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麻布十番の居候  作者: そーた
38/52

三日目 おそらく人生最期の瞬間もこんな感じなのだろう。


「すーちゃん。ちょっと、散歩しよか」


 いきなり、居候がそんなことを言い出した。結局あの後たいした結論も出ないまま店を出ることになり、俺の気持ちが彼にちゃんと伝わったかどうかも分からなかったが、彼のその声には少しだけ柔らかな印象を帯びていたように感じた。


 俺達は居酒屋を出た足でそのまま高架沿いを歩いていった。いつもどおり、どこを歩いているのかは、俺はさっぱり把握できていなかった。俺の脳みそには生まれつき、帰巣本能というものが欠落しているようだ。



 いつの間にか俺たちは坂道を歩いていた。



「どこに向かっているんだい?」


 何の意味も無い質問だと言うのは自分でも十分に気が付いていた。だから居候が不明瞭に頷いても、俺はもうそれ以上何も聞かなかった。


「ほら見て」


 出し抜けに居候の足が止まった。彼の指差したその先――道の端っこには、一本の木角が、ポールのように突っ立っている。そこには何やら渋い書体でいろいろなことが書かれていた。



「永坂?」



 どうやらここの地名を表しているようだ。また、木角の別の面には何やら詳細な事柄がズラズラと書かれている。



 ――ながさか 麻布台上から十番へ下る長い坂であったためにいう。長坂氏が付近に住んでいたともいうが、その確証はえられていない。――



「なるほど……」


 俺はウンウンと頷くと、すぐにその内容を忘れた。


「ここの坂がな、キムタクが全力疾走したっていう坂やねん」


 よく分からない豆知識だ。


「彼はどうして全力疾走なんてしたんだい? 疲れるじゃないか」


「番組しかないやろ」


「なんの?」


「たしか……キムタクが東京各地の有名な坂道を駆け上がるっていうロケやったと思う。ほら、例えば他やったらあそこの『乃木坂』とか……」


 その名前はやけに耳になじんだ。その後も居候は東京の名だたる坂道名所を読み連ねて行く。


「『乃木坂』……なんだかアイドルグループみたいな名前だ」


 俺は独り考えに耽っていた為、居候の話などみじんも聞いていなかった。


「居候くん」


 俺は話を続ける居候を遮り、一つの質問をした。


「アイドルグループで、『乃木坂48』っているだろ?」


 居候が眉をひそめて続きを促す。


「あのグループ名はもしかして、さっききみが言った『乃木坂』に由来しているのではないかい?」


 言い終わりざまに、居候に向けて鋭く指を指した。俺のこの推理は、たぶん的中している。確信があった。


「今更かよ」


 しかし彼の反応は呆気ない。


「まさか、みんな知っている事だと言うのかね⁉」


「じゃあ『AKB48』の名前の由来は?」


「AK-47?」


「なんで銃の名前やねん!」


「間違った。69だ」


「それラッパーや」



 三分ほど歩くと、また居候がある建物を指さした。それは、やけにハイカラな造りのビルだった。どこかの大企業の本社だろうか? 入り口横には、滑り台の様なオブジェが飾られている。その大理石の岩肌には滔々と薄く水が流れ続け、まるで光沢を持ったベールを纏ったようにキラキラと輝きを放っていた。



「ボートレースの本社ビル」



 居候が簡単にそう解説してくれた。なるほど、入り口部分にはローマ字で『BOAT RACE』と掲げられている。この滑り台の様なオブジェも、ボートレースを意識しているのだろうか。



 また二分ほど歩くと、今度はあの初日に訪れた『ROPPONGI ROPPONGI』と掲げられた高架へとたどり着いた。二日前は夜に訪れたわけだが、昼に見たその景色はまた一風違って見えた。



