72:覇王、自分の最適解を知る。
「どちらかしか救えないのであれば――あなたは、どちらをお選びになりますか?」
アーヴィンの問いに、俺は答えられなかった。
八万人と千人。
数字だけを見れば簡単な話だ。
より多く残る方を選び、被害が少なくなるように調整する。ゲームで何かを最適化するときなら、それで終わる。
でも、今ここにいるのは数字じゃない。
アルセディアで嫌というほど見てきた。
百人いれば百人分の生活があり、それぞれにやりたいことがあって、帰る場所がある。八万人だから重くて、千人だから軽いなんてことにはならない。
だからといって。
本当にどちらかしか選べないのなら、何も決めずにいることだって一つの選択になる。
「……」
分からない。
少なくとも、今ここでそれらしい綺麗事を口にして済ませていい問いじゃない。
俺が黙っている間も、窓の向こうでは避難を知らせる鐘が鳴り続けていた。
低く重い音が、一定の間隔で街へ広がっていく。
八万二千四百十一人。
さっき聞いた数字が、頭から離れなかった。
「……一つ、聞いていいか」
長い沈黙のあと、ようやく口を開く。
「どうぞ」
「十二年前の誘導について、記録はどこまで残ってる?」
「全て、とは申し上げられません」
アーヴィンは慎重に言葉を選んだ。
「事件後、一部の資料は当時の執政部によって機密指定されました。廃棄されたものもあると聞いております」
「ここに残ってる分は?」
「ございます」
「見せてくれ」
アーヴィンが俺を見る。
「機密だろうが何だろうが、今まったく同じことをやってるんだ。十二年前にどうやってゼフィロスを逸らしたのか、俺は知っておきたい」
「……承知しました」
拒まれるかと思ったけど、アーヴィンはすぐに頷いた。
部屋の隅に控えていた職員へ指示を出す。
職員が足早に部屋を出ていくのを見送りながら、俺はもう一度、壁に貼られた地図へ目を向けた。
エアリス。
その北西を通る本来の航路。
そこから南西へ大きく外れる、十二年前の進路。
今日、俺たちが目撃した動きとほとんど重なっている。
「第二、第四、第六……」
小さく呟く。
何かが引っかかっていた。
昨日、地下資料室でこの数字を見たときにも感じた。
でも、誘導塔そのものを思い出したことで、それ以上は深く考えなかった。
七基ある塔のうち、なぜ一つ飛ばしで第二、第四、第六なのか。
偶然にしては出来すぎている。
そして、この並びを。
ゲーム時代の俺は、どこかで――。
『リンドウ』
「ん?」
突然、頭の中へ声が響いた。
テオからパーティ通信が飛んできた。
『今、話せるか?』
「ああ。ちょうどいい。こっちも聞きたいことがある」
アウラとアーヴィンがこちらを見る。
「テオからだ」
二人へ短く告げてから、通信へ意識を向ける。
「地下資料室、何が出た」
『出たぞ。十二年前の天鯨事件についてだ。この前見つけたものより詳しい』
思わず姿勢を正した。
「どこまで?」
『王家側の内部報告書が何冊か纏めて保管されていた。誘導塔の起動命令書もある』
「読めるか?」
『今、手元にある』
「第二、第四、第六?」
通信の向こうで、僅かな間が空いた。
『……どうして分かった?』
「やっぱりか」
背中を冷たいものが這った。
今日、実際に見た。
十二年前の記録にも残っていた。
そして王家の内部命令書にも。
もう偶然じゃない。
「そのまま読んでくれ」
『分かった』
紙をめくる微かな音が聞こえた。
『天鯨接近に伴う風門都市緊急防衛計画。通常航路維持の場合、エアリス北西部及び北部水系へ甚大な被害が予測されるため、天鯨の進行方向を南西へ変更する』
昨日までなら、それだけでも十分酷い内容に思えただろう。
でも今はもう、何のためにやったのかも、何人を守ろうとしたのかも知っている。
「続き」
『第二誘導塔を第一段階として起動。反応確認後、第四誘導塔へ切り替え。天鯨の進路角が規定値へ到達次第、第六誘導塔を最大出力で稼働』
