84:【最後の歌声】
第七の『雨の道標』は、まだ灯らなかった。
塔の内部には十分な魔力が満ちていて、魔力炉にも導線にも異常はなく、修復した発光機構だって昨日の試験では確かに動いている。
それどころか、今もゼフィロスが鳴くたびに、内部の魔力回路だけは微かに反応していた。
なのに――六つの灯りをすべて辿り終えた今だけ、肝心の最後の光が空へ出てこない。
「……三十五まで上げても駄目か」
ゼフィロスの頭部に立ちながら、俺は遠くに見える第七の『雨の道標』へ目を向けた。
暗い。
その塔の向こうには、青灰色の海がどこまでも広がっている。
あそこさえ灯れば、ゼフィロスを陸地から離して海へ向かわせられる。エアリスにも、南西の集落にも、別の誰かの暮らす場所にも災害を押しつけなくて済む。
……あと一つ。
本当に、もう少しなんだ。
――ォォォォォォォォォォォン。
耳の奥まで震わせるような低い声が、空いっぱいに響く。
その直後。
『リンドウ様!』
通信へエルナの声が割り込んできた。
「何が分かった!?」
『終節そのものは、やはり見つかっておりません』
「……そっか」
期待していなかったつもりなのに、少しだけ肩が落ちた。
『ですが、現存している祈祷歌については、可能な限り復元できました』
「……それなら」
まだ試せる。
「歌えるか!?」
『神殿の者を三名連れてきております。古い発声法までは完全に再現できませんが、旋律と詞であれば』
「十分だ、やろう!」
『今からですか?』
「今しかねぇよ!」
目の前では、行き先を見失ったゼフィロスが巨大な身体を緩やかに傾けている。
二枚だけ残した『風鰭』が不安定な空気を掴むたび、巨体と一緒に巨大な雨雲まで引きずられ、地上へ落ちる雨の場所まで少しずつ変わっていた。
さっきから俺は何度も身体へ衝撃を入れ、そのたび海側へ向け直しているけれど、こんなことをいつまでも続けられるわけじゃない。
「アウラ!」
『おう!』
「第六周辺はどうだ!?」
『今のところ問題ない! 住民は全員避難している!』
「エアリスは!?」
『第二の『雨の道標』も動いていないぞ!』
「了解!」
それだけ聞いて、少しだけ肩の力が抜けた。
地上はアウラたちが見てくれている。
エアリスも、自分たちで選んだ。
なら今、俺が見なきゃいけないのは。
こいつだけだ。
「エルナ」
『はい』
「準備でき次第始めろ!」
『承知しました』
通信が切れると、ほんのしばらく、風と雨、それからゼフィロスの低い呼吸だけが残った。
俺は『ドライ』を肩へ乗せ、足元にある巨大な頭部へ目を落とす。
「なあ」
返事なんて期待せずに話しかける。
「今から、お前が百年以上聞いてない歌を流すらしいぞ」
当然、ゼフィロスは何も答えない。
「覚えてんのかな」
百年以上だ。
人間なら、歌だって変わる。
言葉も変わるし、意味だって失われる。
実際、ルアネ連邦そのものがなくなり、風巫女の系譜さえ途絶えた。
……それなのに。
こいつだけは百年以上経った今も、同じ季節に、同じ場所へ帰ろうとしている。
「……覚えてそうなのが怖ぇんだよな、お前の場合」
そう呟いたところで、第七の『雨の道標』の上部に淡い魔力光が灯った。
塔そのものの発光じゃない。
旧風神殿から運び込まれた、声を遠くまで届けるための魔導具だ。
『準備が整いました』
エルナの声。
「やれ!!」
『はい』
ほんの短い静寂があって。
それから――。
歌が始まった。
♢
最初に思ったのは。
随分と静かな歌なんだな、ということだった。
風神殿に残された祈祷歌だというから、もっと荘厳で、難しくて、特別な儀式のためだけに歌われるようなものを勝手に想像していた。
でも、実際に聞こえてきた旋律は違った。
ゆっくりとしていて、どこか素朴で、繰り返し聞けば子供でも覚えられそうなくらい単純だった。
三人の声が重なり、風へ言葉を乗せるように長く伸び、そのまま第七の『雨の道標』から遠い空へ広がっていく。
古語が多く、俺には意味を取れない部分も多かった。
それでも、いくつか知っている言葉が聞こえる。
雨。
空。
遠き旅人。
乾いた大地。
そして。
帰る道。
「……」
そのとき、ゼフィロスの動きが変わった。
完全に止まったわけじゃない。
空を泳いでいた巨大な身体が、ほんの少しだけ速度を落としただけだ。
でも、明らかに違う。
残っている二枚の『風鰭』も、さっきまでより静かに空気を掴んでいる。
「……反応した?」
気のせいかと思った。
……いや、違う!
