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REMNANT RECORD~ストーリー未読の世界一位の廃ゲーマーは、倒した敵の物語を知らない~  作者: 霜月ルイ
第四章:天鯨の帰る空

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67:覇王、クソ鯨と再会する。

 出発前夜。

 必要な物資の確認も、エアリスまでの経路も、アウラの新しい装備の最終調整も終わった。

 明日の朝にはアルセディアを出る。

 そう考えると、別に長い旅でもないのに妙な感じがした。


「……ご主人様」


「ん?」


「もうちょっとこっち」


「いや、もう十分近いだろ」


「足りないわ」


「何がだよ」


「全部」


「雑だなぁ……」


 ベッドの上。

 俺の横では、ザフィラがいつも以上にぴったりと身体を寄せていた。


 肩が触れるどころじゃない。

 腕に抱きつき、黒い尻尾まで腰の辺りへ絡んでいる。

 完全に固定されていた。


「暑くないか?」


「平気よ」


「俺はちょっと暑いんだけど」


「我慢して」


「横暴だな、お前」


「明日からいないんだから、今日くらいいいでしょ?」


「……まあ、それ言われるとな」


 弱い。

 すこぶる弱い。


 俺が何も言えなくなったのを見て、ザフィラが満足そうに笑った。


 昼間までは、あんなにしっかりしてたんだけどなぁ。

 俺がアルセディアを離れるなら、自分は国を守る。

 五災が動く時期だからこそ、軍を預かる自分が残るべきだと、迷いなく決めた。

 あれだけ見れば立派な指揮官なんだけど……。


 今は俺の腕に耳を押しつけながら、指先で服の裾を弄っている。


「……本当は行きたいのよ?」


「知ってる」


「ゼフィロスも見てみたいし」


「観光じゃねぇんだぞ」


「あなたの戦うところも見たい」


「いつでも見てんじゃん」


「五災相手は初めてでしょ?」


「まあな」


「だから行きたいの」


「あぁ……」


 黒い耳が少し伏せる。


「……でも、行かない」


「それも知ってる」


「……うん」


 しばらく静かになった。

 俺は何となく、伏せられた耳の根元へ手を伸ばす。

 軽く撫でると、すぐにぴくりと動いた。


「ん……」


「お前これ好きだよな」


「好き」


「即答だな」


「ご主人様にされるのが好きなの」


「そういう言い方すんなよ……」


「どういう言い方?」


「……分かってて言ってんだろ」


「ふふっ」


 完全に遊ばれている。


 最近、本当に遠慮なくなったな。

 ……まあ、俺も嫌ならやってないんだけど。


 耳の付け根から、髪へ指を滑らせる。

 ザフィラは目を閉じて、俺の肩へ額を預けた。


「エアリスって、遠いの?」


「馬車で何日か。街道が生きてればそこまででもない」


「そう」


「ゼフィロスが予測より早く来なきゃな」


「……」


 そこで腕へ絡む力が少し強くなる。


「……大丈夫だって」


「分かってる」


「昔、何回も殺してる相手だ」


「それも聞いた」


「攻略法も全部覚えてる」


「うん」


「だから――」


「そういうことじゃないの」


 言葉を遮られた。


「ん?」


 ザフィラが目を開ける。


 金色の瞳が、すぐ近くにある。


「あなたが勝つかどうかを心配してるんじゃないわ」


「……じゃあ何だよ」


「帰ってくるかどうか」


「同じじゃねぇの?」


「あなたの場合は違うでしょ」


「……」


 何も言い返せなかった。

 ザフィラは俺の過去を全部知っているわけじゃない。


 でも……一度、自分の人生を捨てた。

 明日なんていらないと思った。


 そこまでは知っている。


「勝てるから無茶していい、にはならないんだから」


「分かってるって」


「本当に?」


「たぶんな」


「リンドウ?」


「分かってますよ」


「よろしい」


 何だこの会話。

 どっちが年上か分からなくなってくる。

 ……いや、普通に今はザフィラが年上だったわ。


「だから」


 ザフィラの尻尾が、もう一度俺の腰へ巻きつく。