アーヴィンの眉が、ほんの僅かに動いた。
俺は地図から目を離さない。
『なお、本方式については旧王家保管資料、天鯨討滅記録に記された――』
そこでテオが言葉を止めた。
「どうした?」
『いや……お前に関係する記述だ』
嫌な予感がした。
「読んでくれ」
『……初代覇王考案『天鯨最短誘導術式』を基礎とする』
「……はぁ?」
その瞬間。
頭の中で、何かが繋がった。
第二、第四、第六。
その間隔。
最大出力。
進路角。
「待て」
俺は壁の地図へ近づいた。
「第二塔ってここか?」
地図上の印を指差す。
「はい」
アーヴィンが答える。
「第四は?」
「こちらです」
「第六は?」
「この位置になります」
「……」
三つの点を目で追う。
そこへ一本の線を引いた瞬間。
百二十年前の記憶が、鮮明に蘇った。
何十人ものプレイヤー。
空を泳ぐゼフィロス。
そして、討伐時間を一秒でも縮めるために繰り返したタイムアタック。
通常の誘導は安定していた。
第一から順番に塔を灯せば、ゼフィロスは一つずつ反応し、ゆっくりと進路を変えてくれる。
でも、それでは遅い。
一基ごとに旋回を待つ時間が無駄だった。
だったら、間を飛ばせばいい。
第二で最初から大きく角度をつける。
ゼフィロスが姿勢を戻しきる前に第四を高出力で重ね、さらに方向を変える。
最後に第六を最大出力。
本来なら少しずつ曲げる航路を、一気に撃破地点へ向ける。
初めて成功したとき、攻略時間は大幅に縮んだ。
そこから何度も調整して、無駄を削って。
最終的に、世界記録を更新した。
「……これ」
声が掠れた。
地図に並ぶ三基を、もう一度見る。
見間違えるわけがない。
「これ……俺のルートじゃねぇか」
「リンドウ?」
アウラが怪訝そうに俺を見る。
「俺が作ったもんだ……」
「何をだ?」
「……この誘導法」
指先で第二から第四、そして第六へ線を引く。
「ゼフィロスを最短で本来の航路から外すために、昔の俺が使ってたやり方だ」
「陛下が……?」
アーヴィンの声が聞こえる。
「ああ」
答えながら、自分でも妙な気分だった。
「俺たちにとっては、ゼフィロスを倒すまでの時間を縮めるための攻略法だった。余計な塔は使わない。最短距離で、最小回数、最大出力」
そこに住民なんていなかった。
少なくとも――俺には、そんなものは見えていなかった。
決められた地点までゼフィロスを誘導する。
ただ、それだけの攻略だった。
『リンドウ』
通信越しのテオが言った。
『まだ続きがある』
「……読んでくれ」
『天鯨最短誘導術式は、後世の資料では別名で呼ばれている』
「別名?」
『『覇王式誘導法』』
「……」
一瞬、意味が理解できなかった。
「覇王式?」
『ああ』
「んだよそれ……」
そんな名前、知らない。
当たり前だ、俺自身がそんな大層な名前をつけた覚えなんてない。
ただの最短ルート。
記録を縮めるために作っただけの手順。
それが百二十年後。
俺の名前を冠した方法として残っている。
「アーヴィン」
通信を繋いだまま振り返る。
「……知ってたのか?」
「……はい」
「『覇王式誘導法』って名前」
「存じております」
「……じゃあ、今日使ったのも?」
「同じ方式です」
「……十二年前のも」
「同じです」
即答だった。
その一言が、重い。
「……何で」
喉が乾く。
「何で……俺の方法なんだよ」
「最も成功率が高いからです」
アーヴィンは静かに答えた。
「現存する七基の誘導塔を、すべて常時安定して運用することは困難です。設備の老朽化に加え、魔力供給量にも限界があります」
「だから三基だけってか……?」
「それも理由の一つです。しかし、最大の理由は実績です」
アーヴィンは机の引き出しから、厚い冊子を一冊取り出した。
表紙は擦れ、角も潰れている。
何度も読み返されてきたんだろう。
「これは?」
「エアリスに伝わる天鯨対策要覧です」
