一日目 強迫観念の正体
アキという名前は、彼女の源氏名なので、べつにここで使っても問題ないと思いました。あと、彼女は本当に自分の手に鍼を刺してました。びっくりしました。
高級な雰囲気を醸しだすその建物の入り口は二階にあった。二階入り口に掲げられた看板には、煌びやかに光るエメラルドグリーンで、さも上品そうな書体で『妃翠』と書かれてあった。いかにも……的なお店だった。
「すーた。なんしとん、はよ来いや」
居候が二階の入り口へと続く階段の上からこちらを振り返っている。彼のすぐ後ろには五郎が付いていた。キャッチもすでに彼らの目前で待ち構えているようだ。俺は意を決して階段に足を掛けた。
店に入り、まず目に飛び込んできた印象は『赤』だった。赤い……全体的に、赤暗い。ドアから左に折れると、目の前の壁には細い縦長の小さな戸棚が数十本並んでいる。ちょうどそのときゴージャスな出で立ちを装った一人の女給が、なにやら戸をあけて荷物を入れたり取り出したりしているところだった。あれは従業員用のロッカーなのだろう。
その場を通り過ぎ、中に入ると、俺は思わず目を丸くした。何とも幻想的な内装だった。
中国式……とでも言うのだろうか? ふと俺は、なんの関連性も無いが、『千と千尋の神隠し』の世界を思い起こした。通路は赤を基調とした中華風の木橋を見立てているのだと思う。そしてその両サイドを挟むようにして、一段と低い位置に客席テーブルが設けられていた。テーブル席の上空には薄いベールの様な天幕が張られており、何となくそれは川に浮かぶ屋形船を連想させた。なんだか、微睡の夢へと迷い込んだような気分だった。
「居候、ここは本当に大丈夫なんだろうね。いいかい、俺は何が何でも、女の子にお酒は出さないよ? いいかい、きみも出すんじゃあない。いいね? 分かるね?」
テーブルをとり囲むソファーに座りながら、俺は恐る恐る居候に念を押した。クリーム色のソファーは、座りこむ際の勢い次第では、このまま地面へと着地してしまうのではないかと思うくらいにふんわりと柔らかかった。もうこのまま一生座っていたい気持ちにもなってくる。
「わぁーってるって!そんなこといちいちここで言うな!俺も職業柄キャバのボーイやってるからそこんとこは慣れてんねん」
限りなく不安な返答。俺が真に怖かったのは、女の子からの“おねだり”だ。前に心斎橋で行ったキャバクラは本当に、しつこかった。やはり女の子が手持無沙汰にしている中で自分だけお酒を飲むのはあまり気分のいいものじゃない。断るのもやはり良心が痛むものだ。
「すーた。みーちゃん今仕事終わったって」
居候が半ば寝そべる様にソファーの背もたれに身を預け、スマホを弄っていた。俺はというと隣に備え付けてあったふかふかのクッションを掴み上げ、自らの腹の上へと置いてそれを抱きかかえた。俺はいつも、つい何かを抱いていないと不安になってくるのだ。
「どうも~初めまして~」
しばらくしてから“それらしき”女の子が来た。やはりミナミのキャバクラに潜む女の子とは服装からしてまず違う。六本木の名にふさわしい、高級感あふれる衣服に身を包んだ女の子達だった。俺はなんとなく目をやるのが恥ずかしく、なるべく気にしていない風を装った。
一人目、二人目は居候と五郎の隣に着き、そして後から遅れてやってきた女の子が俺の左隣に着いた。その女性は、わりと背丈が小さく見えた。
