75:覇王、雨の道標を見つける。
村の応急処置を終えた頃には、空の色が少しずつ夕方へ傾き始めていた。
剥がれた屋根には応急用の板が打ちつけられ、倒れた柵も、人や家畜が不用意に出入りしない程度には直されている。
畑の被害まではどうしようもない。
それでも、少なくとも今夜を越えるための準備はできた。
何より……死者はいなかった。
それだけは、本当によかったと思う。
俺とアウラは村人たちへ改めて頭を下げてから、エアリスへ戻ることにした。
帰り道、俺はほとんど口を開かなかった。
「リンドウ」
「ん?」
「まだ気にしているのか?」
「……まあな」
「死者はいなかったぞ」
「それは分かってる」
アウラが不思議そうに首を傾げる。
「なら、次は見に行けばいいと言っただろう?」
「言ってたな」
「では、そうすればいい」
「お前は本当に真っ直ぐだな……」
「曲がる必要があるのか?」
「人間、たまにはあるんだよ」
「そうなのか?」
「……たぶんな」
そこで会話が途切れた。
さっきまで高原を荒らしていた風も、今ではかなり弱くなっている。
ゼフィロスが遠ざかったからだろう。
空の一角にはまだ巨大な雷雲が残っていたけれど、それも時間とともに少しずつ流れていた。
俺は歩きながら、何度もその雲を見上げる。
第三のルートは失敗した。
でも、計算を間違えたわけじゃない。
俺が見ていなかった、それが原因だった。
だったら次は、ちゃんと見ればいい。
今、人が住んでいる場所を。
今の地形を。
百二十年前の記憶でも、古い地図でもなく、今ここにある世界を。
そこまでは分かった。
――けど。
「……ん?」
歩きながら、別の引っかかりが頭に残った。
「どうした?」
「いや……」
ゼフィロス。
誘導塔。
第二、第四、第六。
『覇王式誘導法』。
俺はこれまで、ずっと考えていた。
どうすればゼフィロスを動かせるのか。
どの塔を、どの順番で、どれだけの出力で点ければ、望んだ航路へ持っていけるのか。
でも、その一つ手前を俺は一度も考えたことがなかった。
「アウラ」
「なんだ?」
「なんでゼフィロスって、塔についてくると思う?」
「……」
アウラが黙った。
「何だよ、その顔」
「お前がそれを聞くのか?」
「悪い?」
「お前が一番知っているのではないのか?」
「俺が知ってるのは、塔を点ければゼフィロスが進路を変えるってことだけだよ」
「それは知っていると言わないのか?」
「半分くらいはな」
ゲーム時代なら、それで十分だった。
誘導塔を起動すればゼフィロスが反応する。
だから使う。
何で反応するのかなんて、考える必要もなかった。
ボスギミックだから。
そういう仕様だから。
それだけで全部説明できた。
「でも、今は違うだろ」
「何がだ?」
「あいつ、本物なんだよ」
ゲームの中に配置されたオブジェクトじゃない。
運営が設定した処理に従って、決められた動きを繰り返しているだけの存在でもない。
だったら――あの塔へ反応することにも、何か理由があるんじゃないのか。
「……今まで考えたことなかったな」
自分で口にして、少し嫌になった。
……また同じだ。
塔を使えば動く、だから使う。
知りたいのは効率だけで、その向こうにある理由なんて見ようともしなかった。
「なら、調べるのか?」
「ああ」
「今から?」
「今から」
「元気だな!」
「……お前にだけは言われたくねぇよ」
♢
エアリスへ戻った頃には、かなり日が傾いていた。
街では今も復旧作業と避難準備が続いている。
ゼフィロスが一度遠ざかったことで、昼間ほどの慌ただしさはなくなっていたものの、人々の顔から緊張が消えたわけじゃない。
俺たちは中央庁舎へ戻る前に、まず冒険者ギルドへ寄った。
「天鯨の誘導塔について聞きたいんだけど」
受付の職員が、少し意外そうに俺を見る。
「誘導塔ですか?」
「ああ。何でゼフィロスは、あれについてくるんだ?」
「……何で、と言われましても」
案の定、困った顔をされた。
「昔から、そのような性質があるとしか……」
「言い伝えとか残ってない?」
「少々お待ちください」
職員が何人かに確認してくれたけれど、返ってくる答えはどれも曖昧だった。
天鯨は人の光に引き寄せられる。
いや、夜の灯りを嫌って近づいてくる。
強い魔力光へ本能的に反応し、塔はその性質を利用している。
「……バラバラだな」
ギルドを出たところで、思わず呟く。
