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麻布十番の居候  作者: そーた
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三日目 やってみて初めて分かる事もある



 それからは当ても無く、二人はブラブラと街を彷徨った。


 飲みに行くのは明日の昼だ。今はまだ20時。それまでは今夜、居候は、俺だけのものだ。


 どこに行くのかは分からないが、居候の足取りはやけにはっきりとしたものだった。しかし俺にとっては行先なんて別にどこだってよかった。居候と一緒に居られれば、ただそれでよかったのだ。



「東京タワー」



 俺はふと、独り言のようにそう呟く。高架のはるか向こう側からひょっこり顔を出しているのは、テレビや写真などで散々見慣れたあの電波塔。しかし、生で見るのは今回が初めてだった。


「見て、ここのマンション」


 ふと彼が右手の建物を指さした。大通りの向かい側にそびえていたのは、なんとも都会らしい雰囲気を漂わせる立派なマンションだった。


「大きいな」


「俺、このマンション、ウーバーの配達で入ったことあんねんけど、家賃めっちゃ高いらしいで」


 彼はそう言ってその家賃の具体的な金額を俺に告げた。俺は『アッ』と口から声が出そうになるほど驚いた。しかし実際には声は上げなかった。



 そんなやりとりを繰り返しているうちに、すぐ左手に公園が現れた。しかし、実際に公園だったかどうかは分からない。はっきりと確認した訳では無いし、ただ何となく公園の様な気がしただけだ。


「すーた。ほら」


 彼はそう言ってまた、こんどは真正面の、はるか上を指さした。


「東京タワー、近づいてきたやろ?」


 さっきよりも大きく背が伸びたそのタワーは、公園から伸びる木々の枝によって遮られ、途切れ途切れにしかその姿を見る事が出来なかった。しかし、俺はここでやっと居候の意図に気が付いた。彼が目指していたのは、どうやら東京タワーそのものだったらしい。


 とはいっても俺自身、そもそも東京タワーなんてものにはいっさい興味がなかった。しかしここまで来たからには、ぜひ行ってやろうと思った。


 静かな、綺麗な夜だった。道行く人々の姿はたくさんあったが、みんなその静謐な雰囲気に身を委ねているのか、映画館で上品なラブロマンスを鑑賞しているときのように誰もが静かだった。神聖な雰囲気さえ感じられた。


 やがて周りは木々が目立つようになってきた。しかし別に山の中を歩いているわけではなさそうだ。

 そのまま流れに身を任せて歩いていると、やがて一軒の、趣深い面構えの料亭と遭遇した。


「ここめっちゃ有名やで。かなりの高級店」


 『とうふ屋 うかい』……聞いたことの無い名前だった。たぶん、知らないのは俺だけなのだろう。


 味のある雰囲気を醸し出した木の看板のそばには茶屋風のベンチが据え置かれていて、ベンチの上には赤い布がかけられていた。そこではしきりと男女の若いカップルたちが、そのベンチに腰掛け、そして適当な道行く人々に写真を撮ってもらったりしていた。おそらく現像した写真には、仲睦まじく座るカップルと、その隣に『とうふ屋 うかい』の看板が映し出されることであろう。



「居候くん。俺達も一枚、やってみないか?」


 せっかくだから――という気持ちが、ふと起こった。しかし彼はにわかに後ろを振り返り、さっさと先へと歩いていく。そのせいで、彼の表情は見えなかった。――というより、“意図的”に隠されたような気がした。


「写真とかとらんでええやろ。行くぞ」


 なんだか、からかってやりたくなるような、そんな反応だった。



 結構な距離を歩いたと思う。思えば東京タワーの姿はずっと前からはっきりと見えていたのに、歩けど歩けどなかなか手の届くところまではたどり着けなかった。まるで蜃気楼のようだ。


 それでも、やがて俺達は目的地にたどり着く事が出来た。俺は首を真上に傾け、間近から遥か彼方まで続くその鉄骨を果てしなく見上げた。


 これが、東京タワー。それは、確かに目の前に存在した。もちろん、蜃気楼なんかでは無かった。目がクラクラした。まるでCG映像でも見ているかのように、非現実的な眺めだった。