しかし、ここで俺は一つの新たな発見をする。俺は別に、彼女たちの顔を見なかったわけでは無い。彼女たちが“どんな顔立ち”をしているかについては、俺はたしかに“見た”はずだ。しかし、何故だかはわからないが、俺は彼女たちの顔が“可愛いかどうか”という事については、びっくりするくらいに“確認”しなかった。以前の俺であれば、自分の席に着く女の子の顔面偏差値というのはまず真っ先に見ておくものだ。しかし、今の俺にとっては、そんなことには微塵も興味が持てなかった。女の子に対して興味が無かったわけではない。あくまで、外見なんてものに、自分でも驚くほどに興味が湧かなかったのだ。
月日を経て俺の心境に変化があったのだろうか……俺という人間の芯を司る“価値観”の中には、“ルックス”という項目がいつの間にか姿を消していた。『俺も歳を取ったものだ』という言葉は、こういう時に使ってみるセリフなのだろう。
「初めまして、アキで~す」
そう言って名刺を差し出してきたその女の子は、眩いほどに明るい金髪を肩上で短く遊ばせている。これがなんて名称の髪型なのかはてんで分からない。――と、いうよりも、そもそもそんなに注意深くは見ていなかった。とにかくその時の第一印象で、『短い金髪の陽気そうな女の子』というイメージが俺の脳裏に永遠にこびりついた。
「こんばんは。すーたとでも呼んでくれ。28歳だ。最近右の上奥歯のひどい知覚過敏に悩まされている。でも酔っ払っている時は平気なんだ。それよりも、先に謝っておかなければならない事がある……」
俺は矢継ぎ早に自己紹介を済ませると、さっそく本題を切り出しにかかった。俺は何より恐れおののきながら酒を飲むのが絶対に嫌だったのだ。
すると彼女はまるで俺の心中を読み取ったように先回りして答えた。
「分かってるよ。べつに女の子にお酒飲ませるのはお兄さんの自由だから安心して」
俺は咥えかけていたタバコをつい取り落としてしまった。
「驚いたな、読心術を使えるのかい?」
「ううん。どっちかというと読唇術の方」
なかなか上手い切り返しだと思った。
「アキちゃん、さてはさっきの俺の会話を聞いていたね?」
「たまたま聞こえただけだって」
なんとも恥ずかしい話だ。これでは男の恥部を見られたようなものではないか。俺はヤケになってしまい、ここはひとつ、彼女にとびっきりの仕返しを打ち下ろしてやることにした。
「しつこくは、頼まないんだね」
我ながら酷い事を言うな――そんなことを思いながら、俺は落としたタバコを咥えなおした。なぜなら、彼女は十中八九、俺に対してしつこく酒をおねだりするつもりだっただろうからだ。きっと彼女は、俺が一度酒を断ったとしても、なんどもなんどもしつこく、俺に酒をおごらせようとするつもりだったに違いない。だから俺は彼女のその魂胆を先回りして、出会い頭に叩き潰してやった。これにより、彼女の計画は思いがけず崩れ去り、彼女はさぞ慌てふためく羽目になるだろう。
マッチ棒でタバコに火を付けながら、いま俺の隣で血相を変えているであろう彼女の顔を思い浮かべた。たぶん彼女は、その小さく締まった小顔を青ざめさせ、濁流の様に流れ出る汗によってせっかくのメイクが全て洗い流されている事だろう。そんな焦燥に満ちた顔が、容易に想像できた。
「うん。しつこくは頼まない」
しかし、俺の左耳にフッと差し込んだその声は、つい仰天してしまいかねないほどに、平静としたトーンだった。怒り、羞恥、恐怖、呆れ、俺の予想していた反応とはまるで違う、彼女のごく自然な反応に、俺は思わず彼女の顔を見返してしまった。
「え?」
彼女は至って平然としていた。
「だって、あたしはまずお客さんにちゃんと楽しんでほしいんだもん」
彼女の言葉が信じられなかった。キャバ嬢のくせに、そんなことを言うやつなどいるものなのだろうか?