俺は頭部へしゃがみ込み、硬い青灰色の皮膚へ手を触れた。
「聞こえてるのか?」
歌は続く。
俺の頭の中に、百年以上前の景色が浮かんだ。
実際に見たわけじゃない。
記録から知っただけの光景だ。
長く続く旱魃。
乾ききった大地。
空を見上げながら、巨大な天鯨を災いと呼んでいた大人たち。
その中で。
まだ十三か十四歳ほどだった一人の少女が、まったく違うものを見ていた。
『雨を運ぶあなた』
エルナたちの声が、古い旋律をなぞっていく。
『もし、私の声が聞こえるなら』
ゼフィロスの巨大な瞳が、ゆっくりと開いた。
金白色の目。
でも、見ているのは俺じゃない。
遠く――第七の『雨の道標』だ。
「……マジで」
覚えてるのか。
百年以上前に聞いた。
たった一人の少女の歌を。
祈祷歌はさらに進んでいく。
そして、俺が資料の中で何度も読んだ言葉へ辿り着いた。
『毎年、この国へ雨を連れてきて』
胸の奥が、僅かにざわつく。
『あなたが迷わないように』
風が弱まる。
『私たちが灯をともすから』
最後の言葉が空へ溶けて。
歌が終わった。
「……」
俺は待った。
でも、何も起こらない。
第七の『雨の道標』は暗いまま。
ゼフィロスも、ただ空に浮かんでいる。
「……まだ?」
『ここまでです』
通信からエルナの声が返ってくる。
「終節は?」
『……残っておりません』
「だよな……」
知っていた。
楽譜はここで途切れている。
だから研究者たちは、この先に本来ならもう一節が存在したと考えた。
最終節の欠損。
俺も、そうだと思っていた。
「くそ……」
やっぱり駄目なのか。
『リンドウ様、もう一度――』
――ォォォォォォォォォォォォォン。
「っ!」
その声は、突然だった。
足元のゼフィロスが大きく鳴き、巨大な身体の内側から響いてきた振動が、そのまま俺の足を抜け、身体全部を突き上げる。
長い声――でも。
「……ん?」
何か……違う。
さっきまでの声と何が違う?
高さか。
長さか。
それとも。
鳴いたタイミングか。
分からない。
ただ、祈祷歌が終わった直後にゼフィロスは鳴いた。
そして。
『リンドウ様!』
エルナの声が上ずる。
『第七塔が!』
「……!」
俺も見た。
第七の『雨の道標』の上部が。
パッ、と。
一瞬だけ青白く光った。
でも、すぐ消えた。
「……待て」
今――何が起きた?
「待て」
『リンドウ様?』
「誰も操作してないよな?」
『はい!』
「出力は?」
『三十のままです!』
「魔力炉は?」
『正常です!』
「……ゼフィロスが鳴いた瞬間だった?」
通信の向こうで。
エルナも何かに気づいたようだった。
『……はい』
「……」
風巫女の歌が終わる。
ゼフィロスが鳴く。
第七の『雨の道標』が反応する。
前もそうだった。
第七がどうしても灯らず、俺たちが原因を探していたとき。
ゼフィロスが鳴いた瞬間だけ。
内部回路が一瞬だけ反応した。
あのとき、俺は何らかの認証条件なんじゃないかと考えた。
でも。
「……もう一回」
『え?』
「歌、最初からもう一回だ!」
『しかし、終節は――』
「いいから歌え!」
頭の中で、何かが引っかかっている。
古い運用記録。
『六標の灯、巡り終えし後』
『風巫女、終節を捧ぐ』
『終節の後――』
「……『返り声を待つ』」
自分で口にして……その言葉を、もう一度噛みしめる。
返り……声。
「エルナ!」
『はい!』
「古い楽譜、最後どうなってる!?」
『最後、ですか?』
「歌が終わったところ!」
俺も見た。
音符が続いて、歌詞が続いて。
最後の旋律が終わったあと。
少し空白があって。
『『返り声』とだけ記されています』
「音符は?」
『ありません』
「歌詞は?」
『ありません』
「本当に何も?」
『はい』
「……」
何もない。
だから、後世の研究者たちは欠けていると考えた。
最後の一節が消えた。
そう解釈した。
でも、だったら――。
どうして『返り声』という言葉だけは残っている?
