70:覇王、あり得ない進路を見る。
「……終わりだ」
振り上げた『ドライ』へ魔力を流す。
一本の長棍となった黒い武器の表面を、淡い青白色の光が走った。
狙う場所は分かっている。
ゼフィロスの頭部。その中央より僅かに後ろ、ほんの少しだけ盛り上がっている部分。
外から見れば、何の変哲もない皮膚にしか見えない。
けれど、その下にはゼフィロスの風と雷を制御している中枢がある。
ゲーム時代なら、ここまで来た時点で勝ったも同然だった。
四枚の『風鰭』はすでに破壊した。
頭部へ集中した雷撃も、すべて抜けた。
残っているのは最後の一撃だけ。
今の俺と『ドライ』なら、威力が足りないなんてこともあり得ない。
「じゃあな、ゼフィロス」
右足を踏み込む。
腰を捻り、全身の力を長棍へ乗せ、そのまま振り下ろそうとした。
――その瞬間だった。
視界の端。
遥か遠くで、小さな光が瞬いた。
「……ん?」
動きが止まる。
一瞬、雷かと思った。
ついさっきまで周囲には青白い稲妻が何本も走っていたのだから、光そのものは珍しくない。
でも、違う。
あれは空じゃない。
――地上だ。
「何だ……?」
山岳地帯の向こう。
連なる稜線から突き出すように建っている、細長い塔。
あまりにも距離があるため形までははっきり見えないが、その先端から青緑色の光が真っ直ぐ空へ伸びている。
俺は振り下ろしかけていた『ドライ』を止めたまま、その光を見つめる。
何だ、あれ。
どこかで見た。
いや――考えるよりも早く二つ目が灯った。
「……」
一つ目よりもさらに南。
山と山の間に立つ別の塔から、まったく同じ色の光が空へ伸びる。
「待て」
胸の奥に、嫌な感覚が広がった。
そして、三つ目。
さらに遠方で、一際強い青緑色の光が立ち上がる。
三本の光。
等間隔ではない。
位置もばらばらだ。
それでも、この並びを、俺は知っている。
「……第二」
口から、勝手に言葉が漏れた。
最初に灯った塔。
「第四」
二つ目。
そして最後。
「……第六?」
言い終えた瞬間。
足元から、それまでとは明らかに違う振動が伝わってきた。
「っ!?」
ゼフィロスの巨体が大きく傾く。
さっきまで緩やかに前方へ進んでいた頭部が、何の前触れもなく南西方向へ向き始めた。
「……は?」
傾斜に身体を持っていかれる。
俺は咄嗟に『ドライ』をゼフィロスの皮膚へ突き立てた。
それでも完全には止まれない。
ほんの数秒前まで平地に近かった頭部が、今では巨大な斜面みたいに傾いている。
「おい、待て!」
あり得ない。
このタイミングじゃない。
四枚の風鰭を破壊して、頭部中枢へ到達した最終段階。
ここでゼフィロスが大規模な進路変更を行う攻撃パターンなんて存在しない。
少なくとも、俺は一度だって見たことがない。
何百回と戦った。
失敗もした。
最速討伐のために、嫌になるほど行動を見続けた。
それでも、こんな動きは一度もなかった。
「リンドウ!」
背後からアウラの声が飛んでくる。
「何が起きている!?」
「分からん!」
「分からないのか!?」
「俺だって初めて見てんだよ!」
叫び返した直後。
ゼフィロスがさらに身体を捻った。
山一つ分はある巨体が、空中で大きく旋回する。
「くっ……!」
足元が滑る。
『ドライ』を突き立てていても止まりきれず、青灰色の皮膚の上を数メートル滑ってから、ようやく身体を固定できた。
「アウラ!」
「大丈夫だ!」
振り返る。
アウラもオリハルコンの大剣をゼフィロスの背へ突き立てている。
新しく作り直した重装。
脚甲へ仕込んだ『接地』。
それがなければ、今の旋回だけで完全に空へ放り出されていたはずだ。
よかった。
……いや。
今は、それよりも。
「何でだ……?」
ゼフィロスを見る。
明らかに進行方向が変わっている。
僅かに角度を調整したなんて程度じゃない。
さっきまで北東寄りへ進んでいた巨体が、完全に南西へ頭を向けている。
そして、その方向には三本の光。
「……」
頭の中で、昨日読んだ十二年前の資料が一気に蘇った。
『第二誘導塔――稼働確認』
『第四誘導塔――出力正常』
『第六誘導塔――起動』
そして。
『天鯨、南西方向への進路変更を確認』
「……おい」
まさか……。
ゼフィロスの巨体が、さらに南西へ向かって傾く。
もう疑いようがなかった。
「誘導塔……!」
思わず叫んでいた。
「何!?」
「昨日話しただろ! ゼフィロスの進路を変えるギミック!」
「これがそうなのか!?」
「ああ!」
でも、誰が?