「それにさ――」
彼女は尚も続けた。
「もちろんお酒おごってもらったらあたしにも“バック”は入るけどさ、でもそれって結局儲かるのはその時だけじゃん? きっとその人とはそれ以降それっきりの関係になっちゃう。だから結果的に考えるとそっちの方が損なんだよ」
なんとも打算的な理由もあった。しかしそれゆえに、彼女の言葉にはしっかりと理論付けされた上での説得力があった。
「……」
俺は咥えかけたタバコを、思わず取り落とした。
「うわっちッ!」
「ちょッ!大丈夫⁉」
火のついたタバコは俺のジーパンを焦がし、俺の太ももを焼いた。アキちゃんがあたふたしながら俺の太ももを労わってきた。
「大丈夫、大丈夫」
俺はパンパンと太ももを払いながら彼女を落ち着かせた。
「麦でいい?」
「ああ」
アキちゃんはそう言って俺に麦焼酎を入れてくれた。俺はタバコを灰皿に押し付けると、彼女が入れてくれた麦焼酎をチビチビと飲んだ。
「東京ってのは、意外にも愉快だね」
「なんでもあるでしょ」
「ええ。みんなが行きたがる理由が、何となくわかった気がするよ」
もっとも、住む気にはちっともなれないが。
「お兄さんは? どこ?」
「大阪」
「じゃあ全然都会じゃん!」
『いやいや』――と一応の謙遜をしてみせてから、俺はゆったりと背もたれに体を預けた。思ったよりもソファーは奥へと沈んだ。そのため、隣に座っているはずのアキちゃんの背中が、真正面から見えた。
もうすでに酔っ払っているのか、なんだか、心地いい。先ほどのやり取りも相まって、俺はもうすっかりアキちゃんに心を許しているらしい。ぼったくられる心配も、もうどこかに置き忘れてしまった。
たぶん、彼女とはもう二度と会わないだろう。俺は、口からこぼれ出るままに、言葉を吐き出していた。
「俺はね、23歳の時に発狂しかけたことがあるんだよ」
なぜか俺は、そんな脈絡のない話をした。
「発狂?」
「そう……あ、いや、発狂まではしていないけど、恐ろしさのあまり夜も眠れなくなった時期がある」
「なにが怖かったの?」
俺がそんな支離滅裂な話をしているにも関わらず、彼女は嫌に冷静だ。たぶん、慣れているのだろう。俺は普段、こんなことを人には話さない。なぜなら、気味悪がられるからだ。だからこそ俺は、一期一会の彼女に対してだけ、打ち明ける事にした。まるで地蔵にでも話しかけるかのように、俺の密かな苦悩を、彼女に打ち明ける事にしたのだ。
俺はなるべく冷静な声音を心掛けて答えた。
「死ぬことさ」
「死にかけたの?」
「いや」
俺は小さく首を振った。そして続けた。
「いつか死んでしまうという事実に耐えきれなくなったのさ。もっとも、死を恐れるあまり、自殺も考えたけどね」
「変なの。死ぬことが怖いから死にたいってこと……?」
「例えばきみ、今から“百年分のカレンダー”を目の前に並べてみたとしよう」
「そんなにたくさん、並べられないよ」
「いいんだよ。あくまで“例えば”の話さ」
思いがけず現実的に返されてしまったため、つい笑ってしまった。俺は気を取り直してまた話を続けた。
「目の前に並べられた百年分のカレンダー、その中には“一日だけ”、自分の命日があるんだ。確実にね」
「……ええ、なるほど」
アキちゃんは俺の背後の空間へと視線を回した。まるで自分が想像すらしたこともない世界へと誘われるように。
「きみならどう思う?」
俺は、彼女が“想像の中で”目の前に百年分のカレンダーを並べ終えたのを見計らって、改めて尋ねた。
「なんだか……怖いよ」
彼女はまるで不気味な絵画でも見てしまったかのように、とっさに目を逸らした。
「そうだね。だから、どうせいつか死ぬんなら、今この瞬間……って、思ったんだ」
俺がそう言うと、彼女は覆いかぶさるようにして、いくらか口調を強めてこう聞いた。
「でもなんで? たしかに私も子供の時それ考えたことあるけど……なんで? なんで大人になってからまたそんな事を?」
「分からないよ。きっかけは覚えていない。でも、大人になってから……いや、俺の主観では23歳はまだまだ精神的に子供なんだけど……まあ、また考えたんだよ。毎晩毎晩考えた」
「考えないようにする――って事は出来なかったの?」
「俺はどうも一度考え出すと止まらないらしい。結論にたどり着くまで、考えつくしてしまうんだ。たとえば、死んだ後、“俺”はどうなるのだろうか……とか。“肉体”自体は再利用されるとして、自我は? “俺”は? ……とか」
