76:覇王、天鯨の約束を知る。
石板には、確かにそう刻まれていた。
『第一・雨の道標』
「……雨の道標」
もう一度、声に出して読む。
誘導塔ではない。
ゲーム時代からずっと、俺がそう呼んできたものとはまるで違う名前だった。
雨の、道標……。
隣ではアウラが腕を組み、古びた石板を覗き込んでいる。
「雨の道標、か」
「ああ」
「天鯨を誘導するための塔ではなかったのか?」
「俺も、ずっとそう思ってた」
少なくとも『レムオン』では、それ以外の意味なんて考えたこともなかった。
誘導塔を起動すればゼフィロスが反応し、進行方向を変える。
ボスを任意の場所へ移動させるためのギミック。
俺にとっては、それ以上でもそれ以下でもなかった。
だからこそ、この名前が引っかかる。
「雨を降らせる塔、という意味なのか?」
「それなら『雨乞いの塔』とか、もっと分かりやすい名前にするだろ」
「では、雨が通る道を示しているということか?」
「……たぶんな」
そこまで答えてから、改めて石板を見た。
問題は、その道を誰に示しているのか。
いや――ここまで来れば、候補なんて一つしかない。
俺は石板へ手を掛けかけて、念のため案内してくれた技師を見る。
「これ、外しても大丈夫か?」
「おそらく問題はありませんが……かなり古いものです。無理に動かすのはおすすめできません」
「……だよなぁ」
現物を壊したら意味がない。
「紙あるか?」
「ございます」
「文字だけ写しておいて欲しい」
「承知しました」
技師が石板の内容を書き写し始める。
その間に、俺は石板の周囲を調べてみることにした。
棚の裏側に隠れていたから、これまで誰にも気づかれなかったらしい。
とはいえ、意図的に隠されたというよりは、後世になって棚を置いた結果、たまたま塞がれたように見える。
「……やっぱり、ここだけ作りが違うな」
「分かるのか?」
「ああ。ぱっと見は同じなんだけど、石の切り方が違う」
ゲーム時代に鍛冶や生産へ馬鹿みたいに時間を使ったせいか、こういう違いには妙に目が行く。
現在の塔は、ほぼ同じ大きさに加工された長方形の石材を積み上げて造られている。
けれど、この地下部分は違った。
石の形は少しずつ不揃いなのに、継ぎ目にはほとんど隙間がない。
むしろ、今より古い技法で丁寧に組み上げられているように見える。
「今の塔が建つより前から、ここに何かあったのかもしれないな」
「なら、もっと探すか!」
「そうしよう」
というか、ここまで来て今さら帰れるわけがなかった。
どうしてゼフィロスは塔の光を追うのか。
その答えが、この塔の古い部分に残っているような気がしてならない。
♢
それから一刻ほど。
俺たちは、第一誘導塔の地下をほとんどひっくり返す勢いで調べ回った。
大発見、とまではいかなかった。
それでも、何もなかったわけじゃない。
「これ……設計図だよな?」
旧制御室の床板の下から見つかった木箱。
湿気で傷んだその中に、古い羊皮紙が何枚か残されていた。
保存状態は悪い。
端は虫に食われ、文字もかなり薄れている。
それでも、塔らしき断面図や地下から上部へ伸びる魔力導線、発光装置らしき構造は確認できた。
「相当古い形式ですね」
技師が破れないよう慎重に羊皮紙を広げる。
「現在の誘導塔とは、かなり構造が違います」
「どこが?」
「現在の塔は、一基ごとに魔力を増幅し、特定方向へ強く放出するよう設計されています。しかし、こちらは……」
技師の指が、塔上部に描かれた円環をなぞった。
「指向性がかなり弱いですね」
「つまり?」
