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麻布十番の居候  作者: そーた
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三日目 一秒でも長く一緒に……



 煌びやかに彩られた、夜の道を歩いていた。銭湯で汗を流したからだろうか、昼間の倦怠感などまるでウソだったかのように足取りが軽い。いや、これはきっと銭湯に入ったからだというだけではないだろう。



「さて!居候くん!何を食べよう!何でもいいぞ俺は!」



 賑わう街の中を、俺は夜の蝶のように飛び回っていた。


「焼肉にするかい⁉ だったら叙々苑が良い!」


「おい!こっちやって!」


 俺を呼び止め、一軒の店に入っていこうとする居候。その店は、『すぱじろう』だった。聞いたことがある店だった。たしかパスタ専門店だったか?


「パスタにするのかい⁉ いいね!俺、パスタ好きだよ」


 ナイスなチョイスだと思った。俺はイタリアンが好きだ。俺は喜んで彼について行った。店に入る際、居候はボソッと『さっき散々パスタにするって話してたやんけ……』と独り言を呟いていた。まるで変質者みたいだった。気味が悪かった。キモかった。



 テーブルに着くと、居候は壁側の席、俺は通路側の椅子に座った。俺たちの目の前にお冷が出され、あともうひとつ、不可解な飲み物が出てきた。



「これはなんだね?」


 湯呑に入れられたそれは、一見、ともすれば“具材の入ったスープ”の様にも見える。それに対し、居候が俺の疑問に答えてくれた。


「具材の入ったスープ」


 それは、具材の入ったスープだった。一体全体、イタ飯にこんな和食が出ても良いものなのだろうか? 気になるのでとりあえずひとくち――俺は猫舌なので細心の注意を払いながら、そのスープを一気に飲み干した。



 口の中が、焼けただれた。



「熱い!」


「バカなん?」


「でも美味いぞ!身体に沁みわたるようだ!」



 時刻は19時7分。店員がやってきて、俺達はそれぞれ注文した。居候は梅パスタのようなものを頼んでいた。俺はナスのミートスパゲッティー(実はそれがどのようなパスタだったのかは覚えていない。ただ、のちに撮っておいた写真を見返すには、ナスビが入っていた事だけは確実だった)にモッツァレラチーズもトッピングしてもらった。



「サイズは?」


「特盛りで」


 居候がすかさず答えた。


「じゃあ俺も特盛りを頂こう」


 だから俺もそれに習う事にした。実のところを言うと、このとき俺の脳みそ内で働く細胞たちは、全員休憩時間に入ってしまっていたらしい。つまり今の俺は何も考えていなかった。実は腹はそんなに空いていないのだという事も。


「お前ホンマにええの?」


 居候が驚いた様にニヤニヤしながら、好奇の目で俺をまじまじと見つめた。


「特盛りってアレやで?」


 ピッと隣の席を指さした居候。そこにはガッシリ目のお兄さんが座っていた。彼が今まさに手をつけようとしているそのパスタは、大きなどんぶりに山盛りのように盛り込まれていた。



「聞いてないぞ!」


「いや、お前が確認せえへんからやん!」


「きみが注文するからだ!てっきり俺にも食べられるサイズなのかと思ったのだ!」


 そう言ってから、俺は改めて思い出した。そういえば彼は、大の大飯食らいなのだ。そもそも、俺と居候では、体のサイズが全然違う。俺は軽く後悔した。


 しかし今更そんな事を言っても詮無きことだった。俺はどんなものが来ても残さず、全て食べつくそうと決意した。



「すーた……」


 料理を待っている間、居候がおもむろに自分の携帯画面を俺に見せつけてきた。何のつもりだろうか? 俺は訳も分からず、反射的にその画面を覗き込んだ。



「この子可愛い?」


 そこに写っていたのは二人の女性。


「右の子やで?」


 言われるまでも無く、俺は右の女の子の方に意識を寄せていた。金髪でボーイッシュなショートカット。ハッキリ言って、俺のタイプだった。


「ああ。可愛いよ。右の女の子の方が可愛いね」


「なるほどね……」


 すると彼はただそれだけを言うと、満足した様に携帯を戻した。本当に、どういうつもりだったのだろう?


