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REMNANT RECORD~ストーリー未読の世界一位の廃ゲーマーは、倒した敵の物語を知らない~  作者: 霜月ルイ
第四章:天鯨の帰る空

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71:覇王、八万人と千人を問われる。

 ゼフィロスを追って南西へ走った俺たちが、最初に辿り着いたのは、小さな集落を見下ろす丘だった。


 さっき遠くから見えていた煙の正体も、ここまで来ればはっきり分かる。


「……ちゃんと人がいるな」


「ああ」


 隣に立ったアウラが目を細める。


 丘の下には、石造りと木造の家が混ざった数十軒ほどの集落が広がっていた。周囲には畑があり、家畜小屋もある。決して大きな場所ではないけれど、人が暮らし、日々の生活を積み重ねている場所だということは一目で分かった。


 ただし、外を歩いている住民の姿はほとんどない。

 代わりに、集落中央に建つ大きな石造りの建物へ、何人もの人間が駆け込んでいるのが見えた。


「避難してるのか?」


「そのようだな」


 エアリスから警告が届いていたのかもしれない。

 あるいは、この辺りでは空が荒れたらすぐ避難すること自体が生活の一部になっているのか。

 どちらにせよ、今のところゼフィロスがこの集落の真上を通っているわけではなかった。


 それでも、俺は空を見上げる。


 南西へ進路を変えたゼフィロスは、すでにかなり遠くまで進んでいる。それなのに、あいつが通過した後から遅れて押し寄せてきた暴風が、今も地上を荒らしていた。


 畑の作物が大きく波打ち、家の屋根から板が何枚か剥がれて空へ飛んでいく。


「……くそ」


 直接通ってなくても、これかよ……。


 ゲームだった頃、ゼフィロスが近くを飛べば天候が変わった。

 風が強くなり、雷が落ち、雨が降る。

 その程度の認識だった。


 背景演出。

 ボス戦を盛り上げるための環境効果。


 けど、今は違う。


 ゲームなら演出でしかなかった風一つで、誰かが長い時間をかけて建てた家の屋根が飛ぶ。

 畑が荒れる。

 家畜が怯える。

 明日からの生活が変わる。


「追うか?」


 アウラが尋ねてきた。


「……いや」


 俺は遠くを振り返る。

 山々の向こうでは、さっき灯った三本の光がまだ空へ伸びていた。


 第二。


 第四。


 第六。


「このままゼフィロスだけ追っても、塔をまた使われたら同じだ」


「では、どうする?」


「先に、あれを動かしてる奴を止める」


 ゼフィロスそのものの攻略法なら知っている。

 追いつくこともできる。

 もう一度四枚の『風鰭』を壊して頭部へ辿り着き、中枢を叩くことだってできるだろう。


 でも、その間にまた別の誘導塔が灯ったら。

 そして、進路を変えた先にまた別の集落があったら。


 それでは何も解決しない。


「エアリスへ戻る」


「塔を動かした者が、街にいると?」


「少なくとも、無関係ってことはねぇだろ」


 十二年前にも同じ塔が使われた。

 そして今も使われている。

 エアリスを守るための記録にも、その名前が残っていた。


 だったら――まず話を聞くべき相手は決まっている。


 俺たちは集落に背を向け、来た道を戻った。


 ♢


 エアリスへ戻る頃には、街全体の空気がさらに張り詰めていた。


 城門では兵士たちが声を張り上げ、住民を避難区画へ誘導している。

 普段なら荷馬車や露店で賑わっているはずの大通りからは車列が消え、代わりに人々が必要最低限の荷物だけを抱えて、低い区画から高台へ向かっていた。


 遠くでは鐘が鳴っている。

 一定の間隔で繰り返される、重い音。


「避難警報か」


「おそらくな」


 俺たちが門をくぐると、何人かの住民がこちらを見て足を止めた。


 無理もない。


 アウラのアダマンタイト製の重装には泥と焦げ跡が残っているし、背負ったオリハルコンの大剣には、ゼフィロスの風鰭を破壊したときの魔力痕がまだ薄く残っている。


 俺だって似たようなものだ。

 服は雨と泥で汚れ、髪も滅茶苦茶になっている。


 でも、今さら着替えている時間なんてなかった。


「中央庁舎はどこだ」


 近くを走っていた兵士を呼び止める。


「え?」


「この街で、誘導塔の使用を命令できる奴に会いたい」


 その瞬間、兵士の表情が僅かに固まった。


 ……分かりやすいね。


「……何のことでしょう」


「そういうのいいから、さっさと吐け」


「ですが――」


「今、第二、第四、第六塔が点いた」