「なんか宗教的だね」
まるでジェットコースターのような勢いで気分が落ちていくなか、俺は彼女の言葉に何度か頷いた。
正直、それも一度は考えた。死後の世界――天国だとか、輪廻転生だとか……
「宗教なんてものは、ダメだ」
「ダメなの?」
俺は厳しい口調で言い切った。
「そんなのは、まやかしに決まっているんだ。なんてったって、神様だとか、天国だとか、そんなものは無いに決まってるんだ。俺はそんな“ごまかし”は嫌だった。でも、自分を安心させたかった。死んでもまた、この世を体験できるという保証、“自分”として自我をスタートさせられるという保証が欲しかったんだよ……!」
「そんなの、あるわけないと思うけど」
「こじつけでもいい……論理的な裏付けを作り出そうと頭をひねり出そうとしたんだ。おかげで“左”の頭が痛くなったよ」
俺はもはや、“彼女に対して”話をしていなかった。ゆえに俺の話は相手からしてみると、ひどく不明瞭で、奇奇怪怪な内容だったろう。
「痛くなったって言うより、メキメキと音を立てて誇大化していくように感じたんだ。まるで左脳が膨張して、頭がい骨が押し広げられていくような……そんな感覚を覚えた!」
俺は焼酎を一口飲んだ。いい感じに酔っている。少なくともこんな訳の分からない話をするほどには。
「あれ――?」
そんな時、ふと居候が、横合いからアキちゃんに声を掛けてきた。
「それ、左手になに刺してるん?」
居候の指摘に、俺も思わずアキちゃんの左手を注視した。見ると、確かに彼女の左手の、親指の付け根あたりから一本の針が突き刺さっている。居候が見つけるまで、俺はまったくそれに気が付かなかった。
「え、どれ?」
逆にアキちゃん本人は何のことを言われているのかが分かっていないみたいだ。
「いや、だからその、親指の所に刺さってる……その、“針”みたいなやつ……」
そこまで言われて、彼女はようやく理解したようだ。『ああ!これね!』と言いながら、彼女は一言こう返した。
「鍼」
「なんで鍼?」
「だから、鍼だって!鍼灸とかであるじゃん!ツボに針刺すやつ!」
「ああ、なるほど。その鍼ね……」
すると居候は、一度は納得したように見せかけて――
「いや、だからなんで鍼してんのって聞いてんのよ!」
――また突如として騒ぎ立てた。これはいわゆる、『ノリツッコミ』というやつだ。選ばれた人間にしか使いこなせないという秘伝の奥義。俺はまさか彼がその伝承者だとは思いもしなかった。
「私いつも自分で針持ち歩いてるの」
「そこは何のツボなん?」
「ここは自律神経、ストレスとかに効く部分」
彼女が答えると、居候は大いに笑い出した。
「すーた!この子、お前と話すのがストレスみたいやぞ!」
「いや、違うよ!すーちゃん!そういう意味じゃなくって……!」
居候が騒ぎ立てると、アキちゃんが慌てた様子で俺に弁明し始めた。
それに対し、俺はみんなに向かっていかにもわざとらしい様子で訴えかけた。
「ちょっと!みんなしてひどいぞ!俺の心はもう『針のむしろ』だ!」
俺は渾身のギャグを言った。たぶん、次の瞬間には大爆笑が起きるはずだ。
「ごめんね、すーちゃん!傷ついたんなら謝るからさ……」
しかし、アキちゃんは笑うどころか、心底申し訳なさそうな様子で俺に謝罪を繰り返した。
「いや……だから……俺の心が、『針のむしろ』……」
「すーたもうええやんけ!そんな責めたんなよ!」
居候は俺を叱り飛ばし、そしてアキちゃんをフォローした。どうやらはたから見て、俺がアキちゃんを責め立てているように見えるらしい。
俺の言ったギャグが、上手く伝わっていないようだ。
「まあまあ、気にすんなよ。たしかにこいつと話してたらストレスやしな!」
居候がそう言ってアキちゃんへのフォローを繰り返していた。俺はますます焦った。
「いや、違うんだよ……さっきアキちゃんが針を打ってたから、俺は……『針のむしろ』って言って……」
俺はしどろもどろに“説明”を繰り返すも、誰もその事に気が付いてくれない。
「本当にごめんね、すーちゃん!全然そう言う意味じゃないから!」
アキちゃんはひたすら謝るばかりだ。
「いや……だから……こう……俺は自分の心に針を打って……ってそういう意味で……」
こうして俺の渾身のギャグは、誰にも理解されなかったのであった。
――――
その後はみんな交えて喋くった。