 そういえば、彼はさっきからずっと、なんだかソワソワとしている。彼はさっきからずっと、両手で両ひざを前後にさすりあげ、それに伴って上半身もくねくねと前後に揺らしているのだ。――とはいっても、彼のこの動き自体についてはそんなに珍しい物でもなかった。彼にとってはただの癖なのかもしれない。俺はむやみに気にしない事にした。



 出てきたパスタは本当に量が多かった。しかしひとたびその姿を見ると、とたんに腹も減ってきた。俺は粉チーズとタバスコを手に取ると、パスタ中一面にそれらを撒き散らし、かき混ぜてからもう一度、一面に余すことなくそれらをまぶした。パスタ全体が、真っ白で、そして深紅の色へと姿を変えた。まるで雪の中に染み込んだ凄惨な生き血のようだった。


「相変わらず気持ち悪い食べ方すんな……」


「“お祈り”はもう見飽きただろう?」


 今度は邪魔されることなくスムーズに“お祈り”を済ませられた。


「ちゃうわ。調味料のこと言ってんねん」


 なるほど、と思った。俺の調味料好きについては、理由を聞かれても上手く説明できない。『なぜなら、そこに調味料があるから』――としか言いようがないのだ。俺がイタリアンを食べるときなどは特にそうだが、俺は目の前に料理が出されるや否や、そこら中にある調味料をすべてぶっかけないと気が済まないタチなのだ。


 調味料の中でも俺がもっとも愛しているのは、タバスコである。アントニオ猪木は本当にいいものを日本に持ち込んでくれたものだと思う(もっとも、厳密に言うとアントニオ猪木はタバスコを日本で販売していただけであって、実は終戦直後からタバスコはすでに日本の喫茶店などで使われていたらしい)。


 俺がタバスコを愛している理由について。俺は自らの人生の中で永らくの間、自分が部類の辛い物好きであることを自覚していた。したがって俺がタバスコをこよなく愛しているのも、てっきりその事に起因するものだと勝手に決めつけていたのである。――しかし、最近は説が覆り始めている。


 ひょっとしたら俺は実は辛いものが好きなのではなく、『酢』――つまり、“酸っぱい物”が好きなのかもしれない。ひとたび口に入れれば咽かえり、舌の両端にじんわりと染み渡る酸っぱい物が大好きなのかもしれない。タバスコには酢が入っている。そういえば俺は、酸っぱいものも大好きだった。


 そしてペッパーソースというものはタバスコ以外にもいくらでもあるが、タバスコがなぜあれほどに魅力的な味とコクを出すかというと、おそらくそれはオーク樽を用いて熟成させていることが原因の一つであるだろう。その一点が、タバスコが他のペッパーソースと一線を画す部分だと、俺は思う。



「ブフォッ⁉」


 俺はひとくちパスタを口に入れ、そして咽かえった。タバスコによる効果だ。だが、これがいい。


「お前さあ。そんな調味料かけまくって、料理作ってくれた人に失礼とか思わんの?」


「かけたいのだからしょうがないじゃないか」


 それはよく、言われた。居酒屋でバイトをしている時も、料理人が俺への賄いとしてパスタを作ってくれたことがあった。その際、俺がタバスコをかけようとしたとき、料理人にこっぴどく怒られたものだ。――『辛いもんが好きなら辛く味付けしてやるから先に言え。俺の料理に調味料なんかかけたらぶっ殺すぞ』と。……違う。そうじゃない。そういう問題じゃないんだ。仮に、もしもアンタが辛い味付けのパスタを出してくれたところで、俺はおそらく――いや、それでも俺はきっと、タバスコをかけるだろう。俺は、そういう生き物なのだ。ただ、調味料をかけたいのだ。


 やっぱり、タバスコをかけるとフォークが進む。俺はフォークとスプーンを使ってパスタを一口ひと口、口の中へと放り込んでいった。


「……」


 それでも、途中でにわかに手が止まる。やはり腹がいっぱいになってきた。


「ハハハ!あほや!お前もう腹いっぱいやろ?」


「うるさい。こんなもん、ひとたびウンコをすればすっかり元気になるさ」


 そう言って俺は席を立った。そして、ウンコをした。



 果たして、二十分経っても、俺はトイレから出る事は無かった。なぜなら――俺はトイレの中で、ずっと携帯でゲームをしていたからだ。勝てば金が稼げるというソリティアのアプリゲームをしていた。俺はもうかれこれ数か月、このゲームをして、勝ちまくっているが、お金は一向に貯まらない。いったいいつになればお金を稼げるのだろうか……



 ドンドンドン!