「……」
二度目の歌が始まった。
俺は目を閉じるくらいの気持ちで、今度は歌そのものへ耳を澄ませた。
最初は静かな旋律。
遠くにいる誰かへ、自分の声が届くように。
呼びかけるような。
一人から、誰かへ向けた歌。
『雨を運ぶあなた』
呼びかけ。
『もし、私の声が聞こえるなら』
問いかけ。
『この国にも、雨を分けてください』
お願い。
そして――最後。
『毎年、この国へ雨を連れてきて』
『あなたが迷わないように』
『私たちが灯をともすから』
そこで、人の声が止まった。
「……」
俺は待った。
一秒。
二秒。
三秒。
「来い……」
何を待っているのか。
もう、何となく分かり始めていた。
四秒。
「来いよ……!」
五秒。
その瞬間。
足元の巨大な身体が、ほんの僅かに震えた。
息を、吸っている。
ゼフィロスが、大きく空気を取り込む。
「……!」
――ォォォォォォォォォォォォォン。
そして。
今度は――分かった。
「……歌だ」
咆哮じゃない。
ただの鳴き声でもない。
人間が歌い終えた。
その直後にぴったり。
そこから、続きを受け取るようにゼフィロスの声が伸びている。
「……あ」
遠く。
第七の『雨の道標』の内部を魔力が走った。
塔の下部から上部へ。
百年以上前の古い回路が、一斉に青白く明滅する。
でも、まだ完全には灯らない。
『リンドウ様!』
「止めるな!」
『え?』
「歌だ、もう一周!」
『ですが――』
「いいから!」
分かった。
たぶん、答えは見えた。
でも、一回だけじゃ駄目だ。
偶然かもしれない。
俺が勝手にそう聞こえたかっただけかもしれない。
ここでまた『きっとこうだ』で突っ走るのは。
――もう嫌だ!
「今度は最後まで歌ったあと、誰も声出すな!」
『……承知しました』
三度目。
同じ祈祷歌が空へ流れていく。
ゼフィロスは動かない。
逃げもしない。
俺が進路を修正する必要すらない。
ただ、じっと聞いている。
俺も聞いた。
何代もの風巫女へ受け継がれ。
国がなくなったあとも写本の中に残り。
やがて意味を忘れられ。
最後の一節が失われた歌。
そう……思われていたものを。
でも――本当に欠けているのか?
『あなたが迷わないように』
もうすぐ。
『私たちが灯をともすから』
歌が終わる。
誰も続けない。
誰も声を出さない。
ただ、待つ。
すると、ゼフィロスが大きく息を吸った。
そして。
――ォォォォォォォォォォォォォン。
……同じだ、二回とも。
同じところ。
同じ間。
同じような音の流れ。
人間の旋律を受け取って。
そのあとに返す……声。
「……違う」
口から勝手に言葉が漏れた。
『何がですか?』
エルナ。
「違う……」
笑ったのか。
息を吐いたのか。
自分でも分からない。
でも、ようやく分かった。
「……最後の一節が消えたんじゃねぇ!」
『……え?』
古い記録には、最初から書いてあった。
『返り声を待つ』
待つ、一体誰が?
風巫女が、自分の歌の続きを歌うために?