「もしかして……全部違うのか?」
「少なくとも、俺の知ってる仕様とは噛み合ってない」
「なら、どれが正しい?」
「……まだ分からん」
「また見に行くか?」
「お前、それ気に入っただろ」
「便利な考え方だ!」
「まあ……間違ってはいないけど」
次に向かったのは、エアリスでも比較的古い商店街だった。
この辺りには何代も街に住み続けている家が多いらしい。
薬屋や道具屋、古い宿屋。
店を変えながら何人かに話を聞いてみたものの、やっぱり答えは一致しなかった。
「天鯨は灯りを憎むんですよ」
薬屋の主人はそう言った。
「昔から、人の火を見つけると寄ってくると聞いております」
ところが、別の宿屋では。
「逆だよ。あれは光を餌みたいに思ってんのさ」
「餌?」
「だから塔で釣るんだろう?」
「……なるほどね」
どれも、一応それらしくは聞こえる。
でも、話を聞けば聞くほど、違和感は強くなった。
全部、今の人間がゼフィロスを『災害』として見た上で作った説明なんだ。
ゼフィロス自身がどうして塔へ向かうのかじゃない。
人間から見て、なぜそういう動きをするように見えるのか。
それを後から説明しているだけだ。
「……もっと昔を知ってる奴いないかな」
「もっと年寄りに聞くか?」
「お前、言い方もうちょっと何とかならんのか」
「年を重ねた者だ!」
「急に丁寧にすんな」
そんなことを話しながら通りを歩いていたときだった。
「あんたら」
道端から声を掛けられる。
振り向くと、店先の椅子に一人の老人が座っていた。
身体は細く、髪は真っ白。
見たところ、八十は越えていそうだった。
「天鯨のことを聞いて回っとるんだろう?」
「聞こえてたか?」
「そりゃ聞こえる。お前さんら、声がでかいからな」
……主にアウラだと思う。
「何か知ってることはないか?」
「知ってるというほどじゃないがな」
老人はゆっくりと首を振った。
「ただ、今の連中が言っとる話と、昔は少し違った」
「昔?」
「わしが子供だった頃だ」
老人は空を見上げる。
もうゼフィロスの姿はない。
遠くに、あいつが残した雲だけが浮かんでいる。
「昔の年寄りたちはな。天鯨が来る年を、むしろ喜んどったよ」
「……喜んだ?」
「ああ」
予想していなかった答えだった。
「今じゃ災いだ、五災だと大騒ぎするが……昔は違った。天鯨が来る年は、雨が多かったからな」
「雨……」
「畑がよく育った。井戸も枯れにくくなる。川にも水が戻る」
老人の話を黙って聞く。
「もちろん、近くを通られれば風は強いし、雷も怖い。災害が起きなかったわけじゃない。それでも、昔の者は言っとったよ」
老人は少し懐かしそうに目を細めた。
「今年も天鯨が来てくれた。これで畑は大丈夫だ、とな」
「……」
現在の伝承と全然違う。
今のエアリスにとって、ゼフィロスはできるだけ近づいてほしくない存在だ。
誘導塔だって、都市から天鯨を遠ざけるための設備として使われている。
なのに――昔の人間は、ゼフィロスが来ること自体を歓迎していた。
「その頃から、誘導塔ってあったのか?」
「誘導塔?」
老人が首を傾げる。
「今ある、あの光る塔のことだ」
「ああ……」
しばらく考えてから、老人が頷いた。
「塔そのものはあった」
「名前も同じか?」
「いや」
今度ははっきりと首を振った。
「『誘導塔』なんて呼び方は、もっと後になってからだ」
「じゃあ、昔は何て呼んでたんだ?」
「……さあな」
「分からないのか?」
「わしが生まれるより、ずっと前からあるものだからな。昔の名前までは覚えとらん」
そこで老人は一度言葉を止めた。
「ただ……」
「ただ?」
「天鯨が来る頃になると、あの塔の周りで祭りのようなことをしていたと聞いたことはある」
「祭り?」
「ああ」
「……何のために?」
「そこまでは知らんよ」
老人が小さく肩を竦める。
「昔話なんぞ、そんなもんだ」
「……ありがとう」
「何か役に立ったか?」
「たぶんな」
というか、余計に分からなくなった。
でも、今までとはまったく違う方向へ疑問が伸び始めている。
ゼフィロスが来れば雨が降る。
昔の人間は、それを喜んでいた。
天鯨が来る季節には、塔の周りで祭りまで行われていた。
それが今では、ゼフィロスは災害。
塔は、その災害を都市から追い払うための設備。
明らかに、どこかで意味が変わっている。
「リンドウ」
「ああ」
「塔へ行くのだな?」
「話が早いな」
「もう分かってきた!」
