86:覇王、帰る場所を知る。
ゼフィロスが海の向こうへ消えても、すぐに歓声が上がったわけではなかった。
空にはまだ厚い雲が残り、細かな雨も降り続いている。少し前まで大地そのものを削るように吹き荒れていた暴風は嘘みたいに弱まっていたけれど、だからといって、その嵐が残していった傷まで消えてなくなるわけじゃない。
俺がエアリスへ戻ったのは、日が落ちる少し前だった。
「……ひでぇな」
街へ入って最初に口から出たのは、そんな言葉だった。
旧市街は、ゼフィロスの進路を海側へ押さえ込んでいた間に何度か暴風域の端へ触れたらしく、石造りの建物こそどうにか形を保っているものの、古い木造家屋の中には屋根を丸ごと失ったものもあり、通りには割れた窓硝子や砕けた瓦が散らばり、街路樹も何本か根元から倒れている。
人が歩けないほどじゃない。
でも、昨日までそこにあった暮らしが、そのまま残っているわけでもない。
「……あれ」
広場の向こうを見て、俺は足を止めた。
建物があるはずだった。
いや、正確には建物だったものが残っている。
大きく崩れた石積みの中に、巨大な鐘だけが半分ほど埋もれていた。
「旧風鐘楼です」
隣を歩いていたエルナが、静かに答える。
「エアリス建都初期から残っていた建造物で、この街では最も古いものの一つでした」
「……直せるか?」
聞いた時点で、たぶん答えは分かっていた。
エルナは少しだけ鐘楼を見つめてから、首を横に振る。
「同じものを、という意味でしたら……もう難しいと思います」
「……そっか」
歴史が、一つなくなった。
誰かが死んだわけじゃない。
だったら良かった。
そう簡単に片づけていいのか、少しだけ迷った。
命と建物を同じ重さで考えるつもりなんてないし、人が生きている方が大事なのは間違いない。
それでも、その鐘楼を毎日見て育った奴もいただろうし、そこで何かを祝った奴も、誰かと待ち合わせをした奴もいただろう。
死者が出なかったからといって、失ったものが何もなかったことにはならない。
「リンドウ!」
考えていると、向こうからアウラが走ってきた。
鎧は泥だらけで、髪も雨に濡れ、普段以上に酷い格好をしている。
「お前、もう戻ってたの?」
「今戻った!」
「負傷者は?」
「いる!」
そこだけは、迷いなく即答された。
「……何人?」
「重傷が七名、軽傷が数十名だ! だが死者はいない!」
その言葉を聞いた瞬間、肺に溜まっていたものが一気に抜けるみたいに、長い息が出た。
「……そっか」
「旧市街の家屋が何軒か倒壊し、農地もかなり被害を受けている!」
「第五の『雨の道標』の近くにあった村は?」
「屋根が二軒飛んだ! 畑も一部駄目になったが、全員無事だ!」
「第四の下流は?」
「増水はしたが、氾濫まではしていない!」
「第一の羊は?」
「三頭逃げた!」
「なんでそこまで把握してんの?」
「一頭はもう捕まえた!」
「じゃあ残り二頭じゃん」
「今も探している!」
あまりにも真剣な顔で言うものだから、こんな状況なのに少し笑ってしまった。
「……良かった」
「何がだ?」
「……いや、何でもない」
完全勝利なんて、とても言えない。
家が壊れた、歴史ある建物も失われた。
畑は荒れ、怪我人も出て、今日から生活を立て直さなきゃならない人間だっている。
それでも、死者はいない。
少なくとも、そのことだけはちゃんと喜んでいいと思った。
「リンドウ様」
後ろから声をかけられ、振り返る。
そこに立っていたのはアーヴィンだった。
服は雨で濡れ、裾には泥がつき、髪だって乱れている。
執政官というよりは、避難誘導や瓦礫の撤去に一日中駆け回っていた、ただの疲れたおっさんに見えた。
「被害の集計が、ひとまずまとまりました」
「見せろ」
「はい」
差し出された報告書を受け取り、その場で目を通す。
旧市街。
全壊、半壊。
負傷者。
農地。
河川。
各『雨の道標』。
目についた数字を追いながら、最後まで読み終える。
「……こんなもんか」
「現時点では」
