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REMNANT RECORD~ストーリー未読の世界一位の廃ゲーマーは、倒した敵の物語を知らない~  作者: 霜月ルイ
第四章:天鯨の帰る空

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74:覇王、地図にない村を知る。

 第三の航路を実行に移したのは、その日の午後だった。


 本当なら、もっと時間をかけて調べるべきだったのかもしれない。

 周辺の地形だけじゃなく、街道や集落の最新情報を集めて、実際に現地へ人を走らせる。それくらい慎重にやった方がいいことくらい、今なら分かる。


 けれど、ゼフィロスは俺たちの都合なんて待ってくれない。

 現在位置と風向き、それに誘導塔への反応時間から逆算すると、第二、第四、第六の誘導を切ったあと、ゼフィロスが自由航行へ戻るまでの猶予はそれほど長くなかった。


 完全に通常航路へ復帰すれば、再びエアリス北西部が暴風域へ入る可能性が高くなる。

 だから俺たちは、限られた時間の中で新しい道を作ることにした。


 俺は第一誘導塔。

 アウラは第五誘導塔。

 エアリスの技師たちは各塔へ配置し、執政官アーヴィンは中央庁舎から全体の状況を確認する。


 パーティ通信も常時繋いである。


 予定通り進めば、ゼフィロスはエアリスと南西部の集落、その両方から十分な距離を取りながら南側へ大きく旋回し、地図上では何も存在しない高原へ抜ける。


 少なくとも……俺たちが持っている情報では。


『第六誘導塔、出力低下を開始します』


 技師の声が通信へ入った。

 第一誘導塔の最上階から外を見ると、遠くに伸びていた三本の青緑色の光のうち、最も南西側にある一本がゆっくりと弱くなっていく。


「了解。完全停止まで何秒?」


『二十秒です』


「そのまま」


 窓際へ広げておいた地図に目を落とす。

 現在のゼフィロスの位置には赤い印をつけてある。

 その先には、さっき俺が引いた新しい航路が、南へ向かって緩やかな弧を描いていた。


 頭の中には百二十年前の『レムオン』の地形も残っている。


 山の高さ。

 谷の位置。

 ゼフィロスの旋回半径。

 誘導塔へ反応してから、実際に進路を変え始めるまでの時間。


 何百回も攻略した相手だ。

 そこに関しては、自信がある。


「……よし」


 窓の外で、第六塔の光が完全に消えた。

 もちろん、誘導が切れた瞬間にゼフィロスが本来の航路へ戻るわけじゃない。それまでの勢いを残したまま、しばらくは南西方向へ飛び続ける。

 その僅かな時間も含めて、計算してある。


『第六、完全停止しました』


「第一塔、準備」


「承知しました!」


 隣にいた技師が魔力炉の担当者へ合図を送る。

 直後、塔の床下から低い振動が伝わってきた。


「まだ点けるなよ」


「はい」


 俺は窓の外から目を離さない。


 ゼフィロス本体は遠すぎて、半分以上が雲に隠れている。

 それでも、雷雲の動きを見れば大体の位置は分かる。


 十秒。


 二十秒。


 三十秒。


 南西へ向いていた雷雲の先端が、ほんの少しずつ北側へ戻り始めた。


 来た……!