 兵士の言葉を遮る。


「俺はゼフィロスの上から全部見た」


「……」


「案内しろ」


 兵士は答えない。

 その横で、アウラが黙って腕を組んだ。

 別に威圧するつもりはないんだろうけど。

 今の装備と体格でそれをやると、普通に怖い。


「……少々、お待ちください」


「待つつもりはない」


「しかし!」


「ゼフィロスは今も飛んでんだぞ?」


 少しだけ声を落とす。


「次の塔が灯る前に、誰が何のために動かしてるのか知りたい」


 兵士は唇を噛んだ。

 それから周囲を一度確認し、諦めたように小さく息を吐く。


「……こちらへ」


 ようやく歩き出した。


 ♢


 案内されたのは、街の中央部に建つ大きな石造りの建物だった。

 冒険者ギルドや観測所よりさらに高い位置にある。


 風門都市エアリスの行政中枢。

 中へ入っても、慌ただしさは街中と変わらなかった。


 職員たちが何枚もの書類を抱えて廊下を行き交い、壁には避難区域や河川、水路の状況を示す地図が何枚も貼られている。


 兵士に連れられて最上階まで上がると、やがて一枚の大きな扉の前で足が止まった。


「こちらです」


 扉が開く。


 中にいたのは、一人の男だった。

 年齢は五十代半ばくらいだろうか。

 灰色の髪を後ろへ撫でつけ、濃紺の上着を隙なく着込んでいる。


 派手な装飾はない。

 むしろ、都市の最高責任者にしては驚くほど地味だった。


 ただ、目の下には深い隈ができている。


 机の上には何十枚もの報告書が積まれ、背後の壁にはエアリス周辺を描いた巨大な地図が貼られていた。


 いくつもの地点に赤い印が打たれている。

 男は俺たちを見ると、椅子からゆっくり立ち上がった。


「お初にお目にかかります」


 胸へ手を当て、深く頭を下げる。


「風門都市エアリス執政官、アーヴィン・クロウズと申します」


「リンドウだ」


 一応、俺も名乗る。


「アルセディアから来た」


「存じております」


 アーヴィンは顔を上げた。


「アルセディアを再興された、覇王リンドウ陛下でいらっしゃいますね」


「……まあ」


 何だよ陛下って……。


 とはいえ、今はそこへ突っ込んでる場合でもない。


「こっちはアウラ」


「よろしく頼む」


「お噂は伺っております」


 アーヴィンはアウラにも軽く頭を下げた。


 礼儀は丁寧だ。

 態度にも敵意は感じない。


 だからこそ。


「単刀直入に聞く」


 俺は机の前まで歩いた。


「誘導塔を動かしたのは、あんたか?」


 アーヴィンは否定しなかった。


「……はい」


 あまりにもあっさり認めたので、逆に眉を寄せる。


「……認めるんだな」


「隠すつもりはございません」


「十二年前も?」


 そこで初めて、アーヴィンの表情が僅かに変わった。


「当時、私はまだ現在の職には就いておりませんでした」


「じゃあ知らないってか?」


「いいえ」


 アーヴィンは静かに首を振る。


「知っております。当時は都市防災局に所属しておりましたので」


 つまり、だ。


 十二年前の事件を、あとから記録で知っただけじゃない。


 こいつは、その場にいた。


「今日の塔の起動はなんだ」


「私が許可しました」


「何のために?」


「エアリス市民を守るためです」


 即答だった。

 迷いすらない。


「……市民を?」


「はい」


「ゼフィロスは街を襲ってねぇぞ」


「存じております」


「なら、何で逸らす必要がある」


 アーヴィンは俺から目を逸らさなかった。


「陛下は、本日天鯨へ接近されたと伺いました」


「ああ」


「でしたら、あの周囲で何が起こるかも直接ご覧になったでしょう」


「……」


 思い出す。


 立っていることすら難しい暴風。

 地面を横へ走る雷。

 空を飛ぶ巨岩。

 根こそぎ引き抜かれる木。

 雨粒ですら、まともに肌へ当たれば痛い。


「エアリスは、天鯨の季節航路から完全に外れているわけではありません」


 アーヴィンは背後の地図へ向かい、一本の線を指先でなぞった。


「本来の航路は都市北西部を通過します。天鯨そのものが市街上空へ来ることは、ほとんどありません」


「だろ?」


「……ですが」


 指が止まる。


「天鯨本体だけが、災害なのではありません」


 今度は都市を囲むように大きな円を描いた。


「暴風域」


 さらに、その外側へ指を滑らせる。


「雷雲」


 別の場所。


「集中豪雨による河川増水。山岳部での土砂崩れ。低層区画への浸水」


 それから、机の上に置かれていた資料を一枚取った。