「死人はいないな?」
「今回については、はい」
「……今回は……ね」
その言い方が、妙に引っかかった。
俺は報告書から顔を上げる。
「十二年前は?」
アーヴィンの表情が、少しだけ固くなった。
「正確な名簿、全部出たか?」
「はい。現存する記録と、家族からの届け出、当時の救援記録を可能な限り照合しました」
「何人だ」
「……現在確認できる範囲で、港湾地区および周辺集落の死者、行方不明者が九百八十二名。加えて、救援に入った冒険者、兵士、医療従事者等の死者が百十七名です」
「……」
「なお、十二年前の資料には欠落が多く残っているため、実数はさらに多い可能性があります」
千人を超える。
数字として聞くだけでも重い。
でも、その一人一人に名前があった。
家があった。
待っていた奴がいた。
「……戻らないな」
「はい」
ゼフィロスは生きた。
今回、誰も死ななかった。
『解放』なんて、随分と綺麗な言葉まで表示された。
けど、だからって、十二年前に死んだ奴らまで救われるわけじゃない。
過去まで一緒に『解放』されるなんて、そんな都合のいい話はない。
「アーヴィン」
「はい」
「これから、どうするつもりだ?」
俺がじゃない。
エアリスが、こいつら自身が。
「十二年前の記録を公開します」
「全部?」
「改竄前の内部資料も含め、現存するものはすべて公開する予定です」
「自分の名前もか?」
「当然です」
「……」
……逃げないのか。
そこだけは決めているらしい。
「都市評議会には臨時調査委員会を設置します。当時の関係者のうち存命の者、記録改竄に関与した者、そして今回、『覇王式誘導法』を非常手順として秘密裏に準備した現執政部についても、調査対象に含めます」
「自分も裁かれるつもりか?」
「はい」
「執政官、辞めることになるかもしれないぞ?」
「その可能性は高いでしょう」
アーヴィンは、思ったより普通に答えた。
「怖くないのか?」
そう聞くと。
少しだけ。
笑われた。
「……怖いですよ」
「またか」
「ええ。また、です」
前にも似たことを聞いた気がする。
「職を失うことも怖いですし、場合によっては法的責任を問われるでしょう。家族にも迷惑をかけます」
「だったら、そのまま隠し続ければいいんじゃねえの?昔みてぇによ」
「それでは」
アーヴィンは、崩れた旧市街へ目を向けた。
「十二年前と同じです」
「……」
「私は、今でも当時エアリスを守ろうとした判断、そのすべてが間違っていたとは言えません」
「そうか」
「数万人の命を守ろうとしたこと自体は、事実です」
「そうだな」
俺も、そこまで否定する気はなかった。
八万人が死ぬかもしれない。
その状況で、何とかして守りたい。
そう思う気持ちは理解できる。
もしアルセディアが同じ状況になったら。
ザフィラも。
ミラも。
レオも。
ジンも。
ラグも。
街にいる全員が危険に晒されたら。
そのとき、俺が何をするのか正直分からない。
「でもさ」
俺は、半分崩れた旧市街を見る。
「理由があったことと、やったことが消えるのは別だろ」
「……はい」
「街を守りたかった」
「はい」
「そのために、千人以上が暮らしていた場所へゼフィロスを流した」
「はい」
「それで人が死んだあと、何が起きたのか隠した」
「……はい」
「だったら」
一方だけを消さずに。
「全部、残せばいいんじゃねぇの?」
悪人でした、だから終わり、そういうわけでもない。
英雄でした、だから仕方ない、でもない。
「事情も」
俺は言う。
「罪も」
アーヴィンは、僅かに目を伏せた。
「後世の人間が、それをどう判断するのかは分かりません」
「それで、いいんじゃねぇのかね?」
「……そうですね」
俺だって、この世界の全部を知っているわけじゃない。
正しい答えを持っているわけでもない。
だったら、残して考えるしかない。
「リンドウ様」
「何?」
「一つだけ」
「うん」
「……ありがとうございます」
「……俺?」
「はい」
「何に対してだよ」