「……今」


 片手を上げる。


「第一、出力二割。起動!」


「第一誘導塔、起動します!」


 塔全体が大きく震えた。

 次の瞬間、頭上の巨大な魔導装置から、淡い青緑色の光が真っ直ぐ空へ伸びる。


 エアリス北西部にある第一誘導塔。

 都市へ天鯨を近づける危険があるとして、長い間ほとんど使われてこなかった塔。


 その光へ、ゼフィロスが反応した。


「来た」


 遠くの雷雲が僅かに膨らみ、その中から巨大な頭部が姿を現す。

 進行方向がゆっくり北へ寄っていく。


 ただし、完全に第一塔へ向かわせるわけじゃない。

 必要なのは、ほんの少し角度を戻すことだけだ。


「あと七秒」


 時計なんて必要ない。

 この時間は、身体の方が覚えている。


「五……四……」


 隣の技師が俺を見る。


「三……二……一。切れ!」


「第一誘導塔、停止!」


 青緑色の光が消えた。

 ゼフィロスは第一塔へ向ききる前に誘導を失う。


 それでいい。

 必要な分だけ、僅かに北へ頭を振らせた。


『リンドウ!』


 アウラの声が通信へ響く。


「聞こえてる」


『こっちからも動いたのが見えたぞ!』


「予定通りだな。第五、準備しろ」


『分かった!』


 俺は地図へ一本目の線を書き足した。


 ここまでは完璧だった。


 『覇王式』よりずっと遅い。


 でも、その代わりゼフィロスへ無理な急旋回をさせていない。周囲の雷雲も大きく振られず、暴風域の乱れも想定より小さい。


「……やっぱできんじゃん」


 思わず小さく呟いた。


 最短じゃなくてもいい。

 急がなくてもいい。

 少しずつ曲げればいいんだ。

 昔の俺は、できなかったわけじゃない。


 やらなかった。

 そんな必要がなかったから。


『リンドウ、第五はいつだ?』


「まだだ。ゼフィロスが第一の影響から完全に抜けるまで待て」


『どのくらいだ?』


「あと四十秒くらいかかる」


『分かった!』


 通信の向こうから、強い風の音が聞こえる。

 第五誘導塔は第一よりも高原に近く、ゼフィロスとの距離も短い。


「アウラ」


『なんだ?』


「そっちの風、どうだ?」


『強いが問題ない! 鎧が重いからな!』


「そのために作ったんだからな」


『あと塔の技師が、私が中を歩くたびに床を心配そうに見ている!』


「そりゃ見るだろ」


『壊れんぞ!』


「お前じゃなくて床を心配してんだよ、阿呆」


『同じではないか?』


「全然違うわ」


 こんな状況なのに、少し笑いそうになった。


 でも、悪くない。

 ついさっきまで俺たちは、八万人か千人かなんて話をしていた。

 どちらを見捨てるのか。

 どちらなら犠牲にしてもいいのか。

 そんな答えのない二択を突きつけられていた。


 でも、今は違う。


 誰もいない場所へ流す。

 それだけでいい。


 これなら、誰も選ばなくて済む。


「あと十秒」


 もう一度地図とゼフィロスの位置を確認する。


 問題ない。


「五……四……」


『準備できているぞ!』


「二……一。第五、四割で起動!」


『第五、起動!』


 僅かに遅れて、南側の山岳地帯から一本の青緑色の光が立ち上がった。

 第一塔よりも強い。

 ゼフィロスの真正面ではなく、進行方向から斜め南側。

 しばらくして、巨大な雷雲の先端がゆっくりそちらへ向き始める。


「……よし」


 想定通りだ。

 急旋回じゃない。


 大きな円を描くように、ゼフィロスが南へ進路を変えていく。


『動いたぞ!』


「見えてる」


『本当に言った通りだな!』


「昨日も聞いたぞ、それ」


『本当なのだから仕方ない!』


「はいはい」


 地図の上で、ゼフィロスを示す印を指先で動かす。

 このまま第五塔を四割出力で三十秒。

 そこから三割へ落とす。

 十分に南へ頭が向いたところで完全停止。


 あとは自力航行のまま、高原へ抜けさせればいい。


 その先で俺とアウラが合流して、もう一度ゼフィロスの背中へ乗る。


 今度こそ、そこで終わらせる。


「アウラ、二十五秒で三割へ」


『分かった!』


 十五秒。


 二十秒。


 そろそろ――。


『……リンドウ』


 通信越しのアウラの声が変わった。


「何?」


 さっきまでの馬鹿みたいに元気な声じゃない。


『少し待て』


「何かあった?」


 返事がない。

 風の音だけが聞こえる。

 続いて、何かを勢いよく駆け上がっているような足音。


「アウラ?」


『……煙が見える』


「煙?」


『南だ。第五塔の先』


 眉を寄せる。

 地図を見る。

 第五塔から南。

 俺たちがゼフィロスを向かわせている高原。


「山火事?」


『分からん。確認する』


「塔から見える?」


『上へ行く!』


「いや、お前いま第五の――」


 通信の向こうで扉が開く音がした。


 こいつ、本当に行きやがった……!