「現在、エアリスの登録人口は八万二千四百十一名です」


「八万……」


 思っていたより、ずっと多いな。


「全員を避難させればいいだろ」


「……どこへ、でしょうか」


「……」


「都市全域が暴風域へ入る可能性があります。地下避難区画にも、八万人全員を収容できるだけの容量はありません」


 アーヴィンは淡々と続ける。


「農地、貯水施設、病院、食料庫。それらすべてを地下へ移すこともできない」


 言い訳を並べているようには聞こえなかった。


 たぶん、こいつは何年も、何度も――同じ数字を見てきたんだ。


「十二年前」


 アーヴィンの声が少し低くなる。


「あの年は、今年以上に条件が悪かった」


 地図の北部を指す。


「長雨の直後でした。北部河川はすでに増水し、山肌も大量の水を含んでいた。天鯨が通常航路を通過すれば、大規模な崩落が発生すると予測されていました」


「だから塔を使った、と?」


「はい」


「ゼフィロスを南西へ逸らしたんだな」


「はい」


 返答は変わらない。

 淡々としている。


 でも、地図に触れていたアーヴィンの右手が、僅かに強く握られたのが見えた。


「当時の予測では」


 その声が、ほんの少しだけ掠れた。


「都市への影響をそのまま許した場合、最悪で三万人以上の死者が出る可能性がありました」


「三万……」


 アウラが小さく呟く。


「それは死者だけです。負傷者、家を失う者、その後の食糧不足まで含めれば、被害はさらに大きかったでしょう」


 だから、塔を灯した。


 第二。


 第四。


 第六。


 ゼフィロスを別の方向へ流した。


「今日も同じだと?」


「はい」


「エアリスを守るために?」


「はい」


 俺は何も言わず、地図を見る。


 ……筋は通っている。

 嫌になるくらいにな……。


 ゼフィロスを通常航路のまま進ませれば、八万人以上が暮らす都市が危険に晒される。

 だったら、進路を変える。

 より被害の少ない方向へ。


 災害対策という数字だけで考えれば、何もおかしくない。


 でも――。


「……じゃあ」


 俺は地図の南西側へ視線を移した。


「港町は?」


 その瞬間。

 部屋の空気が変わった。

 廊下から聞こえていた慌ただしい足音すら、急に遠くなったように感じる。


「十二年前」


 俺はアーヴィンを見る。


「ゼフィロスを南西へ逸らした結果、港町が一つ消えたんだよな」


「……はい」


「百人以上の冒険者も死んだ」


「はい」


「そこにも、人が住んでたんだろ」


「はい」


 アーヴィンの返事が、僅かに遅くなった。


「塔を動かした時点で、分かってたのか?」


「……」


「進路の先に街があるって」


 答えない。


「知ってたのか?」


 数秒の長い沈黙が落ちた。


 やがて。


「知っていました」


 アウラが息を呑んだ。


 俺も、すぐには言葉が出なかった。


「……知っててやったのか」


「はい」


「何人いた」


「当時の記録では、港町と周辺集落を合わせて、およそ千百名です」


「千百……」


「全員が死亡したわけではありません。事前に避難できた者もおります」


「……そういう話してんじゃねぇよ」


 自分でも驚くくらい低い声が出た。

 アーヴィンは黙った。


「八万を守るために」


 口に出してみると。

 余計に気分が悪くなる。


「……千人いる方へ、流したのか」


「……はい」


「それで救援に入った奴らも死んだ」


「はい」


「何で、そのことが表の記録に残ってねぇんだ?」


「混乱を避けるためです」


「混乱だと?」


「都市が自らの安全のために、他地域へ災害を誘導したと公になれば、周辺地域との関係は崩壊します」


「だから隠したのか?」


「当時の執政部は、そう判断しました」


「……あんたは?」


 そこで、初めてアーヴィンがはっきりと言葉を詰まらせた。


「私は……」


 一度、目を伏せる。


「当時、その判断に反対しませんでした」


 窓の外で、また鐘が鳴った。


 低く。

 重く。


 街のどこかでは今も、人々が避難を続けている。


 子供も。

 老人も。

 病人も。


 その一人一人を合わせて。


 八万人。


「……必要だったと?」


 俺が聞く。

 アーヴィンは、ほんの一瞬だけ目を閉じた。


 そして。


「……必要な犠牲でした」


 隣で、アウラの手が大剣へ伸びかけた。


「アウラ」


「だが!」


「いい」


 ここで殴ったところで、十二年前の誰かが戻ってくるわけじゃない。

 俺だって腹は立っている。