「エアリスを救っていただいたことに」
「俺だけじゃないだろ」
そう返すと、アーヴィンは少しだけ笑った。
「……そうでしたね」
「塔を直した職人もいるし」
古い回路を掘り起こして、何日もかけて修理した。
「村の奴らだって」
自分たちの生活を、ちゃんと俺たちに教えた。
「街の人も」
最後――怖かったのに、第二の『雨の道標』を点けなかった。
「あとアウラも」
「私か!」
「うるせぇ」
「褒められるとは思っていなかった!」
「いや、めちゃくちゃ働いてただろ」
「そうか!」
「そうだよ」
本当に元気だな、こいつ。
「だから」
俺は、もう一度アーヴィンを見る。
「礼なら、みんなに言え」
「……承知しました」
そう言って、アーヴィンは深く頭を下げた。
俺はその姿を見ながら、少しだけ遠くの空へ目を向けた。
ゼフィロスはもういない。
でも、あいつが運んできた雨は。
まだ――静かに降っている。
「……終わったな」
隣でアウラが言った。
「多分な」
「多分なのか?」
「まだ羊二頭残ってるだろ」
「そうだった!」
「探してから帰るか?」
「当然だ!」
「俺も?」
「リンドウも探すのだ!」
「何でだよ」
結局、その日。
俺たちは、逃げた羊を二頭とも見つけるまでエアリスを離れられなかった。
♢
エアリスを出たのは、翌朝だった。
もう少し滞在するという選択肢もあった。
復旧作業も残っている。
十二年前の事件に関する調査だって、これから本格的に始まる。
でも、そこから先はエアリスの仕事だ。
俺が全部やることじゃない。
アーヴィンも、最後にそう言った。
『ここから先は、我々自身が負うべき責任です』
だから、任せる。
「帰るぞ!」
馬車の横で、アウラが朝っぱらから大声を出した。
「お前、本当に元気だなぁ……」
「帰るのだろう?」
「そうだけど」
「なら早い方がいい!」
「何でだよ」
「飯が食いたい!」
「エアリスでもしこたま食ってたじゃん」
「アルセディアの方が量が多い!」
「量の話かよ……」
馬車がゆっくりと揺れる。
帰り道の空は、昨日までが嘘みたいに青かった。
ほんの数日前まで、あの空一面を巨大な雷雲が覆い、空そのものが壊れそうなほど風が吹き荒れていたなんて、今の景色だけ見れば信じられない。
「リンドウ」
「……ん?」
「ゼフィロスは、また来ると思うか?」
「知らんわ」
「そうか」
「来るかもしれないし、来ないかもしれない」
「雨は?」
「それも知らん」
アウラが少し考える。
そして。
「なら、次は雨を頼めばいい!」
「……」
「リュネアのように!」
「……まあ」
それは、ありかもしれない。
来い、じゃない。
運べ、でもない。
……お願いするだけなら。
「断られるかもしれないぞ」
「天鯨はどうやって断るのだ?」
「鳴くんじゃないか?」
「全部同じ鳴き声ではないのか!?」
「俺に聞くなよ……」
二人で笑った。
馬車が進み、アルセディアへ近づいていく。
そのたび、胸の中に妙な感じがする。
別に、何か特別なことが待っているわけじゃない。
ただ帰る。
それだけ。
なのに、少しだけ早く着きたいと思った。
「……」
そこまで考えて、自分で気づいて。
何となく恥ずかしくなった。
「リンドウ」
「んだよ」
「また笑っているぞ」
「うるせぇよ……」
「帰るのが嬉しいのか!」
「うるさい!」
「そうか!」
「聞けよ!」
こいつ……本当に。
何なんだ。
♢
アルセディアの城壁が見えたのは、夕方だった。
傾き始めた陽の光を受けて城壁が赤く染まり、その上では国旗が穏やかな風に揺れている。
「……帰ってきた」
意識して言ったわけじゃない。
小さく、勝手に口から出た。
門へ近づくと、守衛の一人が俺たちに気づく。
「陛下!」
声が上がる。
「陛下がお戻りになったぞ!」
「んな大げさな――」
言い終わる前に門が開いた。
「……」
そして、思っていたより人がいる。
……かなり。
「何これ」
「出迎えではないか?」
「頼んでないけど」
「陛下だからな!」