 俺はふと、自らの目と鼻の先に存在する、東京タワーの土台の一角に触ってみたくなった。――触ったら、たしかに感触がした。俺はいま、東京タワーの一部に手を触れている。俺は真上を見上げた。俺の手が触れているその鉄骨は、たしかに天空まで続いている。――目の届かないほどの、遥か天空までだ。


 俺が東京タワーのてっぺんに手を触れるなんて、あり得ない事だろう。つまり、風吹きすさぶ上空に浮かぶ東京タワーは、“非現実”だ。俺が決して手を触れる事など出来ない、“非現実”だ。しかし目の前に目線を下げてみると、そこには確かに“現実”があった。東京タワーに手を触れているという、“現実”がたしかにそこにあった。



「居候」



 ずっと真上を見上げていると、肩が凝ってくる。しかしそれでも俺は、もはや目に見えないほど遠くにあるその頂を見上げながら、彼に言った。



「ここから、頂上までよじ登って行こうか?」


「……」


 彼からの返事は無い。ただのくだらないジャパニーズジョークだと思ったのだろう。しかし、俺にとってはあながちただのジャパニーズジョークでもなかった。


 現実と、非現実が交じり合っている。しかし今この目の前にある現実にしがみつき、一つひとつ、地道に手を伸ばし、足を伸ばして這い上がり、気の遠くなるような長い時間、目を瞑ってただそうしていれば、いつかあの『非現実』も現実となって自らの目の前に現れるのではないだろうか? 東京タワーの頂上に、手を触れられるのではないだろうか? 物理的に可能なのであれば、それはたしかな『現実』だ。



「すーた。こっち」


 居候はそれだけ言って、俺をどこかへ案内しようと歩き出した。俺も黙ってついて行った。


 今しがた居た場所からタワーの外周をクルリと周っていくと、ある一面に大きな入り口が設けられていた。


 自動ドアで仕切られた玄関は綺麗なガラス張り。その脇のポールには、一匹の大型犬が繋がれていた。飼い主はたぶん東京タワーの中に犬を連れていくことを諦めて、ここに犬を待たせているのであろう。


「中、きれいだね」


 全体的に白くてさっぱりとしたその内装は、入ってくる人々にテクノロジックなイメージを植え付けているように思えた。入ってすぐ左手にはローソンがあった。服屋もあった。東京タワーの中にお店があるなんて初耳だ。


 俺達はふらふらと中を歩いていく。するとやがて受付カウンターの様なものが現れた。


「上昇る?」


「上?」


「頂上やん」


 それを聞いたとき、俺はふと台北の『101大樓』を思い出した。


「お金かかるんだろ?」


「おん」


「だったら昇らない」


 ここでもなぜか、俺の持ち前の吝嗇精神が現れてしまった。


「エレベーターを使って上まで昇った所で、何があるんだい? 自分の力でよじ昇る事に意義があるはずさ」



 結局東京タワー内の探索はそこそこで切り上げることにした。

 帰りにはトイレへと寄った。東京タワーのトイレはこれまたオシャレなデザインだった。真っ白のピカピカの小便器が湾曲した壁にズラリと並び、中央には丸いテーブル台――その中に三つの洗面器がトライアングルを描くように設置されていた。


 俺はそこでウンコをした。綺麗で充実した便器でするウンコは、とても愉快だ。20分間、たっぷりとウンコをした。



「すーた」



 洋式便器の上に和式座りをしながら、携帯ゲームをしていると、ふと外から声が掛かった。


「遅い。置いてくで」


「すぐ終わる」


 本当は、すでに終わっていた。携帯ゲームがなかなか一区切りしなかったのだ。俺は便器から一度降りてから通常の洋式座りへと体勢を替え、そしてウォシュレットで尻を洗った。この瞬間ばかりは和式座りでやるわけにはいかなかった。


 トイレから出ると、彼は大きな階段のところに座り込んでいた。退屈そうにしていた。



 東京タワーから外に出て、周りをざっと散策すると、実にいろいろなものと出くわした。オシャレなスポットに、そして水霧が噴射する広場。どこもかしこも、家族連れや、男女カップルの姿で溢れている。なにより洒落ていたのはそこそこの広さを持つ木組みのテラスだ。入り口には『縁日テラス』と名付けられており、各テーブルには主にカップルたちの姿が席をにぎわせていた。