 ドアが激しくノックされた。他のお客さんもウンコをしたがっているのだろう。俺はもうそろそろ出てやることにした。実は俺のウンコはもうずっと前から出尽くしていたのだ。


 トイレを出て、通路を歩いている時、一人の男とすれ違った。全く気にもしていなかった為、どんな人物なのかも当然見ていない。俺は居候のいるテーブルへと戻った。



「お前今の人見た?」


 席に着くと、居候が出会い頭に声を潜めて俺にそう聞いてきた。俺のパスタはすでに冷め切って固くなってしまっていた。


「見てないな」


「トイレ行ったから、戻ってくるとき顔見といてな」


「誰なんだい?」


「いいから。とりあえずさりげなく顔見といて」


 どうも要領を得ないが、とりあえずは居候に従ってみるとしよう。


 俺はその間に、赤ワインを注文した。ワインはちょうどいいヌルさだった。冷たくして持ってこないところが、非常にポイントが高かった。ワインはヌルいぐらいがちょうどいい。


 むわんと口の中で広がるワインの香りを楽しみ、そして再び、すっかりボソボソに変わり果てたパスタを食べ始めた時、俺の背後で扉が開く音がした。――来た、と思った。


 俺は気取られぬよう、さりげなく何かを探すフリをして後ろを振り返る。――するとちょうどそのとき、俺の目の前を、おそらく先ほどの人物であろう男が通り過ぎて行った。俺は彼の顔をガン見した。


 ムッキムキの男だった。ラグビー選手だろうか? 髪は金髪。部活をやっている大学生の様に見えた。


「お前、○○って人知ってる?」


 居候はさきほどの男が、もと居たテーブルに戻った事を最後まで見届けると、彼は慎重に俺に顔を近づけて小声で囁いた。


「知らないな。有名人かい?」


 彼の言う○○、というのは、たぶん、人の名前だったと思う。しかしさほど興味も無い上に、さらに人の名前を覚える事が不得手な俺は、その名前を聞いた次の瞬間にはきれいさっぱりとそれを忘れてしまっていた。


「おん。インスタグラマーやん」


 やんーーと言われても、知らん。

 彼は携帯で何やら検索し始め、そして俺に画面を見せつけてきた。それは、インスタグラムの誰かのホーム画面だった。よく見ると、さきほどの人物が映っていた。


「主に筋トレのやつとかを投稿してる人やねんけど……」


「ほぉ~ん……」


 全く知らない。というか、興味もわかなかった。俺のそんな本音は、鼻から抜け出た空気とともに表れていたらしい。


「お前インスタで可愛い女の子とかフォローしまくってるくせにそういうの何も知らんな!」


 どうしてそれを知っているのか……

 まさか無意識下で、いつのまにか俺は居候にそんなことまでを喋ってしまっていたというのか。


「別にインスタグラマーに興味があって可愛い女の子などをフォローしているわけではない。アレはただの“オカズ用”さ」


 俺はほとんど無意識にそう口走ってしまっていた。



―――― 



「すーた」


「なに?」


 店を出た後、俺達は帰り道を歩いていた。しかしそれは、マンションへ戻るための道では無い。マンションの前にある――麻布十番駅への帰り道だ。


 何気ない彼の呼びかけに、俺も何気なく応じた。


「帰りは何で帰るん?」


「……新幹線かな」


 俺は答えた。俺達の足は、麻布十番駅へと向かっていた。着実に、確実に、駅へと近づいていた。それにつれて俺の気分も、ずぶずぶと泥濘へと嵌まりこんでいくように、それは徐々に粘り気を帯びたものとなっていった。


「まあ、また新幹線の乗り方もメールで送っとくし、帰りはそれ参考にしながら帰りよ」


「……はいよ」


 自分でも驚くくらいに、弱々しい声でそう鳴いた。


 俺は横目で、居候の横顔を一瞥した。そしてため息を吐いた。――決して彼に聞かれることの無いように。


 彼は一体、どう思っているのだろうか? 案外平気なのだろうか? ――それを考えると、俺の心はより鬱屈したものとなっていく。


 彼はなぜか、さっきからずっと落ち着かないようすだった。パスタを食べている時もそうだったが、やたらと携帯をチラチラと確認していた。おおかた仕事のこととか、そんなことを考えているのだろう。



