京に来て、なりふり構わず写真を撮る。そして撮った写真が、“たまたま”取り留めも無いような場所だった――



 それは、そんなに面白い事なのだろうか?



 それとも、俺の日本語が通じていないだけなのだろうか? なぜなら俺の“ごく普通”な説明は、彼女たちにはいっさい届いていなかったからだ。もしかしたら東京弁と大阪弁というのは人々が思っている以上に言語的な差異があるのだろうか? ――それこそ北京語と広東語ではほとんど言葉が通じないように、それほどの差異があるというのだろうか?


 だいいち、俺は彼女たちがなぜそんなにも笑っているのかが分からなかった。だが、喜んでくれているのであればなによりだと、俺は拳を握りしめてそう考える事にした。



ここらへんから僕はボコボコにひどい目に遭わされます。

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