「周辺一帯へ、ほぼ均等に光と魔力を広げる設計です」
「……ゼフィロスを引っ張るには効率悪くないか?」
「その通りです」
技師も不思議そうに眉を寄せる。
「現在の用途には適していません。むしろ、遠方からでも自分の位置を確認させるための……標識に近い構造です」
「標識……」
また同じところへ戻ってくる。
誘導ではない、何かを無理やり引き寄せるためでもない。
ただ……そこに光があると知らせる。
「他に文字は残ってないか?」
「こちらに、少し」
設計図の端に、古い文字が残っていた。
技師と一緒に、掠れた部分を拾っていく。
『第一・雨の道標――北丘』
別の羊皮紙には、
『第二・雨の道標――』
とあり、その先は破れていた。
さらに別の紙には、
『第六・雨の道標』
そして。
『七標、同一光量を基準とする』
「七……」
「今の誘導塔も七基だ!」
「……だな」
位置も、数も、ほとんど一致している。
偶然とは考えづらい。
つまり現在の誘導塔は、まったく新しく作られた設備じゃない。
もともと存在していた七基の『雨の道標』を、後世の人間が改修して使っている可能性が高い。
「リンドウ、ここにも何か書いてあるぞ」
アウラが図面の下部を指差した。
「どれ?」
付着した埃を慎重に払う。
かなり古い言い回しだった。
けれど、読める。
『強き光を以て縛るものに非ず』
「強い光で……縛るものじゃない?」
さらに続きを追う。
『雨の客人に、次なる灯を示すためのものなり』
「……」
俺は、その文章を何度も読み返した。
強い光によって縛るものではない。
雨の客人へ。
次の灯を示すためのもの。
「……客人?」
その単語を口にした瞬間。
俺の中にあった『誘導塔』という認識が、音を立てて崩れ始めた。
俺はずっと、この塔をゼフィロスを操るための装置だと思っていた。
でも――違う。
「……これ、案内じゃねぇか」
「何がだ?」
俺は設計図の一文を指差した。
「命令してるんじゃない。無理やり進路を変えさせるために作ったものでもない」
「ではなんだと言うんだ?」
「道を教えてるんだよ」
アウラが少し考えてから尋ねる。
「誰に?」
「たぶん……」
まだ、断定するには材料が足りない。
それでも――。
「……ゼフィロスに」
♢
エアリスへ戻った頃には、完全に日が落ちていた。
さすがに今日はここまでにして、続きは明日にしよう。
そう思っていた……思っていたんだけど。
「旧風神殿でしたら、夜でも史料を閲覧させてもらえると思いますよ」
第一塔の技師が、余計なことを教えてくれた。
「どこだ?」
「西区です」
「行くぞ」
「今からか!?」
アウラが驚いた顔をする。
「お前が言うのか?」
「私は寝てもいいぞ!」
「急に普通のこと言うなよ」
でも、俺はたぶん今夜このまま寝ようとしても眠れない。
『雨の道標』
『雨の客人』
そして七つの灯。
……何かがある。
もう少し……あと少し調べれば、繋がる気がする。
「その神殿、今も使われてるのか?」
「礼拝施設としては、ほとんど使われておりません。現在は古い史料の保管所を兼ねています」
「なおさら行くしかねぇな」
結局、俺たちは夜のエアリスを歩くことになった。
昼間に比べて人通りは少なく、避難準備の影響もあって街灯は最低限しか点いていない。
まだ少し風が強く、街角のランプが何度も揺れていた。
西区の端。
斜面に沿って続く長い階段を上った先に、旧風神殿はあった。
「……ぼろいな」
「古いな!」
「お前の方が言い方酷いぞ」
半分ほど崩れた石造りの建物だった。