俺たちがエアリスを出てから、まだそれほど時間は経っていない。
ゼフィロスの正確な現在位置だって、観測所では完全に掴めていなかったはずだ。
それなのに――。
第二。
第四。
第六。
三基すべてが、ほとんど同時に正確な順番で起動した。
「偶然じゃねぇ……」
この順番を知っている奴がいる。
しかも、実際に塔を動かせる立場にいる。
十二年前と同じように。
「リンドウ!」
「何だ!」
「また風が来るぞ!」
「っ!」
アウラの声で、俺は反射的に頭上を見る。
破壊したはずの四枚の『風鰭』。
その根元へ、青白い光が再び集まり始めていた。
「再構成かよ……!」
誘導行動へ移行したことで、ゼフィロスの内部状態そのものが切り替わったらしい。
さっきまで消滅していた風鰭の輪郭が、薄い光として少しずつ形を取り戻していく。
完全に再生したわけじゃない。
それでも、周囲の気流を再構築するには十分だった。
だったら。
「アウラ! 降りるぞ!」
「倒さないのか!?」
「今は追う!」
「だが、もう弱点まで――」
「分かってる!」
あと一撃だった。
俺だって分かっている。
ほんの少し前なら、確実に終わらせられた。
今から無理やり頭部へ戻り、中枢を叩き潰すことだって不可能じゃない。
それでも。
「十二年前と同じなんだよ!」
「十二年前?」
「第二、第四、第六!」
再び強まり始めた風に声を持っていかれそうになり、俺はさらに張り上げる。
「記録に残ってた起動順と全部同じだ!」
アウラの表情が変わった。
「あの港町が消えたときの?」
「ああ!」
そして今。
俺たちは、その瞬間を自分たちの目で見た。
ゼフィロスが勝手に進路を変えたわけじゃない。
何かに驚いたわけでもない。
気まぐれで南西へ向いたわけでもない。
塔が灯った。
その直後。
ゼフィロスは、明確に進路を変えた。
「……誰かがやってる」
強くなり始めた風に煽られながら、俺は遠くに並ぶ三本の光を睨む。
第二。
第四。
第六。
「今、この瞬間に」
誰かが――ゼフィロスの進む道を変えている。
その事実だけは、もう疑いようがなかった。
「アウラ!」
「おう!」
「先に降りる!」
『ドライ』を三節へ切り替える。
第一節を大きく振り回し、ゼフィロスの身体の側面へ引っかける。
鎖を伸ばす。
「掴まれ!」
「分かった!」
アウラが俺の腰へ片腕を回した。
「いや、もうちょい上!」
「こうか!」
「締めすぎ! 折れる!」
「すまん!」
「行くぞ!」
ゼフィロスの身体から『ドライ』を外す。
次の瞬間、二人の身体が空へ投げ出された。
「うおおおおおお!?」
「叫ぶな! まだ降りてる途中だ!」
「分かっている!」
「絶対楽しんでるだろお前!」
「少しだけな!」
「やっぱりかよ!」
落下しながら『ドライ』を振るう。
第一節を近くの岩壁へ飛ばす。
ガンッ!