「陛下って呼ぶな筋肉ダルマ」
兵士。
職人。
商人。
子供。
見覚えのある顔も、ちらほら混ざっている。
そして、その人混みの一番前。
「……」
黒い髪。
金色の目。
黒豹の耳と。
揺れる尻尾。
ザフィラが立っていた。
いつもの服。
そして左手には、俺が渡した赤金色の指輪がちゃんとはまっている。
目が合った。
「……」
何か、言おうと思った。
ゼフィロスのこと。
エアリスのこと。
『雨の道標』のこと。
リュネアのこと。
話すことなんていくらでもある。
でも、俺が何か言うより先にザフィラが笑った。
「おかえり」
「……」
その一言だけで。
胸の奥に、何かがすとんと落ちた。
出発する前、二人だけの場所で。
『帰ってきてね、ご主人様』
『帰ってくるよ』
そう言った。
そして、ちゃんと帰ってきた。
「あぁ……ただいま」
自分で思っていたより、小さな声だった。
でも、ザフィラには届いたらしい。
黒い耳が、僅かにぴくっと動いた。
「お疲れさま」
「うん」
「無事でよかったわ」
「そっちもな」
「ええ」
「……」
それで終わり。
人がいるから、さすがにここで抱きついたりはしない。
ザフィラもこんな場所では『ご主人様』なんて呼ばない。
ただ、ほんの少しだけ俺の近くへ来た。
それだけだった。
でも、それだけで十分だった。
「リンドウ様」
その後ろから、ミラが出てくる。
「お帰りなさいませ」
「ただいま」
「ご無事で何よりです」
「あぁ」
そこで、ふと気づく。
「こっちは何もなかった?」
聞いた瞬間、ザフィラとミラが顔を見合わせた。
「……」
嫌な間だなぁおい……。
「何だよ?」
ザフィラが。
少しだけ目を逸らす。
「いやぁ……」
「何?」
「何もなかったかと聞かれたら……」
「うん」
「……あったわよ?」
「それを先に言えよ!」
思った以上に声が出た。
「何があった!」
「まず、東門方面にモンスターの群れが来たわ」
「……はぁ?」
「三日前ね」
「規模は?」
「百五十くらい」
「そんなもんか……」
いやいや、待て、全然少なくないだろ。
「種類は?」
「灰狼と角猪が中心で、上位種が五体」
「被害は?」
「なし」
「まぁ、だろうな。お前が出たなら相手にもならん」
「ええ」
ザフィラは、本当に大したことでもなかったみたいな顔をしている。
「騎士団と冒険者ギルドで処理したわ。」
「怪我は?」
「ないわよ?」
「本当に?」
「本当に」
俺は、思わず上から下までザフィラを確認した。
ザフィラの眉が上がる。
「……何よ」
「いや……ただの確認」
「失礼ね、私が負けるわけないじゃない」
「で、それだけ?」
「それだけではありません」
今度はミラが、いつもの調子で淡々と口を開いた。
「旧貴族派の一部が、リンドウ様の不在中に生じる隙を狙い、旧王城地下に残されていた武器庫を確保しようとしました」
「はぁ……?」
「こちらについては、テオ殿が事前に動きを把握しておりましたので、実行に移る前に対処しております」
「テオが?」
「はい」
人混みの中を見てもいない。
「本人は?」
「現在、取り調べに参加しております」
「取り調べる側?」
「当然です」
「さよか、ならよかった」
一瞬、捕まった方かと思った。
「残党は?」
「関与が確認された者は、全員拘束済みです」
「死者は?」
「こちらも出ておりません」
「……」
ミラが分厚い書類を差し出す。
「詳細はこちらに」
「今持ってんのかよ……」
「お読みになりますか?」
「……あとでにしてくれ」
「承知しました」
いや、まて。ほんとに何だその厚さ。
マジで何があってん……。
「あと」
俺は周囲を見る。
「食料のほうは?」
「問題ありません」
「治安は?」
「通常範囲です」
「領政官は?」
「問題なく通常運用しております」
「奴隷紋関連」
「新規事案はありません」
「工房は?」
「ラグ殿が一度、炉を爆発させました」
「何やってんだあいつ……」
「軽微です」
「軽微ねぇ」
「壁一枚です」