 その後も俺達は、いろいろと街を散策した。実に様々な店があった。俺はこの東京に来て、ひとつだけ、やり残したことがあったのを思いだした。


「居候!俺、風呂掃除するやつを買いたい!」


「へ?」


 出し抜けにそう言った俺に、居候は目を真ん丸とさせる。そしてしばらく呆気に取られたように黙り込むと、ようやく彼も思い出したように手を打った。


「あ~ね。風呂掃除してくれんの?」


「結局トイレしか掃除できていなかったからね。きみ、この機会に風呂掃除の道具も買うべきだよ」


「せやったらどっか百均でも寄ろか」


 二人で百円ショップを探しながらぶらぶらと歩いていると、居候がおもむろに目の前の十字路の角を指さした。


「お前お土産とか買っといたらええやん」


 彼の指した先には、たしかに土産屋らしき店が門を構えていた。


「東京ばな奈買っとけよ」


「東京バナナ? 聞いたことあるぞ」


 俺はもう夕方には帰らなければならない。お土産を買う機会は今しかないだろう。


「いや、やはり先に風呂掃除の道具を買おう!」


 しかしお土産なんぞは後で良い。俺にとって今は彼の風呂場を掃除する事こそが先決だった。


 やがて、俺達はようやく百均らしき店にたどり着いた。店名はよく確認しなかった。そして中でいろいろと物色して回り、風呂掃除をするための道具を探し続けた。たしか足りなかったのは、ゴシゴシする奴と、洗剤だったか。


 だが、意外な事に、店内のどこをどううろついても、それらしき商品は見つからなかった。どれだけ歩き回ったか分からない。そもそもそんなに広い店でもなかった。

 そして探し続けること長時間、やっとの思いでゴシゴシする奴“だけ”が見つかった。


「これが手頃かな?」


 それは先っぽにスポンジが巻き付いた、柄のついたものだった。柄を握り、高く振り上げ、ヒュッと素早く振り下ろすと、まるで伸縮式警棒のように棒が長く伸びた。


「うむ。普段は短くしておけば懐に隠し持つことも出来るし、護身用として十分に使えるな。居候くん、これにしよう」


 そして俺はゴシゴシ棒を買い物かごに放り込むと、今度は風呂掃除用の洗剤を探し始めた。できればカビキラーも買いたい。


 しかし洗剤についてはついに見つけ出すことは出来なかった。俺達はもう諦めて家に帰る事にした。



 人通りにぎやかな道中、俺はつねにゴシゴシする奴を手に装備していた。チャッと振り下ろして棒を伸ばしては、また元に戻していた。俺はたいそうこれが気に入った。街を出ると、また車がビュンビュン通る大通りへとやってきた。



「すーた。あれが六本木ヒルズな」


「どれだい? どれがヒルズなんだい?」


 俺は粋がって『ヒルズ』などと略して呼んだりしてみた。大通りの向こう側には箱の様な建物がひとつうずくまっており、さらにその向こう側に、円柱型の縦長のビルが三本並んでいた。どのビルが六本木ヒルズなのか、俺は手に持ったゴシゴシ棒で各ビルを交互に指し示し、居候に尋ねた。



「あれが全部六本木ヒルズや」


「どうも分からないね。六本木ヒルズはビルの名前だろう?」


 たしか住宅マンションの事だったんじゃないのか? よくみんな『俺、六本木ヒルズに住んでる』とか粋がって言うし。




「違うわ。六本木ヒルズは……こう、あれや。あそこらへんにある建物ぜんぶ含めて六本木ヒルズって言うんや」


 どうやら俺は東京の事について全くの無知だったらしい。現に俺は先ほども、『東京バナナ』を東京で栽培されているバナナのことだと一瞬本気で思ってしまったくらいだ。


 そういえば結局、お土産を買うのをすっかり忘れてしまっていた。



 前を歩く居候と、風呂掃除のゴシゴシする奴を振り回しながら歩く俺。二人はブラブラと歩きながら、ゆっくりと家に戻っていった。途中、近くのドラッグストアでやっと洗剤を購入する事が出来た。


