69:覇王、天鯨を攻略する。
「まず――一枚目だ」
目の前で、『風鰭』が唸っている。
半透明の薄青い膜の内部では、肉眼でも確認できるほど濃密な風の魔力が渦を巻き、根元から先端へ向かって絶えず流れ続けていた。
遠目に見ていたときから巨大だとは思っていたが、こうして間近に立つと、その大きさは想像以上だった。
鰭というより、もはや巨大な帆に近い。
一枚だけで、小さな家なら丸ごと隠れてしまいそうなほどだ。
しかも、俺たちが立っているのは地上から遥か上空に浮かぶゼフィロスの背中。そのさらに外側では、さっきまで突破してきた暴風と雷雲が、今も狂ったように渦を巻いている。
「……これを壊すのか?」
隣へ着地したアウラが、オリハルコンの大剣を構えながら風鰭を見上げた。
「ああ。ただし、適当に殴んなよ」
「なぜだ?」
「根元以外を壊しても、すぐ再生する」
「再生?」
「見えてる部分の大半は風の魔力でできてるからな。潰すなら――」
『ドライ』を握り直し、風鰭とゼフィロスの身体が接続している部分を示す。
そこだけは周囲の半透明な膜とは違い、青灰色の硬質な器官がゼフィロスの肉体へ深く食い込むように伸びていた。
「ここだ。根っこから潰す」
「分かった!」
「あと、待て」
返事をした瞬間に飛び出しかけたアウラの肩を掴む。
「む?」
「まだだ」
「目の前だぞ?」
「だからだよ」
目の前の風鰭が大きくしなった。
――来る。
「三」
「また数えるのか?」
「二」
薄青い膜が、一瞬だけ白く輝く。
「一――伏せろ!」
「おう!」
二人同時に身体を低くした。
次の瞬間、風鰭から横方向へ向かって凄まじい暴風が放たれる。
ゴォンッ!
まるで砲撃でも撃ち出したような轟音だった。
目には見えない風の壁が俺たちの頭上を通り抜け、そのまま遥か遠方の雲へ突っ込んでいく。次の瞬間、厚く広がっていた雲に巨大な穴が穿たれた。
「……」
アウラがゆっくり顔を上げる。
「今のを受けたら?」
「飛ぶぞ」
「この装備でも?」
「飛ぶ」
「なるほど!」
「納得したなら行くぞ!」
風鰭が暴風を撃った直後から、次の充填までは四秒。
俺はゼフィロスの背を蹴った。
「今!」
「おおおおっ!」
アウラも続く。
巨大な風鰭の根元まで、一気に距離を詰めた。
「俺が開ける! お前が壊せ!」
「任せろ!」
『ドライ』を三節へ切り替える。
手首を返すと第一節が外へ飛び、そのまま風鰭の根元へ巻きついた。
ガンッ!
「……硬いな」
衝撃が手元まで返ってくる。
やっぱり、この部分の耐久性はゲーム時代と変わっていない。
「なら――」
内部の重心を先端側へ移す。
身体を捻り、巻きつけた第一節を支点として鎖を引き絞った。
その反動を乗せ、第二節を根元へ叩き込む。
ゴッ!
風鰭の接合部が大きく揺れ、青白い魔力光が弾けた。
続けて第三節。
「もう一発!」
遠心力を乗せた打撃を、まったく同じ場所へ叩き込む。
バキッ!
青灰色の根元へ亀裂が走った。
「アウラ!」
「待っていた!」
オリハルコンの大剣が大きく振り上げられる。
昨日組み込んだばかりの魔力回路が起動し、刀身全体へ青白い光が走った。
「せぇぇぇぇぇい!」
ドガァァァン!
「うお……」
自分で作っておいて何だけど、本当にとんでもない威力だな……。
大剣が俺の作った亀裂へ深くめり込み、さらにアウラが力任せに押し込む。
次の瞬間、風鰭の根元が砕けた。
パァンッ!
巨大な薄青い鰭が、無数の光の粒へ変わって空へ散っていく。
「やったぞ!」
「一枚目!」
けれど、喜んでいる暇はない。
破壊と同時に、周囲の空気の流れが大きく変化した。
「アウラ、離れろ!」
「おう!」
二人で根元から距離を取る。
風鰭を一枚壊すと、ゼフィロスを取り巻く暴風パターンそのものが切り替わる。
それまで四枚で均等に制御していた風を、残った三枚で無理やり補おうとするからだ。
つまり、風が単純に弱くなるわけじゃない。
むしろ一時的には、さらに荒れる。
「来るぞ!」
ゼフィロスの身体が大きく傾いた。
「うおっ!?」
「左へ走れ!」
「左!?」
「いいから!」
傾いた背中を、二人並んで駆ける。
足場そのものが斜めになっているせいで、少しでも止まればそのまま滑り落ちそうになる。
そこへ右後方から暴風が押し寄せた。
「三歩前!」
「一、二、三!」
「止まれ!」
アウラが急停止する。
直後、その鼻先を青白い雷光が横切った。
バヂィィィィン!