「帰ってきてね、ご主人様」


 その呼び方をするときだけ、少しだけ声が柔らかくなる。


「ああ」


 俺は伏せられた黒い耳をもう一度撫でた。


「帰ってくるよ」


 アルセディアへ。


 こいつのところへ。


 なんだか最近、それを約束することが増えた気がする。


 昔の俺なら笑ってただろうな。

 ボスを倒しに行くのに、帰る約束なんて必要かって。


 勝てば帰れる、負けたら終わり。

 それだけだろって。


 でも――今は、そうでもないらしい。


 ♢


 翌朝。


「遅いぞ、リンドウ!」


「お前が早ぇんだよ……」


 城門前。

 馬車の横で腕を組んでいたアウラが、朝っぱらから元気よく声を飛ばしてきた。

 昨日まで眠そうにしていた奴とは思えない。

 しかも新装備を全部身につけている。


 アダマンタイトを主体にした重装。

 背中にはオリハルコン製の大剣。

 どう見ても馬車で旅行へ行く格好じゃない。


「それ着たまま行くの?」


「当然だ!」


「重くない?」


「慣れるためにな!」


「馬が可哀想だろ」


「なぜだ!?」


「お前と装備合わせたら何キロあると思ってんだよ……」


 幸い、今回使うのは荷馬車より頑丈な長距離用の馬車だ。

 予備の馬も用意してある。

 それでも、出発前から若干馬が可哀想になってきた。


「リンドウ様」


 見送りに来たミラが書類を差し出す。


「エアリスまでの最新経路です。途中二か所で街道の補修工事がありますので、迂回してください」


「分かった」


「それから」


「まだあんの?」


「テオたちは引き続き地下資料庫を調査します。何か分かり次第、パーティ通信を送ります」


「頼む」


「そして」


「まだあんの?」


「無茶はなさらないように」


「……お前まで?」


「ザフィラ様からも強く頼まれております」


 ちらりと横を見る。

 少し離れたところでザフィラが笑っている。


 あいつ……根回ししやがった。


「分かったよ」


「本当に?」


「最近みんな俺を信用してなくない?」


「過去の行動を振り返っていただければ」


「もういいです」


 馬車へ乗り込む。

 アウラも向かい側へ座った。


 窓の外、ザフィラと目が合う。

 特別大げさなことは言わない。


 こいつは残る。

 俺は行く。


 それだけだ。


 軽く手を上げる。

 ザフィラも同じように手を上げた。


「行ってくる」


「うん」


 そして馬車が動き出した。


 ♢


「それでは!」


「うん」


「ゼフィロスについて教えてくれ!」


「元気だねぇ……」


 出発してから一刻もしないうちにこれである。


 まあ、教えるつもりではいた。

 戦場に着いてから説明するより、今叩き込んだ方がいい。

 俺は座席へ背中を預ける。


「まず一番大事なこと」


「おう!」


「勝手に高いところへ飛ぶな」


「私は飛べないぞ?」


「そういう意味じゃねぇよ」


「?」


「ゼフィロスの風に乗って無理やり上へ行こうとするなってこと」


「風に乗れるのか?」


「乗れる」


「では早く近づけるではないか!」


「そのまま死ぬぞ」


「駄目ではないか!」


「だから言ってんだよ!アホ!」


 本当に大丈夫かな、こいつ。


「ゼフィロスの周囲には暴風域がある。近づけば近づくほど風向きが複雑になる。上方向へ吹く風もあるけど、それに乗ったら次の下降気流で地面まで叩き落とされる」


「なるほど」


「お前の装備なら一発くらいは耐えるかもしれんけど、試すなよ」


「分かった!」


「本当に?」


「多分な!」


「不安になってきたな……」


 まあいいか……。


「ゼフィロスには『風鰭(かざびれ)』って部位が四枚ある」


「ひれ?」


「ああ。普通の鯨の胸鰭(むなびれ)とは別だ。身体の周囲にある、風を制御するための器官」


「それを壊す?」


「正解」


 アウラが得意そうに笑う。


「四枚全部壊すと、ゼフィロスの周囲を回ってる暴風が一時的に弱くなる」


「なるほど!」


「ただし、一枚壊すごとに風の周期が変わる」


「……?」