「変なところで成長すんなよ」
♢
向かったのは第一誘導塔だった。
つい数時間前、第三の航路を作るために俺自身が使った塔だ。
日が落ちかけていたせいで、管理技師には少し嫌そうな顔をされたけれど、俺の名前を出すと最終的には中へ通してもらえた。
「地下まで見たい」
「地下、ですか?」
「ああ。何かあるか?」
「魔力炉と旧制御室があります。ただ、現在はほとんど使用しておりません」
「そこを見せてほしい」
技師に案内されて、塔の内部を下っていく。
第一誘導塔は石造りだけど、上層部は何度も修繕されているらしい。
下へ行けば行くほど、目に見えて建材が古くなっていった。
壁の組み方も。
床に使われている石も。
上とは明らかに時代が違う。
「……古いな」
「第一塔は、七基の中でも最古の一つとされています」
先頭を歩く技師がランタンを掲げる。
「現在使用されている制御機構は、後世に増設されたものです。基礎部分については、正確な建造年代すら分かっておりません」
「へぇ……」
地下二階には旧魔力炉があった。
そこからさらに奥へ進むと、長い間使われていないらしい小部屋が並んでいる。
積もった埃。
壊れた木箱。
錆びた工具。
見たところ、長年放置されていた倉庫みたいなものだ。
「特に何もなさそうだな!」
アウラが大声で言う。
「声響くから静かにしろ」
「すまん!」
「声量変わってねぇよ……」
苦笑しながら、壁を眺めていく。
何かないか……。
誘導塔になる前の痕跡が……。
そもそもだ。
この塔が何のために建てられたのか。
昔からゼフィロスを遠ざけるための施設だったのか。
それとも――……。
「……ん?」
奥の壁際に、大きな棚が置かれているのが目に入った。
「これ、動かせるか?」
「かなり重そうだぞ!」
「お前が言うんか?」
「任せろ!」
アウラが棚の横へ回り込む。
「せーの!」
俺が手を貸す間もなく。
ズズズズッ、と重い音を立てて棚が横へ動いた。
「一人でいけるじゃん」
「当然だ!」
「じゃあ俺に掛け声いらなかっただろ」
「雰囲気だ!」
「何だよ雰囲気って……」
呆れながら、棚の裏へ目を向ける。
そこには石壁があった。
でも――。
「……違うな」
周囲とは色が違う。
棚に隠れていた部分だけ、明らかに石が古い。
そして表面には、何かが彫り込まれている。
「明かり貸して」
技師にランタンを近づけてもらい、積もった埃を手で払う。
文字だ、それも相当古い。
ところどころ削れているけど、読める。
「……第一」
最初の文字を声に出す。
そこで、指が止まった。
続いているのは『誘導塔』じゃない。
「……ん?」
もう一度、石板の表面を丁寧に払う。
今まで埃に隠れていた文字が、少しずつ姿を現していく。
アウラも隣から覗き込んできた。
「何と書いてある?」
「……」
すぐには答えられなかった。
今日だけで、何度『誘導塔』という言葉を聞いただろう。
天鯨の進路を変えるための塔。
都市から災害を遠ざけるための設備。
俺も。
アーヴィンも。
エアリスの人間も。
当たり前のように、そう呼んでいた。
でも、この塔が建てられた頃。
ここにつけられていた名前は、まったく違った。
「『第一――』」
指先で文字を追いながら、ゆっくり読む。
「『雨の道標』」
「……あめのみちしるべ?」
アウラが首を傾げる。
「ああ」
雨の道標。
俺はもう一度、古びた石板を見る。
そこには確かに。
『第一・雨の路標』
と刻まれていた。
誘導するための塔じゃない。
追い払うための塔でもない。
その名前だけを見るなら。
これは――。
雨を運ぶ何かに、道を示すための塔だった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
なぜゼフィロスは、誘導塔の光を追うのか。
ゲームだった頃のリンドウにとっては、
「そういうギミックだから」で終わっていた疑問です。
ですが、この世界ではゼフィロスも実際に生きている存在。
なら、その行動にも何か理由があるはずです。
調べていく中で見えてきたのは、
天鯨が来ることを昔の人々は喜んでいたこと。
塔の周囲では祭りまで行われていたこと。
そして――。
今では『誘導塔』と呼ばれている塔の、本来の名。
『雨の道標』。
天鯨を追い払うためではなく。
雨を運ぶ何かへ、道を示すための塔だったとしたら。
次回――覇王、風巫女の物語を知る。