「本当に来たな!」
「だから言っただろ!」
当然だ。
一枚目を破壊した直後、右後方から横風が発生し、その三秒後に背面へ放電。
ゲーム時代から何一つ変わっていない。
「次は?」
「七秒後に上から押しつける風が来る。そのあと十五秒だけ右側が空く」
「……」
「何だよ」
アウラが、どこか楽しそうに笑った。
「本当に言った通りだな!」
「当たり前だろ」
何を今さら。
俺がこいつを何百回狩ったと思ってるんだ。
「六!」
二人で走る。
「五!」
ゼフィロスの巨大な背を横断する。
「三!」
足元を走っていた青白い紋様が、一斉に輝き始めた。
「二!」
雷撃の予兆。
「一!」
「跳べ!」
二人同時に地面を蹴る。
直後、ゼフィロスの背全体を、青白い電流が駆け抜けた。
バヂヂヂヂヂッ!
「おおおっ!」
「着地したら右!」
足が背中へ触れた瞬間、そのまま右方向へ駆け出す。
予想通り、右側を塞いでいた暴風が一瞬だけ消えている。
「見えたぞ!」
第二風鰭。
「行け!」
「おう!」
今度は俺が先行する。
第二風鰭は一枚目よりやや前方、ゼフィロスの身体の側面へ寄った位置にある。
そのため足場は大きく傾斜しており、普通に走ればそのまま滑り落ちる。
「ドライ!」
三節を展開し、第一節をゼフィロスの背へ叩き込む。
固定。
張った鎖を掴み、そのまま斜面を駆け下りる。
「アウラ!」
「分かっている!」
アウラも大剣を逆手に持ち、刀身をゼフィロスの皮膚へ浅く突き立てながら後を追ってくる。
オリハルコンだからこそできる無茶だ。
普通の剣なら、刃の方が先に折れる。
「あと五秒!」
「間に合う!」
第二風鰭が白く光り始めた。
暴風発射の予兆。
「俺が止める!」
『ドライ』の第一節を根元へ飛ばし、巻きつける。
そのまま全力で引いた。
「こっち向け!」
ほんの僅かに、風鰭の角度がずれる。
直後。
放たれた暴風が、俺たちの真横を通過していった。
その先で空気が大きく歪み、雲が一直線に裂ける。
「今だ!」
「おおおおおおっ!」
アウラがゼフィロスの背を強く踏みしめる。
脚甲に刻まれた『接地』が起動した。
本来なら大地へ魔力を流して身体を固定するための術式だけど、これだけ巨大な相手ならゼフィロスの身体そのものでも十分に機能する。
足元を固定し、腰を深く落とす。
そして――。
「ふんっ!」
横薙ぎ。
オリハルコンの大剣が、風鰭の根元を一気に叩き斬った。
バギィィン!
薄青い光が弾け、二枚目の風鰭が砕け散る。
「次!」
「もう行くのか!?」
「止まる理由あるか?」
「ないな!」
「だろ!」
直後、ゼフィロスが大きく鳴いた。
――ォォォォォォォォン。
「来るぞ!」
鳴き声のあと、周囲を吹き荒れていた風が一瞬だけ弱まる。
ほんの数秒。
「走れ!」
「おう!」
今が一番速い。
俺たちは巨大な背中を駆け抜けていく。
ゼフィロスの皮膚には、ところどころ巨大な隆起が存在していた。
ゲーム時代はただの足場としか見ていなかったけど、現実になった今こうして走ると、その一つ一つが小さな丘みたいに見える。
「右の隆起を越える!」
「分かった!」
「そのあと跳べ!」
「またか!」
「第三風鰭は反対側だ!」
隆起を駆け上がる。
頂点を越えた先に、地面はない。
そこはゼフィロスの身体の縁で、そのさらに下には雲海が広がっていた。
「跳べ!」
「おおおおお!」
俺が先に飛ぶ。
空中で『ドライ』を投げ、三節目を反対側の風鰭付近へ巻きつけた。
鎖が張る。
そのまま俺の身体は大きく弧を描き、ゼフィロスの腹側をブランコみたいに横切っていく。
「リンドウ!」
「来い!」
アウラも勢いよく飛び出した。
「本当に飛ぶのかぁぁぁ!?」
「今さら何言ってんだ!」
「楽しいぞぉぉぉ!」
「知ってたよ!」
こいつ、絶対に途中から遊んでるだろ。
でも、悪くない。
俺は『ドライ』の鎖を巻き取る。
身体が一気に引き寄せられ、第三風鰭のすぐそばへ着地した。
「アウラ!」
「任せろ!」
もう説明する必要はなかった。
俺が『ドライ』を風鰭へ絡め、その根元を引き出す。
アウラが大剣を振り下ろした。
ドンッ!