「すーた。お前、仕事いつから?」



 ほらな、俺が『仕事』なんてワードを頭に浮かべたとたん、見計らったように彼もそんな言葉を口にし出した。


「明後日だが……」


 俺は何も考えず、ただそう答えていた。


 いま俺達が歩いているのは、きっと帰り道には違いない。方向音痴の俺にとっては、いま自分がどの辺を歩いているのかなどは、とうに覚えちゃいなかった。そういえば結局、マックスコーヒーを買うのを忘れていたな。いや、それ以前に東京バナナも買えなかった。



 またしても居候が携帯を見た。もはや彼は携帯をポケットには入れずに、ずっと手に持ったままである。そんなに携帯が気になるのだろうか。


 ぼんやりと、画面の光に照らされた居候の顔。その表情がすこしだけ、形を変えた。


「……」


「居候?」


 俺はふと気になって彼の顔を覗きこんだ。すると彼は携帯を、ついにポケットに仕舞いこんだ。俺はただ黙って、彼の様子を見守り続けた。


 彼は妙に神妙な面持ちになって、どこか一点を何やらずっと見つめている。まるでその先にカンペが張り出されており、一度台本の内容を落ち着いて確認するかの様に、にわかにその場で足を止めた。


「すーちゃん……」


「なに?」


 いまだ一点のみを見つめ続ける居候のその様子に、まるで彼がいまからとても大事な話を切り出そうとしているような、そんな予兆を感じた。彼の急な改まった様子に、俺は内心少しだけドギマギしてしまう。


 そして彼は、一つひとつ、慎重に紡いでいくかのようにして、言葉を発していった。



「さっきの店でな……すーちゃんに見せた、女の子……おるやん?」


「ああ」


 俺のタイプだった女の子か。


「さっきから、ずっとあの子と、連絡しててんやけどな。……どうやらその子、明日の昼、予定空いてるらしくて……その子の友達も連れて、一緒に飲みに行けるらしいねんやんか」


「なに? それは本当か?」


 俺は思わずそう言葉にし、そして思わず、口元を緩ませてしまった。たぶん今の俺は、まるで助兵衛の様に気持ちの悪い顔になってしまっているだろう。それでも俺は喜びを隠すことは出来なかった。今この時点ですでに、俺はすっかり心をワクワクとさせてしまっていた。


「だからさ、すーちゃん……」


「今日の夜も、俺ん家で泊まって……明日一緒に飲みに行かん?」


 彼は真正面から俺の目を見て、そう言った。


「……」


 居候のその言葉に、俺は思わず言葉を詰まらせてしまった。言葉が出なかったのだ。代わりに出たのは、熱い――いや、温かな、涙だった。


 俺が顔をニヤつかせていたのは、俺が期待に胸を躍らせていたのは……別に女の子と飲みに行けるからという理由なんかでは無かった。


「すーちゃん……」


 彼の表情は、よく見えない。きっと、変な目で俺を見ているんだろうか。しかし、俺の名を呼ぶその声には、たしかな温かさが感じられた。


 いや、べつにそんな事、どうだっていい。彼がいまどんな表情で俺を見ているかなんて、分からなくても良い。たったひとつだけ分かるのは――


 俺の目から溢れ出る涙は、とどまるところを知らない――という事だけだ。


「どーする?」


 彼はそう聞いた。俺の心はいろんな感情が溢れだして、一つひとつ伝えていくにはキリがなかった。だからその代り、すべての感情をたった一言にくちゃくちゃにして押し込めて、そしてとびっきりの、くちゃくちゃの笑顔で返してやることにした。



「……ハイ!」



 ニッコリ瞳を閉じた拍子に、真珠の涙が俺の頬を転がった。


 もう泣き止む術なんてどうだっていい。俺は流るる涙をそのままに、精一杯居候に微笑みかけた。


 もうすこし、もうすこしだけ……


 俺はすこしでも長く、居候と一緒に居たかったのだ。



「じゃあ、決まりやな」



 そして彼は再び歩き出す。彼はそのまままっすぐ、“今までどおりの道”を行った。


「家に戻るんだね」


 俺は涙をゴシゴシ拭きながら、彼のあとをついて行った。しかし彼は当たり前のように俺の言葉を否定した。


「違うよ」


「違う?」


「今から散歩すんねん。時間あるし」


「散歩? でもこの方向は……」


 俺は鼻声になりながら、キョトンとした様子で辺りを見回す。すると彼は俺の方をクルリと振り返ってから、こう言った。



「ちなみに帰り道はあっち方向な」



 彼が指さした先は、今まで来た道とは全然違った方角だった。



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