先端が岩へ食い込む。
鎖が張った瞬間、落下速度が一気に殺された。
そのまま遠心力を利用して身体を地上方向へ振り、着地点を合わせる。
「離すぞ!」
「おう!」
二人同時に地面へ降りた。
ドンッ!
アウラの重装が大地を沈ませる。
俺も膝を使って衝撃を逃がし、そのまま立ち上がった。
「……っし」
すぐに顔を上げる。
ゼフィロスは、もうかなり先へ進んでいた。
巨体だから動きが遅く見えるだけで、実際の移動速度は洒落にならない。
山岳地帯の上を、南西へ向かって一直線に進んでいる。
「速いな」
アウラが大剣を引き抜きながら言った。
「誘導されてるときは通常より速い」
「追いつけるのか?」
「追いつくんだよ」
「方法は?」
「走る」
「なるほど!」
「何で即納得できるんだよ」
まあ、俺なら行ける。
アウラも今の装備なら、地上を移動するぶんには問題ない。
「行くぞ」
走り出そうとして。
俺は、ふと足を止めた。
「……ん?」
南西。
ゼフィロスが向かっている先。
山と山の切れ目から、僅かに平地が見えている。
距離はあるし、かなり遠い。
それでも。
「……煙?」
細い煙が、一本。
さらに少し離れた場所から、二本目。
三本目。
山火事の煙じゃない。
風に煽られながらも、ほぼ同じ位置から真っ直ぐ立ち上がっている。
あれは、煙突だ。
「アウラ」
「なんだ?」
「目いいよな?」
「お前よりはな」
「南西。山の間」
アウラが言われた方向へ目を細めた。
「……何かあるな」
「やっぱりか」
「ああ。建物が見える」
嫌な予感が、急速に現実味を帯びていく。
「どのくらい?」
「ここからでは分からんが……集落だと思う」
「……」
俺はもう一度、ゼフィロスを見上げた。
そいつは真っ直ぐ、アウラが集落だと言った場所へ向かっている。
「おいおい……」
冗談だろ。
十二年前。誘導塔を使ってゼフィロスの進路を変えた結果、港町が一つ消えた。
そして今。あのときと同じ順番で塔が起動した。
同じように、ゼフィロスは南西へ進路を変えた。
その先に。
また――人が住んでいる。
「リンドウ」
「ああ」
「行くのだろう?」
「当然」
『ドライ』を長棍へ戻す。
まだ何も分からない。
あの集落へ向かわせること自体が目的なのか。
たまたま進路上にあるだけなのか。
塔を起動した奴は、あそこに人がいることを知っているのか。
そもそも、十二年前と今回が本当に同じ理由なのか。
分からないことだらけだ。
だから。
「確認する」
「何を?」
「全部だ!」
地面を蹴った。
アウラもすぐに続く。
南西へ向かうゼフィロスを追って。
ついさっきまで、俺はあいつを殺せば終わると思っていた。
そして実際、殺せた。
あと一撃。
本当に、それだけだった。
それなのに。
俺たちの知らないところで誰かが塔を灯し、ゼフィロスの進路を変えた。
その先には――人がいる。
「……何なんだよ」
走りながら、俺はもう一度だけ遠くで輝く三本の光を見た。
第二。
第四。
第六。
十二年前と、まったく同じ順番。
偶然なんかじゃない。
ゼフィロスが、自分で選んだわけでもない。
これは――。
誰かが選んだ進路だ。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
あと一撃。
世界一位だったリンドウにとって、ゼフィロス討伐はもう終わったも同然でした。
……そのはずだったのですが。
第二、第四、第六。
十二年前とまったく同じ順番で灯った三基の誘導塔。
そして、その先には人の暮らす集落があります。
ゼフィロスが勝手に進路を変えたのではない。
誰かが、その進路を選んだ。
次回、その理由へ踏み込みます。