屋根だけは後世に修繕されているようだけど、柱や基礎部分は相当古い。
入口の上には、風を模した紋章が刻まれている。
そして、その下。
七つの小さな円が、一列に並んでいた。
「……七」
……まただ。
中へ入ると、六十代くらいの女性が対応してくれた。
神官ではないらしい。
「この場所の管理をしております、エルナと申します」
「……夜遅くに悪い」
「構いませんよ。天鯨が近づく時期には、古い記録を調べに来られる方もおりますから」
「『雨の道標』について知りたい」
その言葉を口にした瞬間。
エルナの目が、僅かに大きくなった。
「その名を、どちらで?」
「第一塔の地下だ」
「……まだ残っていたのですね」
「……知ってるのか?」
「言葉だけなら」
エルナは俺たちを神殿の奥へ案内しながら説明してくれた。
「こちらでは『古き七標』とも呼ばれています。現在の誘導塔の前身だったものだと」
「何のために作られたかは?」
「そこまでは、正確には分かっておりません」
「記録は?」
「断片なら残っています」
……また断片か。
でも、それでいい。
むしろ、今となってはその方が信用できる。
何百年も前のことを、一冊読めば何から何まで分かる方がおかしい。
「こちらです」
案内された神殿の最奥。
壁面に、古い碑文が残されていた。
半分近くは削れ、文字も古い。
エルナの補足を受けながら、残っている部分を拾っていく。
『大旱の年』
『井戸は底を見せ』
『麦は実らず』
『獣もまた倒れ――』
「旱魃……」
「この地方に残る、かなり古い記録です」
エルナが言う。
「現在のエアリスが成立するより前、この周辺には一つの小さな国があったとされています」
「名前は?」
「『ルアネ連邦』」
「聞いたことねぇな」
「現在では、ほとんど忘れられております」
碑文を追っていく。
何年間続いた旱魃なのかは、途中が欠けていて分からない。
それでも、相当酷かったことだけは伝わってくる。
井戸が枯れ。
畑は実りを失い。
家畜まで倒れ。
ついには国を捨てる者まで現れ始めた。
そして。
『空を巡る巨獣、雲を従え、雨を奪う』
「ゼフィロス……」
当然、当時からあいつはいた。
「やっぱり、この頃から災厄扱いされてたのか」
「そのようですね」
碑文は続く。
『民、これを討たんと願う』
『弓を集め、術師を集め――』
「討伐しようとしたのか」
アウラが驚いたように碑文を見る。
「五災を?」
「今と同じ強さなら、どう考えても無理だろ」
その結果がどうなったのか。
肝心の部分は削れている。
でも、大体想像はつく。
――討てなかった。
下手をすれば、攻撃を仕掛けた側にかなりの被害が出たのかもしれない。
「重要なのは、ここからです」
エルナが隣の石板へランタンを近づけた。
「この神殿に残る記録の中でも、特に有名な箇所です」
そこには、一人の名前が刻まれていた。
『風巫女リュネア』
「……リュネア」
「当時の風巫女とされています」
「何歳だったんだ?」
「正確には分かりません。ただ、別の資料では『幼き巫女』と表現されています」
碑文の横に、簡素な線が残っていた。
小柄な少女……十二か十三。
多く見積もっても、十五くらいにしか見えない。
その下。
『リュネア、巨獣の跡を見ん』
『雨は奪われず』
途中が欠けている。
その先――。
『乾きし野にて、巨獣は歩みを緩め』
「……待て」
思わず碑文へ近づいた。
「これ、乾燥した土地でゼフィロスが速度を落としてたってことか?」
「そのように読めます」
さらに下。
『去りし後、土は潤う』