話の中で、アキちゃんがみんなに、韓国で麻酔を打った時の経験を話していた。韓国で手術を受けたらしい。
麻酔はどんなだったとか、麻酔を打った時はこんなだったとか、いろいろ話しているが、俺はまず、そもそもどうして韓国で手術を受ける事になったのかが気になりすぎて、まったく話が入ってこなかった。
みんなに対して話を続けるアキちゃんの肩を叩き、『どうして韓国で手術したの? 旅行中に具合でも悪くなったの?』としつこく聞き続けていると、『韓国で手術っていったら整形の為に決まってるじゃん』とさも当たり前のように言われた。そして彼女はまたみんなに向けて続きを話し始めた。俺は彼女のその回答と、彼女のその様子に内心ひどく驚いた。
いつのまにか、みーちゃんが来ていた。
バイト中に巻いていたバンダナは、今は当然していない。今はもう束ねていた髪も解き、金色の髪を全て下ろしきっていた。その髪型が、『彼女にとって今はプライベートである』という事を物語っているかのようだった。やはり気のキツそうな印象を放っていた。
ふとみーちゃんと目があった。店員として向けてきたあの愛嬌は、今は見る影もなかった。ただの気のキツそうな女の子になっていた。別に俺に冷たい態度を取っている訳ではなかったみたいだが、それでも少し悲しい気持ちになった。
「もうそろそろ行かなきゃいけないみたい」
ふいに、アキちゃんがそう言ってきた。女の子が代わるらしい。面倒くさい。また自己紹介から始めないとならんのか。
「もっと居ていい?」
上目づかいで、そう言ってきた。正直、ちょっと弱ってしまう。
「もっと居れるの?」
俺はあえて聞いてみた。
「指名してって事。追加料金掛かるよ」
そんなことを、正直に言ってくれた。そういうところが、かなりの好印象だった。彼女であれば、お金なんていくらでも払ってやる――と、本気でそう思えた。
そして俺は答えた。
「もっと……いろいろな女の子と出会いたいから……」
しどろもどろになりながら、俺はそう言った。やはり酔いが回っていたのだろうか、“その時に限っては”我ながら上手い断り方だと思えた。しかし彼女はきっぱりと納得した様に大きく頷く。
「うん。そうだね。分かった」
いま思えば彼女のこのきっぱりとした反応は、内心俺をウザいと思った表れだったのかもしれない。それでも彼女は結局、それ以上の態度を表したりもしなかったし、それ以上何もねだったりはしてこなかった。
「じゃあ最後に、連絡先、交換してよ」
そう言ってアキちゃんは携帯を取り出した。たしか彼女には、俺が大阪から来ただけの流浪人だという事を話していたはずだ。俺はこの連休中には帰ってしまうし、おそらく二度と東京へは来ないだろう。それでもラインを交換しようだなんて、酔狂が過ぎると思った。まあ別に連絡先を教えたとしても減るものでもない。だから俺も携帯を取り出した。
「そういえばさ」
「うん?」
スマホを操作しながら、彼女が急に話しかけてきた。
「さっきの話……」
「さっきの話?」
何の話?
「死んだ後の事については、結論は出たの?」
その話か。『ああ』と漏らしながら、俺は先ほど自分が話していた事を思い返した。
「結論は……まだ出てない。でも今は、もうなるべく考えないようにしている。それでもやっぱり、夜寝るときなんかは怖くなるけどね。とくに一日を無駄にしてしまった日なんかは特に……」
「それなんだけどさ。さっき、考えすぎて頭が痛くなったって言ってたよね?」
「ああ。しかしそれよりも、足の末端から順に消えていくような感じになるんだ。このまま自分が霧散してしまうんじゃないかと、本気でそう思えてくる」
彼女は立ち上がった。俺の連絡先を登録し終えたようだった。
「それはね、きっと、人間“ごとき”が考えちゃならない事だからだと思うよ」
「どういう意味だい?」
彼女はすでにこの場を立ち去ろうと身体を向こうに向けていた。俺はソファーに座り込んだまま、彼女にその意味を尋ねた。
「人間って言うのはあくまで動物。自然の一部でしかないの。だから人間は“この世”の中だけで生きられるようにしか造られてない」
「つまり、どういうこと?」
一応、頭で考えるふりをして見せてから、また一歩尋ねた。
彼女は要約してこう言い残し、そして立ち去っていった。
「だから“この世”より先の扉は、『関係者以外立ち入り禁止』ってことよ」
俺がその言葉を理解できたかどうかはお構いなしに、彼女はさっさと姿を消した。