亀裂が走る。
さらにもう一度。
「せいっ!」
バキィィン!
三枚目が光へ変わって散った。
「あと一枚!」
「どこだ!」
「前方左!」
その瞬間、ゼフィロスの動きが変わった。
「っ!」
巨大な身体全体が、不意に上方へ向かって傾き始める。
「リンドウ!?」
「掴まれ!」
急上昇。
足元の傾斜が一気に増し、放っておけばそのまま後方へ滑り落ちる。
俺は『ドライ』をゼフィロスの背へ突き刺した。
アウラも同じように大剣を突き立て、身体を固定する。
そのままゼフィロスは雲へ突っ込んだ。
視界が真っ白に染まる。
顔へ叩きつけられる水滴。
急激に下がる気温。
そして――雷。
バヂィィィィィン!
「ぐっ!」
すぐ近くへ落雷し、青白い電流が身体の表面を走る。
「アウラ!」
「大丈夫だ!」
新装備へ仕込んだ避雷回路が起動していた。
アウラの肩へ直撃した雷が胸甲から脚甲へ流れ、そのまま足元からゼフィロスの身体へ抜けていく。
「おおっ!」
「痛くないか!?」
「少し痺れた!」
「なら成功!」
「これで少しか!?」
「直撃してそれなら上出来だ!」
旧装備なら、今の一撃だけで終わっていた。
作り直して正解だった。
「来るぞ!」
やがてゼフィロスの上昇が止まり、巨体が水平へ戻り始める。
同時に風向きも切り替わった。
「第四風鰭まで二十秒!」
「遠いぞ!」
「間に合う!」
『ドライ』を長棍へ戻し、ゼフィロスの背へ突き立てる。
それを支点に身体を一気に押し出し、棒高跳びのように前方へ飛んだ。
着地し、その勢いを殺さず走り続ける。
「十四!」
アウラもすぐ後ろから続く。
「十一!」
雷の予兆。
「右!」
二人で避ける。
「八!」
横風。
「伏せろ!」
二人同時に身を低くする。
「五!」
見えた!最後の風鰭!
「三!」
「間に合う!」
「二!」
風鰭が白く輝く。
「一――!」
俺は『ドライ』を投げた。
三節へ分かれた棍が空中を走り、伸びた鎖の先端が第四風鰭の根元へ巻きつく。
「アウラ!」
「分かっている!」
大剣を両手で握り、全力で振り下ろす。
「うおおおおおおおおっ!」
ドゴォォォォン!
第四風鰭の根元へ、凄まじい一撃が叩き込まれた。
しかし――。
「硬い!」
「最後だけ耐久高ぇんだよ!」
「先に言え!」
「今言った!」
「どうする!」
「もう一発だ!」
亀裂は入っている。
あと少し。
「俺が開く!」
風鰭の根元へ巻きついた『ドライ』の鎖を締め上げる。
その状態で、内部の重心を第一節へ集中させた。
「先端!」
身体ごと円を描くように振り回す。
一周。
二周。
回転するたびに速度が増し、周囲の風まで巻き込んでいく。
「――砕けろ!」
ゴッ!
第一節が、さっき入った亀裂へ正確に叩き込まれた。
バキッ!
「今!」
「せぇぇぇぇぇぇい!」
アウラの大剣が、まったく同じ場所へ振り下ろされる。
――バガァァァァァン!