「……」
……もうほとんど答えじゃねぇか。
リュネアは見たんだ……ゼフィロスを。
ただ恐れるんじゃなく、あいつが実際に何をしているのかを。
そして、碑文の横。
後世に残されたらしい一文へ目を移す。
『あの子は雨を奪ってるんじゃない』
『雨を、運んでるんだよ』
「……」
アウラも何も言わなかった。
俺たちにとっては、ゼフィロスが巨大な雨雲を連れて飛ぶことなんて知っていて当然だ。
今日だって、嫌になるほど雨を浴びた。
でも、長い旱魃に苦しんでいた当時の人々は。
空を覆う巨大な鯨を見て、自分たちの雨を奪っている災厄だと思った。
その中で、幼い巫女だけが違うと言った。
「リュネアは、そのあと何をした?」
「碑文だけでは、ほとんど分かりません」
「他に残ってないのか?」
「農村部に、彼女を題材にした古い歌が伝わっています」
「……歌?」
「はい」
「どこにだ?」
「……今から行かれるおつもりですか?」
「遠いか?」
「馬車で半刻ほどですが」
「行くさ」
エルナが思わず、といった感じで笑った。
「本当にお急ぎなのですね」
「ゼフィロスも待ってくれないからな」
♢
とはいえ、さすがに夜中に農村へ押しかけるのはどうかと思った。
だから、その日はエアリスへ戻り、翌朝。
「寝たのか?」
「二時間くらい」
「私はよく寝たぞ!」
「知ってる。隣の部屋までいびき聞こえてたしな」
「そうか!」
「褒めてねぇよ」
朝一番で、エアリス西側の農村へ向かった。
この辺りは、昔ながらの風習が比較的残っている地域らしい。
そこで、俺たちは本当にその歌を聞いた。
歌っていたのは、五、六人の子供たちだった。
畑の脇で手を繋ぎながら。
「雨のおおくじらー」
幼い声が重なる。
「ひとつの灯りを見つけたらー」
「ふたつめの灯りへおいでー」
「みっつ、よっつと空をゆきー」
「ななつを辿って――」
そして最後。
子供たちは揃って歌った。
「今年もおかえり、雨のおおくじらー」
「……おかえり」
無意識に、その言葉を繰り返していた。
これは……追い払うための歌じゃない。
迎えるための歌だ。
「何の歌だ?」
子供の一人に尋ねる。
「雨鯨の歌!」
「雨鯨?」
「うん!」
「誰に教えてもらったんだ?」
「ばあちゃん!」
「そのばあちゃん、どこにいんの?」
案内されたのは、畑の端にある小さな家だった。
そこに暮らしていたのは、八十を越えていそうな老婆だった。
「昔からある歌ですよ」
「意味は?」
「さあ……」
「分からない?」
「私も祖母に教わっただけですからねぇ」
……何世代続いてんだよ。
「ただ」
「ただ?」
「昔は、天鯨が来る頃になると、子供たちが丘へ出て歌ったそうですよ」
「何のために?」
「迎えるためだった、と聞いています」
迎える――やっぱりだ。
「塔も使ったのか?」
「灯りを順番につけた、と聞きますね」
「順番?」
「一つずつです」
「……」
俺の中で、また一つ昔の記憶と今の話が繋がった。
第一。
第二。
第三。
順番に。
ゲーム時代、初心者がやる通常攻略。
俺が遅いだの無駄だの言って、全部飛ばしたやり方。
「一個ずつ……見せてたのか」
次はこっちだ、と。
その次はこっちだ、と。
ゼフィロスへ。
「ありがとう」
「お役に立てましたか?」
「かなり、な」
♢
その日の昼。
俺たちは再び旧風神殿を訪れた。
今度は、エルナが別の資料を用意してくれていた。
「風巫女の継承記録です」
「リュネア本人の?」
「いいえ。彼女の死後、数代を経た風巫女が残したものとされています」