「技師に操作任せろ! お前一人で塔弄るなよ!」


『任せてある!』


「ならいいけど……」


 もう一度地図を見る。


 第五塔から南。

 何もないはずだ。


 少なくとも……この地図には。


『……リンドウ』


「なにが見えた?」


 返事がない。


「アウラ?」


 数秒後。


『……家だ』


「……は?」


『家がある!』


 意味を理解するまで、一瞬かかった。


「どこにだよ!?」


『南だ! 私たちが天鯨を向かわせている先にある!』


 反射的に地図へ目を落とす。


 第五塔。


 ……その南には何もないはずだ。


「いや、そこには何も――」


『ある!』


 アウラの強い声が飛んできた。


『屋根が見える! 畑もある! さっきの煙も家から出ている!』


「……待て」


 一番新しい地図を引っ張り出す。

 第五塔の南。

 何度見ても、何も記されていない。


 集落名もない。

 街道すらない。


「どのくらいの規模だ?」


『ここからでは分からん! かなり下だ!』


「双眼鏡とかないのかよ!?」


『借りた!』


 短い沈黙。


 そのあと。


『……人もいる』


 胸の奥が冷えた。


「……何人だ?」


『そこまでは――待て』


 アウラが息を呑んだ。


『子供がいる』


「……」


『畑にも人がいる。家畜もいるぞ。牛……いや、山羊か? 何頭もいる』


 地図には何もない。


 俺はさっきまで、そこに何もないから安全だと思っていた。


「第五の出力は?」


『四割のままだ!』


「ゼフィロスは!?」


 窓際へ走る。

 遠方に広がる雷雲。


 さっきより明らかに南へ向いている。

 第五塔の光へ引かれて。


 そのさらに先に、村がある。


「くそっ……!」


 すぐに頭を切り替える。


 今ここで第五を落としたらどうなる…!

 考えろ……ゼフィロスはまだ旋回の途中だ。

 誘導を失っても、しばらくは慣性で南へ進む。

 その後、本来の航路へ戻ろうとする。

 しかも四枚の『風鰭』は再構成の途中で、気流は完全には安定していない。

 急に誘導を切れば、暴風域が大きく乱れる可能性がある。

 考えろ、考えろ……!


『リンドウ』


「待て。今再計算してる」


『このままならどうなる?』


「……」


『村の上を通るのか?』


 地図上に引いた線を見る。


 現在の角度。

 第五塔の位置。

 ゼフィロスの速度。


 そして、地図には存在しない村。


「中心は……たぶん」


『たぶん?』


「……通る」


 答えた瞬間、通信の向こうでアウラの呼吸が変わった。


『あとどれくらいだ』


「正確には分からない。距離から考えると――」


 雷雲の移動速度。

 現在の風向き。

 旋回角。


「十分……いや、それより短いかもしれない」


『村の者は気づいていない』


「何?」


『普通に人が外にいる!』


 エアリスとは違う。

 避難の鐘も鳴っていない。

 住民たちは、いつも通りの生活をしている。


 ……当たり前だ。

 俺たち自身、ここに人がいるなんて知らなかったんだから。


「アウラ、第五を三割へ落として。まず旋回角を――!」


『間に合うのか?』


「今やる!」


 第一塔で引き戻すか……?

 馬鹿言え!距離がありすぎる!

 出力を上げれば反応させることはできるかもしれない。

 でも、エアリス側へ戻しすぎる危険がある。

 第二塔は準備が絶対間に合わない。

 第七なんて論外だ……。


「第五を二割まで――」


『リンドウ』


「何だ!?」


『すまん!』


 嫌な予感がした。


「待て!」


『第五を止める!』


「アウラ!」


 俺が言い終わるより早く、南へ伸びていた青緑色の光が消えた。


「……っ!」


 完全停止。


「何やって――」


『このまま待ったら村の真上を通る!』


「分かってる!」


『なら止めるしかないだろう!』


 言い返そうとして、言葉が止まった。


 そうだ、アウラには見えている。


 子供がいる。

 畑に人がいる。

 家畜がいる。


 そこで普通に暮らしている人間が。


 俺が地図を睨んで計算している間にも、ゼフィロスは進み続けている。

 俺の答えを待っている間にも。


「……くそ!」


 窓の外を見る。

 第五塔の光を失ったゼフィロスが、大きく頭を振った。


 予想通りだ。

 旋回途中で目標を失い、飛行が不安定になっている。


「第一塔!」


「は、はい!」


「もう一度点ける! 出力三割!」


「しかし陛下、今この位置で第一を起動すれば――」


「完全に引っ張らない! 数秒だけだ!」


 今のまま南へ流し続けるよりはいい。


「起動!」


 第一塔から、再び青緑色の光が立ち上がった。


 遥か遠く、ゼフィロスの頭が僅かに北へ振れる。


「まだ!」


 雷雲が大きく歪んだ。

 身体はすぐには反応しない。


「まだ……!」


 頼む……!


