73:覇王、第三の道を描く。
俺がゲームの中で引いた最短ルートは、百二十年後の現実で、人間を生かすために別の人間を切り捨てる道として残っていた。
『覇王式誘導法』。
そんな大層な名前をつけられているけれど、その正体は、俺にとってただのタイム短縮だった。
第一、第三、第五の誘導塔を飛ばし、第二、第四、第六を高出力で連続起動する。ゼフィロスが一つ前の誘導へ反応しきる前に次の方向へ引っ張り、最短距離で撃破地点まで連れていく。
ゲームなら、それでよかった。
どれだけ急旋回させても、途中の村が暴風に飲まれることはない。家が吹き飛ぶことも、川が氾濫することも、そのせいで誰かが死ぬこともなかった。
でも、ここでは違う。
それは、もう嫌というほど分かった。
「……だったら、別の場所へ流せばいいんじゃねぇの?」
壁に掛けられた地図を眺めながらそう言うと、アーヴィンがこちらを見た。
「別の場所、とは?」
「エアリスでも、十二年前に港町があった場所でもない。誰も住んでないところだよ」
口にした時点で、頭の中ではすでに別の経路を探し始めていた。
何も、第二、第四、第六しか使えないわけじゃない。
あの三基を選んだのは、それが一番速かったからだ。
七基ある誘導塔は、それぞれ一定範囲へ魔力波を送り、ゼフィロスの進行方向へ干渉できる。起動する順番も、出力も、タイミングも変えられる以上、別の航路を作れない理由はない。
「誰もいない場所へ天鯨を誘導する……」
アーヴィンも地図へ視線を戻した。
「そのようなことが可能なのですか?」
「できる」
迷わず答える。
「少なくとも、塔がまともに動くならな」
「ですが、陛下ご自身が先ほど仰ったのではありませんか。『覇王式』が最も確実な方法であると」
「最速で、だよ」
俺は机の上に置かれていた『覇王式誘導法』の要覧を、指先で軽く叩いた。
「俺がこれを作ったのは、誰かを守るためじゃない。一秒でも早くゼフィロスを撃破地点まで引っ張ってくるためだ。だから途中の塔を飛ばした」
そこで一度、言葉を切る。
「安全性なんか考えてねぇよ。ゲームだったから」
最後の一言だけは、自然と声が小さくなった。
アーヴィンには意味が分からないだろう。
それでいい。
「でも、速さを捨てれば話は変わる。もっと緩やかに曲げられるし、塔同士の距離と出力が分かれば、別の航路だって作れるはずだ」
隣で聞いていたアウラが、少し身を乗り出した。
「それなら、八万人も千人も選ばなくていいということか?」
「そういうことだ」
「なら、それでいいではないか!」
「そんな簡単に――」
「簡単じゃない」
言いかけたアーヴィンを遮る。
「新しいルートを作るなら、地形も風も全部計算し直す。ゼフィロスは馬車じゃない。右へ曲がれって言って、好きな角度で曲がってくれるような奴でもない。塔の位置次第じゃ、そもそも反応しない可能性もある」
しかも、今のゼフィロスは一度四枚の『風鰭』を破壊している。
再構成は始まっていたけれど、完全に元の状態へ戻っている保証はない。通常時と同じ反応をするとも限らなかった。
「でも、できる可能性はある」
俺は壁から地図を一枚外し、机の上へ広げた。
「もっと詳しい地図ないか?」
「ございます」
「できれば年代が違うものも全部欲しい。地形が変わってる可能性があるからな」
「年代ごとに、ですか?」
「ああ。古い方も見たい」
アーヴィンがすぐに職員を呼び、必要な資料を持ってくるよう指示を出す。
しばらくすると、何本もの筒と分厚い地図帳が次々と運び込まれてきた。
現在のエアリス周辺図。
二十年前、五十年前のもの。
さらに古い王家作成の広域地図や山岳部の測量図、河川管理用の資料まである。
「……多いな」
「必要なのでは?」
「必要だけどさ」
最初から置かれていた机だけでは足りなくなり、職員が追加の机まで運び込んできた。
そこへ地図を年代順に並べていく。
「リンドウ」
「ん?」
「私にできることは?」
アウラが横から覗き込んできた。
「とりあえず待ってて」
「分かった!」
「……いや、やっぱりそこの地図押さえて」
「任せろ!」
丸まろうとする大判の地図を、アウラが両手で押さえ込む。
こういう仕事まで妙に全力なの、なんなんだろうな。
「まず、今のゼフィロスの位置がここ」
最新の観測図へ印をつける。
「今日点いた第二、第四、第六がこれ」
三基を順番に結ぶと、南西へ向かう一本の線ができる。
十二年前と同じ経路だ。
「通常航路はこっち」
次に、エアリス北西部を通る本来の航路をなぞる。
ここへ戻せば、八万人が住む都市そのものが暴風域へ入る可能性がある。
当然、避けたい。
一方で、『覇王式』をそのまま続ければ、南西にある集落や、かつて港町が存在した地域へ被害を押しつけることになる。
「東はどうだ?」
アウラが尋ねた。
「山が高すぎる」
「天鯨は空を飛んでいるのだろう?」