「そっか」
その方がいい。
全部を後世の一冊で説明されるより、違う時代の人間が少しずつ残した記録の方が、ずっと本物っぽい。
完全な一冊ではない数枚の古い文書。
年代もところどころ飛んでいる。
それでも、その中には何度もリュネアの名前が現れた。
『始祖巫女リュネアの教えに従い――』
「始祖?」
「現在確認できる風巫女制度は、彼女から始まったものと考えられています」
「続けてくれ」
記録を追う。
旱魃。
ゼフィロス。
リュネア。
――そして。
『巫女は丘に立ち、風歌を以て天へ声を送る』
「風歌?」
「風の魔力へ声を乗せ、遠方まで届ける祈祷術だったとされています」
エルナが説明する。
「現在、その術自体は失われています」
「じゃあ……ゼフィロスに話しかけた?」
「おそらく」
次の記録。
『雨を運ぶあなた』
そこで。
指が止まった。
「……これ」
続きを読む。
『もし、私の声が聞こえるなら』
『この国にも、雨を分けてください』
「……」
後世に書き写された文章だ。
だから、リュネア本人の言葉が一字一句そのまま残っているとは限らない。
それでも、この言葉が何代も伝えられてきた。
「返事は?」
「次の記録に」
エルナが別の紙を差し出す。
『天鯨、大いに鳴く』
『その年、三日三晩の雨あり』
アウラが俺を見る。
「応えたのか?」
「……たぶんな」
偶然だった……そう片付けることだってできる。
でも、翌年。
『翌夏、巫女リュネア、再び北丘へ立つ』
第一の『雨の道標』があった丘だ。
さらに。
『天鯨、前年と同じ頃に来る』
「……また来た」
『巫女、雨の客人に請う』
『毎年、この国へ雨を連れてきて』
その先。
『あなたが迷わないように』
次の紙へ。
『私たちが灯をともすから』
「……」
しばらく、本当に何も言えなかった。
何だよ……それ。
そんなの、ただの――。
「約束じゃ、ねぇか……」
思わず漏れた声に、アウラが七基の配置図を見る。
「だから七つ作ったのか。一つの灯りだけでは、広い空で迷うから」
「ああ……たぶんな」
リュネア一人の声だけじゃ、毎年、遠い空を巡るゼフィロスへ同じ道を教え続けることはできない。
だから国中の人間が。
職人が。
魔術師が。
神官が。
みんなで、あいつのための目印を作った。
「設計に関する記録もあります」
エルナが、別の複写資料を広げた。
七基、現在の誘導塔とほぼ同じ場所。
『第一・雨の道標』
そこから。
第二。
第三。
第四。
第五。
第六。
第七。
さらに。
『一標の光を認めし後、次標を灯す』
「……」
もう一行。
『天鯨の歩みを縛るべからず』
そして。
『道を示し、選ぶは空の客人なり』
「……選ぶは」
言葉を失う。
嗚呼――そういうことか。
「ゼフィロスだ」
最初は、操ってなんかいなかった。
塔の魔力で強制的に引っ張っていたわけでもない。
光を灯す。
ゼフィロスが、その光を見る。
そちらへ進む。
次の灯をともす。
そして、また自分でそっちへ行く。
「……あいつ」
妙に喉が乾いた。
「自分から、ついてきてたのか」
ゲーム時代――俺は、誘導塔を起動すると、ボスAIが指定された座標へ引っ張られる。
ただ、それだけだと思っていた。
だから……もっと速く、もっと効率よく。
第二。
第四。
第六。
間の塔を全部飛ばした。
出力を上げた。
ゼフィロスが一つ目の光へ向かっている最中に、次の灯をつけた。
急旋回する巨体を見て。
成功と、タイム短縮。
それしか考えてなかった。
「……お前、そういう理由で追ってたのかよ」