机の上へ置かれ、あるページが開かれる。
「……」
そこには見覚えのある図があった。
七基の塔。
ゼフィロスの航路。
そして、第二から第四、第六へと太く引かれた一本の線。
その横には。
『覇王式誘導法』
はっきりと、そう記されている。
「……マジかよ」
笑えなかった。
自分の名前が歴史書に載っている。
状況が違えば、少しくらい面白がれたかもしれない。
でも、その太い線の先には……十二年前に消えた港町がある。
「この方式は、古い記録上、天鯨の進路を最も短時間かつ確実に変更できる方法とされています」
アーヴィンが説明する。
……知ってるよ。
なんせ、俺がそう作ったんだから。
「通常の誘導では、一基ごとに天鯨の反応を待つ必要があります。しかし『覇王式』では、天鯨が旋回を終える前に次の塔を起動し、その勢いを利用して連続的に進路を変更する」
……それも知ってる。
何十回も失敗して、俺が見つけた。
「そのため、天鯨が都市の危険域へ入る前に、最短時間で航路から外すことができます」
正しいよ……。
全部。
攻略情報としては、一つも間違っていない。
「……十二年前も」
俺は冊子を見たまま尋ねる。
「これを使ったんだな……?」
「はい」
「第二、第四、第六を、俺が昔決めた順番で?」
「正確には、残されている数値を現代の誘導塔出力へ合わせて補正しております」
「でも、基本は同じ」
「はい」
「……その結果、港町へ行ったのか」
「……はい」
胸の奥が、また重くなる。
「じゃあ」
ゆっくり冊子を閉じる。
「……十二年前、ゼフィロスが突然おかしくなったわけじゃない」
「その通りです」
「……何かに襲われたわけでも、予測できない暴走を起こしたわけでもない」
「はい」
俺は目を閉じた。
答えは最初からあった。
ゼフィロスは進路を変えた。
それ自体は間違っていない。
でも、主語が違った。
あいつが、自分で変えたんじゃない。
人間が塔を使って、変えさせた。
「港町があることも分かってたんだな」
「はい」
「そこを通るって予測も?」
僅かな間。
「……はい」
だったら――事故じゃない。
予測不能な天災でもない。
「……最初から、そっちへ流すつもりだったんだな」
アーヴィンは僅かに俯いた。
「十二年前の当時、他に間に合う誘導経路はないと判断されました」
「だから俺のルートを使った、と」
「はい」
間違っていない。
少なくとも、こいつらの立場から見れば。
八万人が死ぬかもしれない。
時間はない。
設備も足りない。
だから過去の資料を調べて、最も確実にゼフィロスを逸らせる方法を探した。
そして見つけた。
初代覇王が残した、最速で、最短で、成功率の高い方法。
使わない理由なんて、どこにも……ない。
「……笑えねぇな」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
百二十年前の俺か。
十二年前のこいつらか。
それとも――。
『ゼフィロスが突然進路を変えた』
そんな記録を、そのまま受け取っていた今の俺か。
「リンドウ」
アウラが低い声で呼ぶ。
「お前のせいではない」
「……」
「お前は、その港町を消そうとしてこの方法を作ったわけではないのだろう?」
「……そりゃな」
知りもしなかった。
「だったら――」
「でも」
アウラの言葉を遮る。
「俺が作った方法ではある」
「それは……」
「別に、俺が全員殺したって言いたいわけじゃねぇよ」
そこまで単純な話じゃない。
ゲーム時代の俺が、百二十年後にできる港町を狙えるわけがない。
十二年前の人間が何を選ぶかなんて知りようもなかった。
だから全部を背負って、「俺が悪かった」、なんて言うのも違う。
でも……。
「俺にとっては、ただの最適解だったんだ」
地図へ視線を戻す。
「一秒でも早くゼフィロスを倒す。そのために作った方法」
第二。
第四。
第六。
「途中に何があるかなんて、考えたこともなかった」