「本体は越えられる。でも、あいつが連れてる雨雲まで全部綺麗に越えるとは限らない」
「ああ……」
「急に東へ曲げれば、山のこっち側で洒落にならない量の雨が落ちる可能性がある。斜面も急だから、土砂崩れまで考えると使いたくない」
アウラが地図を睨む。
「北はエアリス、東は山、南西には集落……なら、南か?」
「今見てるから待て」
エアリスの南側。
二つの山脈に挟まれた場所に、広い高原地帯がある。
そこには俺も覚えがあった。
「……ここだ」
指先でなぞる。
『レムオン』時代、この辺りはほとんど何もないフィールドだった。
レベル帯も中途半端で、希少素材もなければ、強いモンスターが出るわけでもない。主要なクエストで訪れる必要もほとんどなく、世界記録ばかり狙っていた俺にとっては、本当に用のない場所だった。
「昔は何もなかった」
アーヴィンが顔を上げる。
「ご存じなのですか?」
「行ったことはある。というか、通ったことがある程度だけどな」
頭の中へ、昔のマップを思い浮かべる。
広い高原。
西側に古い岩山。
南へ抜ければ森林地帯。
――もし、今も大きく変わっていないなら。
「現在の地図は?」
一番新しい地図を重ねる。
大きな都市はない。
主要街道も通っていない。
大きな河川もなく、地図上には集落名すら記載されていなかった。
「……使えるかもしれない」
「本当か?」
「ああ。ただ、まだ決めるのは早い」
五十年前の地図を重ねるが、結果は変わらない。
八十年前も。
百二十年前も。
さらに古い地図を確認しても、この高原に都市らしいものは見当たらなかった。
「少なくとも記録上では、長期間にわたって大きな居住地が存在した形跡はありません」
アーヴィンも資料を確認しながら言う。
「理由は?」
「水源が乏しいためです。牧草地としても条件が良いとは言えず、主要街道からも外れています」
「なるほどな」
だからゲームでも何もなかったのか。
次に確認するのは、誘導塔の位置だ。
「この辺に第五塔あるよな?」
「はい。しかし、現在は使用しておりません」
「壊れてるのか?」
「起動自体は可能です。ただ、都市防衛上の用途がないため、定期点検程度しか行われておりません」
「第七は?」
「こちらです」
アーヴィンが南東寄りの一点を示す。
「これも動くか?」
「魔力炉の状態を確認する必要があります」
「第五と第七……」
二基の位置を結び、現在のゼフィロスの進行方向から旋回角を計算する。
第二の出力を落として、今の角度を浅く修正する。
第四は使わず、そのまま第五へ。
ただし、第五を通常出力で使えば南へ行きすぎる。
だったら早めに切って、第七を――。
「……いや、違うな」
一度引いた線を消した。
「何がだ?」
「第五から第七じゃ曲がりすぎる」
俺の記憶が正しければ、ゼフィロスの旋回性能はそこまで高くない。
無理やり短時間で曲げれば、『覇王式』と同じように暴風域そのものが大きく振られる。
航路上に人がいなくても、暴風の端が別の場所へ引っかかったら意味がない。
「だったら……」
改めて地図を睨む。
第二を止める。
第四も切る。
第六の出力を落とし、まず現在の旋回が終わるまで待つ。
そこから第五を使う。
――いや。
「第一を使えるか?」
アーヴィンが目を見開いた。
「第一誘導塔ですか?」
「ああ」
「……使用記録は長らくありません」
「壊れてるのか?」
「いえ。ただ、都市北西部に位置しているため、天鯨をエアリスへ近づける危険があるとして使用を禁じられています」
「位置見せろ」
示された場所を見る。
「……なるほど」
都市防衛だけを考えるなら、確かに使いたくない塔だ。
でも、今考えているのは、エアリスから遠ざけるだけのルートじゃない。
「使える」
俺は新しい線を引き始めた。
「まず第六を切る。そのまま一度、ゼフィロスを自力航行へ戻す」
「それでは通常航路へ戻るのでは?」
「すぐには戻らない。誘導が途切れてから、自分の航路を修正するまで少し時間がある」
そこは知っている。
何度も見た挙動だ。
「その間に第一を低出力で短く点ける。ただし、完全に反応する前に切る」
「何のために?」
「一度だけ頭を北へ戻す」
そこから第五を使う。
「今度は第五を少し長めに点灯する」
北へ振ってから、緩やかに南へ。
二つの塔を使って、ゼフィロスに大きな弧を描かせる。
「そうすると……」
アウラが俺の引いた線を目で追った。
「この高原を通るのか」
「ああ」
エアリスを避ける。
南西の集落も避ける。
東側の高い山岳地帯にも近づかない。
ゼフィロスの暴風域まで考慮しても、少なくとも地図上には人の暮らす場所がない。
そのまま南へ抜ければ、広い森林地帯へ入る。
もちろん、森林には被害が出る。
木も折れるだろうし、地形だって多少は荒れる。
それでも、人が死ぬよりはいい。
「ここから先はどうされるのです?」
アーヴィンが尋ねる。