百二十年以上経って。
今さら、初めて知った。
「リンドウ?」
「いや……」
自分でも、何とも言えない気分だった。
怒っているわけじゃない。
悲しいとも、少し違う。
ただ……知らなかった。
本当に……何も知らなかったんだ。
「続き、あるか?」
「はい」
リュネアは、その後も毎年。
ゼフィロスが来る季節になると、第一の『雨の道標』がある丘へ立ったという。
まだ若い頃も。
成人して、正式な風巫女となったあとも。
最初の灯をともし、歌う。
すると、ゼフィロスが鳴く。
雨が降る。
それが何年も続いた。
やがてリュネアは年を取り、次の風巫女へ。
『雨の客人が迷わぬように』
七つの『雨の道標』と。
歌と、灯す順番を伝えた。
「それから?」
「継承は数代続いています」
記録を追う。
二代目。
三代目。
四代目。
それぞれの名前も残されている。
そして毎年。
『今年も天鯨来訪』
『雨の道標、点灯』
『北部農地に降雨』
似たような記録が、何十年も途切れず続いている。
でも――ある時期を境に、資料の数が急に減り始めた。
「この辺りから、国そのものが衰退していったようです」
エルナが言う。
「理由は?」
「一つではありません。周辺国との争い、人口流出、交易路の変化など、複数の要因が重なったと考えられています」
さらに資料を追う。
最後の方には。
『第七・雨の道標、修繕叶わず』
別の記録。
『第五標、灯火弱し』
そして。
『風巫女、後継者定まらず』
そこで、継承記録は途切れていた。
「……終わりか」
「風巫女に関する記録は、ここまでです」
「国は?」
「その後、十数年ほどで史料上から姿を消します」
ルアネ連邦は消滅。
今、その土地には別の街がある。
別の村がある。
エアリスがある。
もう……リュネアが暮らした国はない。
「でも……塔だけは残った」
「はい」
「名前も変わった」
「おそらく、長い時間をかけて」
昔は『雨の道標』だった。
それがいつしか『誘導塔』と呼ばれるようになった。
雨を運ぶ客人を迎え。
その客人へ道を教えるために作られた塔が。
災害を遠ざけるための設備へ変わった。
用途だけじゃない、意味そのものが完全に反転している。
「……歌は?」
「一部だけ残っています」
「さっき農村で聞いたやつか……」
「いいえ。それとは別のものです」
エルナが、一枚の古い楽譜を机へ置いた。
「風巫女が使った祈祷歌の写しと考えられています」
文字と音符。
音楽の専門的なことは俺には分からない。
ただ――最後。
途中で終わっているように見えた。
「……欠けてる?」
「そう考えられています」
紙そのものが破れているわけじゃない。
なのに、最後だけ何も書かれていない。
そして、空白の隅には。
『返り声』
とだけ記されていた。
「返り声?」
「意味は分かっておりません」
エルナが答える。
「後世の研究では、本来ここに存在した最終節が失われたのではないか、とされています」
「肝心なところ欠けてんじゃねぇか……」
「申し訳ありません」
「いや、エルナが謝ることじゃないけど」
もう一度、楽譜を見る。
『返り声』
そして、存在しない最後の一節。
今は、分からない。
「複写、もらえるか?」
「もちろんです」
「頼む」
何となく、これは持っておいた方がいい気がした。
♢
資料をまとめて、神殿を出ようとしたときだった。
ふと、頭の奥に何かが引っかかった。
「……待て」
「どうした?」
アウラが振り返る。
リュネア。
七つの『雨の道標』。
七つの灯。
どこかで見た。
いや――、聞いた?