ゲームだったから、考える必要なんてなかった。
決められたマップ。
決められたギミック。
決められた結果。
塔を飛ばしても、どこかの村が壊れることはない。
誰かが死ぬこともない。
だから、効率だけを見ていられた。
でも、この世界では。
――その線の先に、人がいる。
「陛下」
アーヴィンが静かに口を開いた。
「一つだけ、申し上げてもよろしいでしょうか」
「何?」
「十二年前の判断を、すべて正当化するつもりはありません」
今までより僅かに迷いのある声だった。
「失われた命があります。その事実を消すことはできない。事件後に記録を伏せた行政判断についても、私は正しかったとは申し上げられません」
「……」
「ですが」
アーヴィンは閉じた冊子へ手を置く。
「誘導そのものについては、今でも必要だったと考えています」
俺は何も言わなかった。
「天鯨は、我々が答えを見つけるまで待ってはくれません。暴風も、洪水も同じです」
アーヴィンの視線が、地図上のエアリスへ移る。
「限られた時間の中で、我々は最も多くの市民を救える方法を選ばなければならなかった」
「……そのために千人を切った」
「……はい」
「今日も、そうするつもりか?」
ほんの僅かな沈黙。
「代替案がないのであれば」
俺も、アウラも、表情が険しくなる。
腹の底へ、重いものが落ちた。
「また、やるのかよ……」
「必要であれば」
アーヴィンは逃げなかった。
「同じ判断をします」
「……」
「それが、この都市を預かる者の責任だと考えています」
間違ってる。
そう言ってやりたかった。
でも……なら、どうするんだよ。
誘導塔を止めるのか?
ゼフィロスを通常航路へ戻して、八万人が暮らすエアリスを危険に晒すのか?
今すぐ追って殺す?
俺ならできるかもしれない。
でも、ゼフィロスがどこにいる状態で倒すかによって、暴風や雷雲がどうなるかは分からない。
そもそも、今から確実に追いつける保証だってない。
「陛下」
アーヴィンは、もう一度冊子を俺の前へ押し出した。
そこには大きく。
『覇王式誘導法』
と記されている。
「我々は、何もないところからこの方法を作ったのではありません」
責めるような声じゃない。
だからこそ、余計に刺さる。
「過去に残された記録を調べ、最も成功率が高く、最も短時間で天鯨を危険域から外せる方法を選びました」
アーヴィンは、俺の目を真っ直ぐ見た。
「我々は――初代覇王が残した最適解を利用しただけです」
「……」
言い返せなかった。
『最適解』。
昔の俺なら、それは褒め言葉だった。
誰より早く。
誰より効率よく。
無駄を削り。
最短で勝つ。
そのために何度も失敗して、何度も試して、ようやく完成させた答え。
世界一位でいるために、俺がずっと追い続けていたもの。
なのに今、同じ言葉が……ひどく冷たく聞こえる。
俺はもう一度、地図へ目を落とした。
第二から第四へ。
第四から第六へ。
その先には――……十二年前に消えた港町がある。
ゲームの中で俺が引いた、最短の一本線。
それは百二十年後の現実で。
より多くの人間を生かすために。
別の人間を切り捨てる道として。
今も残っていた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
第二、第四、第六。
十二年前、そして今回も使われた誘導経路の正体は――かつてリンドウ自身が作った、ゼフィロス攻略の最短ルートでした。
ゲームだった頃には、それでよかった。
一秒でも早く。
一手でも少なく。
最短でボスを倒す。
それは確かに「最適解」でした。
けれど、現実になった世界では、その一本の線の先にも人が暮らしています。
リンドウが悪かった、という単純な話ではありません。
アーヴィンたちの判断にも、八万人を守らなければならない理由があります。
だからこそ。
では、他に道はないのか。
次回――覇王、第三のルートを探します。