――違う。
だったら、そんなもの『返り声』なんて呼ばない。
「最初から――」
俺は足元にいるゼフィロスの巨大な頭部へ目を落とした。
金白色の瞳。
百年以上、ここへ帰り続けてきた天鯨。
「……こっちは、人間が歌う場所じゃないんだ」
通信の向こうが静まり返る。
「『返り声』」
それは、失われた歌詞なんかじゃない。
楽譜に音符がないのも。
歌詞が書いてないのも。
当たり前だった。
「……ゼフィロスの声だ」
『……』
「風巫女が歌って、こいつが応える」
人間が呼ぶ。
天鯨が返す。
一方的な命令でも、祈りでもない。
「……二人で一つだったんだ」
リュネアとゼフィロス。
一人で完成させる歌じゃない。
人間だけで完結する祈祷歌でもない。
呼びかけて、相手が答える――掛け合い。
もっと言えば、たぶん……約束そのものだ。
「エルナ!」
『は、はい!』
「もう一回!」
『四度目です!』
「今度は条件全部合わせる!」
俺はゼフィロスの頭部を走りながら、次々と確認する。
「第七の『雨の道標』、出力三十!」
『固定済みです!』
「六標巡回は?」
『すべて完了しています!』
「祈祷歌始めろ!」
『始めます!』
「それと――」
一度。
足元を見る。
「全員、最後は待て!」
『……はい!』
四度目の歌が始まった。
でも今度は、同じ歌なのにまるで違って聞こえる。
最初、まだ幼かったリュネアが空へ呼びかける。
『雨を運ぶあなた』
聞こえる?
『もし、私の声が聞こえるなら』
この乾いた国にも。
少しだけ。
『この国にも、雨を分けてください』
そして、ゼフィロスは来た。雨を連れて。
翌年、少女はまた待った。
その次の年も、また。
そのうち少女は大人になり。
それでも――歌った。
『毎年、この国へ雨を連れてきて』
自分がいなくなっても。
あなたが迷わないように。
『あなたが迷わないように』
第一。
第二。
第三。
第四。
第五。
第六。
そして。
第七。
人々は。
七つの道標を作った。
『私たちが灯をともすから』
人間の歌が、終わる。
そして、静寂が訪れる。
ほんの数秒、ゼフィロスが大きく息を吸った。
――ォォォォォォォォォォォォォン。
返り声。
その瞬間。
第七の『雨の道標』が反応した。
今までのような、一瞬だけの明滅じゃない。
「……来た」
塔の内部を魔力が駆け上がり、百年以上眠っていた古い回路が次々に光っていく。
『出力上昇!』
技師の声が通信へ飛び込んでくる。
『三十一! 三十二!』
「上げてないよな!?」
『上げておりません! 塔側が、自動で――!』
「……本来の回路か」
死んでいなかった。
百年以上ずっと、使われなかっただけだ。
本来の条件が揃うのを――待っていた。
『三十四!』
そして。
一度、上部の発光機構が暗くなる。
「……」
次の瞬間。
第七の『雨の道標』から。
青白い光が真っ直ぐ空へ伸びた。
「――点いた!」
最後の。
七つ目の『雨の道標』。
百年以上、本来の意味では灯ることのなかった光が。
海へ続く空を照らしている。
「……」
足元で、ゼフィロスの動きが止まった。
巨大な頭部が、ゆっくりと最後の光へ向く。
風が変わる。
残っている二枚の『風鰭』が大きく広がり、それに引かれるように雨雲まで海側へ動き始めた。
そして、ゼフィロスが進む。
第七の『雨の道標』へ。
いや……違う。
あいつが見ているのは、その先だ。
――海へ。
「……見つけたな」
最後の灯り。
百年以上、誰も本来の方法では灯せなかった。
そして……途切れてしまった帰る道。
『リンドウ!』
アウラの声が弾む。
『点いたぞ!』
「見えてる!」
『本当に歌だったのか!?』
「半分な!」
『半分?』
「人間が歌うのは、半分だけだった!」
『では、残りは!?』
俺は足元のゼフィロスを見る。
「こいつだ」
『……天鯨が?』
「ああ」
通信の向こうで。
アウラがしばらく黙った。
『……そうか』
「それだけか?」
『何と言えばいいのだ!』
「知らんわ」
なんだか、急に笑えてきた。
雨はまだ降っている。
全身ずぶ濡れ。
周りでは雷が鳴り。
俺は天災級の怪物の頭の上に立っている。
一歩間違えれば普通に死ぬような状況だ。
なのに――。
「……はは」
声が漏れた。
「マジかよ……」
ゲーム時代。
俺は何回こいつを倒した?