 こんな光景ばかりを見ていると、ふいに俺達二人の組み合わせが異様なものに思えてきた。あまり男同士で来るようなところでは無いのかもしれない。


「居候くん。ひょっとすると、俺達はなかなかに浮いているのかもしれないぜ」


 思った事を遠慮なくぶつけてみた。すると俺の心配に反して、彼の様子はなんら平然としたものだった。


「カップルで東京タワー来るやつなんか若いヤツだけや。もう俺らぐらいの歳の人間は東京タワーとか、主なデートスポットは彼女連れで“行き飽きてる”から、男同士で行っても別に恥ずかしくないねん」


 彼のその理論に、俺はやけにすっぽりと得心がいった。しかし、その理論には俺という存在が“置き去り”にされているようにも思えた。


 すこしブラブラしてみると、クレープ屋を見つけた。俺は台湾からの帰国以降、久しくクレープを食べていない事を思い出した。


「居候くん!いいかい?」


 俺は振り返って尋ねてみた。彼は快く許可してくれた。


 クレープは俺だけが買った。彼は要らなかったようだ。俺達は適当な段差に腰かけ、隣同士に座った。一口食べると、懐かしい味がした。小さい頃よく家族でクレープを食べたものだ。俺はいつもチョコバナナを注文する。べつにバナナが好きな訳では無かった。でもなぜチョコバナナかというと、むかし兄が好んでチョコバナナクレープを食べていたからだ。小さかった俺は、自分もチョコバナナを食べなければならない、他のクレープではいけない、となぜかそんな思い込みを抱き、いつもチョコバナナクレープを食べていたのだ。これはその名残のようなものだ。そんな事を思い出しながら、俺は再び一口クレープを齧った。甘い。こびり付く様な甘さだ。そしてまた一口、もう一口……



「すーた」


 水霧が舞う広場でキャッキャとはしゃぐ子供たちを遠目に見守りながら、居候が声だけを俺に向けた。


「お前あんなにパスタいっぱい食べたのに、ホンマにそれ食えんの?」



 途端、俺の口がにわかに重くなった。



「はい」


「いらんわ」


 俺が差し出したクレープを、彼は手で押しのけた。正直、すっかり忘れていた。クレープを食べなければならないという義務感により、さっきお腹いっぱいの上にさらにパスタをいっぱい食べた事をすっか。忘れてしまっていたのだ。しかもクレープという食べ物は、けっこう腹に来るものだと、食べてみてから思い出した。


「いらんかね?」


 じっと――俺は居候の顔を見上げていた。ぜひとも、手伝ってほしかった。彼は最初迷惑そうな目で俺を見返していたが、やがて根負けしたのか、居候は諦めたように俺の手に持ったクレープにかぶりついた。大きな一口だった。


「あま……」


 口についたクリームをペロリと舐めながらまた視線を前に戻す居候。俺達はその後も、俺が二、三口クレープを頬張ると、居候も一口頬張る――を繰り返しながら一つのクレープをなんとか平らげたのだった。


「居候くん」


 クレープを包んでいた紙をどこに捨てるかも分からず、ただ手に持っていた。いまだ口の中に残る甘味の残滓を感じながら、俺はとなりに座る彼に声を掛けた。


 彼の返事は無かったが、耳を傾けている事はいちいち見なくても分かった。


「俺はね。ほんの少し前まで、『自分探しの旅』という言葉が嫌いだった。馬鹿にしていたんだ。『自分なんてものは自分の中にあるのに、どうして旅に出かける必要があるんだ?』ってね」


 彼がこっちを向いた――ような気がする。構わず続けた。


「でもね……これがなかなか、何事もやってみなければ分からないもんなんだよなぁ。俺は台湾で過ごす一年間の中で、やっと……27年間の人生の中で、やっと俺の人生の役割というものが分かったんだよ。本当に癪だったよ。『自分探しの旅』というものを一番否定していたこの俺が、少なくとも結果的には、旅の中で自分自身を探し当ててしまったからね」