「第一段階と第二段階で安全地帯が違うってこと」


「……?」


「お前もう分かってないだろ」


「……大丈夫だ!」


「どこがだよ……」


「リンドウが指示してくれる!」


 開き直りやがった。


 まあ、実際そのつもりではある。


「俺が『動け』って言ったら動け。『止まれ』って言ったら止まれ」


「分かった」


「『伏せろ』って言ったら?」


「殴る!」


「何でだよ!」


「敵が近いのかと」


「伏せろっつってんだろ!」


「難しいな!」


「日本語の問題だろこれ!」


 ……日本語じゃなかった。

 まあ通じてるからいいか。


「あと、あいつが鳴いた直後」


「鳴くのか?」


「鯨だからな」


「どんな声だ?」


「聞けば分かる」


「適当だな」


「説明しづらいんだよ」


 ゲームでもよく聞いていた。

 とにかく低い。

 腹の底まで響くような鳴き声。

 ゼフィロスが大きく鳴いた直後だけ、身体の周囲にある風の流れが一瞬止まる。


「長くて数秒。その間が一番近づきやすい」


「そこで風鰭を破壊するのだな」


「そう。全部潰したら背中へ乗る」


 アウラの目が輝く。


「乗るのか!」


「そこ食いつくとこか?」


「鯨の背中に!?」


「乗る」


「空を飛びながら!?」


「そうだな」


「楽しそうだな!」


「遊園地じゃねぇんだぞ」


「ゆうえんち?」


「気にすんな」


 あー……またやっちまった。

 こっちにない言葉を普通に使う癖、本当に直さないとな。


「背中に乗ってからが本番だ」


「まだあるのか?」


「むしろそこまでは前座」


「五災とは面倒だな!」


「だから五災なんだよ」


 背中へ乗ると、今度は雷撃が来る。

 ゼフィロスの身体を走る魔力が背中へ集中し、周囲へ放電する。

 予備動作はある。

 皮膚表面の紋様が青白く光る。


「光ったら、その場から離れろ」


「受けては駄目か?」


「だから何で受けたがるんだよ」


「新しい鎧の性能が気になる!」


「五災で試すな!」


 こいつ本当に頭アウラだな。


「一発なら防具が逃がしてくれる。でも連続で食らったら内部から焼けるぞ」


「分かった。避けよう」


「よろしい」


「そして頭へ?」


「ああ」


 最終地点。

 ゼフィロスの頭部。


 正確には額のやや後ろに、風と雷を制御する中枢がある。

 ゲーム時代なら、そこまで行けばほぼ終わりだった。


「弱点をぶち抜けば死ぬ」


「簡単だな!」


「そこまで行ければな」


「だがリンドウは行ったことがあるのだろう?」


「何百回とな」


「なら問題ない!」


「……お前、本当に俺を信用してんな」


「当然だ!」


 迷いがない。

 ちょっと困るくらいに。


「まあ、今回は俺が殺る」


 窓の外を眺める。


 街道と、遠ざかっていくアルセディア。


「お前は補助でいい。風鰭を壊すのを手伝って、あとは俺の邪魔になる奴を殴れ」


「任せろ!」


「ただし勝手に突っ込むな」


「任せろ!」


「今の返事一番信用できねぇな」


 ♢


 それから数日。

 途中で馬を替えながら街道を進み、山岳地帯へ入った。

 エアリスが近づくにつれ、景色にも見覚えが出てくる。


「あー……この辺、覚えてるわ」


「来たことがあるのか?」


「昔にな」


 左に切り立った崖。

 その向こうに長い石橋。

 さらに奥、山腹へ食い込むように造られた巨大都市。


 『風門都市エアリス』。


「おお……!」


 アウラが馬車の窓から身を乗り出す。


「大きいな!」


「昔からでかかったよ」


 何段にも分かれた街。

 山の斜面へ沿って積み上げられた白灰色の建物。


 巨大な風車。

 細長い魔導塔。


 街の中央には、風を受けるためなのか布製の長い旗が何十本も立っている。

 ゲーム時代と大きく変わってはいない。


 いや――。


「……ん?」


 何か違う。

 馬車が城門へ近づくにつれて、それが分かった。


 街が妙に慌ただしい。


「何だあれ」


 店先の看板を外している。

 窓へ板を打ちつけている。

 露店はほとんど畳まれている。

 荷馬車は車輪へ止め具を噛ませ、さらに柱へ鎖で固定されていた。