「来い……!」


 数秒。

 ようやく巨大な頭部が、ほんの少しだけ北を向いた。


「切れ!」


 第一塔の光を消す。


 これで、少なくとも本体の直撃は外せる。


 たぶん――でも。


「……雲までは間に合わねぇ」


 ゼフィロス本体の進路を変えられても、何十キロにも広がる暴風域や雷雲が同じ速度で曲がるわけじゃない。

 巨大な雲の塊は、慣性のまま高原へ流れ込んでいく。


『リンドウ!』


「アウラ!」


『風が来る!』


「村へ行け!」


『分かった!』


「建物の中へ避難させろ! なるべく低い石造りのところ! 家畜は後でいい、まず人だ!」


『おう!』


 通信の向こうで、アウラが走り出す音がした。


「俺も行く!」


 第一塔を飛び出す。

 階段なんて使っていられない。


 窓から外へ出て、『ドライ』を三節へ切り替える。

 第一節を近くの岩壁へ飛ばし、食い込んだ瞬間に鎖を巻き取る。


 身体が一気に塔から離れた。


 高原へ。

 南へ。


 さっきまで、誰もいないと信じていた場所へ。


 ♢


 全部には、間に合わなかった。

 高原へ辿り着く前から、遠くに土煙が上がっているのが見えた。


 ゼフィロス本体は、村の西側へ外れている。

 アウラが第五塔を止め、俺が第一塔で無理やり頭を戻したからだ。


 でも、本体より遅れて押し寄せてきた暴風の端が、村を掠めていた。

 轟音とともに屋根板が空へ舞い、畑の作物が一方向へ薙ぎ倒されていく。

 木製の柵が引き剥がされ、家畜小屋の一部が風圧に耐えきれず潰れた。


「くそっ!」


 さらに速度を上げる。

 すぐに雨まで追いついてきた。


 横殴りの雨で視界が白く霞む。

 村の入口へ飛び込んだとき、最初に目へ入ったのは横倒しになった荷車だった。


 その向こう。


「リンドウ!」


「アウラ!」


 全身泥だらけのアウラがいた。

 アダマンタイトの鎧には、飛んできた木片や瓦礫がぶつかったらしい傷がいくつも残っている。


 しかも、何をしているのかと思えば、両腕で家の屋根を持ち上げていた。


「何やってんだお前!?」


「梁が折れた!」


「それは見れば分かる!」


「中に人がいた!」


「もう出したか!?」


「ああ! 全員出した!」


「なら離せ!」


「分かった!」


 アウラが慎重に力を抜く。


 直後――支えを失った屋根の半分が、バキバキッと大きな音を立てて崩れ落ちた。


「怪我人は?」


「何人か擦り傷だ! 一人だけ、飛んできた板が腕に当たった! だが命に関わる者はいない!」


「死者は?」


「いない!」


 その一言を聞いた瞬間。

 張りつめていた息が、ようやく吐き出せた。


「……よかった」


 本当に……それだけは。


 周囲を見渡す。

 被害は出ている。

 何軒かの家は屋根を剥がされ、畑の一部は完全に倒れていた。


 柵は壊れ、家畜小屋も半分潰れている。

 逃げ出した山羊を、大人と子供が一緒になって追いかけていた。


 それでも、人は立っている。


 泣いている子供を母親が抱き締めている。

 老人が壊れた屋根を呆然と見上げている。

 何人かの男たちは、もう倒木をどかそうと声を掛け合っている。


 そこには、ごく普通の生活があった。


「……何で」


 自分でも気づかないうちに声が漏れた。


「何で、ここに……」


「旅の方ですか?」


 横から声を掛けられる。

 振り向くと、五十代くらいの男が立っていた。

 額から血が流れている。


「……大丈夫か?」


「これくらいは。それより、先ほどの女性が皆を避難させてくださいました」


 男がアウラを見る。


「急に塔の方から走ってきて、空が荒れるから石倉へ入れと」


「……そう」


「おかげで助かりました」


 男が深く頭を下げた。


 俺は……何て返せばいいのか分からなかった。


 俺たちが助けた――そんな言葉を受け取っていい気がしない。


 そもそも、ここへゼフィロスを向かわせたのは……俺だ。


「ここ……」


 喉が乾いた。


「いつからある村なんだ?」


「ここですか?」


「ああ」


 男は少し不思議そうな顔をしたあと、答えた。