 でも、こいつが笑いながら千人を切り捨てたわけじゃないことくらいは分かる。


 ふと――、机の端に置かれていた古びた紙束が目に入った。


 その一番上には。

 十二年前の日付。


 ずっと持っていたのかもしれない。

 何度も読み返したのかもしれない。


「必要な犠牲って」


 俺はアーヴィンを見る。


「死んだ側にも言えると思うか?」


「言えません」


 返事は即座だった。


「では」


 今度はアウラが問いかける。


「お前自身が死ぬ側でも、同じことを言えるのか?」


 アーヴィンはしばらく考えた。


「私一人の命で八万人が助かるのであれば、喜んで差し出します」


「……」


「ですが」


 その目が、俺へ向く。


「実際の統治とは、自分一人の命だけを賭けられるものではありません」


「……」


 分かってる……。

 嫌になるくらい。


 国を持ってしまった今なら。

 ……俺にも。


「今日、誘導塔を動かさなければ」


 アーヴィンは続けた。


「この都市に住む八万人を、天鯨の暴風域へ晒すことになります」


「だから、別の誰かに押しつける?」


「そう聞こえるでしょう」


「実際そうだろうが」


「はい」


 否定しない。


 それが――余計に、重い。


「ですから」


 アーヴィンは地図へ手を置いた。


「私は、陛下にお聞きしたい」


「……俺に?」


「アルセディアという国を預かる方として」


 いつの間にか、部屋にいた職員も兵士も誰一人喋らなくなっていた。


 アウラも。

 俺も。


 ただ、アーヴィンの次の言葉を待っている。


「あなたの前に、八万人の民がいる」


 アーヴィンの指が、地図上のエアリスを示す。


「そして、こちらに千人がいる」


 指先が南西へ移る。

 十二年前、消えた港町。


「何もしなければ、八万人が危険に晒される」


 静かな声だった。


「しかし、進路を変えれば、今度は千人が危険に晒される」


 答えなんて、簡単だと思っていた。


 ゲームなら数字の大きい方を取ればいい。


 被害の少ないルートを選ぶ。


 より多く残る方。

 効率のいい方。

 最適解。


 そういう問題なら、俺は得意だった。


 何度だって、誰より早く正解を選んできた。


 でも――、今は。


 八万人という数字の中に、一人一人がいる。


 さっき街を走っていた兵士。

 荷物を抱えて避難していた老人。

 親に手を引かれていた子供。


 きっと、誰かの帰りを待っている奴もいる。


 明日食べるパンを焼いている奴もいる。

 夢がある奴も。

 まだ何も決めていない奴もいる。


 そして、千人の中にも。


 同じように一人一人がいる。


 レオみたいに、自分で名前を選んだ奴がいるかもしれない。

 パンを焼きたい奴がいるかもしれない。

 誰かと生きる約束をした奴がいるかもしれない。


 明日も普通に起きて。

 飯を食って。

 仕事へ行くつもりだった奴がいる。


 数字じゃない。


 どっちも――、人だ。


 そして、どちらを選んでも。

 選ばれなかった側が死ぬかもしれない。


「陛下」


 アーヴィン・クロウズは、俺から一度も目を逸らさなかった。


「八万人と千人」


 静かに。


 でも、逃げ道を残さないように。


「どちらかしか救えないのであれば――あなたは、どちらをお選びになりますか?」


「……」


 答えられなかった。


 攻略法ならいくらでも知っている。

 ゼフィロスの殺し方だって知っている。


 ついさっきまで、本当にあと一撃だった。


 けれど――、今。


 目の前に置かれたこの問いだけは。


 頭の中をどれだけ探しても。


 攻略サイトにも。


 検証動画にも。


 世界記録の手順にも。


 正解なんて、どこにも載っていなかった。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


ゼフィロスを倒すだけなら、リンドウにはもうできました。

ですが今回、目の前に現れたのは攻略法では解けない問題です。


八万人を守るために、千人を危険へ晒す。


アーヴィンの判断には理由がある。

けれど、理由があるからといって、失われた命まで消えるわけではありません。


ゲームなら「被害が少ない方」を選べばよかった。


でも今、この世界で生きているのは数字ではなく、一人一人の人間です。

果たしてリンドウは、この問いにどんな答えを出すのか。


次回――覇王が残した“最適解”。

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