 屋根の上では、男たちが瓦や板を縄で縛っている。

 水路では作業員が泥や木片を掻き出していた。


 そして誰もが、何度も空を見る。


「祭りの準備……ではないな」


「どう見てもな」


 俺も空を見上げる。


 雲が多いが、まだ晴れ間はある。

 けど、流れが速い。


「……風強ぇな」


 エアリスは元々、風の街だ。

 ゲーム時代にも常に風が吹いていた。

 旗がなびいて、風車が回っていた。

 それがこの街の景観だった。


 だけど、今吹いている風は俺の知っているそれより明らかに荒い。

 突風が来るたびに、軒先の布が激しく鳴る。


「アウラ」


「なんだ?」


「ちょっと急ぐぞ」


 嫌な予感がする。


 ♢


 まず向かったのは冒険者ギルドだった。

 ここなら情報が早い。

 建物へ入ると、普段なら依頼書が貼られているはずの掲示板の半分以上が、


『護岸補強』


『住民避難補助』


『家屋固定作業』


『保存食運搬』


 そんな依頼で埋まっていた。


「……完全に災害対応じゃん」


「天鯨でしょうか」


 受付の職員へ名前を出すと、表情が一瞬強張った。


「天鯨の現在位置を知りたい」


「冒険者の方ですか?」


「まあ、そんな感じ」


「討伐へ?」


「そのつもり」


 職員がアウラを見る。

 今度は俺を見る。


 明らかに、『こいつら正気か?』みたいな顔だった。


「最新情報は観測所が持っています。ただ……」


「ただ?」


「今年は、例年よりかなり早いです」


「どのくらい?」


「私どもにも正確には……。三日前から季節風が急激に変化しています」


 三日前。

 眉を寄せる。


「南西上空では巨大な雷雲も確認されました。天鯨が近い年には見られるものですが、本来ならもう少し先の時期です」


「……観測所どこ?」


「中央塔の上層です」


「ありがと」


 そのまま出る。

 アウラが追いかけてくる。


「かなりまずいのか?」


「アルセディアの予測だと、最短でも十九日だった」


「では早いな」


「早いなんてもんじゃねぇ」


 ♢


 観測所では、さらに悪い情報が待っていた。

 巨大な地図、風向きを示す札。

 観測者たちが慌ただしく行き来している。


「今朝の観測です」


 担当者が地図上へ石を置いた。


 エアリスの南西。

 思ったより近い。


「雷雲はこの一帯まで進んでいます」


「昨日は?」


「ここです」


 別の地点。


 距離を比べる。


「……速すぎじゃね?」


「はい」


 観測者の顔色も悪い。


「通常の移動速度を大きく上回っています」


「天鯨の本体は確認したか?」


「まだです。しかし」


 窓の外。

 風が唸った。

 建物全体が、わずかに震える。


「この風は?」


「今朝からです」


 机の上に置かれていた紙が、一枚床へ落ちる。

 観測者は拾おうともせず、地図を見つめていた。


「天鯨が周辺空域へ入った際に起こる前兆と一致しています」


「どれくらいで来る?」


「予測不能です」


「最悪は?」


 少し躊躇して。


「……すでに周辺空域へ入っている可能性もあります」


 俺は地図を見る。


 三週間、四週間、そんな余裕はない。

 二、三日ですらないかもしれない。


「……アウラ」


「なんだ?」


「行くぞ」


「今からか?」


「……今だからだ」


 こんなところで待っている意味がない。

 ゼフィロスが街まで来るなら。


 その前にこっちから見つける。


 ♢


 エアリスを出て、一時間ほど。

 風はさらに強くなっていた。


「リンドウ!」


「喋ると舌噛むぞ!」


「分かった!」


 それでも喋るのかよ。

 途中から馬車は置いてきた。

 この風では馬が危ない。


 俺とアウラは街道を外れ、南西の高地へ向かっている。


 雲が低い。

 昼間だというのに、空が暗い。

 遠くで雷が鳴る。


 いや――遠く?


「……違うな」


「何がだ?」


「音が遅れてない」


 ほとんど同時。

 光と轟音。

 かなり近い。


 次の瞬間。


 ゴォォォォォ――!