「八年前です」


「……八年?」


「はい。この辺りを開拓しようと、最初は十二家族で始めまして。今では随分と人数も増えました」


「八年前……」


 改めて村を見る。

 言われてみれば、新しい家が多い。

 畑の向こうには、まだ開墾途中らしい土地も残っている。


 そりゃ、百二十年前にはない。

 五十年前にもない。

 二十年前にもない。


 俺たちが見た広域図の元になった資料にだって、載っていなくて当然だ。


「リンドウ?」


 アウラが近づいてくる。

 俺は腰の鞄から、折り畳んで持ってきた地図を取り出した。


 第五誘導塔。

 その南側にある高原。

 今日、何度も何度も確認した場所。


「……ここだ」


 指を置く。

 何も書かれていない。

 村の印はない。

 道すらない。

 ただ白い余白が広がっているだけだ。


 顔を上げる。


 目の前には家がある。

 畑がある。

 壊れた柵がある。

 泣いている子供がいる。

 逃げた山羊を追いかけている奴もいる。


 それなのに――地図へ視線を戻せば、そこには何もない。


「地図には……何もなかった」


 口に出した瞬間。


 自分が何を間違えたのか、ようやく分かった気がした。


 地図に何もなかった。

 だから、何もないと思った。

 ゲーム時代の俺の記憶にも、この場所には何もなかった。


 古地図にもない。

 エアリスで一番新しい広域図にも、居住地なんて記されていなかった。

 だから俺は、人はいないと決めた。

 ここへゼフィロスを流せば、誰も死なない。


 そう言い切った。


「……まただ」


「リンドウ?」


「……俺は、全部見たつもりだった」


 自嘲するような声が出た。


 地図を見た。

 過去の記録も見た。

 ゲーム時代の地形と、現在の地形も照らし合わせた。

 昔みたいに最短だからという理由だけでルートを選んだわけでもない。


 今度はちゃんと、人がいない場所を探したつもりだった。


 なのに――。


「一番大事なもんを見てなかった」


 目の前の村を見る。


「実際に、ここに誰か住んでるかどうか」


 それだけは、一度も自分の目で確かめていなかった。


 知っている情報を集めた。

 その中に村の情報がなかった。


 だから、村そのものが存在しないと決めつけた。


「また俺は……知ってるものだけ見てたんだな」


 攻略法を知っている。

 地図を知っている。

 地形も知っている。


 だから答えを出せると思った。


 けれど、この村は俺の知識の外側で生まれていた。

 俺が知らない八年前に、十二家族がここへ来た。


 畑を耕し。

 家を建て。

 子供が生まれ。

 少しずつ人が増えて。

 今日まで暮らしてきた。


 俺が知らなかっただけで。

 ここには、ちゃんと物語が続いていた。


「もし、アウラが気づかなかったら……」


 そこから先は言えなかった。


 予定通り第五塔を点け続けていたら。

 ゼフィロスはこの村のほぼ真上を通過していた。

 今みたいに屋根が何枚か剥がれた程度じゃ済まなかっただろう。


 下手をすれば、十二年前の港町と同じことを……今度は俺自身がやっていた。


 その考えが浮かんだ瞬間、背中が冷たくなった。


「……悪かった」


 アウラを見る。


「何がだ?」


「第五止めたとき、俺、怒鳴っただろ」


「ああ」


「お前が正しかった」


「そうだな!」


「そこはちょっとくらい……謙遜しろよ」


「なぜだ?」


 ……こいつは。

 本当に。


 思わず小さく息を吐いた。


「でも」


 アウラが俺の持っている地図へ目を落とした。


「私も、たまたま煙を見つけただけだ」


「それでも見ただろ」


「ああ」


「俺は見なかった」


 そこが違う。


 俺は地図を信じた。

 アウラは、目の前に見えた煙を信じた。


 そして、自分で判断して、塔を止めた。

 俺から命令が来るのを待たずに。


 その判断がこの村を救った。

 アウラは少しだけ考えるように首を傾げたあと、いつもの調子で言った。


「なら、次は見に行けばいい!」


「……」


 あまりにもアウラらしい答えだった。