 居候の部屋に着くと、疲れが一気にどっと押し寄せてきた。やっぱり、昼に酒を飲むのはいけない。もう今日一日、何もしたくなくなってくる。


 しかし俺には、その前にやらなければならない事があった。いよいよ、居候の風呂場の汚れをやっつけてやる時が来たのだ。



 ――結論から言うと、風呂掃除は実に難航した。


 もうどれくらい汚れを放置していたのだろう。汚れは宿命的な色となって、風呂中の壁にこびり付いていた。こんな時の為にと、カビ除去の洗剤も買ってきたのだが、あまり効果は無かった。結果、見違えるほどに綺麗にはなったものの、宿命的な汚れまでは落とすことが出来なかった。

 まあ、たとえそうだったとしても、なぜか風呂場に放置されていた大量の生活ゴミを片付けられただけでも大きな功績だったと思う。


 さらに疲れが、どっと押し寄せた。俺はとりあえずマットの上に寝転がった。



「お前、出ていく時、マット片付けろよ」


「わかった」


 全然わかっていなかった。心底面倒くさかった。もうこのまま、なにもしたくなかった。


「……」


「……」


 居候は相変わらずベッドの上で仰向けになり、携帯を弄っている。時刻は二時過ぎ。俺は気怠い気分に身を任せ、そして目を瞑った……



――――



「すーた。すーた!」


 いきなり名を呼ばれ、俺はハッと目を覚ます。


「これからどうすんの?」


 俺は、いま自分自身が居るこの空間に、先ほどとの“時間のズレ”を直観的に感じた。どうやら、ちょっとのあいだ眠ってしまっていたらしい。しかし体はまだ全然怠かった。


「どうするのさ?」


 俺はキョトンとしながらも、なんとかそう聞き返してやった。

 どうするって聞かれても、まだ三時過ぎだ。部屋を追い出されるのは夕方だし、まだ時間はある。


 しかし居候は煮え切らない様子でだらけきった俺を咎めた。


「お前せっかく東京来てんやから何がしたいかくらい、ちょっとは自分から言えや!お前ぜんぜん自分から何も言わんやん。お前ずっと寝てばっかりで観光とかも出来てへんやん!」


 俺はその時になってようやっと、さっき彼が急に『散歩に行こう』と言い出した本当の意図を悟った。彼は彼なりに、俺をもてなそうとしてくれていたのだ。それは、大変ありがたいことだ。


 しかし、そんなことを言われても、困る。俺はいったい自分でも何がしたいのか、見当も付かないのだ。元来、俺は観光なんてものにあまり興味が無い男だ。だから東京タワーを見に行きたいとか、わざわざ疲れた体に鞭打ってまでそんな事をしたいとは毛ほども思わないのである。


「へぇ……」


 俺はただ曖昧に、それだけを返した。


 もちろん、時間を無駄にしている感は否めなかった。たしかに初日は楽しかった。かなり充実していた。しかし次の日は前日ほどには活動しなかった。そしてあっという間ーーまったく思いがけずではあったがーーに最終日を迎えた。最終日に至っては俺はほとんど何もしていない。せっかくはるばるこんな遠方までやって来て、最後の時間を寝て過ごしている俺は、罪びとなのだろう。しかし、俺の人生はいつもこんな感じだったのだ。


 竜頭蛇尾。俺の人生に相応しい言葉だ。台湾へ留学に行った時もそうだった。最初は華々しくデビューし、大いに活動する。そしてさまざまなドラマがあって、そしてだんだん疲れてくる。徐々にタイムリミットが迫ってくると、俺の活動も下火になり、ついに最後の数日に至っては、完全に部屋に引きこもってしまう。そして迎えた最終日、誰にも見送られることもなく、俺は人知れず帰国する。俺は昔から、こんな具合だった。大学生活もそうだったか。最初はいろんな人間と出会い、いろんなドラマを経験するが、結局最後は留年し、そして九月という中途半端な時期に卒業。ささやかな卒業式の中、俺は人知れず大学を去った。


 結局、俺は27歳以降も、まったく変わってはいなかった。結局……結局……俺の人生にピッタリの言葉だ。


 だから俺は、そのたびにいつも思う。たぶん俺の“人生そのもの”も、そんな具合に、最期は人知れずこの世を去っていくのだろう――と。


 そして俺はまた、その目を閉じた。まるで、俺の人生最期の一秒間の様に。




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