「壁一枚吹っ飛ばして軽微とは言わんのよ……」
向こうで、ラグが分かりやすく目を逸らした。
「おい!」
「す、すみません!」
「ジンは!?」
「一緒にいました!」
「止めろよ!」
「止めようとしたんです!」
「じゃあ何で爆発した!」
「……いけると思って」
「その言葉が一番信用ならねぇんだよ!」
周囲から笑い声が上がった。
気づけば、人がどんどん増えている。
騒がしいし、うるさい。
でも、何だか妙に懐かしい。
「……」
途中で、俺は気づいた。
「何?」
ザフィラが聞く。
「いや」
俺はアルセディアに何日もいなかった。
その間に、モンスターの群れが来た。
旧貴族派が動いた。
工房の壁が吹っ飛んだ。
それでもアルセディアは、ちゃんとここにある。
街は動き。
人は食って。
騎士は戦い。
ミラは仕事をして。
ザフィラは守った。
「……もう、俺はいらねぇのかもな」
「それは違うわよ」
返事はほとんど同時だった。
「……違う?」
「いなくても回ることと、いらないことは別ってことよ」
「……」
そんなことを言われるとは思ってなかった。
「あなたが全部やらなくてもいいってだけよ」
ザフィラは少しだけ笑った。
「帰ってくる場所くらい、私たちで守れるわ」
「……」
ずるいな……それ。
「何よ、その顔。泣いてるの?」
「……何でもねぇよ」
「そう?」
「あぁ。ちょっと沁みただけ」
俺は目を逸らした。
でも、完全にバレてると思う。
「リンドウ様」
ミラが横から淡々と口を挟む。
「なお、今後も同様に長期不在とされる場合には、決裁代行順位を事前に文書化してください」
「……はぁ」
「今回は私とザフィラ様の判断で対応いたしましたが、リンドウ様がご帰還された直後に『俺いらねぇのかもな』などと仰る程度には滞りなく運営できたという事実は、むしろ喜ばしいことかと存じます」
「絶対今の聞いてたじゃん」
「聞こえておりましたので」
「怖いって」
「褒め言葉として受け取ります」
「褒めてねぇよ」
ザフィラが笑う。
その横でアウラが。
「腹が減った!」
「お前はずっとそれだなぁ……」
「帰還祝いはあるのか!?」
「あるわよ」
ザフィラが答える。
「本当か!」
「あなたの分もね」
「やったぞ、リンドウ!」
「はいはい、わかったって」
でも、いいな。
こういう感じ。
騒がしくて。
くだらなくて。
帰ってきたんだって、ちゃんと思える。
♢
夜。
帰還祝いという名の、ほとんど宴会みたいな騒ぎがようやく終わった。
俺は自室へ戻り、ベッドへ腰を落とす。
「……疲れた」
身体が重い。
ゼフィロスと戦った疲労もある。
でも、正直。
帰ってきてから聞かされた。
モンスター百五十体。
旧貴族派。
工房爆発。
そっちの方が疲れた気がする。
机の上には、ミラが置いていった分厚い報告書。
「……明日」
今日はもう無理。
マジで無理。
寝よう。
そう思いながら上着を脱いだ。
そのときだった。
「……ん?」
視界の端で、青白い光が揺れた。
「何だ?」
俺が呼び出したわけじゃない。
なのに、また勝手に。
あの表示が現れる。
『レムナント・レコード』
「……またか」
正直、まだ何なのかも分かっていない。
ゲーム時代には見たこともない。
俺が意識して呼び出せるわけでもない。
それなのに、ゼフィロスと出会ってから、何度も勝手に現れる。
青白い表示には、いつものようにレベルや技能、装備。
そんな情報が並んでいた。
でも。
「……ん?」
その一番下に、見覚えのない項目が増えている。
「なんだこれ……?」
目を凝らす。
青白い文字が静かに浮かび上がった。
『残誓解放』
「……」
そして。
その下。
『1 / 7』
「……七分の一?」
しばらく数字を見たまま動けなかった。
七という数字には覚えがある。
覚えどころじゃない。
十二年間、何度も何度も何度も戦った。
ゲーム時代、七災と呼ばれていた存在。
『疫』。
『地』。
『海』。
『火』。
『嵐』。
『渇』。
『凍』。