「……簡単に言うなぁ」


「難しいのか?」


「まあ……普通はもうちょい悩むんじゃねぇかな」


「私は難しいことは分からん!」


「知ってるよ」


「だが、人がいるかどうかくらいなら、見れば分かる!」


「……そうだな」


「地図に書いていないなら、行って見ればいい。分からないなら誰かに聞けばいい。それでも分からなければ、分かるまで探せばいいだろう?」


 簡単に言う。


 でも、多分……今の俺には、それくらい単純な言葉の方が必要だった。


「知らなかったことまで、お前が全部悪いとは私は思わん」


 アウラが続ける。

 それから、真っ直ぐ俺を見る。


「だが、次も知らないまま決めるのは違うと思うぞ」


「……ああ」


 胸の奥に、すとんと落ちた。


 知らなかった。

 だから仕方なかった。


 そう言って終わることはできる。


 実際、この村が地図に載っていなかったのは、俺のせいじゃない。

 八年前にできた村の情報がエアリスへ届いていなかったことだって、俺にはどうしようもない。


 でも、だから次も――知らないまま線を引いていい理由にはならない。


「分かった」


 地図を畳む。


 もう、この空白を『何もない場所』とは思えなかった。


 紙の上では、ただの白い空間だ。

 でも実際には、そこで百人以上の人間が生きている。


 畑を作って。

 家を建てて。

 山羊を飼って。

 明日のことを考えながら生活している。


「次は見に行く」


「うむ!」


「お前も来い」


「当然だ!」


「勝手に塔止めた罰だ」


「なぜだ!?」


「……冗談だよ」


「分かりづらいぞ!」


「お前が真に受けすぎなんだよ」


 少しだけ笑った。


 ほんの少しだけ。


 それから、俺はもう一度空を見上げる。


 ゼフィロスは遠く。

 第五塔の光を失ったあと、自分の進む方向を探すように、ゆっくりと雲の中を泳いでいた。


 第三のルートは失敗した。


 でも、計算そのものが間違っていたわけじゃない。


 ゼフィロスの旋回角も。

 塔への反応時間も。

 出力の設定も。


 たぶん、ほとんど合っていた。


 間違っていたのは、その計算へ入れる前のもっと手前だった。


 そこに何があるのか。

 誰が生きているのか。

 俺が、それを確かめなかった。


 俺はまた、知っている情報だけで世界を見て、その外側にあるものを最初から存在しないことにしていた。


 ストーリーを飛ばして。

 台詞を読み飛ばして。

 必要な攻略情報だけ拾って。


 それで全部分かったつもりになっていた。


 昔と同じように。


「……ほんと、笑えねぇな」


 小さく呟く。


 地図の外にも、人はいる。

 俺の知らないところでも、世界は勝手に止まったりしない。


 百二十年もあれば、俺が知らない村くらいいくらでもできる。


 なら、次に答えを出す前に、ちゃんと見よう。


 地図の中じゃなく。

 攻略情報の中でもなく。

 今、この世界にあるものを。


 俺の知らないところで生きている人間を。


 そして――雲の向こうを泳いでいる、あのクソ鯨のことも。


 今度こそ。


 ()()()()()()()()()


ここまでお読みいただきありがとうございます。


八万人か、千人か。

その二択を避けるために、リンドウが作った第三の航路。

計算はほぼ完璧でした。


ゼフィロスの挙動も、誘導塔の出力も、旋回角も間違っていない。

ただ一つ。

そこに今、人が暮らしているかどうかを知らなかった。


百二十年前のゲーム知識にも、古い地図にも、最新の広域図にも載っていない村。

それでも、この八年間で人は家を建て、畑を耕し、子供を育て、そこで生活していました。

そして今回は、アウラが自分の目でそれを見つけ、自分の判断で塔を止めています。


「知らなかった」ことまでは変えられない。

でも――次も知らないまま決める必要はない。


次は、自分の目で見に行く。

人間のことも。

そして、今まで何度も殺してきたゼフィロスのことも。


次回――覇王、天鯨の足跡を追う。

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