「……あ」
思い出した。
「クエストだ」
「くえすと?」
「あー……昔の依頼」
「またその言葉か!」
「今はいいから」
『レムオン』のサービス開始から何年目だったかは覚えていない。
ただ、エアリス周辺のサブクエスト一覧に確かにあった。
「『七つの灯を越えて』」
口に出した瞬間、記憶が少しだけ繋がった。
「……あったわ」
「覚えているのか?」
「名前だけ」
「内容は?」
「知らん」
「なぜだ!?」
「報酬がいらなかったから」
「……」
「そんな顔すんなよ」
戦闘性能に関係ない。
限定装備でもない。
スキルポイントもない。
確か、称号か家具か……その程度の報酬だった。
だから、俺は受けなかった。
いや……正確には、一覧で見て、価値がないと判断して、そのまま閉じた。
「たぶん……」
笑おうとしたけど。
笑えなかった。
「……リュネアのクエストだったんだろうな」
あの頃は、調べようとも思わなかった。
すぐ近くで、ゼフィロスの誘導塔を使って、何度もあいつを倒して。
挙げ句、世界記録まで競っていた。
そのすぐそばに……こいつの物語が置いてあったのに。
俺は――見なかった。
「……ストーリー未読、か。ここまで来るとほんと笑えねぇな……」
「何か言ったか?」
「……独り言だよ」
「そうか!」
神殿を出る。
昼の風が、頬を撫でた。
空はまだ完全には晴れていない。
遠く、南西。
ゼフィロスがいる方角には、巨大な雲が残っている。
俺はその雲を見ながら、今日知ったことを頭の中でもう一度整理した。
昔、長い旱魃があった。
人々はゼフィロスを見て、雨を奪う災厄だと思った。
けれど、リュネアだけは、あいつが乾いた土地で速度を落とすことに気づいた。
そして、通り過ぎた土地には雨が降る。
だから。
『あの子は雨を奪ってるんじゃない』
『雨を、運んでるんだよ』
そう言った。
そして、あいつへ呼びかけた。
『毎年、この国へ雨を連れてきて』
『あなたが迷わないように、私たちが灯をともすから』
七つの『雨の道標』。
順番に灯る光。
あれは、ゼフィロスを縛るための装置じゃなかった。
人間が、あいつを思い通りに動かすためのものでもない。
俺はずっと、塔を起動すれば、ゼフィロスが『反応させられる』と思っていた。
でも――違う。
「……最初から、逆だったんだ」
小さく呟く。
「何がだ?」
アウラがこちらを見る。
「俺たちの考え方が」
いや、少なくとも……俺の考え方が。
塔が灯れば、ゼフィロスがそちらへ向かう。
だから、人間がゼフィロスを動かしている。
そう思っていた。
でも……昔は、人間が光を見せていただけだ。
そして、ゼフィロスの方が、その灯を見つけるたびに。
自分で次の場所へ進んでいた。
――リュネアたちが作った道を。
「……約束を守るために?」
そこまで口にして、止まった。
まだ……そこまで断言するには早い。
リュネアの国は、もうない。
風巫女も、もういない。
七つの『雨の道標』だって、本来の意味では使われていない。
なのに、ゼフィロスは……今も、この土地へ来る。
百年以上、毎年。
「……だったら」
胸の奥に、新しい疑問が浮かんだ。
ルアネ連邦は、もうどこにもない。
リュネアもいない。
待っている人間だって、とっくにいないはずなのに。
それでも、あいつは今もこの空へ帰ってくる。
「今のゼフィロスは……」
俺は遠くに残る雲を見つめた。
あいつは。
一体。
どこへ帰ろうとしているんだ……?
ここまでお読みいただきありがとうございます。
『誘導塔』だと思われていた七つの塔。
その本来の名は――『雨の道標』でした。
かつて長い旱魃に苦しんだ人々が、雨を奪う災厄だと思っていた天鯨ゼフィロス。
けれど、一人の幼い風巫女リュネアだけは気づきます。
「あの子は雨を奪ってるんじゃない。雨を、運んでるんだよ」
そして生まれたのが、
『毎年、この国へ雨を連れてきて』
『あなたが迷わないように、私たちが灯をともすから』
という約束でした。
七つの灯は、ゼフィロスを操るためのものではありません。
人間が道を示し、進むかどうかを選ぶのはゼフィロス自身だった。
そして、その物語はゲーム時代にも『七つの灯を越えて』というクエストとして、リンドウのすぐそばに存在していました。
ただ――彼は読まなかった。
では。
国も消え、リュネアも風巫女もいなくなった今。
それでも百年以上この地へ戻り続けるゼフィロスは、一体どこへ帰ろうとしているのでしょうか。
次回――覇王、天鯨の帰る場所を探す。