 そこまで言ってから、俺は彼の方を向いた。行き違いで、彼は再び視線を前へ戻した。深く、何かを考えている様な、彼はそんな目をしていた。



「カギがあるんやと思う――」



 ポツリとそう呟いたのは居候だった。俺はずっと彼のその横顔を見つめていた。


「この東京のどっかに、カギがあるんやと思うねん」


「何のカギ?」


「とっくの昔に、失くしてもうた……古い、古い、引き出しのカギ」


「それは、小学校の時に使っていた勉強机の引き出しのことかい?」


「やろうな……。むかし、確かにそこに、仕舞った気がすんねん。自由帳に書き殴った、ヘタクソな落書きの絵を……」


 それがどんな“絵”だったのかは、いまの彼にはまだ思い出せないのだろう。


「カギはもう見つけた?」


 俺は意地悪くそう尋ねてみた。


「わからん。見つかってないかも知らんし、とっくの前に拾ってるような気もする」


「きっと入っているさ」


 俺はきっぱりと、前を向き直った。噴水のところでは、相変わらず子供たちが元気に遊んでいた。良い風景だ。みんな、“良い子”そうに見えた。しかし、20年後、30年後、あの子供たちがみんな良い大人になっている保証はどこにもなかった。子供が将来悪人になるとは限らないが、悪人は確実に、昔は可愛い子供だったからだ。


「俺はもう見つけたよ。やっぱり、むかし描いていた絵だった。俺は幸運さ。だって、たぶんたいがいの人がその存在すらも忘れていくその“自由帳”を、俺は再び見つけ出すことが出来たんだからね」


 フッと――居候がとなりで笑った、ような気がした。


「居候くん!」


 俺はにわかに立ち上がった。急な俺の行動に、彼は唖然としてただ俺を見上げるばかりだった。



「俺達も遊ぼうぜ!」



 ただポカンと口を開けるばかりで、いまだ動こうとしない居候。そんな彼がじれったかったので、俺は彼の手を強引に引き上げた。


「えっ!ちょ……すーた⁉」


「遊ぼう!」


 そして俺達は水霧の舞うその空間の中に、飛び込んでいった。



「わっしょッ‼」



 そう叫んで、飛び込んだ。


 広場では小さな子供たちがワイワイと走り回っていた。そんな中を、大の大きな大人二人が激しく乱入したため、場はたちまち大騒ぎとなった。


「ガオーッ!すーたくん怪獣だぞーっ!」


 とはいえ、数人の子供たちは俺達の参加を面白がり、キャッキャと嬉しそうにはしゃいでいた。ひとたび全身に水を浴びた居候も、まるで人が変わったかのように飛び回った。


「僕は元水泳部だからたった少しの水さえあれば泳げるんだぜ!それ!バタフライ泳法!」


 彼はコンクリートの地面にもろにダイブし、そしてバタバタと手足を掻きまわして暴走し始めた。彼の行く先にいた子供たちがワッと蜘蛛の子を散らす様に逃げ出した。


「すーたくん怪獣だぞ~!食べちゃうぞ~!」


 一方、俺はというと、一人の女の子を追いかけ回していた。最初、小さなこの女の子は追いかけられるスリルに興奮し、はしゃぎながら逃げていたが、とうとう俺に先回りされ、囲まれ、逃げる術が無くなると、急に怖くなったのか、にわかにワッと泣き出してしまった。


「ちょっと!ウチの娘に何するんですか⁉ 警察呼びますよ⁉」


 そのうち保護者がやってきて、泣き崩れる女の子をかっさらっていく。


「すーたくん怪獣だ~ッ!わぁ~ッ!うがぁあッ!」


 俺は一人になっても構わず、そのまま吠えつづけた。


「それ!背泳ぎだ!」


 気が付けば居候はすっかり服を脱いでしまっている。服を脱いだその下には、いつのまに穿き替えたのか、それともこんなこともあろうかとあらかじめ穿いていたのか、ブーメランの海水パンツが着用されていた。ほとんど、“大事な部分”だけがかろうじて見えないきわどい格好で、彼はコンクリートの地面の上を泳ぎ回っていた。しかし、さきほどのバタフライで散々その“イチモツ”を地面にこすり付けてしまったためか、いま仰向けに泳ぐ彼の股間部は、すっかり天高く突きあげられていた。ただの変態だった。

 俺達の周りには、もうすでに人はいなかった。



 その後、駆けつけた警察に拘束された俺達は、パトカーでその場を後にしたのだった。




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