第四風鰭が完全に砕け散った。
「やったぞ!」
「ああ!」
四枚、全部。
その瞬間だった。
周囲から、音が消えた。
「……え?」
アウラが思わず立ち止まる。
さっきまであれほど荒れ狂っていた暴風が、嘘みたいに止まっていた。
身体を引き剥がそうとしていた風圧も、顔へ叩きつけていた雨も消え、周囲の雲だけが惰性に任せてゆっくり流れている。
「これが……」
「四枚破壊後の無風時間」
当然、長くは続かない。
「どれくらいだ?」
「一分ちょい」
「短いな!」
「十分だよ」
ゲーム時代なら、ここから頭部まで一分どころか三十秒も必要ない。
「行くぞ」
「ああ!」
二人で走る。
もう邪魔をする風はない。
ゼフィロスの巨大な背中を、ただ真っ直ぐに駆け抜けていく。
雲の上。
眼下には連なる山々が広がり、そのさらに向こうにはエアリスが小さく見えていた。
この高さから眺めると、大都市でさえ模型みたいにしか見えない。
改めて、ゼフィロスという存在がどれだけ巨大なのかを思い知らされる。
「……凄い景色だな!」
「観光すんなって」
「これを見て何とも思わないのか!?」
「何百回も見た」
「そうだったな!」
走り続ける。
巨大な背を越え、少しずつ頭部へ近づいていく。
青白い魔力紋も、前へ行くほど密度を増していた。
そして、ここから先が最後だ。
「アウラ」
「なんだ?」
「止まれ」
「む?」
アウラが素直に足を止めた。
「ここから先は俺一人でいい」
「なぜだ?」
「雷撃の密度が変わる」
四枚の風鰭を失ったゼフィロスは、周囲の風をまともに制御できなくなる。
その代わり、行き場を失った魔力を頭部へ集中させる。
ゲームでいう、最終フェーズ。
「お前はここで待ってろ。雷の予兆が出たら防御。俺が合図したら降りる」
「だが――」
「大丈夫」
俺は笑った。
「もう終わる」
「……分かった」
アウラは少しだけ迷ったあと、大剣を構え直した。
「任せたぞ」
「ああ」
頭部へ一人で走り出す。
踏み込むたびに、妙な懐かしさが込み上げてきた。
この景色。
この道。
ゼフィロスの皮膚を走る魔力紋。
頭部へ近づくほど大きくなる雷鳴。
全部覚えている。
「……変わってねぇな」
百二十年。
俺がいなくなってから、それだけの時間が流れた。
アルセディアは変わった。
人も、国も、世界も変わった。
俺の墓まで建っていた。
なのに。
「お前は、本当に何も変わってねぇ」
右側の紋様が白く輝く。
三秒後。
バヂィィィン!
雷が落ちる。
俺は半歩左へ。
それだけで避ける。
次は前方二メートル。
紋様が光った。
「そこだろ」
一度足を止める。
直後、目の前へ落雷。
雷が消えるより先に、その脇を抜ける。
全部覚えている。
もはや考える必要すらない。
身体の方が先に動く。
右へ。
次は左。
一度止まり、走り、必要なら跳ぶ。
雷が落ちる頃には、もう次の安全地帯へ入っている。
「……ははっ」
笑いが漏れた。
難しいボスだ。
間違いなく。
普通の人間なら、まずここまで辿り着けない。
アウラだって新装備がなければ、最初の暴風域を抜ける前に終わっていたはずだ。
でも、俺にとっては違う。
もう――攻略済みなんだ。
「遅い」
雷を避ける。
「そこ」
次の予兆を見る。
「知ってるって」
さらに一つ。
全部抜ける。
そして――ついに、頭部中央へ辿り着いた。
「……あった」
青白い紋様が円を描くように集中している。
巨大な頭部の中心。
額より僅かに後ろ。
外から見れば、ただ少し盛り上がっているだけの皮膚。
でも、俺には分かる。
この下にあるゼフィロスの風と雷を統括する中枢。
ゲーム時代、最後に必ず壊していた弱点。
ここへ一定以上のダメージを叩き込めば、それで戦闘は終わる。
「……」
『ドライ』を握り直した。
三本の節を繋ぎ、一振りで長棍へ戻す。
そのまま手の中で軽く回し、魔力を流し込んでいく。
青白い光が、棍全体へ走った。
これなら十分だ。
いや、十分どころじゃない。
ゲーム時代にこの場所へ立っていた俺より、今の俺の方が遥かに強い。
レベルも。
技術も。
持っている武器も。
あの頃より、ずっと上。
それなのに相手の動きは、一つも変わっていない。
だったら、結果だけが変わる理由なんてない。
「……終わりだ」
『ドライ』を振り上げる。
眼下。
ゼフィロスの弱点。
あと一撃。
ただ、それだけで。
「もう――殺せる」
ここまでお読みいただきありがとうございます。
世界一位の廃ゲーマー、本領発揮。
百二十年が経ち、ゲームが現実になっても、何度も死んで積み上げた攻略知識は消えません。
そして『ドライ』&新装備のアウラも本格始動。
四枚の『風鰭』を突破し、ついにゼフィロスの弱点まで辿り着きました。
あとは、一撃。
次回――覇王が『ドライ』を振り下ろす、その直前。
面白いと思っていただけましたら、☆や感想、レビュー等で応援していただけると嬉しいです。