「……待て」
背中に冷たいものが走った。
ゼフィロスだけじゃない。
これは、そういう意味にしか見えない。
『残誓解放 1 / 7』
一つ解放した。
――なら。
「……残り、六つ?」
頭の中に、かつて戦った奴らの姿が次々と浮かぶ。
『万疫の聖母メルキア』。
『地殻巨神グラン=ガルド』。
『海嘯龍ネレイア』。
『灰冠火竜ヴァルグネス』。
『天渦鯨ゼフィロス』。
『渇日獣サハル』。
『白夜女王エイルシア』。
俺にとっては、全部攻略済みのボスだった。
弱点を知っている。
行動パターンを知っている。
最速手順も。
ドロップする素材も。
全部……知っている。
そのつもりだった。
「……」
でも、ゼフィロスのことを。
俺は何一つ知らなかった。
『誓核』なんて存在があることも。
百年以上守り続けてきた約束があったことも。
リュネアという少女がいたことも。
あの鳴き声が、誰かへ返す歌だったことすら。
何百回も殺したのに……知らなかった。
「……あいつらにも」
喉が乾く。
もし、ゼフィロスだけじゃないなら。
残りの六体にも。
『誓核』があって。
『残誓』があって。
何か、終わらせられなかったものがあるなら――。
「……俺が殺してきた、あいつら全員に?」
そこまで口にして、先を言えなくなった。
少し前まで、部屋の外からは宴の名残みたいな笑い声が聞こえていた。
ザフィラがいて。
ミラがいて。
アウラが騒いで。
帰ってきたんだと、そう思えた。
暖かい夜。
なのに今、俺の視界に浮かぶ青白い文字だけが、やけに冷たい。
『残誓解放 1 / 7』
――残り、六体。
「……」
知らなかった。
物語を読まなかった。
こんなもの今までは、ただのプレイスタイルだった。
ゲームだったんだから、別にそれでよかったはずだ。
ボスは倒すもの。
敵は殺すもの。
勝てば終わり。
それだけだった。
でも仮に。
もし、もしだ……。
全部、ゼフィロスと同じだったら。
「……じゃあ、俺は」
今まで、何百回、何千回と。
何も知らないまま、弱点だけを見て。
最速で、効率よく殺してきたあいつらは。
本当に――ただの災厄だったのか?
それとも。
「……俺は今まで」
声が、自分でも分かるくらい低くなった。
画面の中では、青白い数字が何も答えないまま静かに浮かんでいる。
『残誓解放 1 / 7』
残り六つ。
そして、俺はその六体を。
もう何度も殺したことがある。
「……俺は今まで、一体何を殺してきたんだよ」
返事はなかった。
ただ、部屋の中で。
『レムナント・レコード』の青白い光だけが。
今まで知らなかった六つの物語を。
まるで――次はお前が読めとでも言うように。
いつまでも、消えずに浮かんでいた。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
第四章『天鯨の帰る空』、これにて完結です。
ゲーム時代なら、ゼフィロスを倒すだけで終わっていた攻略。
けれど今回は、その理由を知り、リュネアとの約束を知り、最後には『討伐』ではなく――『解放』という結末へ辿り着きました。
そしてリンドウもまた、アルセディアへ帰り、
「いなくても回ることと、いらないことは別」
「帰ってくる場所くらい、私たちで守れるわ」
という言葉を受け取ります。
ゼフィロスには、帰る空ができた。
リンドウにも、帰る場所ができた。
ですが――。
最後に『レムナント・レコード』が示したもの。
『残誓解放 1 / 7』
ゼフィロスだけではない。
かつてリンドウが何度も倒してきた、残る六体の七災にも。
まだ、彼の知らない物語があるのかもしれません。
「……俺は今まで、一体何を殺してきたんだよ」
『REMNANT RECORD』の物語は、ここからさらに深くなっていきます。
第四章『天鯨の帰る空』、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
次章も、どうぞよろしくお願いいたします。