何百回……いや、もっとかもしれない。
でも、歌なんて一度も聞かなかった。
サイドクエストは報酬だけ見て。
使えないと分かれば受けなかった。
『雨の道標』だって。
ただのボス誘導ギミックだと思っていた。
ゼフィロスの鳴き声も。
攻撃の合図か。
雰囲気を出すための演出。
そんなものだと思っていた。
でも、本当は、最初から。
全部……ここにあったんだ。
「……俺は、本当に何も見てなかったんだな」
ぽつりと呟く。
ゼフィロスは返事をしない。
もう歌は終わったから。
今は、鳴く必要がないのかもしれない。
ただ、第七の灯りへ向かって。
ゆっくりと、空を泳いでいる。
百年以上前。
リュネアの声へ応えたときと。
きっと――同じように。
「リュネア」
あの少女は、もういない。
ルアネ連邦も、もうない。
風神殿は遺跡になり。
風巫女の系譜は途絶え。
歌の意味さえ、忘れられた。
でも、もう片方はずっとここにいた。
「ちゃんと……残ってたぞ」
誰へ届けるでもなく、呟いた。
歌は、欠けていなかった。
人間が、自分たちの声だけを歌だと思っていただけ。
昔、一人の少女が。
誰もが災害だと思っていた存在を見上げて、声を掛けた。
そして、相手が応えた。
その瞬間から。
……これはもう、一人の歌じゃなかったんだ。
リュネアだけの祈りでもない。
人間が天鯨を従わせるための歌でもない。
風巫女が呼び。
天鯨が返す。
――二つの声で、一つの約束を確かめる歌だった。
「……そりゃ、人間だけじゃ完成しねぇわ」
小さく笑う。
俺たちはずっと、人間側に足りないものがあると思っていた。
失われた一節。
消えた記録。
途絶えた風巫女の技法。
でも、足りなかったわけじゃない。
ただ、もう一人を。
歌っている側として数えていなかった。
ゼフィロスを、災害としてしか見ていなかったから。
「……ほんと、同じだな」
俺も。
ゲーム時代、こいつを敵としてしか見ていなかった。
倒すもの。
素材を落とすもの。
世界記録を縮めるための障害物。
だから。
あれだけ何度も声を聞いていたのに。
一度だって、何を言っているんだろうとは考えなかった。
「ストーリー未読……ほんと、笑えねぇよ」
自分で言って、少しだけ苦笑した。
でも、今度は聞いた。
百年以上。
誰にも返してもらえなくなっても。
それでも、同じ道へ帰り続けた声を。
最後まで。
ちゃんと、聞けた。
第七の『雨の道標』から伸びる青白い光が、雲の向こうまで真っ直ぐ伸びている。
その先には、海。
ゼフィロスはもう迷っていない。
俺は『ドライ』を握ったまま、その背中に立っていた。
でも、もう進路を押し戻す必要はなかった。
頭を叩く必要も、『風鰭』を傷つける必要もない。
あいつ自身が、道を見つけたから。
「ほら」
俺は最後の灯りを見ながら、足元のゼフィロスへ声を掛ける。
「道、見えたぞ」
返事はなかった。
……それでいい。
今はもう、返り声を求める歌は終わっている。
ゼフィロスはただ。
百年以上探し続けていた七つ目の光へ向かって。
そのさらに先。
海へ続く空を。
――自分の意思で、ゆっくりと泳いでいった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
失われたと思われていた、風巫女の祈祷歌。
でも実際には――歌は、最初から欠けていませんでした。
風巫女が呼びかけ。
天鯨が応える。
『返り声』は、ゼフィロスの声。
人間だけで完成する歌ではなく、リュネアとゼフィロス、二つの声で一つの約束を確かめる歌だったのです。
そして百年以上ぶりに、本来の条件で灯った第七の『雨の道標』。
ゼフィロスはようやく、最後の道を見つけました。
「歌は欠けていなかった。人間が、自分たちの声だけを歌だと思っていただけ」
次回――【天鯨の帰る空】