「っ!」


 横殴りの風。

 アウラが咄嗟に脚へ魔力を流す。

 新しい脚甲の術式が光り、足元の土へ魔力が走った。


 それでも。


「うおおおお!?」


 二歩、三歩と、アウラの身体が地面を滑る。


「普通の暴風じゃ動かないんじゃなかったのか!?」


「だから普通じゃねぇって言っただろ!」


「本当に飛びそうだぞ!」


「まだ本体すら見えてねぇよ!」


「嘘だろう!?」


 そこで、雷が落ちた。


 山の向こうへ、一本、二本、そして、続けて何本も。

 空を埋め尽くしていた灰色の雲が、青白く内側から光る。


「……来たな」


 俺は目を細めた。


 雲がおかしい。

 流れているんじゃない。

 渦を巻いている。


 巨大な何かを中心に、何十キロにも広がる雨雲そのものが、一つの生物について動いている。


「リンドウ」


「ああ」


「……あれは、雲か?」


「半分はな」


 アウラが言葉を失った。


 俺も、ゲームでは何百回も見た。

 画面いっぱいに映る巨大なモデル。


 攻略対象。

 レイドボス。

 素材を落とす敵。


 でも、現実で見ると。


「……でっけぇな」


 思わず漏れた。


 雲の中から。

 まず現れたのは、鰭だった。

 山の稜線よりも巨大な、青灰色の胸鰭。

 ゆっくり、海を泳ぐように、雲を押し分ける。


 巨大な鯨。


 ただし、俺の知っている海の鯨なんかとは比べ物にならない。

 一つの山が、そのまま空を泳いでいる。


 濃い蒼黒色の背。

 そこには幾筋もの青白い紋様が走り、呼吸するように明滅していた。

 腹側は霧を溶かしたような薄い銀灰色。

 身体の周囲には何重もの風が輪となって巡り、雲が渦を巻いている。


 左右には本来の胸鰭。

 そしてその後方。

 背から側面にかけて浮かぶように生えた、四枚の巨大な『風鰭』。


 普通の肉ではない。

 半透明で、薄青い膜の内部で風そのものが脈打っているように見える。


 一枚が動くたび、空が軋み、雲が割れる。

 尾鰭がゆっくり振られただけで、その後方へ巨大な旋風が生まれた。


 そして全身には――雷。


 青白い稲妻が、紋様から紋様へ這う。

 角も牙もない。

 鎧もない。


 ただ空を泳いでいるだけ。


 それなのに、存在そのものが災害だった。


 雲の合間から、一つの眼が開く。

 金とも白ともつかない巨大な瞳。

 人間一人くらいなら、その瞳孔の中へ入りそうだった。


「……これが」


 アウラの声が震える。


「五災……」


 ゼフィロスが口を開いた。


 次の瞬間。


 ――ォォォォォォォォォォォォン。


 低い鳴き声。


 なのに、空全体から聞こえる。


 腹の奥が震えた。

 地面が震えた。

 周囲の草木が一斉に伏せる。

 雲が円形に吹き飛び、一瞬だけ巨大な身体の全貌が露わになる。


 そして、その背後。

 空いっぱいに広がった雷雲が、再びゼフィロスを包み込んだ。


「……は」


 口元が勝手に上がる。

 怖くないわけじゃない。

 ゲーム画面越しで見るのとは、何もかも違う。


 大きさも、音も、圧力も。


 こいつが通るだけで街が壊れる。

 今なら嫌というほど分かる。


 それでも知っている。

 こいつの動きを。

 弱点を。

 殺し方を。


 俺は左手に『ドライ』を召喚した。

 三本の棍を繋ぐ鎖が、風の中で激しく鳴る。


「出やがったな……」


 『レムオン』時代。

 俺にとってはただの攻略対象だった相手。

 世界中のプレイヤーが挑み。

 何度も何度も殺してきた()()のうちの一匹。


 その本物が。


 今――。


 俺の目の前で空を泳いでいる。


 『ドライ』を握る手へ力を込める。


「クソ鯨が……!」


いよいよ『天渦鯨ゼフィロス』登場です。


出発前夜は、アルセディアに残ることを自分で決めたザフィラとの時間から。

ついていかないことを選んだからこそ、「帰ってきて」と待つこともまた、ザフィラ自身の選択になりました。


そして道中では、アウラへ五災攻略を叩き込みつつ風門都市エアリスへ。

ところが、アルセディアでの予測よりも天鯨の接近は遥かに早く――。

ついにリンドウは、ゲーム画面の向こうではなく、この世界で本物のゼフィロスと再会しました。


攻略法は知っている。

弱点も知っている。

殺し方だって、何百回と試してきた。


次回から、世界一位による『天渦鯨ゼフィロス』攻略開始です。


……さて。

本当に、ゲーム時代と同じようにいくのでしょうか。

第四章『天鯨の帰る空』、ここから本格的に動きます。


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