「最終的には西側へ戻す」
「なぜです?」
「ゼフィロスを殺すからな」
俺は当然のように答えた。
いつまでも誘導し続ける必要はない。
今回だけ、誰もいない場所へ運ぶ。
そこで――。
「もう一回、俺が背中に乗る。さっき頭部まで行けたんだ。途中で塔を弄られなきゃ、今度こそそこで終わる」
アウラが大きく頷いた。
「確かに。それならエアリスか千人かを選ぶ必要はないな」
「だろ?」
八万人か。
千人か。
最初から、その二つしかないと思うから答えが出ない。
だったら――第三の道を作ればいい。
「……本当に可能なのでしょうか」
アーヴィンだけは、まだ慎重だった。
「何がだ?」
「『覇王式』以外の経路で、確実に天鯨を誘導することがです」
「できるって」
「ですが、一度失敗すれば――」
「そのときは俺が止める」
「陛下」
「俺はさっき、ゼフィロスの弱点まで行ってる」
アーヴィンの目を見て言う。
「殺そうと思えば殺せた。あと一撃だった」
だから、全部を塔任せにするつもりはない。
「誘導が崩れたら、俺が直接止める。それでも『覇王式』を使って、千人がいる側へ流すか?」
「……」
アーヴィンは答えなかった。
机の上には、新しく引いた航路がある。
誰も住んでいない高原を通り、大きく遠回りするルート。
最短ではない。
効率だって悪い。
『覇王式』と比べれば、ゼフィロスを目的地点へ運ぶまで何倍も時間がかかるだろう。
でも、それで誰も死なないなら。
速さなんざ、どうでもいい。
「……確認が必要です」
しばらく地図を見つめたあと、アーヴィンが口を開いた。
「第一、第五両塔の稼働状況と魔力炉。担当者の確保。それから、周辺地形についても改めて確認しなければなりません」
「やるか?」
「実行するのであれば」
アーヴィンは、俺が引いた線を見つめた。
「可能な限りの準備を整えます」
「じゃあ決まりだな」
「ただし、一つ条件があります」
「何だ?」
「誘導に異常が生じた場合、都市防衛を最優先とさせていただきます」
つまり……失敗したら、『覇王式』へ戻す。
そういうことだろう。
「いいだろう」
失敗しなければいい、それだけだ。
「アウラ」
「おう」
「第五塔を見てきてくれ」
「私が?」
「ああ。実際に動かすなら、現場に誰かいた方がいい。塔の状態を確認して、周囲に邪魔なものがないかも見てこい」
「分かった!」
「勝手に起動すんなよ?」
「……」
「何で黙る?」
「分かった!」
「今の間はなんだよ」
ほんの少しだけ。
張り詰めていた部屋の空気が緩んだ。
「第一塔は?」
アーヴィンが尋ねる。
「俺が行く」
「陛下ご自身で?」
「昔使ってた設備だし、出力調整も自分で確認したいからな」
それに――今回だけは、ちゃんと自分の目で見ておきたい。
『覇王式』そのものが間違っていたとは、今でも思わない。
ゲームの中では間違いなく正解だった。
速かった。
確実だった。
何度使っても成功した。
でも……今必要なのは、タイムを縮めるためのルートじゃない。
誰かを助ける代わりに、別の誰かを切り捨てるためのルートでもない。
机の上に広げた地図へ、もう一度目を落とす。
現在のエアリス周辺図。
十二年前の地図。
百二十年前の地形。
そして、頭の中に残っている『レムオン』時代のマップ。
使える情報は全部重ねた。
人が住んでいる場所は避けた。
危険な山岳地帯も外した。
ゼフィロスの旋回角を計算し、誘導塔の位置と出力も確認した。
少なくとも……今、俺たちが持っている情報の中では、これが一番いい。
「リンドウ」
出発しようとしていたアウラが、もう一度地図を覗き込んだ。
「本当に大丈夫なのか?」
「ああ」
「誰もいないのだな?」
「地図には何もない」
最新の地図にも。
古い地図にも。
俺の記憶にも。
あの高原に、人が暮らしていることを示すものは何一つなかった。
だったら。
「これなら、誰も死なない」
俺はそう言い切った。
地図を何枚も重ねて。
昔の記憶まで引っ張り出して。
できる限り調べたつもりだった。
だから、このときの俺は本気でそう思っていた。
――地図に何もないのなら、そこには誰もいないのだと。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
八万人か、千人か。
どちらかを選ぶしかないのなら、リンドウには答えられませんでした。
なら――最初から、その二択を選ばなければいい。
かつて「一秒でも早く倒すため」に作った『覇王式誘導法』ではなく、今度は誰も死なせないために、新しいルートを作ります。
最短ではない。
効率も悪い。
それでも、人が死なないのなら遠回りでいい。
そして何枚もの地図を確認した末、リンドウたちが見つけたのは、長年誰も住んでいないはずの高原でした。
地図には、何もない。
……そのはずです。
次回――覇王、地図にないものを見る。




